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10月 6日
定期健診
今日は3ヶ月に1度の高血圧・不整脈の経過観察の日でした。 加えて先日の突発的な症状のフォローでもあ
りました。 そのため、血圧測定はもちろんのこと、特別に血液検査、心電図、心エコー、胸部レントゲンの
検査がありました。 結果は血圧は高め、心電図、心エコーには異常なし、ただ心筋が肥大しているのでもう
少し血圧を下げる必要がある。 また血液検査では肝機能、腎機能など各項目に異常なし、糖尿病に関する数
値も正常という所見でした。 ・
こんな結果でしたが、「先日のように心房細動が起こると血栓ができやすいので、血圧を下げて心臓の負担を
軽くしておきましょう。」と降圧剤を1錠増やすことになりました。 あまり薬を増やしたくはなかったの
ですが、あの症状があった後でしたので医師の指示に素直に従いました。 ・
また、「先日の症状から『危険なサイン』を学んだはずですから、もし少しでも『怪しい』と思ったら直ちに
受診して下さい。」とアドバイスがありました。 有難いことです。 ただ1つ、「朝晩に分けて服薬して貰
いますが、毎日きちんと管理できますか?」と聞かれて、「いや、まだそれほどボケてはいない。」と心の中
で反発しました。 『へそ曲がり』ですかね。 ・
10月 1日
ボランティア・ガイド2日目
一昨日に続きスエーデンの老夫婦を広島にご案内しました。 ホテルのロビーで待ち合わせ、たまたまホテル
が準備していたマップで今日のスケジュールを確認しました。 先ずは『平和公園・原爆資料館』、お昼を食
べて『縮景園』、それから『広島城』を見て頂いてホテルに戻るというルートです。 ・
ただ、昨日の様子から『原爆資料館』から『お好み村』まで歩くのは厳しいと思い、タクシーを利用したいこ
と、『縮景園』から広島城内堀外周もタクシーを利用したいこと、『広島城』にはエレベーターがないため『
天守』に登るのは無理があることを説明し、予定の変更を了承して頂きました。 ・
それでも、『平和公園』はショートカットではなく、全てのモニュメントをご覧になりたいと希望されました
ので、長歩きながら頑張っていただきました。 朝晩は少し涼しくなりましたが、日中はまだまだ暑い。 「
日本の夏は10月に入ってもこんなに暑いのか?」と再々聞かれました。 「気候変動の精でこんな時期まで
暑い日が続きます。 でももうそろそろ涼しくなりますよ。」と答えましたが、スエーデンの気候とはそりゃ
ぁ違うでしょう。 ・
『原爆資料館」は本館のみを見て頂き、タクシーで『お好み村』に向かいました。 どうやら食べることが大
好きなご様子で、『お好み村』にも『お好み焼き』にも興味しんしん、「もし食べ残したらホテルに持ち帰っ
てもいいのか。」などと言いながら、ご両人ともビールを片手にすっかり平らげてしまわれました。 そして
私に向かって『パーフェクト』だと指を立てられました。 ・
「古い資料に基づき植栽を見直した。」というものの、この殺風景はどうだろうと思います。 茶室(清風館
)周辺の立派に刈り込まれた松は消え失せ、しょぼい松がちょろちょろと植えられています。 すっかり見込
みがなくなり寂しくなった『縮景園』に情けなくなってしまいました。 ・
そんな風景ではありますが、お二人はそれなりに楽しんでおられました。 ご主人は「いい竹林があった。」
とワイドな写真を見せてくれました。 奥様は『彼岸花』を見つけて、「珍しい。」とはしゃいでおられまし
た。 しかしガイドからすれば、以前の姿が残っていたらもっと感動して頂けたはずだと残念に思いました。
『縮景園』からはタクシーで内堀外周の基町高校側に向かいました。 この位置から見る『天守』と内堀の風
景は、おそらく広島一の絶景だろうと思います。 桜の時期もいいですが、もう少し季節が深まった、紅葉の
時期もいいです。 『天守』に入らないとしても、ここの景色は是非見て頂きたいとタクシーに暫く待ってい
ただいて時間をとりました。 ・
そしてその脚でホテルまで戻りましたが、私のガイドを『informative』だと、とても気にいって
頂けて、歩道の真ん中でいきなり奥様にハグをされてしまいました。 明日は函館まで飛んで、車をレンタル
し北海道を巡るのだそうです。 「熊に気を付けて!」と冗談をとばしてお別れしました。 ・
9月29日
ボランティア・ガイド1日目
今回のお客様はスエーデンの老夫婦、寡黙なご主人72歳と愉快な奥様69歳でした。 こういうコンビを見
るたびに夫婦というものは上手くできているものだなぁと思います。 『仲良きことはよきこと』、とても仲
睦まじいご夫婦でした。 ・
さて、今回もいつものようにガイド・スケジュールを作って意見交換し了承して頂いていたのですが、なかな
かスケジュール通りに行かないのが通例です。 今回は端からトラブルに見舞われました。 今日は宮島にお
連れすることになっています。 ・
指定時間に指定場所(新幹線改札口)で待っていたのですが、到着列車の一団が流れきってもお客様は一向に
現れません。 メールを確認すると、We are here!とあります。
hereってどこなんだ?と
思いますよね。 続いてShall we meet at platform No.1? ときました。
いやいや、改札口で待っていますよと答えたものの、新幹線には1番ホームはありません。 そこではたと気
が付きました。 あぁ連絡口から直接ローカル線側に出たんだな。 ・
この時点でもう1列車遅れています。 お弁当は宮島口駅前のセブンイレブンで予約しておきました。 すぐ
に立ち寄ると奥様がどんどんとあらぬ方向に進んでいきます。 「いやいやキャッシャーはこっちだよ。」と
思いながら後を追うと、いきなりビールを選び始めました。 それでもたもたしている内にフェリーにも1便
乗り遅れてしまいました。 ・
宮島桟橋の向かいのホテルにチェックインして荷物を預けすぐに出発出来るはずでしたが、ここでもまたまた
手間取ります。 受付嬢と冗談を交わしながら長々と受付に臨んでいます。 やっと終わったと思ったら今度
は水が飲みたいと奥の方に入っていかれました。 こうしてどんどん時は立っていきます。 ・
奥様は『ウオーキング・ポール』をお使いです。 16年前に腰の手術をし、この旅行から返ったらまた手術
