9月 4日


ボランティア・ガイド模様

今月のガイドは7日から。 お出でになる方は(今のところ国籍不明の)67歳のご婦人(1人旅)です。 東京在住の姪御さ
んを介して情報交換をしてきました。 スケジュールは既にお渡ししてあります。 今日写真が届いてこれで一応準備は整いま
した。 広島市内は前日6日にご自身で歩かれますので、7日は宮島だけのご案内になります。             ・

「遅くならない内に東京に着くように広島駅を出発させて欲しい。」と姪御さんから依頼を受けていますので宮島での時間は限
られます。 『大鳥居遊覧航海』『厳島神社』『大聖院』を計画していますが、かなり駆け足になるかと思います。 お昼を食
べる時間が取れるかしら。 天気予報では雨も心配されています。                          ・

続いて21日、22日にカナダからご夫婦とご子息(アダルト)のグループがお見えになります。 こちらは2日間のご案内に
なります。 21日は広島市内のご案内です。 早朝にホテルにお迎えして『縮景園』『広島城』、少し行ったり来たりになり
ますが、『お好み村』に戻ってお昼、それから『平和公園』『平和資料館』に向かいます。               ・

翌22日は広島駅で落ち合って宮島をご案内します。 『大鳥居遊覧航海』『弥山登山』、下って『千畳閣』『厳島神社』『大
聖院』を歩くように計画しています。 弥山に登りますから、天気が良ければいいのですが。              ・

それに「温泉を経験したい。」という要望があります。 どのような温泉をイメージしておられるのか分かりませんが、『アー
バンスタイル』の温泉として楽々園の『ゆらゆら』をお勧めしています。 鄙びた温泉宿の岩風呂の雰囲気ではありませんが、
様々の泉質やアレンジメントに満足して頂けるのではないかと思っています。                     ・

続いて25日、26日にはドバイから新婚さんがお見えになります。 以前ドバイからイタリア人とメキシコ人のカップルがお
見えになったことがあり、この人達の紹介で私宛に直接依頼がありました。 お昼前に新幹線口にお迎えしすぐに『お好み村』
でランチ、それから市内をご案内して宮島口のホテルにお連れします。                        ・

翌日はホテルのロビーで落ち合い、やはり『大鳥居遊覧航海』で宮島に向かいます。 午後早い時間に広島を発ちたいという希
望なので時間はかなり限られます。 『厳島神社』に全力投球くらいになるでしょうか。 新婚さんですからお祝いに何かプレ
ゼントをと考えています。 『夫婦円満』祈願の『しゃもじ』くらいかなぁ。                     ・

10月21日にはインドネシアから若いご婦人がお見えになります。 写真を拝見しましたが、とても素敵な東洋美人です。・
早朝にバスで東京からお見えになり、夜遅くなってやはりバスで大阪に発たれます。 「1日で広島、宮島を」という希望なの
でかなり絞ってご案内することになります。 『大鳥居遊覧航海』には是非ご案内したいので、今回は宮島からスタートするこ
とにしました。 かなり急ぎ足の旅程になりますから食事も車中で食べて頂くように考えています。 取り敢えずスケジュール
を作って照会中です。                                              ・

先の話になりますが、11月21日、22日にもイスラエルの若者からの依頼を受けています。 こちらはいま先様からのコン
タクトを待っているところです。 こんなところが最近のボランティア・ガイド模様です。               ・

酔芙蓉

先月10日から咲き始めた『酔芙蓉』ですが、結局先月末までに16輪が咲きました。 随分楽しませてもらいました。 今月
に入ってからも咲き続け、昨日には一度に4輪が咲きました。 見事なものです。 今年は置き場所、水遣り、肥料、それに殺
虫剤も使って管理してきましたので、その効果があったのでしょう。                         ・


 

幾つくらい咲くのか、蕾は無数に(誇張表現です)ついていますから例年最盛期となる今月には相当数が楽しめるのではないで
しょうか。 毎朝が楽しみですね。 これは変化の少ない日常のささやかな楽しみになっています。           ・



































8月25〜26日



ボランティア・ガイドが終わりました

今回のお客様はブラジルから。 ご主人はブラジル人、奥様は日系三世の30過ぎのカップルでした。 内陸部にお住いのよう
でしたが、町の名前は聞き漏らしました。 ご主人は家具造りの職人でご自身で店を切り盛りしておられます。 納品した後の
写真をbefore/afterで見せて頂きましたが、なかなかいい仕事をされています。              ・


 

25日は12時35分に広島駅にお迎えし、すぐに『お好み村』で昼食を楽しんで頂きました。 それから『平和公園』→『資
料館』→『広島城外周』を経て『縮景園』にご案内しました。 まぁ、いつものコースですからトラブルもなく、ただともかく
蒸し暑かったです。 自分で自分の汗臭さに顔をしかめるみたい。 それに前回のガイドから1月半空きましたから英会話が錆
び付いています。 ちょっとたどたどしい。 付け刃のようなものですから少し間が空くと、もうしどろもどろです。   ・

26日は広島駅にお迎えし弁当を買って前空駅に向かいました。 前空駅だと大野桟橋まで歩いて10分、従ってタクシーを心
配しなくていいので、近頃は専らこのルートを利用しています。 お弁当の件ですが、アナゴが2尾乗っかった『夫婦アナゴ弁
当』が確か1150円。 しかも7時から営業していますからこれはなかなか便利で嬉しい。 広島駅南口の取りつきにありま
す。 宮島に入って買うと、これと比較して品質がどうかなぁ?と思われるものが1700円超。 しかも売り切れがあったり
します。                                                    ・


大野桟橋から大鳥居周辺を遊弋して宮島桟橋に至り、すぐにケーブルカーの『もみじ谷駅』に向かいます。 今日はなぜか宮島
の『水中花火大会』でした。 例年はお盆なのに。 それでまだ早い時間なのに商店街はもはやラッシュ、夥しい人出です。・
早々と場所取りをするんですかね。 それはさておき我々は『獅子岩駅』から弥山頂上を目指しました。 靄が薄く視界を遮る
雰囲気でしたが構わず登ります。 展望台で暫く景色を楽しんだ後で2階に降りてお弁当にしました。          ・

 

