11月28日


『黄昏亭』を開店しました

話題が続くのだろうか、それ以前に彼を見付けることができるだろうか、そんな不安な思いで50年ぶりにお目にかかる友人と
ホテルのロビーでお会いしました。 事前に写真を送って頂いていましたので、そこは何とか。 でもお互いに歳をとっていま
した。 暫く話しているうちに昔の面影を辿ることができましたが、仮に街角で出会ったとしたら確実に『行き摩り』になって
いたとでしょう。 50年という歳月は実に長く重いです。                             ・

それから私の車に乗って頂いて我が家にご案内しました。 事前にお話しすると気遣いをされると思いましたのでそのようにし
ました。 彼も第1回青年の船の団員で、53日間の東南アジア諸国歴訪の旅をご一緒しました。 先般私達の班が京都で集ま
りを持ちました。 その時の様子は7月22日のブログでご紹介したところですが、50周年を機に少し動きだそうという機運
が高まり、次回の集まりの計画や最新の名簿も作られました。                            ・

その名簿の中に私の住所を見付けた彼からメールがありました。 「近々廿日市市の大学に出張しますが、お住まいは大学の近
くですか。」というような内容でした。 すぐに「こちらでのスケジュールを教えて欲しい。 時間が取れればお目にかかって
食事をしながら久し振りにお話しをしませんか?」と返信しました。 折り返し「28日の6時以降はフリーです。」と返事が
ありましたので、早速『黄昏亭』開店の準備をしました。                              ・

今回のメニューは失敗に懲りもせず『鰤アラと野菜の蒸し物』『鰆の味噌塩麹漬け』『もやし豚』、押さえに『鶏の胸肉の塩麹
蒸し』を準備しました。 それにご飯は『赤飯』にしました。 『蒸し物』も『もやし豚』もかなりのボリュームですから押さ
えまでは必要ありませんでしたが、お迎えするに当たっては万全の準備が欠かせません。                ・


   

今回は『赤飯』がことのほか上手くいきました。 私はベタベタしたものより固めに蒸し上がった『赤飯』が好きなのですが、
何回も作ってきて今回初めて満足のいくものができました。 『鰆の味噌塩麹漬け』は味噌、塩麹とも塩分含有量がかなり多い
ですが、様々工夫をしながら1切れ分を何とか0.5g未満に抑えることができました。                ・

さて、蒸し立て、焼き立ての料理を食べて頂きながら当時の思い出や近況に話の花を咲かせました。 彼は東京在住で海外派遣
事業の事務局のメンバーでもありますので、皆さんの消息をよくご存じです。 女性団員とのラブロマンス、そしてその後など
微笑ましい話もありました。 また余り芳しくないお話しもお聞きしましたが、我が班のメンバーは総じて恙無くという感じで
した。 何よりのニュースでした。                                        ・

 

こうして折りに触れて友達に訪ねて頂けるというのは本当に有難く嬉しいことです。 またそういった友達をとても大切に思っ
ています。 元来人間関係が得意でない私は、『菩薩様』からよく「あなたは友達を作るのが下手じゃねぇ。」と指摘されまし
た。 その都度、「あなたがいてくれたらそれで十分だよ。」と答えたものでした。 ところが、『菩薩様』が逝った後、私の
周辺に支えてくれる誰もいないことに気付き愕然としました。                            ・

そんな時、お線香をあげに尋ねてきて下さったり、電話で様子を聞いて下さった友達がいて、そのことを通じて友達の大切さを
思い知らされたのでした。 それから『菩薩様』に学び、味はともかく自分なりに献立を考え、料理を作って友達をもてなすこ
とを思いつきました。 それが『黄昏亭』です。                                  ・

お招きしたのはそんな趣旨であることをお話しし、謝意を述べる彼に「感謝しなければならないのは私の方です。 おしゃべり
できる貴重な時間を与えて頂きました。」とお礼を述べたことでした。 延々と4時間ばかり話し込み、「また機会があったら
是非立ち寄って欲しい。」とお話しし、地御前電停までお送りして今日の『黄昏亭』は閉店となりました。        ・



































11月20日〜21日



ボランティア・ガイドが終わりました

11月20日
、今回は前回ガイドを含め連続4日間のご案内になりました。 正直、これで最後までもつのかどうか少々不安で
したが、結果から言えば、何とかやり通すことができました。 1日平均2万歩前後、少し自信にもなりました。 今回のお客
様はイスラエルからお越しになりました。 39歳の友達同士でお一人は運輸会社の副社長、もうお一方はIT関連の会社のマ
ネージャーだとおっしゃっていました。                                      ・

とてもfannyな方々で、道行く人にもどんどん声をかけていきます。 女子高校生の群れの中に割り込んで一緒に写真を撮
ったりしていました。 20日はまず宮島に向かいました。 潮に恵まれましたのでもちろん『大鳥居遊覧』からのスタートで
す。 少し遅めの出発にしましたので『第2便』を予約していましたが、新幹線にお迎えして以降、意外とスムーズに動けまし
たので『第1便』に間に合わせることができました。                                ・

『遊覧航路』は貸し切り状態でした。 『大鳥居』や『厳島神社』の概要はJR内で概ね説明しておきましたので船内ではデッ
キから写真を撮って頂くことに専念して頂きました。 『大鳥居』に近づくまでは安全のため客室内に止まっておいて欲しいの
ですが、出港と同時にデッキに出てカメラを構え始めました。 こうなってはどうにも黙ってみておく以外に手がありません。
とはいえ、安全管理も大切ですから「まだ、舳先には行かないで!」とか、他の船がよこす波を見ながら「柵に掴まって!」と
か、まぁ落っこちないように注意を払います。                                   ・

 

『大鳥居』周辺では「beautiful!」とか「amazing!」とか「thank you!」とやかましく口走りな
がら楽しんでおられました。 また、フェリーの乗客や『櫓櫂舟』にも大声で声をかけたりして、なかなか忙しい方々でした。

宮島に上陸してすぐに商店街を通って『厳島神社』方面に向かいました。 ふらりと立ち寄った土産物店で彼らがお土産を物色
している間に商店街の人の流れが急に滞り始めました。 今日も大変な人出のようです。 そんな様子を見て、前回と同じよう
に早めに昼食を済ませて後はゆっくりと観光コースを回ることにしたのですが。 ところが1つ問題が。 この人達はポークと
シーフードは全く食べないといいます。 しかもスパイシーフードやピカンチーもダメだといいます。 とすると宮島で食べら
れるものを探すとするとこれはなかなか厄介なことです。 散々探してやっと『唐揚げ定食』にたどり着きました。    ・

『千畳閣』や『五重塔』それに『厳島神社』にはさして深い興味をお持ちのように見えませんでした。 むしろそこから見える
秋の移ろいに興味を示されたり、どうも『人』に深い関心がおありのようでした。 お国では地中海沿岸にお住いのようですが
『落葉』というような際立った自然の変化には乏しいようにお伺いしました。                     ・

 

ただ、『大聖院』は驚きの連続だったようで、前回と同じように『五百羅漢像』『戒壇巡り』『摩尼殿』それと『大師堂』にご
案内したのですが、『五百羅漢像』では寝そべるようにして次々と写真を撮っておられましたし『摩尼殿』では花頭窓を開けた
途端に息を呑んでおられました。 また『戒壇巡り』の後では真剣な表情で「神秘的で素晴らしいものを見せて貰った。」と感
謝されたりしました。                                              ・

もちろんお国の宗教の事も考えておかなければなりません。 神社とお寺を案内するにあたり、「これから神道と仏教のご案内
になりますが、このような話をしても大丈夫ですか?」とお尋ねすると、「no problemだ。」というご返事でしたの
で、いつも通りの気楽なご案内となりました。 (この地域の宗教を巡る問題は極めて複雑ですから。) こうして20日のご
案内は終わり、宮島口駅までお送りしてお別れしました。                              ・

19日は先ずは『MAZDA museum』からスタートしました。 今まで私が担当したイスラエルの方達(今回が3回目
でした)は一様に『MAZDA museum』に向かわれました。 もちろん欧州車も輸入していますが、日本車がかなりの
比率を占めているそうで、中でもマツダ車がトヨタを抜いて抜群の人気を誇っているのだそうです。           ・