をするそうです。 それでよたよたと大きな身体をはこんできます。 それで時々唸るものですから『roa
ring lion』とニックネームを付けておきました。 それでますます遅れます。 加えてご主人はカ
メラをあちこちに向け、なかなか道がはかどりません。 ・
でもいいんです。 奥様は登山は無理、ご主人もそれほど脚は強くなさそうなので、ケーブルカーで獅子岩ま
で登り、そこで景色を眺めながらお弁当を楽しんでいただくことにします。 そうすると1時間は節約できま
すから後は何とかなります。 ・
できるだけ潮の高いうちに『厳島神社』に入って、水に浮かぶ神社の雰囲気を堪能して頂きたかったのですが
こんな事情でしたので、そこは仕方がありません。 『紅葉谷』は避けてバスでケーブルカー駅の下まで登り
、そこからは急坂を約100m登ります。 何度も立ち止まっては奥様が吠えます。 ・
ゴンドラから秋晴れの景色を楽しんでいただき、さらに『獅子岩展望台』からも多島美を堪能して頂いてお昼
にしました。 「この時期の日本はこんなに暑いのか?」と聞かれます。 朝晩はやっと少し涼しくなってき
ましたが、日中はまだまだ暑い。 お弁当は、ご主人は『あなごめし弁当』、奥様は『チラシ弁当』、事前に
コンビニで予約しておきました。 屋外で景色を見ながらいただくお弁当はなかなかのものです。 こんな具
合に楽しんでおられました。 ・
下って『厳島神社』、『大聖院』をご案内しました。 『厳島神社』では主神の『宗像3姫神』が『天照大御
神』の娘たちであることに興味を示されました。 というのも、来広前に『伊勢神宮』を訪れたそうで、その
時に『伊勢神宮』の祭神が『天照大御神』であったことの関連から特に『厳島神社』に興味を持ったようでし
た。 神道に興味をお持ちの外国の方は結構多いです。 ・
『大聖院』では山門を入って長い石段を見るなり、奥様は『私はここで待っている。」と駄々をこねます。・
「大丈夫です。 いい方法があります。」と『五百羅漢』をご案内すると、感動しながら、いつしか上まで登
って行かれました。 『五百羅漢』には思わすしんどさを忘れさせる魅力があるようです。 ・
『戒壇巡り』から出てくると、そこに大きな『達磨』の塑像が置いてあります。 「これは何だ?」と聞かれ
ましたので、『この人は『禅』の創始者です。 石の上に3年座って修行され悟りを得られましたが、脚が退
化し立てなくなりました。」と説明すると、「あぁ!。と納得されました。 『禅宗』にもそれなりの知識が
あったようです。 ・
それから干潮の『大鳥居』周辺を探訪していただき、後は明後日ホテルのロビーでお目にかかることを約束し
て先にお暇しました。 彼らは広島のホテルで明日1日お休みです。 ・
9月28日
近況
だらだらと過ごしていたわけではありませんが、つい更新も出来ず9月も末になってしまいました。 仕方が
ないので、いま思い出せる限りの出来事を以下に簡単に記したいと思います。 ・
ホタテの押し寿司
昨日『ホタテの押し寿司』を作りました。 最近は押し寿司をよく作ります。 鯵、マグロの切り落とし、コ
ノシロ、サーモン、イトヨリ、こんなところが食材で、いいサイズのものを選んで冷凍保存しています。 昨
夜の『ホタテ』も生協でとった北海道産の冷凍ものです。 お供はいつも『そうめん汁』です。 ネギの小口
切りも冷凍保存していますのでその気になれば造作もありません。 ・
福島原発の『処理水』放出を『汚染水』だと反発して、中国が日本からの海産物の輸入を禁止しています。・
まぁ「勝手にやったら!」と思っています。 このため北海道のホタテ業者が苦境に陥っているそうで、「み
んなで北海道のホタテを食ってやろう。」という話が広がっています。 ・
しかし、よくよく話を聞いてみると、ホタテ業者が生ホタテを中国に送り、中国の安い労働力で加工して再輸
出していて、中国と結託して甘い汁を吸っているというのが実情のようです。 このため最近では国内ではい
いホタテが手に入らなくなっているとも言われています。 「大儲けをしていて、今になって政府に支援をお
願いするのは筋違いだろう。」と批判する向きもあります。 まぁこの辺りの実情はよくわかりません。 ・
様々な話がありますが、私はただいい食材を探していて、ある日突然に『ホタテ』に思い至ったという、それ
だけの話ですが、まぁ、あまり中国に肩入れしていると将来ロクなことにならないだろうとは思っています。
危なかった
17日の明け方、4時ごろだったと思いますが、突然の肩の痛みで目が覚めました。 何だか胸苦しい。 そ
のうちに肩の痛みが首筋に広がり、胸のあたりも怪しくなってきました。 何が起こっているのだろうと何度
か寝返りをするうちにたまたま指が脈に触って、不整脈が起こっていることに気が付きました。 鼓動もとて
も早い。 ・
「これはいけない。」と思い、すぐに病院に電話をしました。 すぐに受け入れてくれるそうです。 「救急
車を手配しましょうか?」と訪ねられましたが、まだそこまでではないと思いお断りしてタクシーを呼びまし
た。 ・
こんな時でも保険証の提示を求められ、同意書にサインを求められ、緊急連絡先を聞かれ、親族に連絡を取る
ようにも求められました。 「苦しいから来ているのにむごいものだ。」と思いました。 それから救急救命
センターに向かいました。 看護師さんはスタスタと歩いて行きますが、私はそんなに早歩きが出来る状態で
はありません。 「少しゆっくりと歩いてもらえませんか。」とお願いしました。 ・
救急救命センターに入るとすぐにストレッチャーのようなベッドに横にさせられ5~6人の看護師さんに囲ま
れました。 あちこちから矢継ぎ早に質問がきます。 まず点滴、血圧計、心電図計が繋がれ、室内には乱れ
た心音が流れています。 心拍数は150くらいだったようです。 そしてモニターの心電図は無茶苦茶。・
そのうちに医師が入ってこられて、薬が処方され始めました。 点滴と一緒に流し込まれているようです。・
心エコーやレントゲンの検査も入りました。 「もう何でもやってくれ。」という感じです。 そうこうして
いる内に鼓動も心電図も次第に落ち着いてきました。 それとともに気分もよくなっていきましたが、突然『
単一音』が鳴り響き、一瞬室内が騒然となりました。 どうやら誤動作のようでした。 ・
「2~3日は入院することになるかな?」と思っていましたが、無罪放免となりました。 「心電図と脈拍は
