6月12日



ボランティア・ガイドが終わりました

今回のお客様はアメリカ・ワシントン州からお見えになった70歳のご婦人でした。 シアトルの南方、約1時間ドライブの緑









































 

6月 7日



食の話題・いいかも知れない

またまた食の話題です。 個人的には食に異常に執着し、家計さえ顧みなかった父親のDNAに抵抗を感じつつも、まぁ、この

































































 

6月 1日



今日から私は『後期高齢者』

そういうことです。 今日から私は『後期高齢者』になりました。 すでに『後期高齢者医療被保険者証』が届いています。・








































 
 

5月26日



ボランティア・ガイドが終わりました

ボランティア・ガイドが終わりました。 今回のお客様はアメリカ・フロリダからお越しの70歳の男性(コロンビアからアメ








































   

5月18日


『工業統計調査』に従事しています

先日『工業統計調査員』をお引き受けしたことに触れました。 そのお話しです。 お引き受けた以上はしっかりこなさなけれ



 








































 

5月10日



こけた

月曜日のこと、廿日市市の中心部、市役所近くの国道交差点の歩道を渡り切ったところで直進か左折か一瞬ためらった。 その















































 

5月 3日



天丼

よく船釣りに出かけています。 『菩薩様』が逝った後で、落ち込んでいる私を気遣って船釣りに誘って下さったことがありま












































4月27日



『ボランティア・ガイド』がキャンセルになりました。

4月26日、27日・・・ベルギーからのお客様を広島、宮島にご案内する予定でしたが、お客様の都合で急にキャンセルとな










































11月30〜12月 1日



『ボランティア・ガイド』in京都が終わりました。

いきさつがあって、バングラディシュのお嬢さんから京都の観光ガイドを依頼されました。 「京都には若くてハンサムな大学
生のガイドさんが沢山いる。 それに京都のことは私よりはるかに詳しい。 そちらに頼んでみたら。」とお勧めしたのですが
「いいえ、あなたにお願いしたいんです。」と懇願されて引き受けることにしました。                 ・

新幹線、ホテル、食事、おそらくこの旅行の大部分は私の持ち出しになるでしょう。 でも京都は大好きですし、まだ見ていな
い部分もある。 それにこれを機に家内を分骨してある『大谷本廟』にもお参りしてきたい。 従って多少の持ち出しはまぁい
いか。 京都は知らない訳ではありません。 何度も訪れていますのでそこそこの知識もあります。 少し補強しておけばそれ
なりのご案内はできるでしょう。                                         ・

決して無駄にはならないと考えました。 そうはいっても予備知識も仕入れておかなければ。 そのために前日に京都に入りま
した。 観光案内所で交通機関、案内経路等を調べ、取り合えず『三十三間堂』や、昼食を予定している『祇園界隈』を歩いて
おきました。 それに『大谷本廟』にもお参りしました。 さて極めて普通過ぎるメジャーどころのご案内ですが、『三十三間
堂』『伏見稲荷』『金閣寺・銀閣寺』『京都御所』『二条城』『清水寺』それに『竜安寺石庭』など有名どころを2日間でご案
内するように考えていました。                                          ・

その夜は『琵琶湖湖畔』に投宿し、翌朝京都駅前で彼女と落ち合いました。 彼女は医大生、熊本から夜行高速バスでやってき
ます。 もちろん到着時間やバス停の位置、それに朝食の適当なお店も前日に物色しておきました。 全て用意万端だったので
すが、スタートから失敗、『京都御所』の英語ガイドのコースに遅れてしまいました。                 ・

ちょっと変わった人なのか、国民性なのか、彼女の中では時間が極めてゆっくりと流れているようでした。 地下鉄を降りて御
所まで、何とか10時(英語ガイドの出発時間)に間に合わせようと焦るのですが、ゆっくりゆっくりと歩いてきます。 あち
らを見たりこちらを見たり。 外苑に入ると綺麗な紅葉に魅せられてしまい、とうとう動かなくなってしまいました。 例えば
『大銀杏』の落ち葉に座り込んで「写真を撮ってくれ。」といいます。                        ・

 

受付所の『清書門』に入りましたが、時すでに遅し、英語ガイドは既に出発していました。 それでも全く意に介さず、「いい
の、いいの」という感じ。 今日はあと『伏見稲荷』『清水寺』『三十三間堂』、できれば『二条城』までやっつけておきたい
と心は焦りますが・・・・。 『御車寄』から『紫宸殿』とゆっくり案内して回ります。 『栄安門』越しに『紫宸殿』を望み
ながら、「これが寝殿造りの様式、左右対称になっているところが厳島神社と同じでしょう。」 植木が2本あるでしょう、桜
と橘が植えてあります。 『右近の橘、左近の桜』と言われています。 天皇の護衛の一団の名残です。 室内は既に厳島神社
に見られるような寝殿造りの基本形式ではなく、書院造に変わっています。 武士の時代に発展した様式です。      ・

こんなことを説明していると、いきなり質問がありました。 「何故桜と橘なの?」 「・・・・・」 それは予想していなか
ったなぁ。 そこで近くにいた、多分ボランティアのスタッフに尋ねてみました。 「こんな質問をされて困っています。 教
えて頂けませんか?」 でもこれはちょっと意地悪な質問でした。 きっと専門家でないと分からないでしょう。     ・

次は『伏見稲荷』を予定していました。 それから『三十三間堂』『清水寺』、祇園で食事。 でも御所を出たときは既にお昼
前でしたので予定変更、まずは祇園で食事をすることにしました。 丸太町バス停から祇園へ。 祇園にこだわ」る理由です。
11月12日、13日にイギリスの方をご案内しましたが、この方から「祇園にいいレストランがある。」と情報を頂いていま
した。 それが祇園の八坂神社前にあります。 誠に誠に狭い、すれ違うのに苦労するような路地の奥にその店がありました。
もちろんその店も前日にチェック済です。                                     ・

京都の『おばんざい』のお店で、間口一間、カウンターを挟んで椅子席が7席ほどの小さな店です。 殆どが豆腐料理ですね。
私はメインディッシュを豆腐の春巻きにしました。 味噌汁にも豆乳が使ってあります。 路地には日が当たらず、しかも風の
通り道になっていますから寒さに震えながら入り口で待つこと10分、やっと席があいて中に入ると若い女性の3人連れ、それ
に怪しい関係に見えなくもない中年2人連れ、それと老カップルがそれぞれに歓談しながら『おばんざい』を召し上がっていま
した。                                                     ・

彼女も同じメニュー。 隣り合わせた若い女性の3人組がしきりと彼女に話しかけるのですが、名古屋の大学の卒業生だといい
ながら、どうも余り英語は得意でないようでした。 でも、それでもこうしてコミュニケーションをとろうという勇気には感心
したというか、私たちの年代では考えられない気質です。 なかなか見上げたものだと思いましたね。          ・

 

京都は凄いことになっています。 『観光公害』とも言われていますが、まるで京都をごっそり観光客に乗っ取られているみた
い、特にお隣の国々のお方が多かったように思います。 三年坂などはもう身動きができないほどの観光客で溢れていました。
特に人気の観光スポット周辺ですね。 『祇園界隈』『清水寺』『伏見稲荷』『嵐山周辺』は、何だこれは・・・という感じ。
『詫びた古都の風情』はどこにもありません。 観光案内や墓参りでなくて、今純粋に「京都観光』を楽しむか?と聞かれたら
多分NO WAYですね。                                            ・


 

『三十三間堂』の『千体観音菩薩立像』は是非見せたいと思っていました。 『風神・雷神』は別として、28部衆はもちろん
渡来仏ですから仏教やヒンズー教に共通しています。 それらについて1つ1つ、かの国での解釈を解説してくれました。 思
っていた通り、やはり興味を持って頂けたようです。 私の個人的な感想ですが、『伏見稲荷』の『千本鳥居』にはがっかりで
した。 外国の方には大人気ですが、何とも、見る価値もない。                           ・

この日の宿は新大阪に取りました。 土曜日でもありますから、京都のホテルはかなりお高いですし込み合っていました。 彼
女の希望は「できるだけ安く、でもゲストハウスはいやだ。」ということなので、様々手を尽くした挙句京都や大津など近郊を
避けて少々便利は悪いですが新大阪にしました。 向かう車中で彼女がいいます。 「私の友達が『竹林』が素晴らしい。 是
非見るべきだと勧めてくれました。 明日『竹林』に連れて行って貰えませんか。                   ・

『竹林』といえば『嵐山』ですね。 翌朝京都駅から嵯峨野線に乗りました。 この列車がまた凄い混雑です。 『嵯峨野嵐山
駅』も観光客の山でした。 レンタサイクルの店に彼女の荷物を預けて『竹林』に向かいます。 『竹林』は人が溢れかえって
いましたが・・・・思わず彼女と顔を見合わせて笑いました。 「これって、私の国の田舎の風景と全く同じよ。」「これって
単なる『竹藪』じゃん。 こんな『竹藪』なら私の家の周りにいくらでもあるよ。」 あきれかえって『渡月橋』に向かいまし
たが、メインストリートの両側をはみ出す人の山で、たどり着くのに難渋しました。 「これは時間の無駄でしたね。 折角で
すが、これからの予定の多くを諦めて下さい。」 でも『嵐山』の紅葉は流石。                    ・


 

一旦京都駅まで戻って『竜安寺』に向かいました。 結構時間がかかります。 これでもう『金閣・銀閣』『二条城』は諦めて
貰うほかありません。 ただ、彼女には『石庭』の前に向かって様々考えを巡らせて欲しい。 幼くして両親をなくした辛い境
遇をお聞きしていましたので、彼女はきっと『石庭』のもつ人に対する語りかけを理解出来る人だと思っていました。 思った
通り、庭の前に座って長く何かを考えている様子でした。 そして他の観光名所を諦めることに同意してくれました。 京都駅
に戻り、夕食を共にし、彼女は夜行高速バスで熊本へ、私は新幹線で広島へと別れていきました。            ・












































11月15〜17日



リユニオン

若い頃同じ釜の飯を食った仲間達との同窓会を広島で行いました。 『第1回青年の船10班』の集い、当時20歳〜26歳の
若いメンバーも随分歳をとりました。 班員の最高齢は78歳、全員70歳台になりました。 20名の班員のうち鬼籍に入ら
れた方が1名、重篤な病を患っておられる方も何名かおられます。 今回は班長をはじめ、団員11名、他班から女性1名の特
別参加がありました。                                              ・

解団してから50年、その間個別に小さな会合はあったようですが、こうして班として集まるようになったのはごく最近のこと
です。 数年前に3〜4名の団員との出会いがあり、このとき『班としての同窓会』を提案していました。 そして念願かなっ
て2年前に京都で、昨年東京で同窓会を行いました。                                ・

前回東京での会合のおり、次回の集いの予定を話し合いました。 多くのリクエストの中に、「広島でお好み焼きを食べたい。
」「宮島の紅葉が楽しみたい。」という希望が多くあったことから、私がお世話をして『第1回青年の船10班、広島の集い』
を企画することになりました。 そして今回の『リユニオン』になったのでした。                   ・

私が立てた計画です。 15日夕刻に広島に集合、『お好み村』に出掛けて『お好み焼き』を頂きながら歓談する。 16日早
朝に宮島に足を伸ばし、『厳島神社』『大聖院』を見学した後で『もみじ谷』で安芸の紅葉を楽しむ。 『世界遺産航路』で『
アナゴ飯弁当』をついばみながら広島湾、川の街広島を満喫する。 ここで一旦解散。 希望者は17日午前中に『平和公園』
『平和資料館』を探訪し平和について考える。                                   ・

 

このお店は私が贔屓にしているというか、むしろお世話になっている『ロン』という若い女性のお店です。 このお店を貸し切
りました。 先ずは江田島の『牡蠣』、地御前産と並ぶブランド牡蠣です。 今年は粒が小さいと言いながら、ぷりぷりしてい
てとてもいい牡蠣でした。 それから『がんす』を召し上がっていただきました。 『がんす』とは何だ?とお思いでしょう。