そうこうしている内に靄が薄くなりましたのでもう一度展望台に登って頂いて弥山山頂を後にしました。 『千畳閣』には沢山
の人が座って涼をとっていました。 花火大会の時間待ちでしょう。 「何故ここにこんなに大きな飯杓子を並べてあるんです
か?」と質問がありました。 参りました。 『語呂合わせ』だとか、『必勝祈願』だとか、少し言葉を調べておかなければ。
いやぁ気にはなっていたんですがね。                                       ・

『厳島神社』の『平舞台』に出て驚きました。 『三笠が浜』には夥しい数の三脚が並べられています。 にわかカメラマンの
場所取りでしょう。 干潟や石垣にももうびっしりとブルーシートが並べられています。 まだ4時前だというのに大変な人出
です。 「花火が見たいと言っているんだけど、さてどうしよう? 帰りの混雑は半端じゃないしなぁ。」 ずっとそんなこと
を考えながら歩いておりました。                                         ・


 

このころから奥様の様子が変わりました。 事務所勤めにはこの蒸し暑さと長歩きが堪えたようで、すっかり反応が鈍くなりま
した。 「座って休みたい。 どこかにカフェはないか?」といいます。 ところが、近くのカフェは全て満員。 中には行列
ができているお店もあります。 やっと探し当てて、かき氷でほてりを鎮めて頂いた後で『大願寺』のベンチに奥様を残し、ご
主人を『大聖院』にご案内し、それから帰路につきました。                             ・

どうやら花火見物は諦められたようです。 この人ごみを見たら流石に後に引くでしょう。 「リオのカーニバルみたいですね
。」と冗談を挟むと笑っておられました。 土産物を物色したいとおっしゃるのでそれから商店街を歩きました。 いや歩けま
せん。 前に進めないのです。 やっとの思いで桟橋まで戻り、ようやく人ごみから解放されました。 最後に宮島口駅までお
送りし、お別れしました。                                            ・


 

この時期のガイドは厳しいです。 何しろ安全にお連れするのが一番ですから気を遣うことが多いです。 疲労、熱中症、食中
毒、心配事は沢山あります。 ちゃんと水分を摂ってくれているか、そんなことにも気を配ります。 様子を見ながら適当に休
憩もとります。 ややもするとスケジュールが乱れがちで、予定表と時計からは目が離せません。 どこで辻褄を合わせるか、
日がな一日そんなことを考えていたご案内でした。                                 ・













































8月19日



宮島調査3回目

孫の夏休みの『自由研究』のお手伝いで今日も宮島に出掛けました。 「これから厳島神社方面に向かう人に宮島の印象は聞け
ないので、帰ってくる人を狙おうよ。」 こんなことを話しながら大鳥居方面に向かいました。 先ずは海岸沿いを戻ってくる
カップルにインタビュー、デンマークからお見えになった若いカップルでした。 「大鳥居と背後の山がとてもきれい。 ケー
ブルカーでターミナル(獅子岩のこと)まで登ったけど、眼下の景色が素晴らしかった。」 脚がお悪いようで、頂上までは登
らなかったのだそうです。 1枚写真を撮らせていただきました。 快く応じて頂けました。              ・

 

それから干潮の大鳥居周辺に行ってみました。 ここではカナダからお見えになった17人のグループに出会いました。 ツア
ー旅行のようでした。 (一行の中の)ご夫婦とお子さんの4人連れにインタビューしました。 三笠が浜の『石灯籠が印象的
だった。 もちろん大鳥居も。」とおっしゃっていました。 お父さんは娘さんが可愛くてならないご様子で、娘さんと孫との
2ショットを撮らせて欲しいとお願いされました。 後でメールで送ってくれるそうです。 17、8歳かなぁ、とても綺麗な
娘さんでした。                                                 ・

最後に「フェリー乗り場まで戻ってフェリーを待つ人にインタビューしようょ。」という孫の発案で桟橋まで戻りました。 で
も待ち受けているとなかなかいいターゲットには出会えない。 「この人がいいなぁ。」と思っているといきなり改札が始まっ
てしまったりしてなかなかうまくいかないものです。 英語はたどたどしかったですが、やっとスペインからお見えになったフ
ァミリーにインタビューができました。 やはり大鳥居が印象に残ったようですが、「『お好み焼き』がとても美味しかった。
」と嬉しそうに話されました。                                          ・

船中でもう一方にお話しを伺い、これで今回の調査を終わりにしました。 トータルで20件ほどインタビューができました。
さてこれを孫がどうまとめるのか、楽しみにしておきます。 今日も暑かったですね。 孫は時にインタビューそっちのけでヤ
ドカリや小魚と戯れていたりします。 「子供なんだから、まっいいか!」と黙ってお付き合いをしましたが、流石にグロッキ
ーでした。                                                   ・

 
































8月11日



自由研究

孫が夏休みの『自由研究』で、宮島の歴史、特に『厳島神社の成り立ち』、『宮島の戦い』、『清真さんの功績』、それに宮島
を訪れる外国の方が宮島に『どのような印象を持ったか?』、何故宮島を『訪れたいと思ったか?』、また『お好みの食べ物』
などをインタビューしてみたいと言います。 「ジイジはボランティア・ガイドで外国の方を案内しているから、その流れでゆ
かりの地を案内して説明して欲しい。 それに外国の方とのインタビューも助けて。」ということだったので今日孫を連れて2
回目の宮島探訪に行ってきました。                                        ・

前回は『厳島神社』はもちろん、『宮島の戦い』の舞台となった『塔の岡』と『要害山』、4か所の『清真釣井』、『大杓子』
などを見て歩きましたので、今回は『厳島神社』の『表参道』としての大鳥居を例の『大鳥居遊覧航海』で沖から眺めさせ、後
は大元公園の『血仏』を見せてやりました。                                    ・


 

さてそれではインタビューをと思っていたら、どうやら下心があったようで、『水族館』に連れて行けとしつこく迫ります。・
こいつの説得が始まると、もう留まるところを知りません。 ついには根負けして毎回折れてしまうのです。 『水族館』をた
っぷり閉館間際まで楽しんでいました。 その間私は『牡蠣の養殖』展示コーナーのベンチでずっと居眠りをしておりました。

 
 