広島駅でお目にかかり、向洋駅で下車、徒歩5分でマツダ本社ロビーに到着します。 ここで受付を済ませ、送迎バスに乗って
ミュージアムに向かいます。 ミュージアム内の見学は正味1時間、初期の三輪自動車から最新のロータリー車までの展示、工
場内の組み立ての様子、それに専用港などが見学できます。 この間私は本社ロビーの喫茶室でコーヒーを頂きながら帰りを待
っていました。                                                 ・

戻ってきた彼から聞いた話ですが、見学者の60%がイスラエル人だったそうです。 彼らのフィーリングによく合っているの
でしょうか、イスラエルの人はマツダ車がお気に入りのようでした。 本社ロビーでは『ロードスター』や『アクセラ』を眺め
てみたり乗って見たりして感覚を確かめていましたから、expensiveとは言っていましたが帰国後に新車を買う予定が
あるのかも知れません。                                             ・
 

見学後はすぐに『お好み村』に向かいました。 『おこのみ村』3階にあるこのお店とはもうすっかりお馴染みになりました。
若い女性店主にはいつも無理を聞いて頂いています。 今回のように豚ダメ、シーフードもダメなようなお客様でも何とか工夫
をしながらアレンジして頂けます。 今回は『チーズ焼き』と『野菜と鶏のソテー』でもてなして頂けました。 お二方も随分
満足されたようで、料金に上乗せをして店主をドギマギさせていました。                       ・

 

それから『縮景園』に向かい、日本庭園の落ち着いたアレンジメントを楽しんで頂き、『広島城』のoutsideから水面に
映り込む天守閣をご覧いただいて『平和公園』に向かいました。 『平和資料館』の見学はお客様任せにして、私は1階のソフ
ァーに座って少し身体を休ませました。 これで4日間にわたる今回のガイドを無事終えることができました。 最後に平和公
園脇のホテルまでご一緒し、求めに応じてハグをしてお別れしました。                        ・













































11月18日〜19日



ボランティアが終わりました

今回のお客様はオーストリアはウィーンからでした。 実は直後に他の方からの依頼を受けていて、体力的にかなり厳しいかと
思ったのですが、ウィーンからお越しになると聞いて是非お話しをしてみたいと思いお引き受けしました。 もう10年以上も
前のことになりますが、娘がウィーンに留学していました。 その機に『菩薩様』と一緒に娘のアパートに泊まり当地のクリス
マスを楽しんだことがあります。 その時の様々な経験や印象をお話ししその時の思い出を偲んでみたいと思ったのでした。・

18日は遅い出発でした。 「前夜遅くに広島に入るので、朝はゆっくりして遅いブランチにしたい。」と希望されていました
ので、10時45分に宿にお迎えすることにしていました。 お2人は会社の同僚で、お一人はオーケストラの取材で世界中を
飛び回っています。 もうお一人はカルチャーと出版を担当されているそうで、とても気さくなお2人でした。      ・

寒い朝で、時にパラパラと小雨が落ちたりしていました。 「寒いですね。 でもこの時期、ウィーンはもっと寒いんでしょう
ね。」と水を向けると、「ウィーンを知っているのか?」と急に話題が盛り上がりました。 街全体がまるで博物館のように美
しかったこと、国立歌劇場の『モーツアルトの間』(ロイアルボックス周辺で観劇する人しか入れない構造になっている)の豪
華さに驚いたこと、リンクに沿って市街を一周したこと、名物のビエナ・シュニッチェル(豚肉を薄く延ばして衣を付けて揚げ
たもの)が美味しかったこと、街路は綺麗だけど並木の根元の土の部分の雪の下は犬の糞だらけで、知らずに踏んでしまったこ
となどなど。                                                  ・

それから例によって『お好み村』に向かいました。 これは私の必須の観光コースの一つです。 3階の奥にあるお馴染みの店
に座って、今回は『シーフード焼き(中華麺)』と『チーズ焼き(うどん)』をシェアして召し上がっていただきました。 珍
しさ、温かさも手伝って皆さんに喜んで頂けますが、この店の女性店主の朗らかさや気配りも一味になっています。 皆さん一
様に「美味しい。」といって召し上がられます。 もちろんこの人達も。                       ・

 

それから『縮景園』に向かいました。 『縮景園』の紅葉は今が見頃です。 特に『秋』をモチーフにした西エリアの『超然居
』(四阿。 写真左奥。))から『夕照庵』(一番小さな茶室。 この写真の更に右手にあります。)周辺までの『たくえい池
』に映り込んだ紅葉には言葉を失います。 「お国ではこのような紅葉が楽しめますか?」とお尋ねすると、「針葉樹が中心で
このような紅葉は見られない。 ただ、ウイーン市内に日本庭園があり、そこでは落葉も見られる。」のだそうです。   ・
 
 

広島城ではこんなことも楽しんでいただきました。 天守閣の1階に体験コーナーがあり、和服や鎧兜を試着できます。 最初
は「いいよ、いいよ。」と尻込みしながら、次第に乗ってきてこのポーズでした。 鎧は流石にこの体型では無理なようでした
が、それでもご覧のように結構得意満面でした。 続いて平和公園にご案内し今日の日程を終えました。         ・


 

翌19日は宮島です。 夕刻までに京都に行ってあちらで夕食が食べたいという希望でしたので少々急ぎました。 9時に広島
駅で落ち合い、荷物をコインロッカーに預けて宮島に向かいました。 そして大野桟橋から大鳥居周辺を遊弋しました。 巨大
な木造建築物が海中から突っ立っているのに驚かれ、大鳥居の真下に入りその威容に驚かれ、850年に及ぶ歴史に驚かれ、「
素晴らしい(旅の)アレンジメントだ。」とお褒めを頂いたりしました。                       ・

 

宮島は今日も大変な人出でした。 『安芸の宮島』にかけて『秋の宮島』というくらいですから紅葉の時期はつとに有名です。
「これでは昼時になると食堂に入れなくなってしまいます。 少し早いですが先にお昼を食べてからゆっくりと見学しませんか
?」とお勧めして商店街の食堂に入りました。 正解でした。 食事を終えて店を出たときはまだまだ昼前でしたが、もう店の
前には長蛇の列がありました。 それから人ごみの中を泳ぐようにして『千畳閣』に向かいました。           ・

後はお定まりのコースです。 『千畳閣』『五重の塔』から『厳島神社』。 『厳島神社』では写真撮影のスポットをお示しし
ながら景色を楽しんで頂き、神道形式のお参りを体験して頂き、『火焼前』で記念写真を撮って、次は『大聖院』です。 山門
から左に折れて、小径に沿って延々と並ぶ様々な表情の『五百羅漢』を見ていただき、観音堂地下で『戒壇巡り』を経験してい
ただきました。                                                 ・

『戒壇巡り』にはカルチャーショックを覚えられたようで、驚きの表情と共に「素晴らしい。 あなたに案内して貰ってよかっ
たよ。」と興奮気味に話されました。 続いて『摩尼殿』二階に上がっていただき、ここからの『厳島神社』『千畳閣』方面の
眺め、また『白糸の滝』や山腹の『自然林』を楽しんでいただきました。 『遍照窟』もご覧いただきました。 四国八十八か
所の本尊(石仏)が安置してあって、四国を回れなくてもここで八十八本尊を拝むことができます。 信者には結構人気のある
スポットです。                                                 ・

「もう少し時間があるじゃぁないか。 もっと見せてくれ。」というのを、「ゆとりを持って動きましょう。 予定のフェリー
に乗れなければ新幹線にも遅れてしまいますよ。」と無理やり引っ張って宮島口に向かい、今回のご案内を終了しました。 た
だ、私には明日からの2日間のご案内が待っていて、まだまだ気を緩めるわけにはいきません。             ・

































11月15日



黄昏亭開店

『黄昏亭』の開店が続きました。 昨夜になって『若い友人』からメールが入りました。「明日は確実に空いています。 如何
でしょうか。」という内容でした。 「このところちょっと疲れ気味です。 早めにお伺いして早めにお暇したい。」とも。・
早速OKと返信したものの。                                           ・