まず『がんす』という言葉ですが、これは広島の古い方言です。 そうですね、「ございます。」ということでしょうか、私が
広島に出てきたころ、50年近く前のことになりますが、広島駅周辺にあった荒神市場の中ではこの言葉が頻繁に使われていま
した。 例えば「よろしゅうございます。」を「よがんす。」というような使いでした。 今では代替わりとともに殆ど死語に
なっています。 どちらかというと漁港のような少々荒っぽい地域の言葉だったかも知れません。            ・

『がんす』という食べ物は魚のすり身を揚げたものです。 サイズと形状は蒲鉾の板くらい。 魚のすり身ですから味は油と相
俟って絶品です。 広島駅の土産物売り場では揚げたての『がんす』が売られています。 それはともかく、皆さんには広島な
らではの食材を心行くまで堪能していただきました。 飲み喰い語り、時を忘れた語らいはアッという間に過ぎ去って、最後に
焼き上がった本命のお好み焼きは各人4分の1づつがやっとという始末でした。 こうして・・・            ・


 

私としては、広島の魅力を存分に楽しんで頂けたと思っています。 皆さんも、「今までは大鳥居と厳島神社を見てさっさと引
きあげていた。 こんなに見応えのある宮島を初めて知った。 お好み焼きも期待通り美味しかったし、クルージングも素晴ら
しかった。 思い出深い楽しい集いだった。 ご苦労に感謝する。」と言い残されました。 そして私たちはまだまだやれる。
来年は香川に集まることを決めて一旦は全国各地に戻っていきました。                        ・






























11月12〜13日



ボランティア・ガイドが終わりました

今回はとても厳しいご案内でした。 体調不良ですね。 尾籠な話しで申し訳ありません。 たぶん8日からだったろうと思う
のですが、長く下痢が止まりませんでした。 少し風邪気味だったものですから「その精かなぁ。」と思い、常備薬の葛根湯と
胃薬を飲んで様子をみましたが、全く効果がありませんでした。 熱はなく、腹痛もないのですが、体中がだるく、つい横にな
りたいという衝動に襲われ続けました。 そしてアッ!というまに便意が切迫しトイレに走り込みました。 まぁその内に・・
・という期待に反してその後もおさまる様子はありません。 そうではあってもお受けした以上はご案内の責任があります。・
約束は守らなければと頑張った辛い旅路でした。                                  ・

今回のお客様はイングランドから。 イングランド北部のほゞスコットランドに近い町からお見えになりました。 ご主人はシ
ンガポール系イギリス人65歳、リタイア―ですが以前はサテライト関係の仕事をされていて、海外の多くの技術者と交流され
たそうです。 奥様は62歳の気品あふれるイギリス淑女でした。 お2人はニューキャッスル大学で知り合いご主人がイギリ
スに帰化されたそうです。 馴れ初めは奥様の一目惚れだったそうですよ。 そういう冗談も結構交わします。      ・

成田に降り立ち、東京→金沢→高山→京都→奈良、そして高野山の宿坊から12日の昼前に広島に到着されました。 予定時間
に約束の新幹線改札口で待っていると、あらぬ方向からお2人とお見受けするカップルが現れました。 「少し早い電車に乗れ
たので、もう荷物をコインロッカーに預けておいた。」とおっしゃいます。 それならばと早速『縮景園』に向けて出発しまし
た。 もちろん念のためにお目にかかる直前に駅中のトイレで用便を済ませておきました。 広島市内には利用可能なトイレが
あちこちにありますからまぁ安心です。 常時ルート上のトイレの位置をイメージしながら歩きました。         ・

時間をかけて『縮景園』をご覧いただいた後で市内電車で『お好み村』に向かいました。 この人達は金沢で代表格の『兼六園
』をご覧になっていましたので、それほどメジャーでない『縮景園』は見劣りするだろうと思っていましたが、また違った魅力
を発見され、色付き始めた紅葉や『たくえい池』に浮かぶ小島、ゆったり泳ぐ鯉などをゆっくり楽しんでおられました。 また
私の説明も熱心に聞いていただけました。                                     ・

 

お好み村では、まず1つのビルの3フロワーに林立する24軒の小さな『お好み焼き店』に驚かれました。 そしてシーフード
てんこ盛りの『お好み焼き』を楽しまれました。 大抵の女性は大体3分の1くらいを食べ残すのですが、よほどお気に入りだ
ったようで奥様も完食、お2人ともなかなかの健啖家のようでした。 そして「今夜は夕食は要らないわ。」と笑っておられま
した。 食事を済ませた後で、「もし私達だけだったらこんな素晴らしい経験をすることは出来なかった。」と感謝の言葉をい
ただきました。                                                 ・

 

『平和公園』はいつも通りのご案内でした。 『爆心地』から『原爆ドーム』、『相生橋』を経て『平和公園』内に入ります。
学生の多さに驚かれ、「今日はウイークデーだから学校ではないのか?」と尋ねられました。 「修学旅行シーズンで、平和学
習を兼ねて広島に来ているんですよ。」と説明したのですが、ちょっとマナーの悪い女学生もいて、日本人としての矜持はない
のか!と恥ずかしく思いました。                                         ・

ボランティアさんがグループを率いて各モニュメントを説明して回っているのに、その説明を聞きもせず携帯電話をいじくりな
がらグループに遅れて付いていく、『平和の鐘』の中に頭を突っ込んで音を聞きながら大笑いしている者がいる。 「君らはこ
こがどういうところか分かっているのか?」とただすと、シャーシャーとして「分かっています。」と悪びれもしない。 「分
かっているならそんなことは出来ないはずだ!」とつい声を荒げてしました。 お客様にはお見せしたくない、若者の情けない
姿でした。 先生もついていて一体何をしているのやら。                              ・

『原爆資料館』に入り、東館で原爆投下のCGをご覧になったあと、本館に移る直前になって「ここから先は私達だけで見て回
る。 ここで別れよう。」と提案がありました。 後で気が付いたのですが、恐らく下痢に苦しんでいる私への心配りだったの
ではないかと思います。 その時はそれと気付かず、それでも早めに解放されて安堵したものです。           ・

翌朝は宮島口駅で落ち合い、注文しておいたお弁当をコンビニで受け取って出発しました。 今日は『弥山登山』→『厳島神社
』→『大聖院』→『千畳閣・五重塔』→『大鳥居』の予定です。 お昼はいつものように頂上の展望台から景色を眺めながら頂
くことにしていました。 天気もいいし、いい眺めになるでしょう。 ケーブルカー終点の『獅子岩駅』から先は頂上までトイ
レがありません。 最悪に備えて大人用おむつを履き、濡れティッシュも準備しておきました。             ・

さて出発、と数歩歩いたところでいきなり便意に襲われました。 「腹痛です。 トイレに行きますから少し待ってください。
」と駅のトイレに飛び込みました。 こういう時に限って先客がいるものです。 「早うしてゃ!」 やっと出し切って、これ
で暫くは大丈夫でしょう。 ところが戻ってみると彼らが言います。 「私たちは脚を痛めているので、頂上までは少し無理な
ようです。 『獅子岩展望台』からの眺めもいいようですから、ここから下界を眺めましょう。」と地図を眺めながらおっしゃ
います。 「そうか、この人達は昨日の『原爆資料館』といい、私の体調不良に気付いて心配りをして下さっていたんだなぁ。
」と遅ればせながらそれと気付いた次第でした。                                  ・

お昼は『獅子岩展望台』のベンチで食べることにしました。 今日は3種のご飯を準備しました。 『白ご飯』、『まぜご飯』
『赤飯』、私は『白ご飯』、彼らには『まぜご飯』と『赤飯』をシェアして召し上がっていただきました。 「ロンドンの弁当
より綺麗だし美味しい。」と言いながら召し上がっていました。 ここからの多島美は弥山頂上と比べても遜色ありません。・


 

弁当を頂きながら彼らの2人の娘さんの写真を拝見しました。 多島美の劣らず綺麗なお嬢さんたちだったので、「この人達、
どうしてこんなに美人なんだろう?」と呟くと、「そりゃぁ私たちの子供ですから!」と言って大笑いをしました。 こういう
軽口が通じ合えると会話も随分楽です。                                      ・

ベストシーズンとあって『厳島神社』は大変な人出、外国の観光客と修学旅行(高校生)に圧倒されました。 神社の説明は『
祓い殿』と『高舞台』の間がいいようです。 ここに立つと神社の全体の構成がとても説明しやすくなります。 左右対称を基
本とする寝殿造りの建築様式を難なく理解して頂けたと思います。                          ・

『大聖院』は例によって『五百羅漢』→『戒壇めぐり』→『摩尼殿二階』のみをご案内しました。 見るべきポイントはこの3
か所に限られます。 『五百羅漢像』は私たちにとっては平凡なものですが、外国の方は一様に驚かれます。 『戒壇巡り』は
以前『清水寺』で見たという方がおられましたが、やはりここならではのものではないかと思います。 漆黒の闇に入った途端
奥様が尻込みされたのですが、時に背中を押して激励しながら巡っていただきました。 「時々入ったまま出てこない人がいる
ようですよ。」という冗談は今回は流石に使えませんでした。                            ・

別れ際に沢山のお土産を頂きました。 『ナプキン』『チョコレート』『サブレ』、ロンドンのお菓子は甘すぎることもなく、
何だかお国柄が感じられます。 感謝の気持ちが伝わる品々でした。 私も返礼に数種類の『もみじ饅頭』を用意しました。・
電車の中ででも召し上がってください。                                      ・

さてその後のことです。 1日空けて15日から、これは私の古い友達ですが、12名が広島に集い旧交を温めます。 その間
広島、宮島を3日間にわたってご案内することになります。 幹事役ですね。 そこで14日に病院にいきました。 下痢のこ
とを話すと、「牡蠣とか、そんなものを食べましたか?」と聞きます。 「その覚えはありません。」と答えたのですが、「細
菌です。 治療方法は1つです。 抗生剤と整腸剤を出しておきますから飲み切って下さい。 もしよくならないようならもう
一度来なさい。」 ミラクルでした。 帰宅してすぐに服薬すると、10分後には腹具合がすっかり良くなってしまいました。
そして15日からのご案内をルンルンで過ごしたとサ。                               ・
































10月26.27、29日



ボランティア・ガイドが終わりました

かなり多忙で、なかなか書けない日が続いています。 ボランティア・ガイドもそうですが、ギターの練習も相当負担になって
います。 来月の発表会に向けてアンサンブルが3曲、ソロが2曲、加えて音楽理論等々。 どうやら「あいつ大丈夫なんだろ
うか?」と心配して下さっている向きもあったりして。 ご免なさい。                        ・


でも大丈夫、何とかやっています。 「私もなかなか元気なもんだ。」とそんなことを呟きながら。 今回はフランス・アビニ
ヨンからお越しになった72歳の男性のご案内でした。 予定を立てる段階で先方の強いご希望で26日、27日、29日と3
日間のご案内となりました。 初日が広島、2日目が宮島、1日空けて最終日が尾道でした。 そしてこの3日間で56000
歩、37kmを歩いていました。 しかも2日目は弥山にも登りましたが、それでもさして疲れを感じない訳でして、「私の歳
にしては、まぁよくやるなぁ。」なんて自画自賛しているところです。                        ・

この人からは早々と5月に依頼を受けていたのですが、その時点ではご夫婦でお見えになることになっていました。 ところが
初日のことです。 ホテルのロビーにはご主人が1人で座っておられました。 「奥様は?」とお尋ねすると、「ダンスの最中
にくるぶしを骨折していまベッドの上だ。」といいます。                              ・

