『第1回青年の船の会in四国』その2
最終日に『栗林公園』を訪れました。 『栗林公園』はいわゆる『回遊式大名庭園』で、他の多くの庭園と同
じように1600年代に造園されています。 徳川幕府が成立し、世の中が安定した頃に大名たちの間で庭園
造りが一種のブームになったと聞きます。 遠方の山を『借景』とし、中央に池、それを取り囲むように造山
が作られ、その景色の中心部に『茶室』がこしらえられるというのが1つのパターンになっているように思い
ます。 ・
『栗林公園』は『紫雲山』を『借景』にしつつ、山そのものを庭園の一部に取り込んでいます。 そういう意
味では珍しい造りかも知れません。 松がとても綺麗で、庭一面が松に覆われているといっても過言ではない
でしょう。 低く箱型に整えられた『箱松』(写真)、それに対比させて高い『屏風松』の並木、さらに盆栽
仕立ての松(写真)など見事に手入れされた『松の緑』が目を楽しませてくれます。 ・
庭園の中心になっている『南湖』を和船で巡りながら湖面から景色を楽しむこともできます。 『歩行に難あ
り』のグループはこの『舟遊び』を楽しんでいました。 私たち『お達者クラブ』は『回遊式』の庭園をそぞ
ろ歩きながら彼らとは逆方向の景色を楽しみました。 園内の案内は、同じく『第1回青年の船』の他班のメ
ンバーで、ボランティアで園内を案内している女性にお世話になりました。 現地幹事の粋な計らいでした。
最後に『掬月亭』(きくげつてい)でお薄をいただきました。 お茶うけは『献上栗』(幕府に献上された高
松藩の名菓)でした。 『掬月亭』には大正天皇が皇太子殿下のころに数日泊まられたお部屋があります。・
『にじり口』がしつらえてありましたので、ここが本来の茶室だったのでしょう。 高貴なお方が泊まられた
お部屋で記念写真を撮ろうということになりました。 背後の軸には『一期一会』とありました。 『一会』
ということはない、また次の機会もあると思いますが、かといって年齢が年齢ですからいつ何があってもおか
しくない、そういう意味でこの『一期一会』は私たちにとっては誠に重みのある言葉でした。 ・
お昼に『さぬきうどん』を食べて別れることにしていました。 ところが、うどん店の玄関で東日本勢を中心
に異論が噴出しました。 曰く、「もううどんは嫌、お蕎麦が食べたい。」、「いや、私はご飯が食べたい。
」 そうなんですか、やはり関東では『うどん』より『蕎麦』なんですかね。 私は結構毎日でもいいんです
がね。 すったもんだの末に、高松駅で『駅弁』を買って車中で頂くことになりました。 こうして『第1回
青年の船の会in四国』は再会を約して終わりを告げたのでした。 ・
来年は友班だった女性グループの企画に混ぜて貰って、春に鎌倉で、そして再来年は群馬で開催する約束が整
いました。 『第1回青年の船の会in群馬』も私がお手伝いすることになります。 なにしろ年齢が年齢で
すから、パソコンが得意な人は少ないです。 従って毎回私にお鉢が回ってきます。 便利屋さんですかね。
暇人ですので、まぁそれもいいでしょう。 いくらでもお手伝いします。 ・
10月30日