そして帰り道、宮島のフェリー乗り場でイギリスからお出でになった老カップルにインタヴュー、続いて船内で隣り合わせた香
港から来られたご婦人にインタヴューしました。 お2方とも私が英語を話せることに驚いたご様子で「日本に来て皆さん英語
が話せないことに驚いた。 あなたはいつからどこで英語を学んだのか?」とかなり熱心に質問されました。 「いやいや、そ
れはあべこべでしょう。 質問するのはこちら。」と思いながらも、外国の方からみるととても不思議だったようです。 「今
までの日本の英語学習は読み書きが中心で、会話には殆ど取り組んできませんでした。 最近になって外国人教師を招き会話中
心の学習に切り替えています。 この娘達の年代にはきっと英会話に堪能な日本人が育つはずです。」とお答えしました。 ・

私ごときの英会話で「あなたは素晴らしい。」といわれるんじゃぁ恥ずかしいやら情けないやら。 さて、2件だけでは足りな
いみたいで、次回、もう一度インタビューに出掛けなければ。 なかなか骨が折れます。                ・


































8月10日



酔芙蓉

今年もベランダで『酔芙蓉』が咲きました。 今年の第1号は昨年より1月余り早く咲きました。 少し置き場を替えてやった
からか、例年になく元気に育っていて、咲かずして蕾が落ちるということもなくうまく育っています。 ただ、図体に比べて鉢
が小さく、またプラスチック鉢なものですから、時に風に煽られて転がっています。 来年には鉢増しをしてやらなければ。・

毎年ご紹介しているように『酔芙蓉』は早朝に純白に咲いて、昼までに次第にピンクが濃くなり、夕方には赤く染まって落ちて
いきます。 その様子を女の一生になぞらえて「ロマンチックな花だ。」といっていた『菩薩様』を思い出しています。 取り
敢えず写真を乗っけておきますのでご覧になって下さい。                              ・

 

なお、翌12日にも1輪咲きました。 今年は8月中に相当数が期待できそうです。 友達をお誘いして『花見酒』と洒落込む
のも悪くないかなと思っています。                                        ・




















































8月 5日


孫のギターコンクール

「さて、どうしたものか? 見にってやるべきか、それともそっとしておいてやるべきか?」と悩んでおりました。 実は今日
は孫の『ギターコンクール』でした。 日本ギター協会が主催する『日本ギターコンクール』、とてもメジャーなコンクールで
したので、あらぬ緊張をさせたくないと悩んでいたのでした。 ところが、前々日になって孫から電話がありました。 「ジイ
ジ、コンクール、見に来てね! バーバも連れてきてね。」 そんなことがあって大阪まで応援に行ってきました。    ・

会場は、あいおいニッセイ同和損保『ザ・フェニックスホール』でした。 300席余りのこじんまりとしたホールですが、な
にしろ音響がいい、それに照明が素晴らしい。 多目的ホールで今日はコンクール用に舞台がしつらえてありました。 写真を
乗っけておきます。 舞台中央に椅子が1脚、それに足台が置いてあります。 「ここに立ったら震えるだろうなぁ。」 そん
なことを考えながら写真を撮りました。                                      ・


 

コンクールは2日にわたります。 今日は『小学生部門』『中学生部門』『高校生部門』『中級部門』『シニア部門』『大学生
部門』が行われます。 そして明日は『オヌール部門(プロフェッショナル)2次予選』『上級部門』『オヌール部門本選』が
行われます。 歴代『オヌール部門入賞者リスト』を見ると、例えば朴葵姫や私の先生、有名どころの名前がズラリと並んでい
て、このコンクールの位置づけを思わせます。                                   ・

参加者はトータル107名、その内孫が出演する『小学生部門』は13名でした。 やはり近畿圏が中心でしたが、北海道、愛
知、広島(孫)からも参加がありました。 孫の演奏曲はA・ピアソラ作曲の『ブエノスアイレスの夏』というかなりの難局で
した。 全般にレベルが高く、演奏曲には『アルハンブラの思い出』もありました。 孫の曲をyou tubeで見付けまし
たので下にリンクを張っておきます。 興味のある方はお聴きになってみてください。                 ・

https://www.youtube.com/watch?v=L0tGW90J0Zs

さて、孫は残念ながら金賞には届かず、銀賞に止まりました。 身内としてはもう少し評価されてもよかったのではないかと思
いますが、そこはプロの審査員の評価ですから甘んじて受けるよりほかにないでしょう。 今回は初めてのメジャーなコンクー
ルでしたので、大海を知るという意味で、いい経験をしたのではないかと思います。 12名の参加者とはライバルとしてこれ
から長く戦っていかなければいけないでしょうから。                                ・


 

私は『中級部門』の演奏を聴き、孫達の表彰式の後で会場を後にしました。 実は『シニア部門』(私と同年代)の演奏を聴い
てみたいと思ったのですが、それを聞いていると帰宅が夜中になってしまいます。 大阪駅で新幹線乗り場を一生懸命探すとい
う大失態を演じながら戻ってまいりました。                                    ・
















































8月 1日



gossip

今日のレッスンテーマは『gossip』でした。 warm−upとしてuseful expressionを学んだあと
でteacherとroal playを行ないます。 ここで理解できない部分をteacherと徹底的に議論し、理解を
深めていきます。 しつこいと思われようがどうだろうが、ここが肝心・・・と解るまで食い下がるようにしています。  ・

最後にteacherから数々の質問が投げかけられ、それに答えながら今日のレッスンの総括をします。 今日はこんな質問
がありました。 What is the strangest rumor you’ve ever heard? とい
う、まぁ一般的な質問でしたが、これがなかなか思いつかない。 そこで持ち出したのは・・・。            ・

日本の首相がアメリカのクリントン大統領と面会することになりました。 この首相は私と同じように英語が余り得意ではあり
ません。 そこで随行の外務官僚が首相にサジェストします。 「大統領と面会したら、まず,How are you?と切
り出してください。 そうすると大統領からは、I’m fine. thank you. and you? と返ってき
ますので、Me too. と答えて下さい。 その後の会話は全て私たちがサポートします。」            ・

そして初対面。 首相は握手を求めながらいいます。 Who are you? 大統領は一瞬ムッ!としましたが、そこは
洗練されたウイットで答えます。 「I’m Hillary’s husband.」 そこで首相は我が意を得たりとばか
りに「Mee too.」と返しました。 この話はわが国ではつとに有名なrumorになっています。        ・