ここで混乱が起こりました。 初めてお目にかかった時には相手の発音に慣れるまでの間、時に混乱することがあります。 話
の内容から、「そうか車椅子か何かで一応日本まで来られて、今日は1日ホテルで休養されるんだな。」と早とちりしてしまい
ました。 それにしては「今日は広島に1泊し、明日は宮島に宿を取った。」といいますから、「奥さん大丈夫なんだろうか?
」と心配していました。                                             ・

26日は広島。 9時30分にホテルのロビーでお目にかかると傘を持ってお待ちでした。 空は文句なく晴れているし、天気
予報もそんなに悪くない。 「まぁ、傘は要らんでしょう。」とロビーに預けて頂いて出発しました。 広島駅で明日の宮島行
の乗り場をお教えし、縮景園に向かいました。 とても話し好きなお方で、道すがら、まず「アビニヨンを知っているか?」と
聞いてきます。 『アビニヨンの橋で踊るよ、踊るよ・・・』 このメロディーを口ずさんで説明を始めました。     ・

「今は退職してアビニヨンの田舎に移り住んでいる。 その前はパリでアパレルの仕事をしていて、いい商売をしたよ。 特に
日本の女性が沢山買ってくれて随分儲けさせて貰ったが、最初はサイズが合わないのには苦労したよ。 田舎は土地が安いので
平屋の家を建てて広い庭も造ったよ。 出発する前には銀杏の葉が黄色く色づいていたが、日本はまだみたいだな。 それに広
いラベンダー畑も持っている。」と写真を見せながら説明が続きます。                        ・

縮景園では鯉に無造作に餌をやり、樹齢200年の『被ばく樹木』の銀杏を眺め、もみじの紅葉が始まっていないのに落胆し・
それでも庭園の全景に感動し、最後にコーヒーを喫して広島城に向かいました。 今日は『フードフェスティバル』で、内堀の
外周にはズラリと出店が並び、夥しい人が押し合っていて、とてもゆっくりと見学できるような状態ではありませんでした。・
それでも、古式ゆかしい出で立ちの鉄砲隊が放つ『火縄銃』の轟音を珍しそうに眺めていました。 菊花展も催されていました
が、こちらには余り興味がなかったようです。 ただ、11月1日だったと思うのですが、「オールセイントデーには先祖の墓
に菊を手向ける。」といっていました。 こうした会話の中から相手国の文化に触れるのも有意義なことです。      ・

お昼はもちろん『お好み焼き』です。 『お好み村』で、エレベーターの扉が開くと込み合った『お好み焼き店』群に目を見張
り、「これらの店はそれぞれで味が違うのか?」と興味深そうに尋ねていました。 そして牡蠣のトッピングをオーダーし、珍
しそうに焼き上がりを待って無言で平らげていました。                               ・

さてこれから平和公園。 お好み村を出ると何と何と西の空が真っ黒になっていました。 あれだけ晴れていたのに、お昼を食
べている間にすっかり空模様が変わっていました。 やがてポツリポツリ! 原爆ドームを見終わった頃から急に雨脚が強くな
ってその内土砂降りに。 傘を置いてきたことを後悔しました。 実はカバンの中にはほんの小さなな折り畳み傘が入っていた
のですが、2人が入るにはあまりにも小さすぎます。 急いで『平和の鐘』の屋根の下に走り込みました。 ただ、西の空はも
う明るくなり始めていたので「あと15分待ってください。」と言って被爆時の惨状などを話しながら雨宿りをしました。 ・

予想通り、15分後にはすっかり小やみになり、そろそろと動き出したのですが、原爆ドームの無残さや、被爆の実相に相当シ
ョックを受けたらしく、それ以降は殆どのモニュメントをパスしてしまいました。 取り合えず資料館にも入ったのですが、原
爆投下のCGを見ただけですぐに資料館を後にしました。 悲惨だったドイツ軍のフランス侵攻をイメージしたのかも知れませ
ん。                                                      ・

翌日27日は宮島口駅で待ち合わせました。 1便遅れてやってきた彼は、「何か事故があって予定の電車は3番線に変更にな
っていた。 急いで1番線から駆けつけたが間に合わなかった。」と笑っていました。 私の説明もそこまでは想定していませ
んでした。 それから駅前のコンビニでお弁当を買い、フェリー乗り場に向かいました。 お弁当は前もって予約しておきまし
た。 これも今ではお定まりのコースになりつつあります。 お弁当は外国の方にはとても喜ばれますね。        ・

少し霞んでいましたが、ロープウェーからの景色を眺めていただき、獅子岩から頂上を目指しました。 平素から相当歩かれて
いるようで、さほど休むことなく付いてこられましたが、「いつもはほぼ平地を歩くので坂道はやはり厳しい。」と言っておら
れました。 頂上では暫く景色を楽しんで頂いて、それからベンチに座ってお弁当を頂きました。 霞はかなり晴れてきていま
した。                                                     ・

 

下って予定通り厳島神社、大聖院をご案内しました。 かなり熱心に説明を聞いていただけましたね。 翌28日は案内なしで
彼自身で宮島を散策される予定です。 千畳閣や大鳥居はパスし、彼の提案で濃いコーヒーを飲むことにしました。 商店街の
専門店にご案内すると気が変わったらしくソフトクリームをオーダーしていました。 私はエスプレッソ。        ・

そして港近くの宿にご案内しました。 でも奥様はいません。 迂闊にもここでやっと気が付きました。 「そうか、今回は彼
の一人旅なんだ。」 全くもって迂闊なことでした。 明日はまた広島に戻り、広島に連泊して30日には京都経由で成田から
パリに向かわれます。 今日はここでお別れしました。                               ・

1日おいて29日は尾道でした。 朝9時に広島駅で落ち合い、ローカル線に乗って尾道に向かいました。 「新幹線じゃない
の?」といぶかる向きもありますが、便にもよりますがローカル線だと約90分、新幹線だと早いもので50分、悪くするとロ
ーカル線と変わりなしということもあります。 それに片道2000円の価格差が大きいです。 もちろん交通費は先様持ちで
はあるのですが、JR PASSを持っていない彼の分も合わせると往復8000円の価格差は彼にとっても無視できないでし
ょう。 そんなことへの気配りでした。                                      ・

とはいえ、この片道90分の時間の過ごし方がちょっと大変なのです。 相手が何を話し始めるか、いつも構えておかなければ
なりません。 どんな話題であっても適当に受け流すと言いうほどには私の語学力は立派ではないのです。 例えば、乗り込ん
で来たサラリーマンの一団をさして、小声で「この中で誰がボスだと思うかね。」と聞かれました。 「彼?」と答えると「何
故そう思うのかね。」と意見を求めてきます。 そして自分の所見を披露しながら更に新たな意見を求めてきたりします。 ま
ぁ暇を持て余すのも困りものですが、常時緊張状態というのも草臥れます。                      ・

尾道の見せ場は頂上からの尾道水道を中心とした展望、千光寺を含む古寺、坂道の町の佇まい、それにあえていえば尾道ラーメ
ンですかね。 ご案内は今回が2度目で、まだまだ研究が十分ではありません。 古寺は数えたところ30くらいあるのですが
古寺巡りというのも外国から来られた方にはどうなんでしょうかね。 今回は頂上の展望台、歩いて坂道を下って千光寺、更に
下って三重の塔、そして禅宗の天寧寺をご案内しました。 仕事の関係で『尾道観光大使』を務めている息子にも訪ねてみたの
ですが、どうももう1つ何か印象的なものが足りないなぁと感じます。                        ・

ロープウェーからの眺め、頂上展望台からのパノラマ、そして奇岩の上に建立された千光寺、尾道の街にしっくりと馴染む古い
三重の塔、天寧寺の五百羅漢像は十分に見る価値がありますし、満足して頂けたものと思います。 しかしここまで脚を延ばし
た以上、それに見合う何かを見付けないと案内するものとして「もう一つ申し訳ないな。」と思う訳です。        ・

お昼の尾道ラーメンは駅の観光案内所で情報収集をしました。 「観光客に人気のラーメン屋ではなくて、地元の人が通う旨い
店はないか?」と尋ねたところ、屋台の頃からやっているという小さな店を紹介してくれました。 商店街に入った辺りの目立
たない間口一間ほどの小さな店でしたが、これが実に美味しい。 極めてシンプル、焼き豚とネギが乗っかっているだけなので
すが、いい出汁をとっているなぁという感じでした。 地元の人はこういう店をよく知ってして、観光客に人気の店を横目にこ
ういう店に通い詰めると聞いています。 彼もとても美味しそうに食い、さらにスープも残さず頂いてました。 そして「お前
は何故スープを残すのか?」と訝ります。 高血圧を持っているんだよ!                       ・

 

こうして、尾道に到着して時間つぶしに海岸通りを散策した後で、少し早いお昼を頂いて千光寺公園を目指しました。 その他
にはちょうど商店街の中間辺りにたった2席だけのオープンカフェがあって、ここのソフトクリーム+エスプレッソの味がとて
もよくて、2人で美味しくいただきました。 こんなところが今回の3日間に及ぶご案内の記録でした。 次回は来月中盤にロ
ンドンから、また終盤にバングラディシュのご婦人を京都にご案内の予定です。                    ・




























10月17日



ボランティア・ガイドが終わりました

今回のお客様はテルアビブ(イスラエル)からお出でになった67歳のご主人と63歳の奥様、なかなか元気なご夫妻でした。
ご主人は『家庭医』、奥様は『マーケティング会社』を経営されているそうです。 気の早い方達で早々と7月には依頼を受け
ていました。 1日で広島、宮島、それに海苔工場が見学したいという依頼でした。                  ・

それは無理ですね。 地理をご存じないので仕方がないとは思いますが、1日で広島、宮島の有名どころをご案内するのがやっ
と、しかも昼食時間が必要ですから精々『厳島神社』と『平和公園・資料館』に限られます。 それでもかなり急ぎ足になりま
す。 10時に広島駅に隣接したホテルでお目にかかり、早速宮島に向かいました。                  ・

大変に残念がっておられたのは工事中の『大鳥居』です。 分かります。 『大鳥居』は大袈裟に言えば「世界中みんなが知っ
ている。」といってもいいくらい超有名です。 私は毎日セルビアやボスニア、それにフィリピンの人達と会話を楽しみますが
広島という地名を知らないとしても、この写真をお見せするとたちどころに理解されます。 ときに工事用のネットを半分くら
いおろしていることもあるのですが、今日はきっちりと覆われていて、ただシルエットのみを見学して頂くことになりました。
何度も残念な気持ちを口にされていましたね。                                   ・

 

それでも『厳島神社』の壮大さ、超自然的な佇まいにはご満足いただけたと思います。 入り口では心と身体をお浄めして頂き
ましたし、本殿では神道マナーでお参りをして頂きました。 神社の建築様式、歴史、『高舞台』での舞楽の奉納、雅楽の演奏
などかなり多くのことを説明しましたが、概ね興味を持って聞いて頂けたようでした。 一般的に余りメジャーではない『勅使
橋』にも興味を示され、説明に熱心に聞き入って頂けました。                            ・

時間がない時は出来るだけ避けたいのですが、今日は少しだけゆとりがあったので商店街を通って港に引き返しました。 道す
がら目ざとく『もみじ饅頭』『わらび餅』『醤油』を見付けていました。 他にも目にとまったものがあったようですが、そこ
は適当にいなしながら港まで戻りました。 修学旅行シーズン、それにワールドカップの影響もあったでしょう、港ではフェリ
ーを待つ長い長い行列ができていました。 外国の人もとても多かったです。                     ・

ユダヤ教国家、ムスリム国家の方々をご案内する時には食事に気を使います。 といっても馴染みのお好み焼き店では心得てく
れていて、宗教さえ言っておけば必ず希望に応えてくれます。 この国の人達はもちろん豚を食べません。 私達からすると『
お好み焼き』と豚は切っても切り離せない素晴らしいコンビネーションなんですがね。 他には鱗のないシーフード、例えば海
老、イカ、牡蠣、蛸などもダメです。 私達には不合理に見えますが、この人達はとても宗教に厳格です。        ・