昨日に今日じゃあなぁ・・・なにしろど素人店主ですから「さて、どんな料理でもてなしたものか?」とおおいに考えました。
火急の事態ですから思い付いたのは『鍋物』、ちょっと安直に過ぎないかとは思いましたが、少々冷え込んできましたから、「
あったかい料理もこれまた一味でしょう。」と思い至ってシンプルですが『水炊き』にしました。            ・

前夜布団の中で思い付いた、『アンコウ』を試してみることにしました。 早朝魚屋さんを覗くと活きのいい『アンコウ』とと
もに大好きな『ブリ』のアラがありましたのでこれでまぁ『アンコウ鍋』ですね。 白菜、椎茸、エノキ茸、シラタキ、大根、
まぁこんなお馴染みの食材です。 出汁はパック出汁、それに塩分無添加のスティック出汁を混ぜ合わせました。     ・

食材を準備し、鍋の湯気も上がり始めたころ『若い友人』がやってきました。 「すぐ出来上がるからギターを弾きながら待っ
ててよ。」 そうそう、ご飯のスイッチも入れてと。 次々と鍋に食材を放り込んで、やがていい匂いが漂い始めました。 彼
はお酒はほんの舐める程度ですから『特製ゴールド賀茂鶴』極小瓶を開けてこれで十分、さて乾杯です。 このお酒には金箔の
桜の花びらが2ヒラ入っています。                                        ・



なかなか口うるさい彼が「いい出汁が出ていますね。」などと褒めながらぱくつきます。 やがて彼は『ご飯』へと向かい、私
は41度と25度の焼酎をストレートでいただきます。 それから「出汁だけでなく少しはギターを褒めてよ。」などと話しな
がらあっと言う間に時は過ぎていきました。 やがて「早めにお暇したいと言いながらいつもと同じような時間になってしまい
ました。」と言い残して帰っていきました。                                    ・

































11月12日



紅葉狩り

宮島に出掛けて紅葉の様子を確かめてきました。 19日にオーストリアから、20日にイスラエルからのお客様を宮島にご案
内しますので、その下見、それにワシントンDCのご婦人、セルビアン・ガールとのおしゃべりの話題作りにもなります。 ま
ず『紅葉』の状態ですが、かなりいい時期に入っていました。 ただ、少し色あせて見えるものも多くありました。    ・

日曜日でしたので、人だかりが凄かったです。 多分次の土日(18日・19日)がピークになると思われますので、ショッピ
ングを楽しまれるのでなければ商店街には足を踏み入れない方がいいでしょう。 写真をご覧いただくとこんな具合です。 『
大杓子』の前あたりの状況ですが、まぁ思うようには動けないと思ってください。 特に『焼き牡蠣店』の前は大渋滞になって
いました。                                                   ・


   

『もみじ谷公園』も大変な人出でしたが、ここはかなり広いですし、『紅葉』も分散していますので人混みというほどには感じ
ませんでした。 ただ、『もみじ谷公園』の入り口になっている『もみじ橋』は狭いうえにベストポイントですので写真を撮る
人が多く渡るのに一苦労しました。 これも上に写真を張り付けておきます。                     ・

紅葉は『もみじ橋』を渡って石段を登った辺り、『四宮神社』の下あたりが一番綺麗だと思いました。 沢山の人がスマートホ
ンを片手に見上げていました。 更に登っていくと食堂の前あたりもなかなか綺麗に紅葉していました。 この辺りでは何組か
がシートに座ってお弁当を開き、一杯飲みながら談笑している風景が見られました。 これも楽しみの1つでしょう。   ・
 

私のお勧めはちょっとマニアックですが、『もみじ谷公園』の天空からの眺めです。 ロープウエー乗り場の下手を左に折れて
暫く歩くと木々の間から紅葉を見下ろすことができます。 全体が見渡せる訳ではありませんが、これが私のお気に入りのスポ
ットです。 なおそのまま歩くと山越しに宮島桟橋に至ります。(道はいいですが少し遠いです。)           ・

 

今日は初めに『宮島桟橋』の向かいにある『要害山』に登りました。 桟橋前の広場で宮島物産現地直売があり、柿を買いまし
たので齧りながら『山辺の古道』を歩いていきました。 少し行儀が悪かったですかね。 もっとも誰も歩いてはいませんでし
たけれども。 『女坂』を下り、『光明院』に登ってから『五重塔』方面に下りていきました。 左手にとても眺めがいいca
feがあり、丁度昼時だったこともあって若い女性が群れていました。                        ・

ここから少し下ったところが私の大好きな一級ポイントの1つです。 『紅葉』が綺麗だったので写真を撮りました。 ここは
『もみじ』より桜ですね。 桜の『紅葉』もこの時期とても綺麗です。 この場所は春の桜も見応えがあります。 その2つの
写真を『before・after』で並べておきますので楽しんでください。 さて、今日の『小さな旅』はこんなところで
した。 これから1週間が『安芸の宮島』の見頃と思われます。 一生に一度のこのチャンス、見逃さないように是非お見えに
なってください。                                                ・

   






















































11月11日


黄昏亭開店

今日のお客様は『熟年さん』・・・覚えていらっしゃいますか? まだ私が『チヌ釣り』に凝っていたころ、『茅渟夢想氏』と
3人でよく同行したものでした。 その『熟年さん』とは私が釣りから遠ざかってからすっかり疎遠になっていました。 たま
に出会うと「一杯やりたいねぇ。 我が家に招待したいけどいいかなぁ。」などと話すことはあったのですが、今日まで実現し
ないでいました。                                                ・

そのことがずっと気になっていたのですが、改めてお誘いしたところ「是非に!」というご返事がありましたので、今日お出で
いただいて『黄昏亭』を開店することになりました。 胸のつかえがおりました。 さて今日の料理は『鰤カマと野菜蒸し』『
もやし豚』それに『ちらし寿司』にしました。 『黄昏亭』の定番料理で珍しくはありませんが、お客様にとっては我が家で食
べていただく初めての私の手料理ですから、まぁいいのかな。                            ・

ところがです。 この手慣れた料理なのに、何故かとんでもない失敗をしてしまいました。 『蒸し料理』はどういう訳か蒸し
過ぎてしまい、素材の持ち味を消してしまいました。 『もやし豚』は「手早い料理だから気をつけないと!」と思いながら椅
子に座り何かを話し始めてつい興に乗り、気が付いた時には『もやし』が焦げてしまいました。 「焦げてない部分は問題ない
ですよ。」とおっしゃっていただき安心するやら、申し訳ないやら。                         ・

『ちらし寿司』は酢の加減もよく、いい出来だったと思います。 『ちらし寿司』を作る度にいつも思うのですが、結構な具の
量にした積りなのに、いざ混ぜ合わせてみると意外に少なく感じることが多いです。 そこで今日は相当に思い切って具沢山に
してみました。 鍋一杯に煮上げて「さてどうか?」と酢飯に混ぜ合わせてみたところ、「これくらいで丁度いいのか!」と改
めて思った次第です。                                              ・

1つだけ後悔したことがあります。 魚屋さんで食材を選んでいるとき活きのいい『コノシロ』を見付けたのですが、酢魚にす
る暇はないと考えて既製品を買ってしまいました。 ここは食べる前30分に酢漬けにした『コノシロ』を食べて頂くべきでし
た。 既製品はやはり浸かり過ぎ、甘すぎました。 美味しく食べるためには一手間を惜しんではいけないということでしょう
ね。                                                      ・

それから焼酎の湯割りを飲みながら様々話しました。 過日の釣りの事はもちろんです。 私の『ダンゴ』を随分参考にされた
こと、『ダンゴ』造りに使う砂の粗さに拘ったこと、荒れた日の当たり取りに悩んだこと、最近の釣りなどなど。 本当に懐か
しく思い起こしながら話は続きました。                                      ・

彼は65歳、まだ現役で働かれています。 でもお互いにそれなりに歳ですから必然的に病の話しにもなりました。 お互いに
いろいろあります。 私もちゃんと抱えています。 それからリタイア―後の生活について話し合いました。 ふと思うのです
が『古稀』という言葉はもう死語といっていいでしょう。 いまや人生90年・100年の時代、これから生きていく時間は恐
ろしいほど長くなりました。 この時間をどう楽しく有意義に過ごしていくか、そんな話でした。            ・