ここまで話したらSerubian girlが「I know. I know.」といいます。 エッ! この話は世界の
こんな地域にまで広まっているの? と驚きました。 続いて、「Is that true?」と来ました。 そこで「No
.No. It’s just a stupid rumor. Japanese Prime Minister is
not such a shamefull person.」と答えたものの・・・。                ・

彼の身辺には常にダーティーなイメージが付きまといます。 その就任からして密室の談合と非難されました。 病に倒れた前
任首相から「後継を譲ると託された。」と怪しげな談合話を貫き通し、ついには首相に就任します。 彼には『アフリカ諸国と
の外交関係樹立』という一枚看板がありますが、その他には際立った話も聞きません。 むしろ失言の多さや、『IT革命』を
『イット革命』と読んだ武勇伝などが記憶に新しいところです。                           ・

そうは言っても我が国の宰相を無能と謗られるのは癪ですから、このように弁護しました。 まぁ、そのように揶揄される下地
はあったとしても、そういう冗句をとばした新聞記者の心情も怪しみます。 まぁ、最近のメディアの体たらくを見るにつけ、
かくありなんとは思いますけどね。                                        ・






















7月22日


京都に行ってきました

21日・22日と京都に行ってきました。 実は私は『第1回青年の船』の岡山県代表の1人でした。でも私はそのことに触れ
ることをこの50年間ずっと避け続けてきました。 県の代表でありながら52日間に及ぶ船旅を無為・無策・無思慮に過ごし
てしまったこと、各国の青年たちとの交流、現地の暮らし、歴史・文化などから学ぶことが余りにも少なかったこと、またその
経験を元にした何らの『試金石』にもなりえなかったこと、そういう反省からそのことから意識的に思考を遠ざけ、仲間との交
流も断ってきました。                                              ・

私の当時の幼さのゆえでした。 そういう自分が許せませんでした。 それから時を経て5年前、家内が逝った翌年でしたが、
広島で歴代の『青年の船』、その他海外との交流団体合同の総会があり、「広島にはアイツがいるから連絡をしてやろうじゃな
いか。」という総会参加者(『青年の船の当時の仲間)の思いやりで、図らずも1日を江田島と呉で遊ぶことになりました。・
その折りに、「近いうちに京都に集まって旧交を温めようではないか。」という相談ができ上がりました。 そういう仲間の優
しさにこの人達との交流を断ってきた私の頑なな心は少しづつ和らいでいきました。                  ・

その後紆余曲折はありましたが、今回こうして『交流会』を開催することになり、私も出席させていただきました。 これが今
回の京都行でした。 『六角通』の宿に入ったとき、「どういうリアクションになるんだろう」と不安に思いましたが、「おぅ
高橋じゃないか!」とどの顔も笑っていました。 「おう、○○じゃないか。」 「お前も元気だったか?」と次々と握手を交
わし、一気に、またごく自然に当時の友情が蘇っていきました。 懐かしい面々でした。                ・

「おぅ、高橋待っとったぞ。 オレはな、お前に謝らなければならないことがあるんだ。 折角招待して貰ったのに、他の用事
を優先してお前の結婚式に行ってやることができなかった。 その事を50年間ずっと悔いてきた。 今日やっと謝れる。」と
駆け寄ってくれたTさん。 「そんなこと、誰にだって都合があるさ。 ちっとも気にしちゃぁいないよ。」 「それを聞いて
50年間の思いからやっと解放されたよ。」 些細なことに長い間気を留めてくれていた仲間もいました。        ・

第10班。 班長、助手、それに団員20名のうち出席者13名。 当時団員の最高齢は25歳、概ね全員が既に70歳を越え
ています。 鬼籍に入られた方が1名おられました。 大病を乗り越えて出席された方もおられました。 そして大宴会、始め
に鬼籍に入られたB君に黙祷を捧げてから和気あいあいの大宴会となりました。 どの顔も屈託なくほころんでいました。 ・

 

私は岡山県代表の団員でしたが、暫くして広島に移り住みました。 従って出身母体の岡山県には何の貢献も出来ず、また広島
でも殆ど埋もれたままでした。 そのことの後ろめたさを長い間引きずってきました。 しかし多くの団員は地域の期待を背負
ってそれぞれに活躍をしてこられています。 長らく市会議員、町会議員を務められた方、スポーツを通じて青少年の育成に努
められた方、試行錯誤を繰り返しながら『芝ざくらの里』を立ち上げ地域興しに貢献された方、貢献が認められて叙勲を授かっ
た方もおられました。 『芝ざくらの里』は以下のURLからご覧になれます。                    ・

http://shunan-odori.jp/

それに引きかえ私は紹介することも少なく、ただ近況を報告するばかりでした。 ただ「細々ながらボランティア・ガイドをし
ている。」と紹介すると図らずも拍手が巻き起こって面喰ってしまいました。 まぁ、これもささやかな地域貢献の1つではあ
りましょう。 「お前、英語は大丈夫なのか?」とヤジが飛びました。 拍手の意味はそういうことだったのでしょう。 そう
いわれてみれば、当時は我が班の多くのメンバーは似たりよったりでパートナーだった女性グループに随分助けられたことを思
い出します。 女性グループは美女揃い、しかもインテリが多かったと記憶しています。                ・

 

宴会の後で居室に戻り、布団を跳ね上げて飲み放題の二次会になりました。 アルコールが回り、入り乱れて遂には秘話も飛び
出しました。 恋物語がありました。 チクリもあったり、誤解による4日間の入浴禁止令があったことなども飛び出して、笑
い声は絶えず、楽しい時間はアッというまに更けていきました。                           ・

「次回はどうしようか?」 「5年後にもう一度。」 「歳を考えろよ。 5年は待てんぞ。 2年後、いや1年後にしてもい
いんじゃぁないか。」 「次回はパートナーだった15班の女子にも混ざってもらって合同でやろうよ。」 幹事も決まり、次
回の相談もまとまって、「さて、そろそろ」とやっと眠りにつくことになりました。                  ・


 

翌日はタクシーに分乗して市内観光に出掛けました。 清水寺、三十三間堂、泉涌寺と回って、私はここで皆さんとお別れしま
した。 楽しい思い出ができました。 幹事さんには50年ぶりの楽しい集まりを最後の最後までアレンジしていただきありが
とうございました。                                               ・