 

平和公園に入った頃から雨が落ちだしました。 それとともに少し見学に不熱心になったように感じました。 まぁそこは以心
伝心でこちらにはかなり敏感に感じられます。 お客様の『ノリ』がいいとこちらも励みになりますが、こういう状況ではつい
こちらも不熱心になりがちです。 朝方が晴天だったものですから誰も傘を持たなかったのが致命的でした。 以降は大処のモ
ニュメントをそさくさとと回り、雨のない『資料館』にご案内しました。                       ・

『資料館』ではいつものように私は殆ど説明しません。 英語のコメントをご自身で読んで頂きます。 私は時にその場を離れ
水分を摂りながら休憩することもあります。 その時点でもう1万歩は優に歩いていますから流石に疲れます。 こうして雨の
中をタクシーでホテルまでお送りし、ロビーでコーヒーをご馳走になってお別れしました。 時は18時。        。















































9月23日


ボランティア・ガイドが終わりました

21日、22日と2日間にわたってバングラディシュの若いご婦人をご案内しました。 といっても、彼女は日本の某国立大学
の医学生で、研究者として日本の大学で勉強を続けられています。 専門は女性臓器の癌だということでした。 今年で日本で
の勉強を終えて、来年には渡米すると言っていました。 秀才なんでしょうね。 羨ましいことです。          ・

台風17号が接近していて、日を追って状況が悪化していました。 事前の計画では21日の朝『新幹線口』にお迎えして広島
市内をご案内、22日は宮島口駅で出会って『宮島』のご案内の予定でした。 特に宮島では弥山からの眺望を楽しみにされて
いました。 こんな天気ですができれば希望を叶えてあげたい、そう考えながらずっと週間天気予報を注視していましたが、ど
うやら台風の脚が遅く、21日は何とか天気がもちそうです。 もし21日の天気がまずまずだったら21日と22日の予定を
そっくり入れ替えようと思っていました。                                     ・

『新幹線口』にお迎えし、早速予定変更の話を切り出して宮島に向かいました。 曇り空ではありましたが、雨が落ち始める心
配はなさそう、また眺望もそんなに悪くないように見えました。 宮島口までの車中では改めて今日の予定を確認しておきまし
た。 お昼は『新幹線口』で『炙りあなご弁当』を買って行きました。 「学生なので出来るだけ安く。」と宿の予約を依頼さ
れていましたので、気をきかせる積りで前もって安ての弁当を物色しておきましたが、「何か、広島のローカルフードはないか
?」というので、「ならば少し高いがこれはどうか?」とお勧めしたのでした。                    ・

出発が当初の予定から1時間遅れになりましたので、少し忙しい。 でもゆっくりゆっくりと歩いてきます。 少し歩いては振
り返ってみるのですが、その度にやはり遅れてついてきます。 お国でインターンまでやって日本の大学で4年ですから30歳
台前半かなぁ、ならばもう少し早く歩けそうにも思うのですが、これが彼女のペースなんでしょう。 こんな調子で頂上に至り
暫く景色を楽しんだ後でお昼にしました。                                     ・

下って『厳島神社』『大聖院』をご案内しました。 全ての説明をお国のイスラム教やヒンドゥ教と対比しながら熱心に聞いて
いました。 「聞きたいところを漏らさず説明してくれるのでよく理解できたし、有難かった。」と、これは賞賛なんでしよう
かね。 まぁ、気を遣うところもありました。 イスラム教は結構排他的な側面もあります。 本殿ではいつもは一緒に神道マ
ナーでお参りをして頂くのですが、今回はそれとなくパスしました。                         ・

翌22日は『縮景園』『広島城外周』『平和公園・資料館』をご案内しました。 やはり雨でした。 それに風もありました。
台風の影響でしょう。 『縮景園』では彼女にとってとてもラッキーなハプニングがありました。 ちょうど『秋の茶会』が開
かれていて、まさに本格的な『茶会』を経験して頂くことができました。 彼女が『正客』私が『次客』の位置に座ります。 
もちろん彼女は『正客』の役割は知りません。 でもこれは成り行きですから、通常の『正客』としての振る舞いはこういうオ
ープンな茶会では特に求められません。                                      ・

『正客』『次客』は『亭主』が点ててくれたお茶を作法通りにいただきます。 着座の仕方、お菓子の食べ方、茶碗の受け取り
方、頂き方、様々な作法をお教えしながら『お茶』を楽しんでいただきました。 これは通常なかなか出会えない貴重な経験を
して頂いたと思っています。 その様子は私のフェースブックでも紹介しています。 私のフェースブックのアドレスは8月7
日の項で紹介しています。                                            ・

お昼はいつも通りの『お好み村』です。 ただ、『イスラム』の方は豚を食べません。 「豚の入らない『お好み焼き』なんて
」と思ったりするのですが、これは宗教上の制約なので止むをえません。 私はボランティアガイドを始めてからずっとこの店
に通い詰めています。 従って店主はよく心得ていて、「イスラムだよ。」と言っておけばどのようにも対応してくれます。・
有難い存在です。 今回はチーズ焼きにさらに牡蠣をトッピングしていました。                    ・

平和公園は概ね小雨、傘がいるくらいの雨でした。 ここでは1時間余りをかけて主だったモニュメントをご案内します。 原
爆慰霊碑で時の惨状をお話ししている時、特に学徒動員の12〜3歳の子供たちが何千人も犠牲になったとお話しすると、急に
涙ぐんでバッグから紙片を取り出し『千羽鶴』を折り始めました。 そして『千羽鶴』の安置所にそっとお供えして慰霊碑を後
にしました。                                                  ・

感受性のとても強い方なんでしょう。 それ以降はずっと沈んで無口でした。 『原爆資料館』の特に若者や子供の犠牲者の人
となりや遺物の展示を時間をかけて見ていましたが、急に倒れ込むように壁際に座り込んで慟哭し始めました。 こうなるとど
うも手の施しようがありません。 暫く待って、それから手を差し伸べ、「後は見なくていいよ。」と言いながら手を引いて出
口に急ぎました。                                                ・

心配事が1つありました。 いま将に台風が九州西岸に近づこうとしています。 ヘタをすると、どこかで新幹線が足止めにな
るかも知れない。 早く駅に戻って1つでも2つでも早い列車に乗った方がいい。 それで気が急いていました。 今なら1時
間くらい早い列車に乘ることができそうです。 それで『みどりの窓口』に並んだのですが、彼女はそれを希望されませんでし
た。 予定通りでいいといいます。                                        ・

そして私に夕食のお弁当を買って、改札口で熱い熱いハグを交わしてお別れしました。 到着予定時間になって「無事到着しま
したか?」とメールを送ったところ、「いま某駅で止まっています。 すっかり疲れています。」と返信がありました。 翌朝
になって、「深夜に帰宅しました。 アドバイスに従えばよかった。」とメールがありました。             ・

今回はこんなご案内でした。 少しうぬぼれて言えば、今までのどんなガイドよりいい出来だったと思います。 後日、「京都
の案内を引き受けてくれないか?」と連絡がありました。 「京都にも同じようなボランティアガイドがいますよ。 しかも若
い大学生が多い。」とお話ししましたが、それでも私の案内がいいのだそうです。 少し出費がかさみますが、まぁいいか。・























9月 9日



ボランティア・ガイドが終わりました

前もってのメールのやり取りで聞き忘れていたことがありました。 こともあろうにこの人達の国籍を確認していなかったので
す。 それで宮島口駅の改札口でお目にかかって、最初に「どちらのお国から?」とお尋ねすることになってしまいました。・
奥様が「ドイツからです。」と答えます。 するとご主人が身体を寄せてきて、「私の父がギリシャから移民したんだ。 彼女
の親もスロベニアからの移民だよ」といいます。 確かに顔つきがどうもそのように見えました。 奥様の髪はブラウンがかっ
たシルバーでとても素敵でした。                                         ・

最初のメールで「宮島の神社はいま工事中だと聞いた。 従って広島だけの案内にしてくれ。」と言ってきました。 こういう
風評が広がったら困ります。 「いやいやそれは違います。 確かに『大鳥居は修復工事中ですし、一番の観光名所ではありま
すが、宮島や厳島神社の見どころはそればかりではありません。 これは見逃すべきではないです。 必ず満足させてご覧に入
れます。」と返信して、強行スケジュールにはなりますが、1日で広島と宮島をご案内することになりました。      ・

ただ、前日8日の午後3時頃に広島に到着し、お2人で『原爆資料館』の見学を済ませてもらっていたので時間的にはかなり余
裕が持てました。 9日は9時に宮島口駅で待ち合わせることにしていました。 1番線のプラットフォームから岩国行に乗る
こと、宮島口駅まではちょうど30分、9番目の駅であること、途中7番目に似たような名前の駅があるので車内放送に注意す
ること、クリーム色のパンツと帽子、白系のストライプのシャツ、それに黒のショルダーバッグを持って待っていること、こん
なことを入念に打ち合わせておきましたので、予定通りに宮島口駅で出会い宮島に向かいました。            ・

かなり暑かったですが、とてもよい空模様で、空気もよく澄んでいましたので、宮島の景色にいきなり圧倒されたようです。・
フェリーボートの中をカメラを抱えて動き回ろうとしていましたので、「ここにお止まり下さい。 5分後に素晴らしい景色が
待っていますよ。」と2階右舷デッキに止まっていただきました。 山容が神様の顔の形をしていることから宮島が神の島であ
ると信じられていたこと、山腹は全て自然林で人の手が入っていないこと、山頂に登れば素晴らしいパノラマが展開されている
こと、島の14%が『厳島神社』とともに世界遺産に登録されていること、こんな説明をしながら入島しました。     ・

大鳥居を見ていただき、お浄めをして頂いて厳島神社に入りました。 左に客人神社、右手に升形を見ながら長い東回廊を巡り
本殿に至った時、丁度結婚式が始まるところでした。 先ずはこれを見て頂きましょう。 外国の方にとっては古式ゆかしい日
本の神前結婚式はなによりの驚きであり、興味津々です。 奥様は多くの人をかき分けるようにカメラを構えていました。 ご
主人はむしろ雅楽の響に興味を持ったようで、「古典的なオーケストラですよ。」と説明するとしきりと頷いておられました。

奥様は更に記念撮影を追います。 客人神社を背景にした親族の記念撮影が定番ですが、向かいの舞台を右左に走りながらカメ
ラを向けていました。 こうなると説明どころではありません。 納得するまでやって頂きましょう。 それから一通り神社の
施設や歴史を説明し、お神酒の酒樽、天神社、能舞台、勅使橋を経て厳島神社を後にしました。             ・

大聖院の見どころは参道脇の『五百羅漢』、観音堂地下の『戒壇巡り』、摩尼殿2階からの『絶景』です。 これには感動され
ます。 他に勅願道場、大師堂、遍照窟などもありますが、総じて余り興味を示されませんし、限られた時間でもありますから
大体スキップしています。                                            ・

 

こうして宮島を離れるとき「どうでしたか?」とお尋ねする訳ですが、「私達だけではこれだけ感動的な経験をすることは出来
なかった。 あなたに案内して貰ってよかった。」と大いに感謝されました。 宮島を離れるフェリーの中で「神社が工事中と
聞いているので、宮島に行っても意味がないと思う。」という彼らのことを前もって記事にしていた私のフェースブックをお見
せして、みんなで大笑いをしました。                                       ・

広島に戻り、例によって『お好み村』で『お好み焼き』を堪能していただきました。 いやはや全く堪能していましたね。 ア
メリカの方には魚介類が苦手な方が多いようですが、ヨーロッパの方は総じてお好きです。 奥様はエビ、イカ、ご主人はチー
ズ焼きに牡蠣をトッピングしていました。 とてもマナーがいい方達で、お好み焼きの店主も「いい方達ですね。」と褒めてい
ました。                                                    ・