『うどん』の話にもなりました。 彼は50代の後半から4年間四国に単身赴任していて、その間よく『讃岐うどん』を楽しん
だのだそうです。 いろんなスタイルの店、といっても民家の土間のようなところも少なくないようですが、飛び切り美味しい
お店もあるようです。 そういう店では土日になると待ち時間1時間はおろか、2時間待ちというところもあるようで、どんな
にか美味しいということを力説してくれました。                                  ・

とても楽しい時間で、料理を作って人に食べて頂くという楽しみ、久しぶりの『おしゃべり』を堪能させていただきました。・
これに懲りず、またお出でいただければと思います。 私はいつでもウエルカムです。 有難うございました。      ・
















































11月 2日



嬉しいことがありました

ドクターから「味噌汁を止めなさい!」「毎日の血圧値を記録しなさい。」「栄養士から栄養、特に減塩食について指導を受け
なさい。」と指示されました。 昨年9月の事です。 それ以降、味噌汁を止めただけでなく、すべての食材の塩分量をチェッ
クしながら『できるだけ少なく、少なくとも1日4g以下』を目標に減塩に取り組んできました。 その間、毎朝血圧を測定し
記録を残してきました。 本来なら朝・昼・晩と1日3回測定すればいいのでしょうが、『継続的に』となると、そこまではな
かなか難しいと考え毎朝3回測定するようにしました。                               ・

塩分接種量1日4g以下となると、作れる料理も限られてなかなか難しくなります。 そのような中で、栄養が偏らないように
と考えながら取り組んできました。 ただ以前お話ししたように、私の場合『食塩過敏性高血圧』であったらしく、減塩を始め
た翌日から血圧は完全に正常範囲に入りました。 食べる物は以前の生活からすると随分味気ないです。 それでも血圧値が下
がったことが励みになり今日まで続いてきました。                                 ・

最近になって、慣れというか減塩の『コツ』が分かってきて、次第に料理のバリエーションが増えるようになってきました。・
それに取り組み始めてもう1年を越えましたので超薄味に舌が慣れて、素材の本来の味を意識するようになっています。 諦め
たものもあります。 大好きだった『ラーメン』はハードルが高過ぎてこのところ食べることはありません。 何しろ塩分量8
g、汁を残しても4g余りですから1杯のラーメンで既に目標値を上回ってしまいます。 それに『ラーメン』好きにとっては
あの汁の味こそ味の決め手ですからこれを残せと言われるのはちょっと酷ですね。                   ・

『お好み焼き』は食べます。 ボランティア・ガイドをやっていると広島のローカルフードとして『お好み焼き』は欠かせませ
んからお客様と一緒に食べることになります。 塩分量は店によって様々でしょうが、推定値として大体4gくらいかなぁと思
っています。 それを塩抜き、トロロ昆布と僅かのソースで食べて2gと推定しています。 馴染みのお店で我が儘をいってこ
んな『お好み焼き』を作ってもらっています。                                   ・

それとこんな日にはその日の朝晩の料理の塩分量を減らしてトータルで摂取量4g以下をキープするようにしています。 例え
ば『お好み焼き』を食べた日の夕食には『蒸し料理』を食べることが多いです。 鶏、野菜、豆腐を蒸し、『酢だけドレッシン
グ』(自作です=酢だけといっても酢だけでは不味いです)で食べれば塩分量は0です。                ・

こんな努力を1年余り続けた結果、今日の『経過観察』で嬉しいことがありました。 「いいねぇ。 そろそろ薬を減らしてみ
ようか。」ということになって、毎日3錠飲んでいた降圧剤が1錠減りました。 もう飲み始めたら減ることはないものと諦め
ていたのですが、努力の甲斐がありました。 もっとも減らした結果がどうなるか、これからも私の取り組みは続きます。 ・

インフル・予防接種

今年も『インフルエンザの予防接種』を受けました。 これは私の冬を迎える恒例の行事です。 毎年2回、1回目は市からの
補助がありますが、2回目は補助なしです。 それでもやはり2回受けます。 今までこうして予防接種を受けてきましたが、
インフルエンザにかかったことはなく、無駄かなぁと思いながら毎年続けてきました。 もっとも予防接種を受けているからこ
そ感染を防げたということもあるかも知れません。                                 ・

ところがです。 昨年は頂きました。 ボランティアガイドの最中に頭が痛くなった方がおられて、薬屋を探して頭痛薬を買っ
たりしました。 その人がまた話し好きで、興に乗るとどんどん顔を近づけて捲くし立てます。 後になって「あぁ、頂いたの
はあの時だったんだなぁ。」と気付きました。 この人は翌日は終日ベッドで過ごし、翌々日に弥山にも登ったのですが、かな
りきつそうでした。                                               ・

私はその後平生通りの暮らしをしていましたが、ずっと筋肉痛と疲れに襲われていました。 まぁ、ガイドの後ですから登山の
後遺症もあるだろうと思っていましたが、それにしてもいつまでも続きます。 5日ほど経って「どうもおかしい。 単なる疲
れではないようだ。」と気付き病院に行きました。 そして検査の結果インフルエンザと告げられまました。 「先生、私は2
回も予防接種をしているのにインフルエンザなんですか?」と尋ねると、「予防接種をしたからと言ってインフルエンザに罹ら
ないということはありません。 ただ、症状はかなり軽いはずです。 心当たりはありますか?」と訊ねられて「あぁあの時だ
」ピン!ときました。                                              ・

潜伏期間が2日だとすると彼らの前の訪問地、京都で貰ってきて、広島で発症したに違いありません。 「だとすると外出禁止
期間は明日までですね。 念のためにタミフルを処方します。 飲み切ってください。」と言われました。 タミフルを2日ほ
ど飲んだところで快方に向かい始めました。 下痢もなく比較的軽く済んだのだろうと思います。 そんな経験から、今年も2
回の予防接種を受けることにしています。 なお、その旅行者ですが、後になってメールを送ってきて「次の旅行地『野沢温泉
』では楽しみだったスキーも出来ず、病院に行った他は殆どをホテルで過ごした。」と話していました。         ・






















10月31日


思わぬことから・・・ボランティア・ガイド

「まだ早いとは思うが、宮島の紅葉はどうだろう?」と思って出かけてみました。 10時前、随分遅い出発でした。 実は今
夜ワシントンDCにお住まいのご婦人と定例の『おしゃべり』をすることになっていて、ガイドでお連れした辺りの景色の移ろ
いを話題にしようと情報収集に出掛けたのでした。                                 ・

『もみじ谷公園』のもみじは予測通りまだまだでした。 ほんの一部に赤くなっている部分もありましたが、紅葉というより傷
んでいるといった方がいいようなものでした。 『もみじ橋』の辺りが思い出深いと思われましたので、もみじではありません
が、話のタネに2、3枚写真を撮っておきました。                                 ・

 

それからゆっくりと頂上を目指しました。 せせらぎと小鳥の鳴き声を聞き、あちこちに目をやりながらゆっくりと登っていき
ました。 時間や人と競うことなく歩を進めると今まで見過ごしていたものの多さに気付きます。 何か新鮮なものを見付ける
ように原生林の1本1本の木立やふかふかの腐葉土を眺めたりしました。                       ・

そうこうしているうちに前を歩いていくカップルに気がつきました。 どうやら外国の方のようでした。 追いつくと立ち止ま
って「お先にどうぞ。」というふうににっこりと挨拶をされました。 笑顔がとてもフレンドリーでした。 そこで「どちらか
らお出でになりましたか?」とお尋ねすると「デンマークからだ。」と言われます。 デンマークにはデンマークの言葉があり
ますが、奥様は流暢に英語を話されます。 数か国語を話す翻訳家のようでした。                   ・

それから今までの旅の事、お国のことなどを話すうちに何となく意気投合して、「もしよかったら『弥山山頂』と下って『厳島
神社』『大聖院』にご案内します。」と申し出たらとても喜ばれて一緒に登っていくことにしました。 立ち止まって絶景ポイ
ントをお示しすると、「オォ〜!」と感嘆されていました。 でもまだまだこんなものじゃない。 頂上からのパノラミック・
ビューにはきっと仰天されることでしょう。                                    ・