正常に戻っています。 原因は分かりませんが、心房細動が起こっていました。 カテーテルで治療をするこ
とも出来ますが、今に今必要とは思えませんので今日はお帰り頂いて暫く様子を見ることにしましょう。 心
房細動が起こると血栓ができやすくなります。 脳梗塞の心配がありますから『血液サラサラ』の薬を毎朝飲
んでください。」という説明でした。 ・
それ以降は今日まで特に変わったことはありません。 依頼されている『調査業務』の最中であり、また月末
にはガイドが入っています。 「困ったことになったなぁ。」と思っていましたが、何となく危機を脱出する
ことが出来ました。 それにしても危なかったなぁ。 ・
80歳の壁
『80歳の壁』は作家、和田秀樹さんの本のタイトルです。 歳とともに運動機能や認知機能が衰えるのは止
むを得ないことですが、それでも矍鑠として『80歳台』を生きていくには『70歳台』をどう生きていくか
にかかっているといいます。 ・
どうでしょう、私としては『心身ともに』エクササイズを重ねながらよく生きてきたと思っているのですが。
ところが、あと1年というところに差し掛かって突然『80歳の壁』に行く手を阻まれることになりました。
先日娘がやってきて、いきなり「腰が曲がっとるよ!」と窘められました。 そうなんです。 若いころに患
った腰痛とは違う鈍痛があって腰が伸びません。 頑張ってまっすぐ立とうとするのですが、いつの間にか前
かがみになっています。 老人の特徴ですね。 ・
「あぁ、こうして歳をとっていくのか。」と暗澹とした気持ちになっていました。 無理をして腰を伸ばして
歩こうとするとやはり痛みます。 ところが先日『ユーチューブ』でこんな番組を見つけました。 『脚ふり
』です。 曰く「30分歩くより『脚ふり』30秒、寝たきりリスクを1/10に」、脚の筋肉を鍛えるより
は股関節を柔軟にすることが大切だといいます。 ・
「そうか、簡単なことだし物は試しでやってみるか。」 実は腰の痛みというより股関節に問題があるんじゃ
ないか、この脚のだるさはそこから来ているのではないかなどと考えていましたのですぐに立ち上がって椅子
にもたれながらやってみました。 ・
これはミラクルです。 そんなに長くやった訳ではないのに腰の痛みは消え、腰も伸び、脚のだるさもかなり
軽減されました。 こんなこともあるんだなぁ、これで明日からのガイドにもスタスタと臨めますし、何だか
『80歳の壁』も乗り越えられそうです。 ・
今日はこの辺りで
この間、まだまだありました。 ギターのこと、ガイドのこと、統計調査のこと、友達に会った事等々。 そ
うですね、『敬老会』に不参加のことなど、また次回以降にお話ししたいと思います。 ・
9月 8日
友達と逢った
彼にはもう再起不能かと覚悟していた腰を治して貰いました。 このことには何度か触れてきました。 そし
て今は彼が病んでいます。 ラガーマンでがっしりした体躯の持ち主でしたので、とてもこんな姿になるとは
想像もできなかったのですが、随分衰えました。 歩く姿に往時の生気はありませんし、奥様が入院したり、
彼自身もヘルニアの手術をして苦しい時期を過ごしています。 そんな彼に、『今こそ恩返しの時』と思って
、できるだけしばしば会って励ますようにしています。 ・
今日は行きつけの日本食レストランでお昼をご一緒しました。 野菜の煮物、焼き魚、お浸し、漬物、それに
味噌汁、トン汁など、いわゆる伝統食を提供している明るい店です。 野菜の多くは無農薬を謳っています。
ただ、営業時間が11時から14時まで、カフェが14時から16時です。 ターゲットが女性なのでしょう
、女性客が無茶苦茶多いです。 私たちが入った時には(1時頃)男性客は私たちだけでした。 手軽さ、ヘ
ルシーさで女性人気が沸騰している感があります。 ・
早く行くと並ばなければいけないし、遅れるとメインのディッシュは売り切れてしまいます。 やむなくお結
びとトン汁を注文しました。 トン汁には特徴があります。 牛蒡やサツマイモ、人参などが『ゴロッ』と入
っている感じで、とても一口には頬張れない大きさです。 牛蒡など、1本をただハスに切っているだけとい
う感じでした。 自然食感満載かな。 また少々薄味と感じました。 ここら辺りが女性の心を掴んでいるの
でしょうか。 ・
私たちは隅っこの方で、女性に圧倒されながら静かに頂きました。 そのうちに彼が「ゆっくり話したいので
セブンイレブンでコーヒーを買って我が家で話そうではないか。」といい出しました。 「それもいいなぁ。
」ということになって各々コーヒーを持って彼の家に向かいました。 それから暫く政治向きの話をしてお暇
したというただそれだけのお話しでした。 ・
9月 6日
ギターのレッスンが終わりました
次第に難しくなる曲に私の古ぼけたCPUとI/Oがついていけなくなってしまいました。 ソル練習曲OP
31-10も11もこの2週間の間にほぼ進歩せず、同じところを行ったり来たりで、ちっともうまく行きま
せんでした。 運指さえ掴めば何とかなると思っていましたが、甘かったです。 運指を押さえても指が思い
通りに動いてくれません。 ・
ところが、もう2週間はかかるだろうと思っていたOP31-10ですが、このまま押したり引いたりしてみ
てもロクな結果は出ないだろうと判断されたものか、例によって「基本的なところは出来ています。 要求レ
ベルには達していますので次に行きましょう。」と図らずも合格をいただきました。 正直、「本当にこれで
いいのかなぁ。」と思っています。 ・
OP31-11の方はまだこれからという段階です。 曲そのもののイメージさえ身に付いていない状況なの
で、左肘の使い方の指導を受けて次回に持ち越しとなりました。 合わせてOP31-12に着手するように
指示され、「なかなか休ませて頂けませんね。」と半分冗談を飛ばしました。 ・
OP31-12は『Ddur』の曲で、通常第6弦は『ミ』の音なのですが、これが『レ』に変わります。・
そのたびに調弦をしなければなりませんので厄介です。 加えて非常に長い曲で、しかも32分音符が続きま
す。 古ぼけた
I/Oはちゃんと動いてくれるのでしょうか。 次回のレッスンは20日です。 ・
9月 3日
ボランティア・ガイドが終わりました
以前、広島にある英会話教室で勉強をしていた時、教室のテキストで「イタリア人は約束しても15分くらい