 

平和公園内では主だったモニュメントを巡り、夫々が意味するもの、被爆者が伝えたい事などをお話しします。 全てを話し終
えたとき、「広島城はどうなのだろう?」と訊ねられました。 「ホテルへの帰り道にご案内できます。 天守閣が見どころで
すが、内部は展示場ですし、建物もコンクリートですからさほどの価値はありません。 ただ、内堀に映る天守閣は絶景ですか
らそちらをご案内しましょう。」とタクシーに一時停止をお願いし、天守閣を背景に記念写真を撮って頂きました。 それから
ホテルまでお送りし今日のかなりハードなご案内を終えました。                           ・
































8月23日


『ボランティア・ガイド』が終わりました

「暑さも峠を越えたかな。」と思っていましたが、なかなか暑い中でのご案内でした。 今回のお客様はカナダからお見えにな
ったご夫妻で、ご主人は50歳の中国系カナダ人、奥様は47歳のタイ系カナダ人でした。 ご主人は大学教授で、放射線治療
が専門、奥様は腎臓専門の看護師です。 ご主人は移民の子孫で、綺麗な発音で話されますし、とても穏やかな方で、気遣いも
素晴らしく、一般的によく見られる中国人の気質の片りんさえも全く見えませんでした。                ・

8時半に広島着、20時前の離広のスケジュールと聞いていましたので、この時間内での最大限のスケジュールを提案し了承し
ていただきました。 少し変則ですが、新幹線からすぐにローカル線に乗り換えて宮島口まで来ていただく→私は宮島口駅で待
つ→宮島に渡り、『大鳥居』を見て頂いた後で『厳島神社』、それから『大聖院』、そしてすぐに広島に引き返す→昼食の後タ
クシーで『縮景園』、更にタクシーで『平和公園』に向かう。 『平和公園』内のモニュメントを解説しながら巡りった後で『
資料館』へご案内し、ここではご自身で見て感じて頂く→『平和公園』近くのレストランにご案内し、夕食後広島駅にお見送り
する。                                                     ・

『大鳥居』が修繕工事中で、防護ネット越しのシルエットのみ、実際の姿をご覧いただけなかったのは残念でしたが、『厳島神
社』、『大聖院』とも十分に堪能して頂けました。 特に海上に建築された『厳島神社』の壮大さ、更に『大聖院・摩尼殿』2
階からの景観には『火灯窓』を開け放った途端に驚きの声をあげ、wow! very niceと繰り返しておられました。

 

広島では『お好み焼き』は欠かせません。 皆さん『お好み村』での食事を楽しまれます。 特に目の前で焼き上げていく巧み
の技には興味津々です。 またトッピングも様々楽しまれます。 今回は『ホルモン』と『牡蠣』をそれぞれトッピングしてお
られました。 そしてnice choicとお褒めをいただいたりしました。                    ・

 

『縮景園』の中盤から雨が落ち始め、やがて土砂降りになりました。 たちまちズボンの裾がぐっしょり濡れました。 やはり
雨は厄介です。 資料を取り出そうにも片手に傘、雨を避けながら資料を示すのも大変です。 ただ、『平和公園』に入った頃
には少し小やみになり、『資料館』に向かう頃にはほぼ上がっていました。 このところ落ち着きのない天候が続いています。

『資料館』では私は説明をしません。 夥しい展示品ですし、それぞれを解説するスキルもありません。 そこでいつも「あな
た方ご自身で見て、そして感じてください。」とお願いし後をついて回るか、或はエントランス・ホールに座って見学が終わる
のを待つようにしています。 まぁ、この辺りになると流石に体力の限界も感じます。                 ・

ご主人は仕事柄放射線に強い関心をお持ちで、あらかじめ「『爆心地』と『原爆ドーム』で少し時間を取って欲しい。 お祈り
を捧げたいんだ。」と依頼がありました。 そして暫くの間佇んで静かに祈りを捧げておられるようでした。 全ての見学が終
わって平和公園近くの『小料理店』にご案内しました。 できれば広島特産の料理を食べて頂きたいと、『牡蠣の天婦羅』『小
鰯の刺身』『小鰯の天婦羅』『アナゴの照り焼き』『しじみ汁』『牡蠣ご飯』をお勧めしました。 それに日本酒の『甘口』『
辛口』です。                                                  ・

「これは何だ?」と『粉山椒』を『アナゴの照り焼き』に振りかけて「これは美味しい。」と食べていましたし、器用に『シジ
ミ』の身もほじくり出していました。 『日本酒』は初めての経験のようでしたが、「余り飲めないんだ。」と言いながら美味
しそうに舐めていました。 そしてここでもnice choiceとお褒めを頂きました。 そして電車で広島駅までお送り
して今日のご案内を終えました。                                         ・










































8月 7日

『酔芙蓉』が咲きました

人類がこれほど自然界をズタズタにしているというのに、自然界の営みは健気にというか、頑なにというか、営々として営まれ
ているように見えます。 いつまで続くか、人類が先か自然界が先か、どうなんでしょうね。 ということで、今年もベランダ
の『酔芙蓉』が例年通りに花開きました。                                     ・

初春、まだ芽が動き出す前に『鉢増し』をしてやりましたし、培養土に発酵酵素を混ぜこんでやりましたので、3鉢とも極めて
勢いよく育ちました。 随分前のことになりますが、挿し木から3年目の『酔芙蓉』を差し上げた方が「大きく育ったので、梯
子でもかけなければ花見ができない。」と冗談を言っていましたが、まさにそのようです。               ・


 

 

 

今年も色の変化の具合を写真に撮りましたので、お楽しみください。 なお、今年は私の『フェースブック』にも同じ写真を載
せています。 合わせてご覧になってください。 アドレスは『Masato Takahashi』、カバー写真は下のもの
です。                                                     ・

 




























8月 4日



山口ギターコンクール

下関生涯学習プラザで『山口ギターコンクール』がありました。 今年が47回目ですから相当に歴史のあるコンクールです。
孫はこのコンクール小学生部門で一昨年銀賞、昨年金賞を頂いて、今年は中級部門にエントリーしました。 中級部門というの
は最上位グランプリ部門の下のクラスで対象はフリーです。 つまり孫のように中学生もいれば大学生、一般、シニアまで様々
の年齢の方がチャレンジしてきます。                                       ・

このクラスに今年は15人の参加がありました。 出身地も様々で、福岡、大分、地元山口の他に、千葉、大阪、広島からの参
加もありました。 中級部門では『課題曲』と『自由曲』の2曲を演奏します。 『課題曲』はソル:No.1アンダンティー
ノ、自由曲は指定された8曲から選択します。 孫はバッハ:前奏曲ニ長調〜チェロ組曲No.1を演奏しました。 他には『
禁じられた遊び』も含まれていました。 超有名曲でイージーな感じもしますが、それだけ奥が深いということでしょう。 ・

次回にはグランプリ部門を目指しているクラスですから相当にレベルが高いです。 孫は2番目に演奏しました。 前回、七夕
にチェロ教室の発表会で演奏させて頂いてから1か月、この間の上達には驚くものがありました。 『上手い』ということを通
り越えて、聴衆を魅了する演奏を披露しました。 聴いていてウルッ!とくる程のいい演奏でした。(ジジバカの面も多少はあ
るでしょう。) 外野でもひとしきり噂になったようです。                             ・

全てを聴き終えて、若い演奏者の中には高いスキルを持っている方も多くおられましたが、表現力では孫が他を凌駕していると
確信しました。 そしてグランプリ部門の演奏が終わった後の表彰式で、孫が『中級部門』の優勝者としてコールされました。


   

さてこれで『中級部門』を卒業し、来年からは『グランプリ部門』にチャレンジすることになります。 先生からも既に引導を
渡されているようでした。 『グランプリ部門』は流石にレベルが高いです。 優勝は固いと思われていた音大大学院生が天才
少女に敗れたりしました。 このような中で、また東京や大阪などの全国区のコンクールの中で孫がこれからどのように戦って
いくのか、「あの娘なら必ずやる。」そういう自負を持って期待し、応援していきたいと思います。           ・


































7月29日



で『寝ござ』の寝心地は

昨夕、早速デパートに行ってみました。 通販の方が安かったし、岡山県産があったものですからそちらを検討していましたが
『在庫なし』でしたのでデパートで買うことにしました。 「一刻も猶予がならぬ。」状態でしたので。 それでお値段はとい
うと、定価が12,000円。 予想以上のお値段でした。                             ・

「熊本県産は『イ草』のサイズが長いので仕上がりが綺麗です。」といいます。 「この『寝ござ』をベッドで使っても問題な
いか?」と尋ねたところ、「私もベッドで使っています。 全く問題ありません。」という返事でしたので即決しました。 よ
く目が詰まっていて、触り心地もいい。 流石値段だけのことはあるなぁと思いました。                ・

早速寝心地を試してみました。 ベッドが柔らかいだけにゴワゴワとした感じは否めません。 昨夜はもちろんエアコンなし、
扇風機も使わず窓から入る風を頼りに眠りにつきましたが、寝つきもよく、朝までぐっすりと眠れました。 汗の量もそんなに
多くなかったかなと思います。 これは暑い夏の夜を乗り切るアイテムになりそう。 そういう予感がします。      ・

ただ、ゴワゴワしますし、一夜使った後はかなり皺になっていました。 まぁ『見る影もない』というほどではなくとも、かな
り無残な姿になっていました。 店員が言う「全く問題はありません。」のレベルがどの程度のものか、そこは分かりませんが
「まぁ致し方ないレベルかなぁ。」と思いました。                                 ・

一夜だけの評価ですべてを論じることは出来ませんから、取り敢えず一夏使ってみて、改めて(機会があれば)状況を報告した
いと思います。 さてひと風呂浴びて眠るかな。 熱帯夜が続く中、今夜もぐっすり眠れますように。 頼むぜ『寝ござ』 ・


















































7月27日



ホトホト参っています。

梅雨明けに先んじて私の『梅雨の病』は劇的に消え去りました。 そして梅雨明けの長雨も終わりましたので、昨日は久しぶり
にウオーキングに出掛けました。 暑くなる前にとさっさと雑用を済ませて午前中に出発しました。 久し振りでしたが、結構
ルンルンで歩けましたので、心積もりを遥かに超えて18000歩、10km余りを歩きました。 かなりの山坂を歩いたので
すが、それほど疲れるということもありませんでした。                               ・

夏にそんなに弱い方ではないので、こんな調子で涼しい内に歩き、1月余りの夕凪にさえ耐えれば何とかこの夏も乗り越えられ
るだろう。 そう思っていましたが、いきなりカウンターブローを喰らいました。 明け方の高温です。 4時過ぎにびっしょ
りと寝汗をかいて目を覚ましました。 何と暑い。 起き上がって台所で水を飲み、温度計を確かめてみたところ32度、熱帯
夜も熱帯夜、昼間の温度から殆ど下がっていません。 おまけに風も全く動かない。                  ・

これには全く参りました。 もうそれ以降は眠れず、睡眠不足もいいところです。 「それならエアコンを使えばいいじゃぁな
いか。」という声が聞えます。 皆さんそうおっしゃいます。 でも私はエアコンが大の苦手なのです。 エアコンの風で背中
や脚の筋肉がしまりとてもだるくなるし、引き金となって『ガラスの腰』にも堪えます。 ほんの少しでいい。 せめて定時ま
で安眠させてほしい。                                              ・

そこで思い付いたのが『寝ござ』です。 これをシーツ替わりに使えば少しは快適に眠れるのではないか? そこで早速ホーム
センターを覗いてみました。 ありました。 シングルサイズのものが800円程度。 しかし若い頃を『イ草』の産地で過ご
した私にはあまりにも粗末にみえました。 私の故郷の『イ草』産業は安い中国製品に押されて壊滅状態になっています。 し
かし今でも岡山の『高級イ草』は残っているはず。                                 ・