『霊火堂』まで登りここで一休み。 茶釜からお湯を掬ってのんで頂き、『霊火堂』の謂れを説明して頂上に向かいました。・
頂上ではやはり驚きの連続のようでした。 ご主人67歳、奥様68歳、私も同じですが、老齢に鞭打って登られただけにその
感動は一入のようでした。 暫くはお二人でゆっくりと景色を楽しんでいただきました。 こういう時には余りしゃしゃり出な
いのもガイドのテクニックかなと思い始めています。                                ・

『大聖院コース』を下られる予定でしたのでそちらを辿り、『大聖院』にご案内しました。 山門から石段を登ろうとするのを
引き留めて、まず最初に『五百羅漢』をご覧いただきました。 流石に驚かれかなりの質問攻めになりました。 それから『観
音堂』にお連れし、「私がここでご案内したいのはこちらです。」と『観音堂』地下の『戒壇巡り』にご案内しました。 こち
らは感動というより、信じがたい経験にいささかショックを覚えられたご様子でした。                 ・

 

なかなかよく勉強をされていて、道すがら『四国八十八か所』とか『弘法大師』の話をされていましたので『遍照窟』にご案内
し『四国八十八か所』巡りを体験していただいて『厳島神社』にお連れした後で『大鳥居』の前でお別れしました。 ふとした
出会いからボランティア・ガイドに発展した最初の経験でした。 まぁ自分達だけで歩きたい流儀の人も多いでしょうからなか
なか難しいことでもありますが、こんなガイドもあっていいかなと思っています。 そして深夜、ワシントンDCのご婦人と宮
島での思い出話しとこんな経験談に花が咲いたことはいうまでもありません。                     ・















































10月23日


以下は取り留めのないアーティクルズです。                                    ・

酔芙蓉

随分前のことになりますが、カナダから来ていたNOVAの女性インストラクターと日本人のフィーリングについて議論したこ
とがありました。 「秋空が青く高くなったり、紅葉がハラハラと落ちるのをみると私たちは感傷的になりもの悲しさを感じま
す。」とこんな話をしたところ、「そんなバカなことはないでしょう。 冬であれ、春であれ季節によって感情が左右されると
いうことは考えられません。」とキッパリと言われました。                             ・

その時同席していた何人かの仲間達も私の説明をサポートしてくれましたが、ついに彼女に納得してもらうことはできませんで
した。 もっとも英語力も随分不足していましたのでこちらの意図をしっかりと説明できなかったこともあるでしょう。 それ
とともに思うのは、四季がはっきりしていて、その細やかな変化に寄り添い心を動かされてきた、『もの悲しさ』というような
感傷は長い間に私たちの中に培われてきたDNAであって、これを外国の方にたちどころに理解して貰うのはやはり難しいこと
のようでした。                                                 ・

さて、今年は我が家の『酔芙蓉』は随分目を楽しませてくれました。 8月10日に咲き始め、9月の末からピークに達しまし
たが、ここに至っていよいよお終いを迎えようとしています。 梢に残った数少ない蕾を見るにつけ、もの悲しく感じるように
なりました。 いやいや、「もっとゆっくり咲けばいいのに」と思うのですが、今月初めからピークを迎え、遂に大詰めを迎え
ています。 今年はトータルで124個の花が咲きました。 水遣りとこまめな手入れの効果があったように思います。  ・

私がこの花に拘るのは『菩薩様』への思いです。 『菩薩様』はこの花の『白く咲き、ピンクに恥じらい、赤く染まって落ちて
いく風情』を女の一生になぞらえて愛してきました。 そうした想いは私に対する恋心だったのかもしれません。 そのように
信じてこの花を『菩薩様』の思い出とともに大切にしてやりたいと思っています。                   ・

ギターレッスン


新しいギターはなかなかのものです。 音の立ち上がりが早く、素人の私にもとても弾きやすく感じています。 ただ、師匠か
らは「お孫さんには『ロレンツォ』は弾かせないでください。 お孫さんには重厚な『今井リミテッド』のタッチに慣れて大き
く飛躍して欲しいと思っています。」と言われています。                              ・

それはともかく、私自身このところギターレッスンにかなり力が入っています。 『ロレンツォ』が私のフィーリングにとても
よく合っていてギターを弾くのが楽しくなったということもありますが、再来年、『菩薩様』の七回忌に追悼の私的なコンサー
トをしようと計画しています。 どこか喫茶店を借りて家族を招待して小さなコンサートながら『菩薩様』を愛おしんでやろう
と思っています。                                                ・

『禁じられた遊び』『アルハンブラの思い出』『ピアノソナタ・悲愴』それにもう2〜3曲(例えば『早春譜』など)を披露し
たいと思いその準備に取り掛かっているところです。 師匠からも協力の申し出を受けています。 多分孫も喜んで1〜2曲を
披露してくれるでしょう。 まだまだ計画段階ですが、機が熟せば仲間達にも声をしてみようと思っています。 そしてピッツ
ァでもつまみながらワインパーティーで〆るのは如何でしょうか。                          ・

どうしようかな

シドニーの北方約50キロにある街、『テリガル』に住む老夫婦(といっても私よりは若い)からお誘いを受けています。 昨
年・今年と2回にわたって広島・宮島をご案内した方で、私のガイドを随分気に入っていただいて「こちらに来ないか? 何か
恩返しをしたい。』と申し出を受けています。                                   ・

このところこの人とはSKYPEでしばしばお話ししながらオーストラリアン・イングリッシュの手ほどきを受けていますが、
その中で「来るなら9月か10月、是非検討してみてくれ。」という話しでしばしば盛り上がっています。 気持ちとしては、
今年はもう無理としても「来年くらいには考えてもいいかな。」とググッと傾きかけています。             ・

「我が家に泊まってくれ。 観光地は私が車で案内してやる。 食事も我が家で一緒に食べようではないか。」と誘われている
のですが、どこまで甘えていいものやら。 それにオーストラリアには多くの友達がいます。 その人達にもお目にかかれれば
更に嬉しいかな。 一夜、二夜の宿ならその友達にも甘えることができるかも知れません。 さて、どうしたものでしょうか。
しきりと考えています。                                             ・























































10月18日


飛び込みボランティア・ガイド

10月13日のブログに「さて次回は来月にイスラエルのguysのご案内になります。」と書きました。 先月末から今月に
かけて多くのお客様をお迎えしました。 またお客様のトラブルでメディカル。・アシスタント代わりも勤めてかなり疲れてい
ましたので、これで暫く休養できると思っていましたが、そうはいきませんでした。                  ・

13日の夜になって女性名でガイドの依頼が飛び込みました。 開いてみると「岡山県の直島で出会ったオーストラリアのご夫
婦から照会されました。 広島に行くならあの人の案内がいいから依頼をしてみてはどうかと言われました。 いいですか?」
という内容でした。 「できれば2日間、オーストラリアの方と同じコースをお願いしたい。」とも。 疲れてはいましたが、
予定はありませんでしたので「お受けします。」と返信しました。                          ・

ところが、気を揉むこと、早速広島駅への到着時刻、宿泊先のホテル、食事(食べられないもの)、顔写真の送付などをお願い
したのですが、やっと前夜になって到着時刻と写真、それにホテル名が送られてきました。 いやいや、終いには「こんなこと
で、いつどのようにして出会えばいいのですか?」と詰問するような状態でした。 送られてきた写真には髪を紫色に染めた東
洋人らしい若者と、髪をちょんまげのように巻き上げ、眠そうな若い女性が映っていました。 最初は一人旅だと言ったのに。

「ワ〜、これはえらいものを引き受けてしまったかも知れないナ」と後悔しました。 でも偏見を持ってはいけないでしょう。
受けた以上は誠意を持って対応しなければ。 これは観光立国を目指す我が国へのささやかな貢献なんですから。 なんてこと
を思いながら広島駅に迎えたところ、見かけと違ってなかなか気さくな好青年達でした。 彼女Natashaさんはロンドン
から、彼Chenさん(台湾系アメリカ人)はロスアンゼルスから。 直島のゲストハウスで意気投合し今日明日と行動を共に
されます。                                                   ・