遅れるのは極めて普通なことだ。」というような短い記事を読んだ事があります。 「まさかぁ。」と思って
いましたが、偶然なのかどうなのか、ホテルのロビーに15分余り遅れて現れ、イタリア人らしくカジュアル
に挨拶を交わしました。 ・
今回のお客様は親子4人のイタリアン・ファミリーでした。 旦那51歳、ボールベアリングの会社で働くエ
ンジニアで、「日本にボールベアリングの技術を教えたのはわが社だと息まいていました。 「いやいや、ボ
ールベアリングで日本を凌ぐ国はありませんて。」とは反論しませんでした。 奥様は52歳、『ボッシュ』
で働く同じくエンジニアだそうです。 ボッシュといえば『音響装置』と思っていましたが、電化製品など多
種多様な製品を作っているメーカーだそうです。 ・
受け答えはほゞ奥様が担当されました。 最初から私に寄り添ってあれこれ話をされましたので、勢いそうい
うことになりました。 かなりきついイタリア訛りの英語でしたが、ゆっくりと話される方だったのでコミュ
ニケーションが取りにくいということはありませんでした。 また、何にでも興味をお示しでしたので、会話
が途切れるということもありませんでした。 ・
最初に平和公園にご案内しました。 爆心地から原爆ドーム、相生橋、平和の鐘、供養塔、子供の像、平和の
灯、慰霊碑というのがお定まりのコースです。 最後に慰霊碑の前で平和公園のコンセプトを理解していただ
いて『資料館』にご案内しました。 奥様は相当にショックを受けたようで、資料館を出たところで息子さん
と抱き合って悲しみを堪えておられました。 ・
お昼はいつも通りに『お好み村』にしました。 皆さん様々なトッピングで『お好み焼き』を楽しんでおられ
ましたが、奥様だけは麺はなし、ソテーした『牡蠣』を楽しんでおられました。 お住まいが『トリノ』で鮮
魚は長靴の先からではなく、フランスから入るのだそうです。 魚介類、とりわけ『牡蠣』と『ムール貝』に
は目がないのだそうでした。 皆さん『パーフェクト』だと感嘆しておられました。 ・
イタリアの方の食の楽しみ方は一風変わっていると思います。 十分に時間をかけて、『心行くまで』という
感じなのでおまかせしていたところ、資料館と『お好み村』で時間を取り過ぎて後の予定が苦しくなってしま
いました。 それから急いで宮島に向かいました。 ・
今回は私のプレゼンテーションもビデオを使ってかなり充実してきました。 『管弦祭』や『舞楽・雅楽』な
どもビデオを交えるとより理解を深めていただけます。 電車の中であらかた流れを説明し、それから現地で
より詳しく説明することで理解は深まったと自負しています。 ・
『厳島神社』では『寝殿造り』、『桝形』での『管弦祭フィナーレ』など十分に説明できたと思います。 ま
た理解の程度を質問によって確かめてもみました。 しかし日本語を記憶するのはかなり難しかったようで、
『平清盛』を憶えるのに苦労しておられました。 『大聖院』では『五百羅漢像』に興味を示され、「これに
はどういう意味があるのか?」などと質問攻めにあいました。 『第1回結集』の様子であることを説明しま
したが、理解して頂けたかどうか? ・
彼らは今日も広島のホテルに宿泊されます。 後はいかようにもお楽しみいただくことにして、宮島口駅でお
別れしました。 別れ際に、お土産にこんなものを頂きました。 『LUCKY PUMO』といい、全ての
果物の守護者である女神『ボナモ』に敬意を表し、また繫栄と多産を象徴する幸運のお守りだそうです。 ・
今でもプーリア地方の職人によって作られ、バルコニーやコーニスを飾っているという事でした。 さてどこ
に飾っておくべきか。 ・
8月29日
血尿
先週土曜日の昼過ぎに、痛みも違和感もなくいきなり血尿がありました。 4年半前に『前立腺癌』の治療(
小線源)をしましたが、その時以来の血尿でした。 その時の血尿は原因がはっきりしていましたので別に気
に留めませんでしたが、今回は激しい運動の後だったとか、腹部を強く打ったとか、何か原因になるものも思
い当たりませんでしたので、少し心配になりました。 ・
鮮血は夕方にはドス黒い血尿に変わり、就寝前にはほぼ正常な色に戻りましたが、やはりしっかりと原因を確
かめておくのがよいだろうと思って、月曜日の朝に掛かり付けのクリニックに出かけて相談をしました。 た
だ、問診だけでは埒があかず、結局総合病院に『紹介状』を書いてもらうことになりました。 曰く、「血尿
となれば『膀胱癌』なども考えられるので、一度精密検査をしておくのがいいだろう。」 ・
そして今朝総合病院に出掛けました。 問診の後、『尿検査』『超音波検査』『内視鏡検査』をやりましょう
と言われました。 はい、何でもやってもらいますよ。 厄介なのは『内視鏡検査』でした。 「パンツを脱
いで、この椅子に座って貰います。 そのあと椅子は女性の分娩と同じような体勢に動きます。」 分娩と同
じようにといわれても経験がないからなぁ。 「それじゃぁ、消毒をしますからね。」と看護師さん(若くは
ない)にムズと一物を握られました。 ・
「構わなければモニターを見ていていいですよ。」 そういってカメラが尿道に差し込まれていきます。 「
これから狭いところを通るので少し痛いですよ。 身体の力を抜いてください。」 一瞬痛みが走ります。・
「ここが前立腺の入り口です。 充血していますね。 次、膀胱に行きます。 うん内部は綺麗ですね。 癌
のようなものは見当たりません。 充血している前立腺の辺りから出血したのだろうと思われます。」 とい
うことで検査は終わりました。 ・
最後に担当医の所見がありました。 「これまでの検査では異常は認められません。 残るは腎臓ですが、こ
れには画像診断が必要になります。」と言いながら私の受診履歴を見ていましたが、「昨年暮れに撮ったMR
Iの画像データがあります。 これを見る限り『腎臓』にも異常はみられません。 『小線源治療』の後、時
間が経つと画像に見るような充血の症状が現れることがあります。 出血はこの部分からと考えていいでしょ
う。 後は『小線源治療の担当医に相談してみられるといいでしょう。」 ・
こんなことで安堵したのですが、検査の間、もし癌だったらどうするかと考えました。 もし癌だったら「治
療をしない場合、余命はどれくらいですか。」と尋ねようと思いました。 手術をして数年長らえるのがいい