さて、今回はあえて私の恥部(私が引きずってきた思い)を書かせていただきました。 50年も人知れず引きずってきた私の
思い、あえてホームページ上に公開するような事柄ではなかったかも知れません。 でも、『終楽章』を生きるにあたり、残る
人生を出来るだけ穏やかに生きていきたい。 そのためには『心の安らぎの差し障りとなっているもの』を1つ1つ払拭する以
外にない。 そうして引きずってきたものから解き放たれたいと思い至ったのでした。 例えば先日の先輩との『黄昏亭』、先
輩にはっきりと私の感謝の気持ちをお伝えできた(長くそうしなければと思っていたことでした)ことで私の心は随分と軽くな
りました。 こころの『断捨離』ということかも知れません。 そしてこの告白もしかりです。             ・















































7月12日



ボランティア・ガイド終わりました

これは
ミラクルといってもいいでしょう。 とても感動的でした。 今回のお客様はカナダの西海岸バンクーバーからお見えに
なりました。 mam?歳、定年を迎えて「さぁ、これから何をしようか?」とおっしゃっていました。 daughter2
0歳、大学3回生。 小説家を目指しています。 son17歳、高校卒業。 大学も決まっています。 日本語専攻で将来は
東京で英語教師を目指しています。 今回は彼の卒業祝いの旅、今夜はホテルでbigディナーだそうです。 因みにdadは
元アメリカン航空のパイロット、今回は大型犬2匹とお留守番だそうです。                      ・

こんなご一家のご希望は「短時間で街歩きを済ませ、弥山に登りたい。」ということでした。 今日は少雨の予想でしたが、昼
過ぎには薄日も見えていました。 弥山山頂が時に雲を被っていました(故老曰く。 弥山に雲がかかったら雨)が、強い希望
でもありましたので取り敢えず出発することにしました。 少々foggyでもこの様子なら何とか景色を楽しめるでしょう。

ところがです。 ロープウェーに乗って榧谷駅(循環式と交走式の中継点)に至ると景色が一変。 それまでは遥かに眼下を遠
望できていたのに榧谷駅は一面深い霧に包まれていて何も見えません。 ゴンドラに乗り換えるとこんな景色でした。 「眼下
の景色をお楽しみ下さい(正確ではありません)。」というアナウンスに乗客から思わず苦笑が漏れていました。     ・


 

獅子岩駅に着いたとき「さて、どうしましょうか?」とお訪ねしました。 私は少し空が明るくなってくる気配を感じていまし
たので、お引止めはしないでこの人たちの判断に従うことにしました。 「もし途中で雲行きが怪しくなったら引き返すことに
して、取り敢えず出発しましょう。」という判断でしたので霧の中を出発しました。 途中の絶景ポイントも全て霧の中、さぞ
かし落胆されているかと思いきや、「霧の中の木立が素晴らしい。」とはしゃぎながら登っていかれます。 こういう楽しみ方
もあるんだなぁ。 そういえば前日の高野山は大雨、でもとても楽しそうにその時のことを話されていました。 カナダの人達
は雨がお好きなのかも知れません。                                        ・

弥山本堂まで登った時には雲が切れて青空も見え始めていました。 でも眼下は依然として深い霧の中。 そして弥山山頂、展
望台に上がった途端”サーッ!”と霧が引いて眼下に瀬戸内の多島美が忽然と姿を現しました。             ・


 

「wowとかniceとか」感嘆詞を並べながら景色に見入っておられました。 この瞬間がここからの景色により強い印象を
与えたのでしょう。 私自身も今までにこんな景色に遭遇したことはない。 これはまさに
『ミラクル』だと感じました。 後
になって「今まで日本で見たどんな景色よりも素晴らしい。」と感想を漏らしておられました。 こんな感動的な景色をご覧い
ただけ、彼我ともにラッキーだったなぁと安堵しました。                              ・

今回はいつも通り『大鳥居遊覧』をお楽しみいただき、弥山から下った後で『大聖院』『厳島神社』をご案内して今日の予定を
終えました。 一つ残念なことがありました。 宮島に到着したのが1時過ぎ、従ってお楽しみの『あなご飯弁当』がどの店で
も売り切れになっていました。 お弁当を頬張りながら眼下の景色を楽しむ醍醐味は残念ながら味わって頂くことができません
でした。                                                    ・























































7月 7日


広響定期演奏会

七夕ですね。 残念ながら広島の夜空は厚い雲に覆われていました。 今夜は広響7月期定期演奏会でした。 いきなり質問で
すが、シューマン交響曲2番をご存知でしょうか? シューマンといえば中学校の音楽の時間にまず名前を覚えさせられた超有
名作曲家の1人でした。 でも私はシューマン交響曲2番を全く知りませんでした。                  ・

自分が知らないから他の人も知らないのじゃないかというのは少し不遜ですね。 でも演奏をされた当の本人も「演奏はおろか
聴くのさえ初めてでした。」と言っていたくらいですから、相当にマイナーな曲かなと思います。 従ってこの曲をご存知のお
方は相当にマニアックなお方ではなかろうかと思った次第です。                           ・

前もってyou tubeで聞いた後で、「さて今回はどうしたものか?」と思いました。 もし団員さんから「今日もよろし
くお願いしますね。」とお誘いがなかったら今夜はパスしたかも知れません。 どう考えても、とても感動的なシンフォニーと
は思えませんでした。 それに昼過ぎまで雨が降っていましたし。                          ・

ところがです。 実際に広響の生演奏で聴いてみるとyou tubeとは大違い、なかなか聴きごたえのある曲でした。 少
なくとも「相当にマイナーな曲」とは言いすぎでした。 もっとも、広響のパフォーマンスが資するところもあったかも知れま
せん。                                                     ・

今年度は新音楽監督の就任記念としてシューマン交響曲全曲が演奏されます。 10月期に3番、2月期に4番です。 なお1
番は昨年度2月期に演奏されています。 私としては交響曲3番『ライン』が楽しみなところです。 シューマンは交響曲より
むしろピアノ曲、歌曲で有名かと思います。 いつの日か『ピアノ協奏曲1番』を聴きたいものだと思っています。    ・