16日

9時35分に新幹線の改札口に迎え、早速『縮景園』に向かいました。 園内では説明文を1つ1つをチェックしながら進んで
いかれます。 扁額の文字とか、花の名前とか、細やかな質問もありました。 私の方からは『feudal load』が理
解して頂けているか確認しました。 『藩主』のことですが、今までちゃんと理解して貰えていたかずっと不安でしたので彼ら
に確かめてみたところ「分かります。」と言ってもらえて安心しました。                       ・

今日はお昼の『お好み焼き』は12時から。 ちょうど修学旅行のシーズンになっていますからその計画の一環として広島のロ
ーカルフードを『お好み村』で味わう学校が多いです。 その予約が1時から入っていましたのでいつもより少し早めに入りま
した。 
彼はsea foodが大好きで、ベーシックな『ソバタマ』に牡蠣をトッピングしていました。 彼女は何故か『う
どん』にチーズでした。 私は彼に倣いベーシックに牡蠣をプラスしました。                     ・

 

やがて小学生が大挙して押しかけてきましたので、追い立てられるように平和公園に向かいました。 『平和資料館』では私は
説明しません。 「メインの展示物はパネルで英語の説明が付いています。 それをご自身で読んでください。 私は1階でお
待ちしています。」 このようにお話しして1階のシートに座って待っています。 1階には数は少ないですが被爆者の遺品や
被爆の際の遺物などが展示してあります。 最後にこれらをご覧いただいて『平和資料館』のご案内は終了です。     ・

たいていの人が大体30分くらいで見学を終えて1階に降りてこられます。 ところが1時間経っても彼らは降りてきません。
心配になって新着展示コーナーやオバマ前大統領が折った『折り鶴』がある地下に降りてみたりしました。 1時間半近く経っ
てやっと姿を現しましたので聞いてみると、じっくりと説明文を読んだり、タッチパネルなどで更に理解を深めたようです。・

「お若いのに大したものだなぁ。」とちょっと感心しました。 このように被爆の実相、更には我が国の歴史や文化に関心を持
っていただけると案内人としても力がはいります。 そんなこともあって、かなり遅くなりましたが、それからライトアップの
広島城天守閣を外周からご覧いただきました。 この眺めはなかなか素晴らしいです。 特に北西角から眺める水面に映り込む
天守閣の眺めには暫く足を止めておられました。                                  ・

 


17日

今日は宮島のご案内。 10時30分に宮島口駅で待ち合わせました。 今回は潮位の関係で『大鳥居遊覧』は取り止め、代わ
りに『ナイトクルーズ』を楽しんで頂きますので、いつもより随分遅い出発としました。 宮島口駅に現れた2人は何と4人の
友達を連れてきていました。 皆さん昨夜ホステルで知り合った若者ということでした。                ・

こういう宿に宿泊しながら旅を続ける人はオープンマインドということもあるでしょうが、基本的に『人間が好き』な人達なの
でしょう。 皆さん古くからの友達のように和気藹々なのでした。 名前は憶えていませんが、イギリス、ドイツ、ノルウェー
から来られた若者達でした。 ただ、私としてはこれから山に登るのに、これは(全体に目を配るのは)ちょっと厄介だなぁと
思いましたね。 そこで、「Chen君、同行はOKだけどこの人達のコントロールは君に任せるよ。」とお願いしたことでし
た。                                                      ・

今日の予定は『弥山登山』、下って『千畳閣・五重塔』『厳島神社』『大聖院』と回り、ここで4人の若者とお別れして『ナイ
トクルーズ』にご案内します。 昨日の雨と打って変って今日はまずまずの天気です。 遅い出発にはお昼には晴れるという読
みもありました。 ロープウェーを使い、『獅子岩』からおしゃべりをしながら山頂を目指しました。 この人達の口は止まる
ところを知りません。                                              ・


 

山頂展望台から暫く景色を楽しみ、それからベンチに腰掛けてお昼のお弁当にしました。 広島駅で『あなご飯弁当』を買って
くるように依頼しておきましたから、皆さんのお弁当はみな同じです。 この人達に限らず、私がお連れした皆さんは『あなご
飯弁当』を「美味しい!」といって食べます。 日本の古典的な料理の珍しさということでもあるでしょう。       ・


 

最後に『ナイトクルーズ』にご案内しました。 『大鳥居』や『厳島神社』がライトアップされていてとても幻想的です。 
がいいと
クルーズ船は『大鳥居』を潜ります。 これがまた観光客の人気を誘う呼び物となっているようで、このところ大繁盛
なのだそうです。 確かに感動的な眺めです。 彼らも随分驚いて写真を撮りまくっていました。            ・

 
 
そして宮島口駅にお送りし今回のご案内を終えました。 後日彼らの仲間の1人から感謝のメールが届き、大鳥居と鹿の写真が
送られてきましたのでご紹介します。                                       ・























































10月13日


ボランティア・ガイドが終わりました

10月11日〜12日、ボランティア・ガイドが終わりました。 今回のお客様はオーストラリアから。 メルボルンの北西約
100キロ、バララットからお見えになりました。 ご主人は64歳、奥様は70歳、とても穏やかな方々でした。    ・

駅裏のホテルでお目にかかり、いきなり「スチュアートをご存知か?」と問いかけられました。 スチュアートさんは昨年11
月に広島・宮島をご案内した若いご夫婦でした。 「彼から私を紹介されたと聞きましたので、お若い方かなと思っていました
が、送って頂いた写真を拝見して(ご年配でしたので)驚きました。 どういうご関係なのですか?」とお尋ねすると、「彼ら
はお隣さんだよ。 彼はスコットランドから来て、今は牧畜をやっている。 牛を沢山飼っているよ。」と話してくれました。

11日は宮島にご案内しました。 9時半にホテルロビーでお目にかかり、広島駅で『あなご飯弁当』を買って出発しました。
早朝は随分雲が厚いように見えましたが、「大丈夫、昼までには晴れる」と見て(天気予報も確かめて)弥山に登り頂上でお昼
を食べて頂くことにしました。 先ずは『大鳥居遊覧』です。 これは是非とも見せて差しあげたい風景です。 ただ、潮回り
が余りよくなく、大鳥居の真下に入ることはできませんでした。 それでもまずまずご満足のご様子でした。       ・

前もってケーブルカーのターミナルから山頂までの登山道の様子を紹介しておきました。 「大丈夫です。 ゆっくり登ってい
きます。」という奥様のご返事でしたので計画に組み込みました。 ところが峠まで300mを下って登りにかかり、200m
程登ったところで息が切れたご様子でポケットから酸素スプレーを取り出し吸引されました。 「私はここから引き返すので2
人で登ってきてください。 待合所で待っています。」と言われましたが、お1人では危ないと思いターミナルに引き返すこと
にしました。                                                  ・

ターミナルから山頂に霧が立ち込めるのを見て、結局登頂は諦め『獅子岩展望台』で景色を楽しんで頂くことにしました。 『
獅子岩展望台』からの景色もなかなかのものです。 それからお弁当、神戸からお見えになっていたご婦人のグループと歓談し
ながら『あなご飯弁当』を楽しんでおられました。 『霊火堂』や『くぐり岩』などの不可思議な弥山の魅力に触れていただく
ことはできませんでしたが、この景色に十分に満足されたご様子でした。                       ・

 

下って『厳島神社』『大聖院』をご案内し、ホテルまでお送りして今日のスケジュールを終えました。 『大聖院』に至った時
に「お寺まではあとどれくらい登るのか?」と聞かれました。 相当脚にきているご様子でした。 そこで、明日のスケジュー
ルを少し遅らせるように提案しました。 一瞬顔がほころびたちどころに提案に同意して頂けました。          ・

12日は10時半、予定より1時間遅れでホテルにお迎えしました。 平和公園をご案内中はずっと小雨でした。 それぞれの
モニュメントをご案内し、最後に『国立広島原爆死没者追悼平和祈念館』にご案内しました。 ここにご案内することは滅多に
ありませんが、「平和公園の地下のトンネルが見たい。」とおっしゃっていたので、きっとこの施設のことだなと思いご案内し
ました。 地下には被爆後の広島の爆心地から眺めた悲惨な風景を、同年に亡くなられた被爆者140000人と同数のタイル
で描いてあります。 それとともに亡くなられた方々の遺影が(ご遺族の希望で)安置してあります。          ・