か、人間の尊厳を護って静かに自然に逝くのがいいか、そんなことです。 手術をすればその後は抗癌剤を投
与することになるでしょう。 私は抗癌剤に負けて衰えていく『菩薩様』の姿をずっと見てきました。 悲惨
な姿でした。 それだけに・・・ ・
こもごも考えましたが、結論は出ませんでした。 難しい判断です。 でも人間の尊厳を失って、なおかつ生
きていく事の恐ろしさ・みじめさを考えました。 その上で自然に生きて、緩和ケアで最後を看取っていただ
く、そんな人生の終わり方を真剣に考えてみました。 ・
でも天は「もう少し生きていよ。」とおっしゃって下さる。 そのことを肝に銘じながら残された日々を過ご
していかなければと気持ちを新たにした次第でした。 ・
8月23日
ギターのレッスンが終わりました
今回はソル・エチュードOP31-10の仕上げの積りでした。 8分音符での昇降が激しい曲で、運指に苦
労しましたが、前々日までには何とか形になって(なった積りになって)いて、今までのパターンだと「はい
次に進んでください。」のはずだったのですが、今回はそうはいきませんでした。 ・
いわく、「抑揚と起承転結で曲を完成させなさい。」と今までにないオーダーがありました。 合わせて、O
P31-11も「この曲なら次回までには完成できるでしょう!」と言われて、引き続きアズルことになりま
した。 いきなり抑揚とか起承転結とか言われてもなぁ、と思いつつ、先ずはOP31-11の運指を決めに
かかりました。 これが決まれば半分出来たようなものです。 それにしても今日はご機嫌斜めだったのかな
ぁ。 ・
こんな料理を作りました
ふとこんな料理を見つけましたので、早速作ってみました。 『豆腐ときのこの炒め合わせ』です。 賞味期
限が近づいていた豆腐がありましたし、同じく余り気味の『しめじ』がありました。 調味料も概ね揃ってい
ます。 ちょっと毛色が変わっていて、これはなかなかよさそう。 ・
『菩薩様』が「ひと手間かけるといいことあるよ。」とよく言っていました。 その通りだと思います。 ひ
と手間かけると見栄えも味もよくなります。 今日のひと手間は、豆腐の『水切り』でした。 後でフライパ
ンで両面を焼くのですが、『水切り』をしっかりして、片栗粉をはたいておけば煮崩れを押さえられます。・
食材は豆腐、しめじ、ニンニク、生姜だけです。 味付けは『菩薩流そばつゆ』、オイスターソース、鶏ガラ
出汁(パウダー)、砂糖、胡麻油、最後に片栗でトロミと照りを出しました。 今夜は田舎から送ってきた『
えだまめ』を湯掻きましたので、久しぶりにビールにしようかなと思いましたが、思いとどまって赤ワインで
一時を楽しみました。 (何で思いとどまって赤ワインなのか、意味が分からん。) ・
8月17日
酔芙蓉が咲いた
たった1輪ですが、今朝ベランダで『酔芙蓉』が純白に咲きました。 かなり大きな見ごたえのある花です。
これは、まさに『魁』ですね。 これから数輪咲いて、しばらく休み、来月中ごろからが最盛期になります。
最初のころは色の変化は遅く、今日は2時頃になってピンクに染まっていました。 ・
昨夏はマンションの大規模修繕工事があり、リビングに鉢ごと取り込みました。 工事用ネットも(15年前
とは素材も)随分変わって室内は明るくなりましたが、それでも植物が欲するほどの光は入らず、従って蕾は
つかず、葉も次々と落ちていきました。 ならせめて体力だけでも貯えさせようと地際から全て切ってしまっ
たのですが、考えてみれば葉なくして幹は育たず。 ・
そんなこともあって、今年は樹勢が弱いです。 地際から芽吹いた枝は全てそのまま残しましたので、栄養が
分散しているのかも知れません。 今年はこのまま育ててみようと思っています。 3本建てくらいにすると
天井に届くほど大きくなりますが、誰が言ったかなぁ、梯子を持ってきて花をめでるという状態になります。
おまけに台風がくると鉢ごと転んでしまいます。 ・
そんなことで、今年は目の高さで『菩薩様』ともども花をめでることにします。 ・
8月16日
『黄昏亭』を開店しました
毎度の事ですが、今日も『39堂主人』をお招きして『黄昏亭』を開店しました。 本日のメニューは『ボン
ゴレロッソ』にしました。 一見おしゃれに聞こえるかも知れませんが、単にアサリとミニトマト入りのスパ
ゲッティーというわけです。 『39堂主人』は大食いですから、レシピには<麺60g>とありましたが、
100gに増量し、しかして出来上がったものは『ボンゴレロッソ・てんこ盛り』となりました。 ・
彼の病気もかなり癒えたようで、久しぶりにビール1缶を喉に流し込みながら、「なかなか旨い。」と言いな
がら召し上がってくれました。 その後は彼が持参してくれた瓜を食べながら恒例の『おしゃべりタイム』、
13時にお迎えし、「おォ、6時になったで。」と席を立つまで、ご婦人のおしゃべりのように5時間近くも
しゃべり続けました。 ・
今回は仏教の話はほぼありませんでした。 初めに農園の土づくりの話になりました。 いろいろと研究をし
て土壌の改良に取り組んでいるようです。 連作障害にも強い菌を育てたいと言っていました。 何やらプロ
セスがあって、『納豆菌』を経由して最終的に『放線菌』を活性化させたいのだそうです。 『放線菌』って
どんなものい?と聞いたら、古い家の縁の下でプンと匂う、あれが『放線菌』の匂いなのだそうです。 ・
それからウクライナ情勢、中国の経済事情、一帯一路などと話は移っていき、最終的に気候変動の話になりま
した。 幾つか明らかな誤解がありました。 極地の氷が溶けると海水面が上がるというのは一面では正しい
ですが、北極の氷が全て溶けても海面は上がらないですね。 NHKスペシャルか何かで、気候変動によって
『ツバル』が水没していると言っていましたが、これはNHKのプロパガンダで、何年かに1回の大潮の時に
撮った映像を日常的な事象のように放映した。 今は『ツバル』は隆起して、陸地の面積が増えている。 「
ここは認識が違うよ。」と話しました。 ・
彼はEVの普及は温暖化を救うと信じています。 ここでも議論がありました。 確かにEVは0エミッショ
ンですが、そのEVに充電するための電力を化石燃料に依存しているとすれば、トータルでCO2の排出量を
みなければならない。 ソーラーや風力で賄える電力量には限りがある。 ましてや樹木を切り倒してソーラ