探していたらありました。 大阪に本社がある某店に『岡山産イ草』を使った畳表がありました。 その会社のwebを見てい
たらこんなフレーズがありました。 「安物の『寝ござ』を使って後悔を繰り返していませんか?」 やはりそうなんだ! そ
こで心配事について問い合わせてみました。 「柔らかいベッドの上で使っても問題はありませんか?」 すぐに返事があって
「ベッドで使用しても何ら問題はありません。」という返事でした。 それなら試してみる価値はある。         ・

さて、そのお値段です。 やはり日本製は相当高いです。 最安値が5,000円前後、最高値は8,000円を超えます。・
近くのデパートに問い合わせてみましたが、ここでは消費税込みだと10,000円を超えます。 買うんだったら、まず中国
製は買わない。 何か変なものが含まれていて肌荒れでも起こしたらどうしようもない。 ここは出所の知れた日本製の、しか
も上質のものを買うべきだろうと思っています。                                  ・





























7月19日



『管弦祭』が執り行われました

『管弦祭』・・・過去に何度もお話ししました。 ですが、宮島にとっても我が町『地御前』にとっても『管弦祭』は一大イベ
ントですから今年も懲りもせずお話しします。以下にはかなり私見が入っているかと思いますのでそのお積りで。     ・

まず『管弦祭』とは何か・・・『管弦祭』は厳島神社が執り行う神事の1つです。 厳島神社の神事は多岐にわたりますが、そ
の中でも最も大きく最も有名な神事です。 その昔は航海の安全を祈る数百隻もの大船・小舟がこのこの神事に集まったと言わ
れています。 また今でこそただ1日の賑わいですが、往時は数日にわたって『市』が立ったとも言われています。    ・

『祭の日取り』・・・『管弦祭』は毎年旧暦6月17日の大潮に行われます。 台風を避け、しかも満潮が正子にかかる大潮の
日が旧暦6月17日ということです。 予備日はありません。 今年は梅雨の大雨の日に執り行われました。       ・


『管弦祭』の歴史・・・593年に推古天皇の勅許を得て小さな社が三笠が浜(現在地)に建てられました。 厳島神社です。
そして平清盛が安芸の守に任命されると厳島神社は時の豪族、佐伯氏の勧めにより平家の守護神として概ね現在の規模に造営さ
れました。 1164年のことです。 清盛は同時に宮島に沢山の平安文化を招来しました。 『寝殿造り』は時の天皇や高貴
な平安貴族のお住まいでしたが、清盛は厳島神社の造営にこの建築様式を取り入れました。 また、雅楽や舞楽とともに『管弦
の遊び』も招来しました。 これらはいずれも厳島神社の『神事』として取り入れられました。 これが厳島神社の『管弦祭』
の起源です。 余談になりますが、引き船のご奉仕をする阿賀衆、江波衆にはそれに至った逸話があります。 ある時嵐によっ
て『管弦船』が遭難の危機に瀕しました。 この時阿賀と江波の船2艘が危険を顧みず『管弦船』を救援しました。 その功績
によりそれ以降阿賀衆と江波衆が引き船を奉仕することになったと言われています。                  ・

ではその『管弦祭』の神事・・・『厳島神社』の主神『三女神様』をお慰めする神事と言われています。 お正月以降多忙を極
めた『三女神様』を管弦の音とクルージングで慰労するのだそうです。 まず本殿にまします『三女神様』に御鳳輦(お神輿)
にお移り戴きます。 御鳳輦は『発輦祭』を経て、ご奉仕の阿賀衆に担がれて『火焼前』から干潮の浜に下り、歩いて『大鳥居
』を潜り、沖で待機している『御座船=管弦船』に移されます。 管弦船は小舟3艘を1つに纏めた木造船で、神官が管弦を奏
する屋形が設えられ、提灯、高張提灯、船尾のカーテン、かがり火などで美しくアレンジされています。 『三女神様』は管弦
の音に包まれて、ゆるゆるとクルージングを楽しまれながら次々に外宮を巡っていかれます。              ・

 

クルージングの経路・・・御座船は阿賀衆、宇品衆の漕ぐ引き船に引かれて『大鳥居』前で3回廻り、地御前神社に向けて出立
します。 その距離約5km、阿賀衆、江波衆が交代しながら漕ぎ続けます。 途中『火立岩』で潮待ちをし、潮時に合わせて
『地御前神社』前の浜に至ります。 『地御前神社』前には夜市が立ち、多くの人々が『管弦船』をお迎えします。 神社前で
踊りが奉納された後、『管弦船』は神社沖で3回廻されて帰路につきます。 それから『長浜神社』(長浜神社前では数百人の
提灯行列がお迎えします)『大元神社』を経て『大鳥居』を潜り『客神社』の升形に入ります。 そして『御鳳輦』は『火焼前
』からご還御となります。 時刻はmidnightです。                             ・

 

クライマックス・・・厳島神社に行かれた方はご存知と思いますが、入り口から入ってすぐの右側、『客神社』前の『祓い殿』
と回廊に囲まれた方形のスペースが升形です。 『管弦船』はこの升形の中で江波衆に引かれて3回廻ります。 これが最大の
見せ場です。 技術的にも難しいところ。 熟練の技ですね。 それから『火焼前』から神社に上がり、本殿還御となります。
『三女神様』に本殿にお戻り頂いた後で『御鳳輦』トップの鳳凰が抜き取られ、『祓い殿』の周囲に集まった群衆に向けて差し
出されます。 これに触ることができれば1年間の幸運が約束されます。 多くの参拝者が競って手を差し伸べます。 そして
この一大イベントはフィナーレを迎えます。 この時ちょうど満潮、潮は回廊を洗っています。             ・

 

『しゃぶり尽すなら』・・・こんな方法があります。 宮島観光協会が企画する『お供船』に乗るのはどうでしょう。 Aコー
スはフェリーのチャーターで、『大鳥居』前から『火立岩』までお供します。 まだ日のある間のクルージングですから『管弦
船』の優雅な姿や、漕ぎ手の男たちの汗まで見えて臨場感一杯です。 Bコースは『屋形船』でのナイトクルージングです。 
夜8時に桟橋を出発し、『火立岩』から『長浜神社』までをお供します。 かがり火を頼りに月明かりを進む『管弦船』には幽
玄さを感じます。 感動すること請け合いです。 人数に限りがあり、何れのコースにも予約がいります。 予約開始は『管弦
祭』の2か月前からで、情報は『宮島観光協会』のホームページに掲載されます。 Aコース2,500円、Bコース3,00
0円、私は『Mr.Texsan』を案内し、両コースに乗りました。 昼間は『発輦祭』などを眺め、深夜には『升形』での
曲芸3回廻しを見物した後、祓い殿で『御鳳輦』をお迎えし『鳳凰』に触ってホクホクで帰路につく。 こんなんでどうでしょ
うか。 ただしこの時間までしゃぶり尽すと帰りのフェリーがありません。 従って宮島に宿を取ることになります。   ・

























7月17日



『梅雨』が明けました

なんてことをいうと、「あんた、何を言っとるん? 梅雨前線は今まさに日本列島に停滞しているし、あちこちで毎日のように
『大雨警報』『避難情報』が発表されているじゃないか。 天気予報見とるんかね?」なんて言われそう。 その通りです。・
でもこれは何というか、私の『体内時計』のお話しなんです。                            ・

以前にもお話ししたことがありますが、私は毎年自称『梅雨の病』に悩まされます。 これが発症すると、大袈裟でも何でもあ
りません、「今年こそは死ぬんじゃぁないか。」というくらい苦しみます。 頭は重い、体中がだるい、特に脚の重さたるや尋
常ではありません。 歩けばふらつくし、腰を下ろすといつの間にか眠りにおちてしまう。 気分はいつもネガティブ。 しか
も明け方になると決まって脚が攣ります。 これはかなり痛い。 思わず唸ります。 今年は○○○製薬の『芍薬甘草湯』を枕
元に常備し何とか乗り切りました。 余談ですが、これはよく効きますよ。                      ・

従ってこの時期『ウオーキング』に出ようなんて気力は全くありません。 ところがこんな症状下でも、不思議なるかな食欲は
全く落ちません。 しかして『ウエィトコントロール』に全く苦慮しています。 実際今の体重はベストから1kgオーバーに
なっています。 たかが1kgといいますが、お腹がぷっくり膨れ、脇腹にも肉が付いてとても見苦しい体形です。 見なけれ
ばいいんだけれど、それでいてついつい見てしまうんですね。                            ・

そして今日の夕方、ギターを背負ってよたよたと辿りついた教室でレッスンが半分ほど進んだとき、いきなり全て(上記のよう
な)の症状が消え去りました。 まさに一気にです。 「オッ! 明日はルンルンでウォーキングだな。」なんて具合に。 そ
して私の『体内時計』は完璧に『梅雨明け』を察知したのでした。 少し早いですが、実際の梅雨明けも迫っている予感です・
きっと私の『体内時計』の方が気象庁より正確かなと。                               ・

因みに私の『体内時計』の『梅雨入り』はいつ頃かというと、公式の発表よりかなり早いです。 気象庁が右往左往している間
に私の『体内時計』は先んじて『梅雨入り』を宣言しています。 そして約1か月苦しむ訳で、「できればこの間梅雨のない国
か地域で過ごしたい。」と心から願っています。 どうでしょう、こんな症状に悩む人はきっと私だけではないはずで、「どな
たかが梅雨の時期をうまく乗り切る知恵をお持ちなんじゃないか。」なんて思う訳です。 もしいいアイディアがあればシェア
して頂けるとありがたいです。 人助けだと思って。                                ・










































7月15日



『ミニトマト』の収穫をしました

先月末に『ミニトマト』の初収穫、小さなものを数個収穫しました。 そして今日が2回目。 熟れてはいますが、やはりまだ
まだ実太りがよくありません。 最初の収穫の後で『リン酸』とミネラルを多く含む肥料に切り替えたのですが、まだ期待する
ほどの効果は出ていません。 肥料の選択も試行錯誤です。                             ・

 

実は『39堂農園』から沢山の『ミニトマト』を頂いていて、まだ冷蔵庫の中に沢山眠っています。 従ってベランダでの収穫
が遅れ遅れになっていて、中にはパックリと割れた実もみられることから今日の収穫になりました。 余談になりますが、『3
9堂農園』の『ミニトマト』はとても大きいです。 しかも皮が薄く、味もいい。 土壌、日当たり、雨風、あらゆる面でベラ
ンダにはハンディキャップがあります。 それに肥しに関するノウハウも彼にはアドバンテイジがあります。       ・

まぁ、いいんです。 これから暫く朝ごはんのサラダを彩ってくれればそれでいい訳で、そんなに凄いことを期待している訳で
はありませんから。 さて、これからやるべきは、収穫後に不要になった葉(一番元の実の位置から下の葉は残しておく必要が
ない。 むしろ栄養の消費側になる。)の摘みとり、それと追肥です。                        ・

実は、この間少しばかりの収穫はしていましたが、まとめて収穫したのが今日の2回目ということです。 さて、梅雨が明けれ
ば酷暑、30度を超えると受粉せず、ぐっと気温が下がってくるまで収穫は期待できません。 『花は咲けども実は生らぬ。』
って奴です。 去年の夏場も収穫は『0』でした。                                 ・

『39堂さん』は直射日光を避けるため『日覆い』をするようにいっていました。 ベランダに『日覆い』ができるかどうか。
他には受粉を促進する薬品があるようです。 ミニトマトのツルの先端で生成される物質と同じ成分で、厚労省がその安全性を
認めているものだそうです。 少しイージーですが、これも視野に入れておくべきかと思っています。          ・