【本日の演目】 黛敏郎:『曼荼羅交響曲』 パウエル:『ホルン協奏曲』 シューマン:『交響曲2番』        ・






















































7月 6日


『黄昏亭』を開店しました


今年も『胡蝶蘭』が咲きました。 なかなか気難しい花で、頂いても咲かせ続けることはおろか、育て続けることさえ難しいと
言われています。 『菩薩様』が逝った後で、以前の職場の先輩から『胡蝶蘭』が届きました。 それ以降管理を続けています
が、3株(1鉢)の内生き残ったのはたったの1株です。 ただ、その1株に今年も花が咲きました。 これで4年連続という
ことになりました。                                               ・

 

もっとも、プロのように懸崖風に姿勢よく沢山の花を咲かせることは素人の私には不可能です。 ステムは蘭の思うままに伸ば
しっぱなし、花の数も精々数個までです。 まぁ、楽しめればそれでいいですから。 今年は蕾が6個付きました。 ところが
2番目の花が咲いたとき先端側の3個の蕾が落ちてしまいました。 何か不都合なことがあったのでしょう、本当に気難しい花
です。                                                     ・

まず置き場所を選びます。 試行錯誤のうえ寝室の出窓に置いて安定しました。 置き場所を間違えると花はおろか葉っぱまで
フニャフニャに萎えてしまいます。 適度な水遣り、肥料、それに湿度・温度・光の管理も大切なようです。 先日大雨があり
その時窓を閉め切って、厚手のレースのカーテンを引きっぱなしにしていたのがその理由だったように思います。     ・


このたび、「『胡蝶蘭』の花見にお出でになりませんか?」と『職場の先輩』ご夫妻をお誘いしました。 そして今日『黄昏亭
』を開店しました。 人生には様々な岐路があります。 その岐路に立って私の人生に大きな影響を与えて下さった人達、この
先輩もそのお一人ですが、私はこの人に職場での私の『立ち位置』を指し示して頂いたと思っています。 そして終始一貫私は
その道の上を歩いてきました。 いまこうして恙無く『終楽章』を生きていられるのもこの人のお力添えがあったればこそと感
謝しています。                                                 ・

家族での交流もありました。 奥様とも親しくして頂きました。 特に娘がNHK放送児童合唱団に入ってからは、毎年定期演
奏会にお出でいただき、合唱団を退団した後もピアノや歌の個人演奏会、エリザベト音楽大学・エリザベト・シンガーズの定期
演奏会にも毎回欠かさずお出でいただいています。 そして現在では孫のギター演奏会にもお出でいただき、「まるで『親・子
・孫三代』の応援団ですね。」と笑いあったりしています。                             ・

さて『黄昏亭』の今日のメニューですが、梅雨時でもあり、生ものは出来るだけ控えて『ちらし寿司』『ハマチのカマと野菜の
蒸し料理』『胸肉の塩麹蒸し』『野菜とツナ缶のソテー』にしました。 ご夫妻には『蒸し料理』と『胸肉』の評価が特に高か
ったように思います。 『蒸し料理』は素材の味が楽しめるし、『胸肉』は塩麹で熟成された鶏肉にうま味を感じるという感想
でした。                                                    ・

話しに夢中になり、今回は写真を撮っておくのを忘れてしまいました。 今回は少しだけアレンジメントにこだわりましたので
残念でした。 機会があったら改めて写真を撮ってご紹介したいと思います。 実はこの先輩からはかなり大きな『備前の平皿
』を頂いています。 今回はこのお皿を使って『鯛の活き造り』も考えていましたが、次回に譲りました。 少し涼しくなった
ころ再度お誘いしようと思っています。 最後に頂いたケーキとコーヒーで楽しく語らい、電停までお送りしお別れしました。




























































7月 4日


『スプリング・クリーニング』が終わりました

「私は怠け者じゃなぁ。」と思う。 思い立ってもなかなか行動に移せない。 「あれだぁ、これだぁ。」と悩んでいるうちに
いつの間にか時が流れてしまう。 そしてまた繰り返す。 そんなことが多い。 家内が逝ったあとそのままになっている部屋
(倉庫になってしまっている)
の片付けをしようと思い立ち、取り敢えず寝室に段ボールの山を持ち込んで「さぁ1つずつやっ
つけよう。」と決意して、もうかれこれ2週間になるなぁ。                             ・

ベランダやサッシの掃除を思い立ってどれくらいの時間が経っただろう。 かれこれ2年? いや4年に及ぶかも知れない。・
カーテンを開くと泥で汚れた床が目に付く。 長い間放置したまま底が腐りかけている段ボール、砂埃が溜まった窓枠、流石に
こんな怠け者の私も我慢できなくなって、ついに遅い『スプリング・クリーニング』を始めた。             ・

オーストラリアの方から、「『スプリング・クリーニング』がやっと終わった。」と聞いた。 「冬の間に溜まった煤を暖房が
必要でなくなった春先に綺麗に掃除する。」、そんな寒地での習慣から生まれた言葉らしい。 合わせて部屋なども徹底的に掃
除するようだ。 わが国では余り馴染みがない言葉なのでちょっと戸惑った。                     ・

ベランダの汚れはひどいものだった。 先ずドロドロの散水ホースから掃除しなければならなかった。 窓に散水すると黒い汁
が流れ落ちた。 特に網戸の汚れが凄い。 水をかけてはブラシで何回も洗った。 泥汚れで黒ずんだ床もブラシで何度もこす
った。 ついでに段ボールにストックしていた釣りの小物なども思い切って処分して長年の念願を果たした。       ・

 

「I just finished late spring cleaning today.」とセルビアンガールに話し
たら、ちゃんと言葉は通じた。 やはり欧米では一般的な言葉のようだ。 「セルビアって寒地かい?」と突っ込まれそうな気
もするが、かの国は夏は40度超、冬季は−20度にも達する厳しい気候のようだ。                  ・

それはともかく、これで弾みをつけて片付けが軌道に乗るかどうか。 もはや『スプリング・クリーニング』ならぬ、『終活ク
リーニング』の時期が差し迫っている。 こればかりはズルズルと先延ばしという訳にもいかんしなぁ。         ・





































































7月 1日


もちろん来ています

今日から7月ですね。 梅雨入りしたとはいえ、比較的爽やかな日が続いていましたが、急に蒸し暑くなりました。 窓を開け
ていると風は入ってきますが生暖かいです。 暫くこんな気候が続くでしょう。 そして本格的な夏ですね。 今年は平年より
暑いと聞いています。 耐えていけるかどうか。                                  ・