ーや風力発電をするのでは本末転倒にならないか? まぁ、屋根にソーラーパネルを敷くのはいいかも知れな
い。 でも何れは老朽化して廃棄しなければならないわけで、下手をすると『爪で拾うて、箕でこぼす。』に
ならないか? ・
そもそも、CO2が本当に温暖化に寄与しているのかどうか、誰もそのことに答えを出せていない。 今は活
動家界隈の声が大きいようですが、確かに温暖化に結びつけやすい状況にはあるけれども、本当にそうか?と
いう気持ちも拭えない。 これは暫く彼との論争の種になりそうだ。
ところで、彼とこんな話をした後に最近の電気代を確認してみました。 随分使用量が減って、一時の半分く
らいになっています。 エアコンをガンガン使っているのにです。 どうやら冷蔵庫を替えた時期からそのよ
うです。 随分技術が進んだのだろうと思います。 だとすれば、山を切り開くソーラー発電に依存するより
我が国が得意とする『技術』に依存するべきではないだろうか。 ・
8月12日
ボランティア・ガイドが終わりました
台風6号の影響でしょうか、天候不順が長く続きました。 そして今日はやや曇り空、しかし午後になって予
報に反してすっかりいい天気になりました。 直前になって「台風の影響はないだろうか?」と問い合わせが
ありましたが、心配どころか、午後にはクレージーな暑さになりました。 ・
10時に新幹線の改札口で待ち合わせる約束でした。 お迎えするのはイタリアの母娘の2人連れです。 直
前になって、車中から『5分ほど遅れるようだ。」と連絡がありましたので了解して改札口で構えて待ってい
ました。 ところが、その刻限になっても現れません。 やがてメールがあって、写真を添付してありました
ので確認したところ、確かに改札口の近くにいるようなのですが。 ・
暫く探し回っていたところ、次のメールが入りました。 「いま市内電車の乗り場にいる。」と写真が添付し
てありました。 すぐに急行して捕まえたのですが、勝手に動き回られるとこんなことになってしまいます。
そういえば以前にも同じようなケースがありました。 フランスのカップルでしたが、緑の窓口に入って次の
旅行地の予約を取っていたらしく、こちらは新幹線の出口とローカル線との連絡口をいったり来たりしたこと
を思い出しました。 その時に比べれば、まぁうまく捕まえることができましたけど。 ・
1日で広島と宮島を巡る行程はかなりハード・スケジュールになります。 平和公園では多くのモニュメント
をスキップして、爆心地→原爆ドーム→子供の像→平和の炎→慰霊碑と、先ずは一直線に原爆資料館に迫りま
した。 慰霊碑でお祈りをして振り向いたところ、資料館の下に沢山の人が屯しています。 よく見ると、資
料館に入る人が作っている長い列でした。 資料館の端から端まで、5列くらいの行ったり来たりの行列で、
これでは入るまでに2時間くらいはかかりそうでした。 ・
そのうち、「先に宮島に行き、帰りにもう一度寄ってみてはどうか?」と提案があったので、それに乗ること
にしました。 実のところ、「このままここで時間を費やしていたのでは全てが無駄になる。」と思案してい
るところでした。 宮島では厳島神社を十分に楽しんでいただき、しかし大聖院はスキップして帰りを急ぎま
した。 JRとどちらが早いか、待ち合わせ時間、電車への乗り換えなどを考えあわせると、平和公園までな
ら宮島線電車の方が早いかも知れない。 ・
結局発車直前の宮島線電車に走り込んで平和公園に向かいました。 さて資料館の様子はどうか? 木立を超
えて資料館の下を眺めると、ダメです。 昼前ほどではありませんが依然として長い列が出来ていました。・
こうなれば諦めて頂く他はありません。 「あなたの精ではありません。」と慰めてくれるのですが、わざわ
ざイタリアからお見えになって、肝心の資料館をお見せできないのは何とも申し訳なく感じました。 ・
埋め合わせに縮景園を考えたのですが、閉園時間が迫っていて、入れたとしても精々30分、しかもタクシー
での移動が必須です。 新幹線の時間との関係もあり、今回は諦めて頂くことにしました。 「もしもう一度
お出でになるなら、10年以内にしてください。」とお話しし、広島駅にお送りしました。 ・
そうですね。 パンデミック開けの夏休み、しかも山の日からお盆に続く長いバケーションですから、この長
い行列も必然だったのかも知れません。 とは言え、私のガイド経験の中では、これほどの行列は見たことが
ありませんでした。 ・
8月 9日
ギターのレッスンが終わりました
暑いですね。 台風が熱波を運んできます。 我が家は海に近いですから『朝凪』が過ぎれば8時頃からは涼
しい風が通るのですが、この2~3日はエアコンなしでは過ごせません。 窓を閉め切ってエアコンをかけっ
放しで、ずっとギターの練習をしながら日を過ごしていました。 ・
そして今日オンライン・レッスンを受けました。 ソルOP31-10、かなりややこしい曲です。 先月末
の発表会から10日程の練習期間だったものですから、『やっと通った』という感じでレッスンに臨み、様々
なアドバイスを頂きました。 苦労をしていたスラー(フレッドからフレッドに指を滑らせながら音を移動す
る)を全て取って演奏してよい。」ということだったので少し易しくなりました。 これは助かりました。・
複雑な和音で指が届かないところがあったのですが、これは指を立て、肘を大きく左に移動させることで何と
か届くようになりました。 概ね全期間を通じて様々試してダメだったものが、さながらミラクルのように解
決しました。 不思議でした。 次回レッスン(23日)までには何とかやっつけて、次の曲に進みたいと思
っています。 ・
ガイド予定
ガイド・グループの事務局に「まだ担当が決まってないものはありませんか。」と問い合わせたところ、「沢
山あります。」と依頼主と希望日付きで返信がありました。 なるほど、結構沢山ありました。 メールを読
んでいると、なるほど何某かの理由があって担当者が決まらないものもあるようでした。 たった1行で依頼
されると、流石に後にひきます。 依頼するならそれなりの礼儀というものがあってしかるべきと思います。
それはさておき、この中から私のスケジュールに照らして可能なものを幾つか選びました。 まぁ、縁の下の
力持ち的存在の気分です。
かなり先までのガイドになります。 まず8月12日にイタリア人の母娘、月が