それから資料館の展示をご覧いただきお『好み村』に向かいました。 『お好み焼き』は是非味わって頂きたい広島の郷土料理
です。 奥様は玉ねぎとキャベツが全く食べられないそうなので、店長に相談すると別メニューを準備してくれました。 鶏、
ナス、トマト、里芋、椎茸などの多彩な食材を使った『野菜炒め』で、かなりの量でしたが大喜びですっかり平らげておられま
した。 気の利いた店長と意気投合しお互いにフェースブックのアドレスを交換しておられました。           ・


 

その後『縮景園』まで歩き、園内を周遊して広島駅でお別れしました。 お別れに持参されたお土産を頂きました。 オースト
ラリアの珍獣などを図案化したとてもきれいな『コースター』でした。 いい記念になります。 有難うございました。  ・

 

こんなことで恙無くご案内を終えましたが、敢えていえば1つ。 奥様はニュージーランドのご出身で発音に特徴があるようで
した。 ご主人(オーストラリアの方)とは比較的スムーズに会話ができたのですが、奥様の英語は分かりにくく時に会話がつ
ながりませんでした。 また私の英語はジャパグリッシュですから、時に先様に伝わってないことがあるようでした。 質問さ
れて、「それってさっき説明したでしょう。」と思うことがありましたから、分からない部分は聞き流していたのではないかと
思ったりしました。 さて次回は来月になりますが、イスラエルの方のご案内になります。               ・





























































10月 6日


New Guitar

孫が『日本ギター協会』のコンクールで『銀賞』を頂いたことは紹介しました。 それ以降私の『今井Limited』は戻っ
てこないことになりました。 「高橋さん、あれはお孫さんへの先行投資だと思って使わせてあげてください。 その代わりは
私が責任を持って探させてもらいます。」 師匠にそのように言われて暫く古い楽器でボロボロとやっていました。 でも一旦
いい音を聞いてしまうとマス・プロダクツでは満足できなくなってしまうものです。                  ・

そんなことで暫く待っていましたが、先日京都の某楽器店からギターが送られてきました。 モデルは『Lorenzo Fr
ignai』 イタリアの有名な制作家『ロレンツォ・フリニャーニ』氏が設計・監修しているモデルでスペインの『アントニ
オ・ピカド工房で制作されたものだそうです。 「もし気に入っていただければ振り込みをお願いします。」とありました。・

早速師匠に確かめて頂きましたが、「なかなかいいです。 音の深みと立ち上がりが抜群です。」とお墨付きを頂きましたので
早速振り込みを済ませました。 商売気のない楽器店店主が『アントニオ・ピカド工房』に仕入れに行って、2台持ち帰ったも
のの1台だそうです。 ちなみに、表板は松、裏板・側板はローズウッド、指板はエボニーです。            ・

 

合わせてレストも新調しました。 これはギター教室の仲間が設計・制作しているもので、個人の体形や姿勢に合わせて細かく
設計しています。 業界では最高の品質だと折り紙がついています。 それだけにギターを構えたときの安定感は抜群です。・
これでツールは揃いました。 さて問題は腕ですね。                                ・





































































9月25〜26日


ボランティア・ガイドが終わりました

ドバイから若いカップルがお見えになりました。 今月16日に結婚されたばかりの新婚さんで、ドバイでは保険会社で働かれ
ています。 お二人ともイタリアンで、シチリア島とコルサ島の出身だそうです。 昨年夏にやはりドバイから来られたカップ
ルが彼らの友人で、「広島に行くならあの人のガイドが面白いよ。」と紹介されたんだそうです。            ・

このところ、またまたクラブを通さないで『口コミ』で聞いて直接依頼をうけるケースが増えています。 実は次回10月11
日、12日にお受けしているオーストラリアの老カップルもその直接依頼組です。 しかも念がいっていて、一昨年ご案内した
人からの紹介で昨年お出でになった方がおられて、更にその方から紹介されたのだそうです。 英語が流暢ということでもない
し、話が上手いわけでもないのに何故なんでしょうね。 でもまぁこうしてご指名に預かるのは嬉しいことです。     ・

今日は午前中は前回のカナディアンのメディカル・アシスタントでした。 4時半起き、7時前にホテルのロビーで落ち合って
病院に向かい、受付、点滴を済ませてドクターの診察。 皮下に膿が溜まっているので切開するといいます。 その現場も外す
わけにいかず最後までお付き合いしてホテルにお送りし、ドバイ組を迎えることになりました。             ・

さてドバイ組です。 合意したスケジュールでは11時35分広島着だったのですが、「遅れる。」と連絡が入っています。・
高野山から難波、それから新大阪ですから無理はないかなと前もって折込済みでしたが、更に遅れて13時35分着だといいま
す。 12時35分ならまずまず何とかなると思っていましたが、これではとても時間が足りない。 お昼に『お好み焼き』を
食べて頂いて『平和公園』『縮景園』の見学となるととても無理です。 結局お昼を抜くことになり、いつものお店に断りを入
れました。 聞くところによりますと、今朝高野山で何かイベントがあったみたいで、それを見物していたんだそうです。 ・

宿は宮島口でした。 彼らは宮島島内に宿があると思っていたようで、少し落胆されていましたが「宮島の景色を楽しむんだっ
たら対岸からの眺めでしょう。」とお話しすると随分納得されていました。 26日は早朝に宿にお迎えしました。 昨夜お別
れする時に「明日は9時20分に出発します。」と念を押していたのに、35分を回っても降りてきません。 ついにホテルの
スタッフに電話で確認してもらう始末でした。 どうもこの人達には約束や時間を守るという意識が薄いようにお見受けしまし
た。 国民性かなぁと思ったりします。 そういえばNOVAの教材で、30分くらい遅れるのはノーマルだと読んだことがあ
りましたなぁ。                                                 ・

平然と降りてきましたので、度重なる遅刻にチクリと小言を言ってからタクシーで『大野桟橋』に向かいました。 奥様は写真
マニアです。 遊覧船が大鳥居に近づくともういてもたってもいられないという風にデッキの出口でカメラを構えます。 遊覧
船の添乗員から許可が出ると早速デッキに出て、立ったり座ったり果ては寝転がったりして撮影していました。      ・

 

『千畳閣』でも『厳島神社』でも『大聖院』でも私の説明は殆ど聞いていませんし、動きにもついて来てくれません。 いつも
なら当然お客様の動きに合わせるのですが、この人達のスケジュールはとてもタイトです。 島内では僅か3時間、1時過ぎの
フェリーに
乗らなければ予定の新幹線に間に合いません。 それでこちらは焦っているのですが、『厳島神社』での結婚式の様
子や『大聖院』の五百羅漢像の前からはカメラを向けたまま全く動いてくれません。                  ・

とうとう痺れを切らせて、「こんな調子では予定の新幹線に間に合いませんよ。」 ついには「私の動きに合わせて下さい。」
と懇願する始末でした。 いや、少しきつかったかも知れません。 それでもまだ『焼き牡蠣』を食べたがったり、緑茶を買い
たがって店に入ったまま動こうともしなかったり、いやはや大変なご案内でした。 そして辛うじて予定時間に宮島口駅にお送
りしてやっと肩の荷を下ろしました。 ちょっと痺れるご案内でした。                        ・














































9月22〜23日


ボランティア・ガイドは終わりましたが・・・・・・

カナダからご夫妻とご子息がお見えになりました。 今回も前もってスケジュールをお送りしていました。 22日は広島市内
のメジャーな観光地、それに温泉を希望されていましたので楽々園にある『ゆらゆら』にご案内することにしていました。 そ
して23日は潮に恵まれましたので『大鳥居遊覧』、それから弥山登山、厳島神社、大聖院にご案内する予定でした。   ・