話しは変わりますが、皆さんは(もし沢山の収穫があれば)ミニトマトをどのように食べておられるのかなぁ? 『39堂さん
』から山のように頂いた時には、サラダやスパゲッティーにはもちろんですが、雑炊やカレーライスにも使います。 でも、も
っとお洒落で美味しく頂けるレシピはないものかとない知恵を絞っているところですが。                ・





























































7月12日


広響定期演奏会

少し疲れていましたし、馴染みのない曲ばかり。 しかもギターの練習も押している、さて「今日はどうするか。」などと迷っ
ていました。 雨の心配はなさそうですが、例の『梅雨の病』の精で頭は鬱陶しいし身体にも芯が入らないみたい。 時間が迫
って、やっと「そうはいっても。」と思い直し出掛けました。 長い道のりです。 4時に家を出たのに、会場に到着したのは
5時半を回っていました。                                            ・

旧『厚生年金会館』、窓口で会員証を提示し座席券を受け取りました。 座席No.は2階4列ー59、S席の比較的いい場所
です。 私は『準定期会員』で、座席は基本的にはA席に限られているのですが、S席に空きがあればそちらに当たることもあ
ります。 今日はラッキーでした。 因みに私はいつも2階席をお願いしています。 1階席では指揮者のお尻ばかり見ている
感じ、また音の広がりは2階に比べてやゝ劣ると思っています。 それと、2階席からは全ての奏者の動きが見えて、1味違っ
た楽しみもあります。                                              ・

今日はお気に入りの美人バイオリニストがトップレフト(コンサート・マスターの指揮者に向かって左隣り=私はこのように呼
んでいます。)に座っていて、ファンとしては誇らしさを感じたのですが、こうしたお気に入りの演奏を見ることができるのも
2階のメリットの1つです。 彼女は「いえいえ、あれはローテーションですから。」と謙遜されますが、あのポジションはコ
ンサート・マスターをサポートし、第1バイオリンのパートをまとめていく重要な役割を担っています。 従ってそれに相応し
い技量の持ち主でなければとても務まらないでしょう。 終始うっとりしながら眺めていました。            ・

さて、今日の演目です。 フォーレ:管弦楽組曲『ペレアスとメリザンド、サンサース:序曲とロンド・カプリチオーソ、ラヴ
ェル:ツィガーヌ、フォローラン・シュミット:バレー音楽『サロメの悲劇』の4曲でした。 2曲目・3曲目はバイオリン・
コンチェルトでソリストはアラベラ・美歩・シュタインバッハさん、そして指揮者は久々に故郷『広響』を指揮する前音楽監督
秋山和慶さんでした。                                              ・

私には余り馴染みのない曲ばかりでしたが、いずれの曲にも十分に満足しました。 特にソリストのアナベラ・美歩さんの恵ま
れた体格を生かした大きく切れのある演奏には魅了させられれました。 ドイツ人の父親と日本人の母親の間に生まれ、9歳の
時に史上最年少でミュンヘン音楽大学の生徒になった天才バイオリニストだそうです。 国籍はドイツだそうですが、使用楽器
は『日本音楽財団』貸与のストラディヴァリウスです。                               ・

深夜に美人バイオリニストにメッセージを送ったところすぐに返信があって、前述のような話になりました。 「あのポジショ
ンはローテーションなんですが、それでもそのように言って頂けてとても嬉しいです。」とありました。 「両側から(コンサ
ートマスターと首席第2バイオリン奏者のことです。)いい音が聴こえてとても幸せでした。」というメッセージを頂いて、私
も幸せな気分で眠りにつきました。                                        ・


























7月11日



勤労統計調査

先日審査会があって『工業統計調査』が終わりました。 程なくして市役所から電話がありました。 「7月中旬から『勤労統
計調査』の『特別調査』があります。 廿日市市の調査員としてあなたを県に推薦したいのですが、よろしいでしょうか?」 
『勤労統計調査』では(東京都で)全数調査のところをサンプリング調査にしていたこと、また統計上のミスから『雇用保険』
や『労災保険』などの支払額が寡少となるなどの問題が生じ、国会でも大きく取り上げられました。           ・

「多分、厄介な調査になるだろうな。」と思いましたが、顔なじみになった市の職員の依頼でもありましたのでOKしました。
今回の調査は従業員1〜4人の小規模事業者を対象にしている『特別調査』で年に1回の調査です。 (因みに従業員5人以上
の事業者は毎月の調査になります。) 年1回の調査といっても、調査区ごとのサンプリング調査ですから、事業者から見れば
5年に1回の調査です。                                             ・

今日県庁で『説明会』がありました。 調査期間は7月中旬から8月中旬です。 一番暑い時期に『調査区』内の全戸を回り、
該当事業者を抽出し、その後『調査票』を作成して具体的な調査に回ります。 調査内容は従業員ごとの『勤続年数』や『給与
』などで、統計結果は『最低賃金』策定の基礎資料などに使われる『基幹統計』の1つです。 『説明会』には30人くらいが
集まっていましたが、「東広島から来ました。」という声を聞きましたので、おそらく県西部の調査員が集まっていたのだろう
と思います。                                                  ・

さて連休明けから作業に掛かろうと思っていますが、それまでにもう一度調査要綱を確認しておかなければいけません。 曖昧
な事柄を残したまま調査に入ると、とんでもない手戻りになってしまいます。 また、『統計ミス』についての厳しい指摘が予
想されます。 指摘事項に適切に答えられなければ最悪協力を拒否されるケースも考えられます。 心して掛からなければ。・

このことに容赦なく、ギターのレッスンも迫っています。 アンサンブル2曲には未だ苦労しています。 若い頃から頭を使う
訓練をしてこなかったのでなかなか楽譜が覚えられません。 不器用なために楽譜が読めても指がちゃんと動いてくれません。
そうではあっても、暫くはこれらを両立させて頑張らなければ。 そんななかで楽しみと言えば、アンサンブルで孫と一緒に演
奏できることかな。 これは確かに励みになっています。 少し本論から外れました。                 ・





















7月 7日



彼女は大物だ。

孫娘が小さなコンサートに出演することになりました。 『海田市駅』近くのイタリアンレストランでチェロ教室のコンサート
があり、来月の『山口ギターコンテスト』を前このコンサートに場慣れのために客演させて頂いたのだろうと思います。 会場
に入ると、何と10数本のチェロが所狭しと並べられていてちょっと壮観でした。                   ・

チェロも底堅い人気があるようですね。 特に一仕事を終えた年代のご婦人が多かったように思います。 チェロの深みのある
音色は確かに魅力的ですね。 ただ澄んだ音が出るようになるまでが一苦労のように感じました。 まぁどの楽器にしてもおな
じようなものです。 私も苦労しています。                                    ・

孫は2部の最初に登場しました。 演奏曲はコンテストの課題曲『ソル:練習曲Op.45−1』と、自由曲『バッハ:無伴奏
チェロ組曲第1番よりプレリュード』でした。 プレリュードはしばしばギターでも演奏される有名曲です。 私が少し遅れて
演奏会場に入った時、孫は一番後ろの席に座っていてニコニコと迎えてくれて特に緊張している様子はありませんでした。 ・

そして第2部、トップバッターが孫です。 こちらはやゝ緊張しましたが、彼女は平素と変わることなく淡々と演奏を始め、練
習曲が終わった後でのチューニングも慣れた手つきで平然とやっていました。 そして自由曲の『プレリュード』もかなり感情
を込めながら弾き切りました。 恐らく皆さん「こんな幼い子が」(13歳)と驚嘆されたのではないかと思います。 『ホー
ッ!』という驚きの声がそこここから上がりました。                                ・

指板の上を自由に指が動き回り、全く力が入っているようには感じられず、澄んだ音のいい演奏でした。 それより何より、終
始落ち着き払って緊張した様子は微塵もなく、終演後は深々と一礼しステージを降りました。 「この子には緊張するというこ
とがないのだろうか。」と大物ぶりに驚愕しながら演奏会場を後にしました。                     ・
















































7月 6日



『黄昏亭』を開店しました。

記述が前後して申し訳ありません。 7月5日に『39堂さん』をお迎えし『黄昏亭』を開店しました。 実は『39堂さん』
には何だかいろいろあって、うまく事が進めば『祝賀会』、そうでなければ『激励会』にすることにしていました。 結果的に
「そりゃぁ、祝賀会じゃろう。」ということになって今日を迎えました。                       ・

今日のメニューは『ちらし寿司』、『鯛の酒蒸し』、それに『コノシロの酢〆』にしました。 『コノシロの酢〆』は『ちらし
寿司』のトッピングに使うので特別に手間を取るものではない。 『ちらし寿司』は、まぁ余り大きな失敗のない料理です。・
材料としては『筍の水煮』『干し椎茸』『牛蒡』『蓮根』『人参』、『あなごの焼き物』『コノシロの酢〆』『さや豌豆』『錦
糸卵』といったところです。                                           ・

心配だったのは『鯛の酒蒸し』です。 行きつけのマーケットに『小鯛』がなく、取り敢えず『レンコ鯛』を準備したのですが
それでも『祝賀会』なんだからと思い、他のマーケットで『小鯛』を物色しました。 おりよくちょうどいいサイズがあったの
ですが、どうも少し活きが悪いように感じました。 まぁもしダメだったら『レンコ鯛』で代用、それでもダメだったら先日下
関の従姉妹から頂いた『鯛・鰆・河豚の粕漬』でいけばいいや。                           ・

『ちらし寿司』は余り複雑な料理ではありませんが手間はかかりますね。 朝から夕方まで何かしらバタバタとやっていた感じ
です。 お米をかしておいて、昆布を出汁にして炊く。 『干し椎茸』を水に浸して出汁をとるとか、時を見計らってコノシロ
に塩をしてそれから酢で〆るとか、『錦糸卵』も慣れていなければなかなか難しいですよ。 こうした作業の全てがベストタイ
ミングで完成に向けて収斂しなければなりません。                                 ・

今回は市販の『ささがき牛蒡』を買いましたので、その部分の手間は助かりました。 牛蒡は今が旬なんですかね、マーケット
には随分立派な牛蒡が2本セットにして並んでいました。 でも一人者には2本は流石に多すぎます。 「1本に小分けしてく
れないかなぁ。」とお願いしましたが、「それじゃぁ、『ささがき牛蒡』の小袋ではどうですか。」と勧められました。 また
『あなごの焼き物』も焼いてあるものをスライスするだけにしました。 ただ、市販品は何だかタレがべったり付いていて、あ
まりお勧めではありません。                                           ・


そして6時に『39堂さん』をお迎えし『祝賀会』をスタートしました。 先ずは『お通し』風に『コノシロの酢〆』、少し塩
の時間が長かったようで硬め、しかも〆る時に昆布を入れ忘れ、お味は少々『?』でしたかね。 それが片付くころに『鯛』が
蒸し上がりました。 少量の塩と酒を振り、ホイルで包んでガスレンジで蒸しました。 活きが心配でしたが十分にレモンを絞
って結構美味しく頂けたと思います。                                       ・


ビールで乾杯し、焼酎に切り替わったころ『ちらし寿司』を酒の肴風に食べて頂きました。上にメインの『ちらし寿司』を紹介
しておきます。
 本来なら日本酒をお供にして頂くところですが、『39堂さん』はどうやら焼酎党のようです。 ロックで『
はつか桜』(以前彼が『お持たせ』で持参くださったものです。)を舐めていました。 私はウイスキーのロックにしました。


『黄昏亭』では何といっても『おしゃべり』が一番の楽しみです。 今回は仏教の話はなし、主に農園の話に終始しました。・
連作障害の話し、ベランダ菜園での有効な肥料、特にカルシュームと珪酸を含む肥料、そんな話で楽しい時を過ごしました。・
今日の彼の『お持たせ』は『39堂農園』産のミニトマト2種でした。                        ・







