変わって9月3日にやはりイタリアから4人連れのファミリー(少年2人)をお迎えします。 9月29日と
10月1日、何故中抜きかは分かりませんが、スエーデンからカップル、そして10月25日にはフィリピン
からカップル、今のところこんな予定を取っています。 ・
他には12月25日の依頼もありましたが、こんなに先の話しだとこちらも予定が立ちません。 今のところ
月1~2のペースですが、まだまだ担当者が決まらないものが増えていると思いますので、改めて問い合わせ
てみようと思っています。 ただ、10月末まで労働力調査、合わせて土地・宅地調査の調査員を受けていま
すので、その合間を縫ってということになります。 ・
ネパールカレーを作ってみました。
たまたまネパールの英語講師が見つかりましたので、ネパールカレーについて様々話しました。 先日京都で
食べたネパールカレーの写真を見せると、「これはインド北部のカレーではないか?」といいます。 それで
いろいろと尋ねてみたのですが、やはり件のカレーが作ってみたくて今日トライしてみました。 ・
フライパンにオリーブオイルを敷き、まずクミン、それから生姜・ニンニクの微塵を炒め、玉ねぎの微塵に少
しの塩を加えて飴色になるまで炒めます。 それからブレンダーに移し、牛乳とトマトを加えてブレンドしま
す。 鶏にコリアンダーをふってフライパンで炒め、これにブレンダーの中身を戻して暫く煮ます。 ・
適当なところで、カレー屋さんがブレンドしたカレールー?(固形ではなくポロポロ)、それに辛いのが好き
なので赤缶のパウダーをしっかり加えて完成させました。 何か青いものはないかと考え、思い付いたのが『
オクラ』、レンジで少しスチームしてスライスしアレンジしました。 ・
こんなのが出来ましたが、どうでしょう。 美味しくないことはなかったのですが、やはり物足りない。 コ
クというか、何か訴えるものがないなぁ。 まだまだ研究が足りません。 ・
8月 3日
京都に行ってきました
『前立腺癌小線源治療』後のケア、様子見です。 結果は著変なし、PSA値は限りなく『0』に近いです。
投薬もありません。 血液検査の結果を見て、CTで前立腺の様子を見て、簡単な問診、これが全てでした。
ただDr.は私の顔を見ると毎回あれこれと雑談をしたがり、結構診察室が長居になります。 ・
今回はいいニュースがありました。 Dr.が新大阪でクリニックを開業することになったそうです。 学閥
と医局のコントロールでDr.の世界はがんじがらめ、なかなかややこしい世界なのだそうです。 このDr
.はそういう上意下達の世界がお好きでないようで、「これで何にも縛られることなく、自由に診療に当たる
ことができる。」と笑ってお出ででした。 ・
「髙橋さん、これは誇張ではなく、私はこの分野では世界のトップに辿り着いたと自負しているよ。」と話さ
れます。 最近ではPSA値200以上、リンパ節に転移している前立腺癌も数例完治させているそうで、治
癒率も100%をキープしているそうです。 そうですね、これからも自由な立場で高リスクの多くの患者を
救ってください。 ・
私のブログをご覧になられている方は、おそらく私と同年代の方が多いのだろうと思います。 そうすると中
には『前立腺癌』で苦しんでおられる方もいらっしゃるかも知れません。 もし治療の選択に迷っておられる
ようでしたらご連絡ください。 『後悔しない治療』をお伝えできると思います。 ・
話しは変わります。 今日昼食に『ネパールカレー』を食べました。 黄檗宗の総本山『万福寺』の近くにひ
なびた感じの小さなレストランがあります。 毎回診察が昼すぎになりますので、今日はこのレストランで腹
ごしらえをしました。 ここには数か月前に一度伺ったことがあるのですが、クレジットが使えないというの
で(現金を持っていなかった)諦めた経緯があります。 今回は大丈夫。 ・
『ネパールカレー』なら『マトン』でしょう。 小柄で端整な風貌をもつマスターがやってきて注文をとりま
す。 「マトンを!」と頼みました。 すると「辛さはどれくらい?」と聞くので、レベルを確認すると、マ
イルド→ホット→ベリーホット→ベリーベリーホット→クレージーだといいます。 そこで今回はベリーホッ
トにしました。 ・
私は汗をかきながら食べるくらいの辛いカレーが好きですが、いきなり挑戦するのも怖いと思ったので、少し
控えめのベリーホットにしました。 舌触りがよく、スパイスの香り豊かな美味しいカレーでしたが、辛さは
物足りませんでした。 次回はベリーベリーホットにしてみます。 ・
またまた話しが変わります。 病院に着いて採血をし、結果が出て診察が始まるまでの時間の長さには全く辟
易とします。 椅子に座ってじっと待つ時間に一番疲れます。 今日も居眠りというよりは、口をポカンと開
けて寝入っていたのだろうと思います。 ・
診察を終えて電車に乗る頃にはもう疲れもピークでしたので、どこかに座りたいと思いました。 ところが電
車は満員、「まぁ20分ほどだからいいや。」と諦めていました。 ところが私を見るなり短パンにハット、
長身の若者がスクッと立って、席を勧めてくれました。 ・
強く勧めてくれたので、お断りする訳にもいかず有難くお受けして、隣に座っていたパートナーの女性にも礼
をいい、「ご主人かな?」と尋ねました。 すると意外にも『バンチ』と短く返ってきました。 『一味』と
か『ダチ』というような意味にとればいいと思います。 ・
お二人の容貌からアメリカ人と日系女性と見ましたので、そのように尋ねてみると、「2人ともフランス人だ
。」と言います。 私は長く外国の様々な国の方と交わってきましたので、余り外すことはないのですが、今
回はすっかり外してしまいました。 ・
さて、私は自分がこのように助けを必要とする老人に見られながら、電車の中では老婦人や赤ん坊を抱いたお
母さんにはよく席を譲るタイプです。 逆に席を勧められたら、大体「いいよ、いいよ。」と丁重にお断りし
ます。 立っているのは結構平気な方です。(今日は流石に平気ではありませんでしたが。) ・
それにしても、外国の若者に親切にされるとはなぁ。 周りには日本人の若者も沢山座っていたし、まぁスマ
ートホンを必死に覗いている若者に席を譲って欲しいとは思いませんが、しかしシャイなんですかねぇ、はた
また日本精神をお忘れかな。 いや、そういう教育は受けてねぇという声も聞こえそう。 それでいいのか?