梅雨と言えば私の『梅雨の病』ですが・・・もちろん来ています。 思考力は低下し、脚はジンジン、肩も重く、ついには腰に
もピリピリ来ています。 トイレに座って眠っていたり・・・もう何もかも放り出してその辺りに大の字に転がりたい衝動に駆
られます。 でも不思議と食欲は落ちない。 だから何とか乗り切っていけるのかも知れませんが、ウェートオーバーには弱っ
ています。                                                   ・

減塩食2題

こんな減塩食は如何でしょうか。 鶏の胸肉に塩麹をまぶして冷蔵庫に一晩。 大き目で厚手の鍋に一杯お湯を沸かし、火を止
めて保存袋に入れた胸肉をドボン。 これでお湯が冷めるまでおきます。 後は1食分大体100gに切り分けてすぐ食べる物
は冷蔵庫へ、後日食べる分は冷凍保存しておきます。                                ・



イタリアンドレッシングなどはよく合うと思いますが、極力塩分を抑えるためにリンゴ酢を少し薄めて和辛子と唐辛子で食って
います。 これだと『塩分0g』と言いたいところですが、文字通り塩麹には塩分が含まれています。 大匙1杯1.5g。・
結構多いです。 実際には胸肉500gに対して大匙2杯を使いますから総塩分量3g。 1食分が胸肉100g見当ですから
1食分の塩分量は5等分して大体0.6gです。 これなら十分いける数値ではないでしょうか。            ・

続いて・・・この料理にはまだ名前がありません。 テレビの料理番組からヒントを得て適当に作っています。 ピーマンスラ
イズ、ニンジンスライス、シメジ、モヤシ、それに生姜スライス少々とツナ缶3分の1を混ぜ、胡椒と顆粒鶏ガラスープで味付
けし電子レンジで2分。 取り出してしっかり混ぜ合わせ更に2分で出来上がります。 簡単な料理です。        ・

 

塩分量はツナ缶3分の1で0.2g、顆粒鶏ガラスープ小匙半分で大体0.7g、トータルで0.9gになります。 時に香り
づけにごま油を振ることもありますが、私はべたつきがあまり好きではありませんから使うことは少ないです。      ・

今夜はこんな料理にしようと思っています。 1日の塩分量を4g以下に抑えようと思っていますから、以前のように多彩な料
理を楽しむという訳にはいかなくなりましたが、こんな風に工夫しながら何とか生きながらえています。         ・














































6月23日


ボランティア・ガイドが終わりました

6月22日・23日と2日間に渡り、広島・宮島をご案内しました。 今回のお客様はワシントン州、シアトルからお見えにな
った30代半ばの若いご婦人の1人旅でした。 大学を卒業後2年間判事を務め、その後独立して弁護士として働き、このたび
シアトルの会社に法務担当として再転職されるのだそうです。 転職の狭間に37日間の長期休暇が取れたので、前々から興味
を持っていた日本の文化と自然に触れたいとやってきたのだとお聞きしました。                    ・

なかなか多彩な旅を楽しんでこられました。 東京に始まり、鎌倉、箱根、京都、大阪、奈良、熊野古道(民宿を利用し2日間
歩いたそうです)、尾道、しまなみ海道、屋久島、そして鹿児島で焼酎を楽しんで、この度は広島・宮島、そして明日からは岡
山県の直島ともう1つ近くの小島で5日間を過ごし、東京でショッピングを楽しんで帰国の途につかれるようです。 「随分リ
ッチな旅ですね。」と笑いました。                                        ・

とても話し好きなお方で、終始楽しくおしゃべりをし笑い合いながら歩きました。 こういう話し好きなお客様は英会話初心者
にはとても有難いものです。 気持ちを乗せてくれますからこちらもつい饒舌になり、今まで使えなかった言い回しがふと口を
ついてでたりして、時にオッ!と自分に驚くこともあります。                            ・

「あなた、どこで英語の勉強をしたの? なかなかいいよ。」とお褒めを頂いたりしました。 それに彼女の話の内容がロジカ
ルでとても聞き取りやすかったのも助かりました。 流石は弁護士さんだと感心しながら「話が論理的なので中に1つ2つ分か
らない単語があっても全体のニュアンスは十分に掴めます。」とお話ししたことでした。                ・

22日・広島

少し暑かったですが、いい天気に恵まれました。 梅雨の盛りの『屋久島』でも天候に恵まれたそうですから、『晴れ女』でし
ょうか、とてもラッキーな方でした。 広島市内はいつも通り『平和公園・平和資料館』『縮景園』『広島城』それにお昼は『
お好み村』で『お好み焼き』にしました。                                     ・

『お好み焼き』屋さんでは、焼きあがっていく様子をじっくりとご覧いただき、それから『ヘラ』の使い方をレクチャーしまし
た。 「箸は使わず、『ヘラ』で口に運ぶのが広島流の食べ方です。」とお教えすると、最後まで『ヘラ』で食べておられまし
た。 同席になった人も「凄い。 全部『ヘラ』で食べてる。」と感心されていました。 これも広島の食文化の1つですから
しっかりと体験していただきました。 しかしネギと海老入りの『お好み焼き』は流石にヘビーだったようで、3分の2くらい
を食べたところで手が止まってしまいました。 「take out出来るか?」とお尋ねになりましたが、この店では食中毒
の恐れがあるのでそれは出来ないことになっています。                               ・

 

ご存知のように『広島城』は原爆で壊れその後再建されたもので、姿こそ創建時と同じですが、建材はコンクリートで内部は展
示場になっています。 従って、例えば『姫路城』をご覧になった方に内部をお見せする意味はありませんから、その場合は内
堀越しに天守閣の佇まいの美しさをご覧になって頂くようにしています。 ここからの景色は見る価値があります。 今回は他
のお城を訪ねていなかったので天守まで登っていただきました。 ただ、『広島城』での私の説明は十分にこなれてなくて、少
々苦慮する場面もありました。                                          ・

ともかくタフな方でした 、バッグに応急用のテープ(靴擦れ防止などに使う)を忍ばせながら疲れた様子もなくスタスタと歩
いて行かれました。 『熊野古道』では1日に35キロ、『屋久島』でも山中を5キロも歩いたそうですから、よほど足腰のお
強い方なのでしょう。 私はというと、疲れた顔はお見せできませんから、何とか頑張り通しました。          ・