7月 6日


決断力の欠如・誠に情けない

ギター自主練で一杯一杯で、またまた長く書けませんでした。 3日にギターのクラスがありました。 前回クラス(6月19
日)以降ガイドがあったり、孫の運動会、病院行、工業統計調査審査会、コンサート等々様々あって、それでも空いた時間の殆
どを自主練に当ててきたのですが、十分な練習には程遠い状態でレッスンに臨みました。 3日までの課題はソロの新曲が2曲
、ソロ・アップグレードが1曲、 アンサンブル新曲が2曲で、これだけ来ると流石に手に余ります。 2日の夕刻になっても
アンサンブル2曲に数か所あやふやな部分が残っていました。 主旋律だと曲のイメージが掴みやすいのですが、ベースになる
と馴染みもないですし、他のパートとの調和に悩みます。 これがここまで書けなかった言い訳です。          ・

さて本論。 実は長い間悩み続けてきたことがありました。 先月末の車検切れと後期高齢期への入学を機に「マイカーを手放
すべきではないか?」とずっと考えてきました。 さてどうするか、長い間この思考は行ったり来たりしていました。 そのよ
うに考えるに至った理由は、やはり昨今世情を騒がす高齢者の加害事故の多発です。 メディアの過剰な報道が『高齢ドライバ
ー=悪』のイメージを助長した側面はありますが、そうはいっても高齢者の判断力や運動機能の低下は、疑うべくもない現実の
問題だろうと思います。                                             ・

それとともに、私自身が起こした事故のことも頭を離れませんでした。 昨年信号での停車中に『居眠り』でブレーキから脚が
離れ、前の車に接触してしまいました。 幸い大きな事故にはなりませんでしたが、とても大きなショックでした。 運転免許
の更新に先立って、先々月に後期高齢者講習を受けました。 座学の後で運転技能の実習がありました。 あくまで自己判断で
すが、私としては判断力、注意力、運転技能に何らかの欠陥があるとは思えませんでした。 そうではあっても、あの事故以降
、やはりこれを機に運転を止めるべきではないかと考え続けてきたのでした。                     ・

一方、「本当に止めていいのか?」という思いも強く、しかして葛藤を続けてきした。 私の車は平成10年が初度登録ですか
らもう20年以上も乗り続けてきたことになります。 私は一目惚れして買ったこの車が大好きで、この20年間『乗り換える
』ということを考えたことは一度もありませんでした。 また『菩薩様』が愛した車でもありましたので、一層愛着がありまし
た。 『菩薩様』は言っていました。 「貧乏だったけれど、この車がいてくれたお蔭で心豊かに過ごすことができた。」 ・

 

この1年間、『もし車なかりせば』と考えながら生活してきました。  従って前回車検からの走行距離は僅かに3000km
でした。 私の家は市の中心部からやや離れていて、どの方向に行ってもマーケットまで2.5kmくらいあります。 そうで
すね、この間車がないと厄介だなと感じたことは、冬場の灯油の購入、春先の培養土の購入、こんな時にはやはりあった方が便
利かなとは思いました。 その他にはたまにかさばるものを購入することがありますが、『車なし』の生活は出来なくもないと
思ってきました。                                                ・

ところが、手放す時期が近づくにつれて、「今は大丈夫、でも若くなることはない訳で、これから先果たして生活が維持できる
のか?」という疑念がつのってきました。 そうですね、多分皆さん同じような思いで止む無く乗り続ける決断をしたんだろう
なと思います。 6月末が車検の期限、前日に車をディラーに持ち込みました。 それでもなお廃車か車検か迷っていました。

そして当日・・・「いいよ。 車検をして!」とディラーに連絡しました。 やる、やらぬ、は何れも決断ではあるけれど、や
はり手放すことが決断できなくて、その情けなさが大きく心を覆っています。 言い訳としては、『自分で一瞬でもこれはヤバ
イ』と感じたときを期限として取り敢えず乗り続けてみようと、決断ができない自分に情けなさを感じながら思う次第です。・
































6月26日


ボランティア・ガイドが終わりました。

今回のお客様はオーストラリア北東部、クイーンズランド州からお見えになりました。 59歳と57歳のご夫婦です。 お住
まいは超美観で有名なブリスベンから北へ約200kmのハーベイ・ベイ・・・ブレーザー島に向き合うとても美しい所だそう
です。 海峡は波が穏やかで週に何回かはご夫婦でパドリングを楽しむのだそうです。 また釣りにも親しまれ、いろいろな魚
を釣っては食卓を賑わせているそうですが、刺身だけはダメだとおっしゃっていました。                ・

最初にメールで頂いた(自己紹介の)写真を見て驚きました。 ご主人は禿頭で、口髭を蓄え、眉間に縦皺をよせた眼光が鋭い
偉丈夫で一見とても部下に厳しい軍曹をイメージ、奥様も同様に眼光が鋭く、スパイ映画に出てくる敵役に見えなくもない。・
広島駅の新幹線口で待ち合わせ、挨拶の後でそんな印象を冗談で話したところ、奥様が「私はどのように見えたの?」と聞かれ
ました。 まさか『スパイ映画の悪役』とも答えられないので、とっさに「軍曹のよきサポート役。」とお答えしておきました
が、心配には及ばず実はお二人ともとても穏やかな人達でした。                           ・

この人達の旅はユニークで、一旦東京に入り、それからカナダ、ロンドンと旅して再び東京に戻り、京都を経て広島に来たのだ
とおっしゃいます。 東京・京都では自転車をレンタルし走り回ったそうで、海遊びだけでなくサイクリングやウオーキングも
大好きなのだそうです。 広島の次は名古屋、それから嬬恋に行くとお聞きしましたので、「嬬恋はすごい田舎ですよ。 何を
楽しむお積りですか?」とお尋ねすると「ウオーキング!」と答えていました。 よほどアクティブな方々です。     ・


いきなりトラブルがありました。 歩き始めたところで、奥様が「How can I address you?」と聞かれ
ました。 ワーォ!、いきなり分からん。 面喰っていると再度「How can I call you?」と問い直されま
したので、「私の名前を聞いてきたのか」と理解しましたが、いきなり試された感じ。 「こいつ分かってないな!」と見抜か
れたに違いありません。 後で聞いたことですが、この言い方はフォーマルな場での丁寧表現なんだそうです。 ちょっと勉強
したかな。                                                   ・

 

今日は広島市内の通例のコースで、『縮景園』、お昼はいつもの『お好み焼き店』、そして『平和公園・資料館』にご案内しま
した。 比較的楽なコースだったのですが、ともかく疲れました。 歩き慣れておられるのでしょう、マイペースでどんどん進
んでいかれます。 ガイドをする側が引きずられていく感じ。 まさか疲れた顔も見せられませんから、空元気だけで何とか最
後までやり通した感じでした。                                          ・

ご夫婦とも『資料館』の展示物をとても熱心にご覧になっていたのが印象的でした。 これだけで広島のご案内の目的は達した
ようなものです。 合わせてご案内中は雨が落ちなかったのは幸運でした。 最後に広島駅までお送りしてお別れしました。・
































6月19日


『鯛の酒蒸し』を作りました。

『お隣さん』から小鯛をいただきました。 前回頂いたものよりずっしり重く、かなり成長していました。 有難いことです。
ナイロン袋に2尾入っていましたので、当日(昨日)は早速『お刺身』にしていただきました。 最初、酢〆を考えたのですが
仮にスライスして〆たとしても20〜30分は必要なので遅い夕食には間に合わない。 諦めて『湯引き』にしました。 『湯
引き』だと皮を引く手間がいりませんから、手早くできます。                            ・

そして今日(19日)は『酒蒸し』にしていただきました。 ギターのレッスンから戻ったのが9時過ぎ、従って今日も随分遅
い夕食になりました。 戻ってすぐに鱗を打ち、腹を出して化粧包丁を入れ、軽く塩と胡椒を振り、更に酒を振ってアルミホイ
ルに包んで、ガスオーブンで17〜8分だったと思います。 蒸し器を使えば本格的なのですが、手を抜いてしまいました。・
でもこれでも綺麗に美味しく蒸せます。                                      ・


蒸している間にレンジで『しめじ』を温め、レモンをスライスしました。 そして蒸し上がった『鯛』にたっぷりとレモン果汁
を絞りまわしていただきました。 もちろんお相手は冷酒でしょう。 小さな瓶ですが十分に冷やして口を切り、『鯛』のうま
みを味わいながら至福の一時を過ごしました。                                   ・



































6月13日


私の癌・診察の結果。


早朝に出発し、『滋賀医科大学』に行ってきました。 術後6か月目の経過観察でした。 診察室の前にはうな垂れ気味に沢山
の人が並んで座っていました。 歳の頃なら皆さん60歳以降? ここに並んでいるということは他ならぬ『前立腺癌患者』と
いうことです。 そして皆さん助かりたい一心で岡本先生の診察を待ってお見えなのです。 私もその1人。 でもここに並ぶ
方々の多くはおそらく私より重症、他の病院で完治は難しいと言われ、岡本先生に最後の望みを託しています。      ・

私の場合はまだ『中リスク』の癌でしたのでさほど深刻にはなりませんでしたが、それでも『うな垂れ気味』になるという気持
ちはよくわかります。 内心不安で一杯なのでしょう。 先生はおっしゃいます。 「大丈夫、私が必ず治してあげます。 骨
や他臓器に転移していなければ100%治ります。」 その力強い言葉に多くの患者が希望を見出してきました。     ・

でも先生の手術を受けられる期間はどんどん短くなっています。 大学は先生の『小線源治療学講座』を何が何でも12月末で
打ち切ろうとしています。 治せる医師がいて、治りたい患者がいて、企業からも資金提供がある。 医師の給料は払わなくて
よい、しかも利益は全て大学に入る、大学の名声はどんどん上る、三方一両得どころか四方も五方も一両得なのにそれでも11
月末には手術を打ち切り、12月末で講座を閉鎖すると言っています。                        ・

患者会の激しい抗議行動が続こうが、マスコミから叩かれようが、裁判に負けようが、なりふり構わず300人にも上る新規患
者の受け入れを拒否しながら12月末まで『とぼけ』通し、時間切れ引き分けに持ち込もうとしているように見えます。 そこ
に助けて欲しい患者がいるのに、一体何のための国立医大なのか、医の倫理をどう考えているのか学長や病院長の頭の中を覗い
てみたい。 病院の基本理念とやっていることが余りにも違います。                         ・

さて私の診察の結果です。 昨年12月末の手術前のPSA値は5.4、手術後1か月の検体では一旦17.3まで上がりまし
たが、3か月後の検体では0.35まで急激に下がっていました。 極めて順調な回復だということでした。 先生の実績から
すれば必ず治して頂けると信じていましたが、それでもこうして具体的なデータを目にすると、確信・安心に繋がります。 有
難いことです。 さほど長くない残りの人生ではありますが、不安なく過ごせるようになりました。           ・

ところで1つ明確にしておきたいことがあります。 前立腺癌の治療方法には『摘出手術』(腹腔鏡やダビンチなど)、『放射
線外照射』『放射線内照射』『ホルモン療法』などがありますが、時に「どの治療方法をとっても『5年生存率』は100%で
す。」と評価する場合があります。 これはある意味詭弁です。 滋賀医科大学はこういう数字のマジックで『封蜜小線源治療
』を否定しようとしているように見えます。                                    ・

しかし前立腺癌は進行が遅いため仮に転移し苦しんだとしても5年くらいでは死にません。 従って現実に癌は進行していても
『5年生存率』をクリアする場合が多いのです。 見つかった時が末期の高リスク癌でなければ5年くらいは生きる。 だから
『5年生存率』は高いのです。 従って『5年生存率』ではなく『PSA非再発率』で治療の有効性を判断するのが適切だと岡
本先生はおっしゃいます。 このことは治療の選択にあったて非常に大きな意味を持ちます。 是非このことを頭の片隅に止め
ておいて下さい。 『PSA非再発率』で捉えるならば、『封蜜小線源治療』が圧倒的に優位なのです。         ・