今回もいつも通りに順調にいくはずだったのですが・・・ところがです。 前夜になってメールが入りました。 「主人が感染
症に罹り深刻な状況になっている。 いま大学病院に来ているが医師とコミュニケーションが取れない。 皮膚科または外科の
当直医がいなくて治療をして貰えない。 これからホテルに戻る。 助けてくれ!」といってきました。 すぐに夜間診察可能
な外科医を探し出し、病院に連絡して手筈を整えてからホテルに連絡しました。                    ・

奥様は平常心を失っているご様子で早口でまくしたてます。 そんなに早口じゃこちらは聞き取れない。 どうやらその病院で
治療が受けられるかどうか保険会社に問い合わせる必要があるみたいです。 病院名、住所をお教えしていつでも出発できるよ
うに身支度を整えて連絡を待っていました。 午前2時過ぎになって、「保険会社は市民病院を指定してきた。 今夜は痛み止
めで耐えて明日早朝に急患として病院に入る。 言葉が通じないので7時半に病院まで来てほしい。」と連絡がありました。・

こういうところで初対面というのは初めてでした。 そして受付、採血、点滴、診察と手順は進んでいきます。 やはり通訳は
必要でした。 医師も看護師もどうも英語は苦手なようでした。 そういえば今朝コンタクトを取った別の病院も、外国の方だ
と聞いて、「通訳してくれる人がついていてくれるなら診察に応じる。」と言われました。 私にとっても初対面にいきなりで
相手の発音に慣れてない上に更に馴染みのない医学用語ですからちょっと汗顔ものでした。               ・

それから25日の午前中まで毎朝治療にお付き合いしました。 2日間の予定が結局4日間になり、その間治療の後でご主人を
ホテルに送り届けて奥様とご子息を広島と宮島にご案内しました。 ご主人は結局初日の診察の後でお好み村で『お好み焼き』
を楽しんでいただいただけで、それからはずっとホテルに止まることになり、広島観光は病院観光になってしまいました。 ・

 

子息は相当にお疲れになったご様子で、今日はホテルに止まっておられます。 奥様はチーズ焼き、ご主人と私はベーシックで
した。                                                     ・


ガイド点描

23日の治療が終わった後で奥様とご子息を縮景園と平和公園にご案内しました。 縮景園では清風館から回り込んで『たくえ
い池』を見た途端にその美しさに感嘆されました。 盆栽仕立ての庭木、茶室の佇まいにもbeautifulを連発されてい
ました。 また竹林にはことのほか興味を示され、暫く見入っておられました。                    ・

 

foreignerは皆さん鯉の餌やりがお好きです。 この時ばかりはどなたもまるで童心に戻ったように見えます。 この
人達もこのように随分楽しんでおられました。 私は毎回鯉の餌(100円ですけど)をプレゼントするようにしています。・

爆心地をご案内してよく受けるのは原子爆弾は『原爆ドーム』に落ちたのではないのか?」という質問です。 今回のお客様も
そのようにお考えのようでした。 爆心地は原爆ドームとは違います。 投爆のターゲットは『相生橋』でした。 T字形の特
徴的な橋で、目印として分かりやすかったようです。 それが少しずれて島病院の上空で炸裂しました。 『相生橋』からは2
50m、原爆ドームからは150m離れています。 こんな説明をしました。                     ・

 

このところ当たりがいいというか、皆さんいい潮に恵まれています。 今回のお客様もいい潮に巡り合って『大鳥居遊覧』にご
案内できました。 『大鳥居』周辺を遊弋します。 皆さん感動されますね。 『大鳥居』が本来の表参道であること、またそ
のサイズ等は出船前に十分にお話ししておきました。 専属の添乗員の船内での説明は概ね日本語中心です。       ・


 

宮島に来て(きっと日本中どこに行っても)シーフードのない料理を見付けるにはかなり難儀をするでしょう。 今回のお客様
は大丈夫、殆ど何でも召し上がられます。 奥様はエビフライカレー、ご子息はアナゴと野菜の天婦羅丼』を召し上がられま
した。 食事の心配をしなくていいというのは誠にもってありがたいです。 今回はこんなご案内でした。        ・


















































9月 7日


ボランティア・ガイドが終わりました

『ドッカ〜ン!』という凄まじい轟音で目が醒めました。 一瞬、「北朝鮮の野郎、ミサイルを打ちやがったか。」と思いまし
たが、暫くしてにカラカラと続きましたので「雷かぁ!」と安堵しました。 こんな大音響は今までに聞いたことがありません
でした。 5時頃だったかなぁ。 今日はお客様を8時に『平和公園』脇のホテルにお迎えしますので、5時半に目覚ましをか
けていましたから、目覚まし代わりといえばまぁそんなものでした。                         ・

今回のお客様はインド北部からお見えになりました。 姪御さんを介して情報交換をしていましたので、なかなかこちらの思い
が伝わらず、結局お目にかかるまでお国が分かりませんでした。 お国が分かれば事前に地理的な位置や気候、歴史、文化、有
名な観光地などを調べておいて会話を充実させることができます。 それで一気に会話が盛り上がって親近感が増すということ
がままあるのですが。 そうはいっても決して白けた雰囲気が漂うということではありませんでしたけれど。       ・

広島は昨日ご自身で散策されていましたので、今日は宮島だけのご案内でした。 姪御さんからは夜余り遅くならないうちに東
京まで届けて欲しいと依頼を受けていました。 東京駅に迎えに見えるようでした。 少し遅くはなりますが、21時過ぎの東
京着でご了解をいただきました。                                         ・

8時にホテルを出て広島駅のコインロッカーに荷物を預け、9時の電車に乗って前空駅に向かい10時15分の『大鳥居遊覧航
路』の1便に乗ると10時40分に宮島着。 それから『千畳閣』→『厳島神社』→『大聖院』を歩き、その間に昼食を摂って
予定通りに東京に送り届けるとなると時間的にかなり厳しい。 宮島発15時前のフェリーがぎりぎりの線になります。  ・

 トラブル続き

そういう時間の制約もさることながら、今回は様々なトラブルがありました。 まず言葉です。 インドの方(この方の地域特
有のものかも知れません。)の訛りはまた独特のような気がします。 巻き舌で語尾に何かくっつくようで、なかなか聞きとれ
ません。 何度も聞き返しました。 ただ、こちらの話すことはちゃんと聞き取って頂けたようでした。         ・


 

雨に降られました。 特に『大鳥居遊覧航海』は雨と靄の中でした。 『大鳥居』にはいつも通り接近できましたが、フェリー
の動きが見えず航路を横切るのが危険で、一時は「引き返そうか。」という話になりかけたりしました。 引き返せば見学時間
はもっと短くなってしまいます。                                         ・

私はいつも通りに歩いているのですが、どうも遅れがちです。 最初は気が付かなかったのですが、脚がお悪いようでした。・
『大聖院』では登山口に置いてあるステッキを使っておられました。 時間が限られる中、仕方がないことと思いながら「もう
ちょっと急いでもらえないかなぁ。」と焦ることもありました。 まぁ押し殺していましたが。             ・

食事のことです。 事前の確認メールでは「特に制約はありません。」と伺っていたのですが、「シーフード、牛肉、豚肉はダ
メだ。」と言われます。 「宮島に来てシーフードが食べられないんじゃ、一体何を食べるん?」 そう思いませんか。 それ
から雨の中を宮島中探し回ることになりました。 やっと鶏料理を見付けましたが、かなり時間を無駄にしてしました。  ・

新大阪駅での乗り換えが不安だと訴えられました。 本人は広島→東京間は直通だとお思いになっていたようです。 「どうし
て直通の新幹線に乗れないのか?」と何回も聞かれます。 「JRパスを使うとどうしても新大阪で乗り継ぎになるんです。」
と説明すると、旅費を負担するから、新大阪駅まで同行して欲しい。」と懇願されたりしました。 「新大阪駅には20番フォ
ームに到着します。 それから一旦2階に降りて23番フォームに上がって下さい。」と何度も説明してやっと納得して頂けま
した。 でもかなりナーバスになっておいででした。                                ・

いろいろなトラブルはありましたが、辻褄を合わせながら見学を終了し、広島駅のプラットフォームまでお見送りして今回も無
事にご案内を終えました。 こんなところが今回のご案内でした。                          ・