23日・宮島


最初に『大鳥居遊覧』にご案内しました。 いつもは宮島口駅からタクシーで航路の出発点『大野桟橋』に向かうのですが、今
回は前空駅から歩きました。 大体10分で到着します。 前回のご案内は雨、こうなるとなかなかタクシーが捕まりません。
『大鳥居遊覧』といっても定期便ですから『待った』はありません。 遅れてしまえばお客様の落胆は大きいでしょうから、こ
の度、より確実な方法を見つけ出しました。 なお、宮島口駅から歩くと20分近くはかかります。           ・

『大鳥居遊覧』にお乗り頂いたお客様は皆さん感動されます。 そして、「あなたのアレンジは素晴らしい。 有難う。」と感
謝されることが多いです。 今回のお客様も間近に見る『大鳥居』の威容、『大鳥居』越しに見る厳島神社の優雅さ、背後の緑
深い山容にかわるがわる目をやって楽しんでおられました。                             ・

 

続いて弥山登山です。 先ずは商店街で『あなご飯弁当』を買って出発しました。 1箱1700円、決してお安くはありませ
んが、宮島を代表する郷土料理ですから登山をされる方にはいつもお勧めするようにしています。 お弁当を買って山頂で食べ
ていただければ時間の節約ができます。 また、屋外でのランチもまた楽しいものです。 今日もまずまずの天気で、お弁当を
頬張りながら山頂からの景色を堪能して頂くことができました。                           ・

下って『千畳閣・五重塔』『厳島神社』『大聖院』をご案内しました。 『厳島神社』では結婚式がご覧いただけました。 ま
た神道マナーでのお参りも体験して頂きました。 『大聖院』では見せ所として、『五百羅漢』『戒壇巡り』『摩尼殿』をご案
内しています。 『五百羅漢』はその可愛らしさ、それに一体ずつ違う表情を喜ばれます。 『摩尼殿』2階では『火灯窓』に
腰掛けて緑深い渓谷や、遠く『厳島神社』の家並を眺めながら涼を取って頂き、宮島口駅にお見送りして今回のご案内を終わり
ました。                                                    ・



















































6月18日


能作タンブラー

息子から『父の日プレゼント』が届きました。 『能作』のタンブラー。 錫100%のタンブラーで飲み物を美味しくする効
果もある優れものだそうです。 「自宅で冷酒、焼酎、ビールを楽しみたい方にピッタリです。」とありました。 熱伝導率が
いいので、おつまみを作っているほんの数分でギンギンに冷えたお酒が楽しめるとも。 高価なものを有難う。      ・

そこで早速『濃い目のハイボール』を作って楽しみました。 能書きにある通り、冷えた感触と口当たりの良さはなかなかのも
のでした。 手を添えてみて気付いたのですが、1か所に親指に馴染みがいいさりげない窪みがあって、持ったときの安定感が
とてもいいです。 この辺りは日本人的な感性が豊かに生かされていると言えるでしょう。               ・
 
 

白亜の色合いも素晴らしいです。 『菩薩様』は超落ち着いた色合いが好きで、我が家の食器棚は『備前焼き』を中心とした黒
っぽい器が中心なのですが、そのような器とも相性がいいと思います。 早速写真を撮ってご紹介します。        ・


啜る文化

友達に誘われて『幟町』にある蕎麦屋さんに行ってきました。 『手打ち十割そば』とうたってあります。 粉の挽き方によっ
て『笙幻そば』『更科そば』『田舎そば』の3種類があり、とくに『笙幻そば』はこの店のオリジナルなのだそうです。 そこ
で友達に勧められるままにその『笙幻そば』を味わってみることにしました。                     ・

蕎麦を味わうならもちろん『ざるそば』です。 『そうめん』を思わせるような細手の白い『そば』でした。 『そば』の命は
風味と食感、喉越し、それに見た目かなぁ、味は『出汁』で決まると思います。 風味や食感は申し分なし、それにいい『出汁
』が取ってありました。 辛すぎもしないし、甘すぎもしない、とてもまろやかで、しっかりと『そば』の風味と食感を引き立
てていると感じました。                                             ・

結構賑やかに啜っていたところ、若い女性連れの紳士が入ってこられて隣の席に座られました。 通なんでしょうか、やはり『
笙幻そば』を勧めておられました。 
『そば』が運ばれてきたのを見るともなく見ていたら、皆さん『出汁』にしっかり浸して
音もなく口に運んでいました。 別にどう食べてもそれはご自由なのですが・・・。                  ・

でもどうも私の流儀からすると少し違うような。 これでは肝心の『そば』の風味が味わえないと思うのです。 『そば』を2
〜3割『出汁』に浸したところで盛大に啜り上げる。 これこそが由緒正しい『そば』の食べ方だと思うのですがどうでしょう
か。 音もなく口に運びモグモグではどうもいかにも美味しくなげにうつります。 ここはやはり盛大にやっていただきたい。

まぁ、私の盛大な音を聞かれて、お品の悪さを思われたのかも知れません。 夜になってセルビアン・ガールとそんなことを話
しました。 「こちらでは食事中に賑やかなのは、余り感心されません。」ということだったので「Slurping is・
one of the Japanese food cultures」と返しました。 麺類は言うに及ばず、汁物やお茶
は啜ってこその味わいだと思います。 我々の『啜る文化』が西欧文化に毒されないことを祈りたいと密かに思いました。 ・




























大谷本廟『無量寿堂』

「菩薩様」は大谷本廟に分骨されています。 浄土真宗西本願寺派では末寺ごとに納骨スペースが大谷本廟の『無量寿堂』に設置されています。 『第2無量寿堂』は地下6階。 中に入ると階ごとに夥しい数の納骨段が整然と並んでいます。 末寺ではその年に亡くなられた方を分骨し、寺ごとの納骨スペースに納めます。 遺族は同行し、その後西本願寺にお参りして清掃作業などのご奉仕を行うしきたりになっています。

紹介されました。 りの

連絡があって、今朝方早くに夢を見ました。 少し白んできたころ目が醒めて、それからすぐに眠ってしまったようです。 彼女はベランダに
                             ・