日本人。 ・
7
月29日
ギターの発表会が終わりました
『枯れ木も山の賑わい』、今回も若者に混ざって発表会に臨みました。 結論から言うと、少しはよくなった
と思いますが、『可もなし、不可もなし』までは届かなかったかな。 ソルOP31-7の方は小さなミスは
あったけれども何とか弾ききれました。 しかし
ソルOP31-8で躓きました。 8分音符で上昇し、16
分音符で下降する部分が3回現れるのですが、下降部分で3回とも躓きました。 ・
かなり厄介な部分で、かなり練習を重ね、発表会直前になって曲がりなりにも弾けるようにはなっていたので
すが、やはり十分にこなれていませんでした。 今考えてみると、フレッドの移動先から目を離さないように
視線とともに指を滑らせることをすっかり忘れていました。 もう一杯一杯という感じで弾いていました。・
この部分がうまく流れていたら、『可もなし、不可もなし』レベルには到達できていたと思います。 もう1
つ、これは決定的な課題ですが、楽譜が読めてないというか、複雑な楽譜に演奏レベルのスピードでついてい
けていませんでした。 OP31-7はフレッドから目を離していても演奏することができましたが、
OP3
1-8は必死で覚えた指の位置を追っていくことしか出来ませんでした。
楽譜を見ながら演奏し、必要に応
じてフレッドに目を移すということがゆとりをもって出来るようになれば、多少なりともいい演奏が出来るよ
うになると思います。 ・
ここがこれからの課題だと思っています。
次の練習曲、ソルOP31-10ではそういう課題を意識しなが
ら
練習を進めているところです。 しかし古いコンピューターはなかなか思うようには動いてくれません。・
一方『ギター弾きの孫娘』の方は、来月のコンクールで演奏する課題曲と自由曲を演奏していました。 それ
ぞれ7~8分程度の曲で、曲の長さも指定されています。 今日から学校のクラブを離れてコンクールに集中
すると言っていました。 コンクールには応援に行こうと思っています。 本選に進み、いい成績を残してく
れればと思っています。 ・
7月25日
エアコンが壊れた
もう30年にもなる年代物のエアコンが壊れました。 室外機は動いているけれども全く冷えません。 止む
を得ず窓を開け、扇風機を引っ張り出してその夜を凌ごうとしましたが、寝苦しいことこの上なし、パジャマ
だけでなく、冷感敷パッドまで汗びっしょりになってしまいました。 何回目が覚めたかなぁ。 ・
30年物ともなれば、いくら何でも修理はかないません。 翌朝電気屋さんに電話をしました。 「6畳の寝
室ですからそれほど大きなものは要りません。」と部屋の様子を話して、「適当なものがあるだろうか?」と
尋ねたところ「『ダイキン』の小型のものが人気商品だ。」と言います。 前々からもしあれが壊れたらこれ
にしようと当たりを付けていた商品だったのですぐに取り付けを依頼しました。 更に1晩暑さをしのいで、
今日やっと快適さを取り戻すことができました。 ・
我が家の電化製品の多くは30年前、つまりこの家に引っ越した頃に買い揃えたものですから、何れも齢30
歳前後になります。 従ってそういう時期が一気にやってきたのでしょう、最近になってリビングのエアコン
、冷蔵庫、電気釜、ガスレンジ、そして寝室のエアコンが壊れました。 物入りが続きました。 洗濯機、電
子レンジはもう少し頑張ってくれるでしょう。 そうすれば、次に壊れる物としたら65キロ余りの粗大ごみ
かも知れないなぁ。 ・
7月21日
一仕事終わりました
今年も引き続き『労働力調査』に従事しています。 前期の調査が7月・8月、後期の調査が9月・10月、
各月に調査票を配布して、調査期間が終了したら回収、そしてチェックして県庁に提出という繰り返しです。
今回は前期7月の調査で、この1週間に調査票の体裁を整え、調査対象の世帯を尋ねて調査票をお渡しし、調
査への協力を依頼します。 事前調査で1度お目にかかっていますし、調査の概要もあらかた説明しています
ので、ここは比較的スムーズに進みました。 調査の方法は紙の調査票に記入していただくか、インターネッ
ト回答の2通りがあります。 インターネットで回答していただければ回収の手間が省けます。 ・
そうはいっても、なかなか難しいところもあります。 調査エリアにワンルームマンションがあるのですが、
ここには沢山の中国の方がお住まいです。 外国の方も調査の対象です。 もちろん外国語の調査票も準備さ
れています。 今回は2人の中国の方が調査の対象になりました。 大体英語は通じないので、スマートホン
の翻訳機能を使って中国語で説明し協力を要請します。 説明もさることながら、調査への参加を説得するの
にも苦労します。 ・
また、概してワンルームマンションにお住いの方は応答してくれません。 聞くところによると、NHKの調
査員を警戒しているのだという噂があります。 夕方窓から電気がついていることを確認してインターホンを
押すのですが、多くの場合無応答です。 こんな場合は何回かお尋ねした後に調査票をポスティングします。
もちろん連絡票に必要事項を記載して同封しておきます。 というような紆余曲折を乗り越えて、今日一応こ
の度の作業を終えました。 ・
頂きました
『39堂主人』から連絡がありました。 「『西瓜』と『トマト』を持って行ってやるから3分後にマンショ
ンのエントランスまで降りておいてくれ。」といいます。 暫く待っているとバイクがやってきました。 『
西瓜』は小振で楕円形の深い緑色の物でした。 トマトはごく普通の路地もの。 ・
『トマト』は毎朝サラダの一品として頂いています。 そして今日『西瓜』を切ってみました。 皮が薄く、
中は真っ赤に熟して、果肉がしっかりと詰まっている感じでした。 これはかなりの秀作です。 肥し、苗、
土壌を研究し、更に適度に摘果して育てたというだけあって、この何年かで随分腕を上げたなぁと思います。
『種なし』ではありませんでした。 ただ、種の粒が小さく、どういう訳かスルリと喉に入ってしまうという
具合で、吹き出す必要は全くありません。 みずみずしいので喉が乾くとむさぼるように頂いています。 有
難うございました。 次は『瓜』ですね。 「飽きるほど食わせろ。」と言っていますから、何れ来るでしょ
う。 楽しみにしています。 ・
更に故郷の従妹からは『桃』が届きました。 岡山と言えば『白桃』ですね。 すぐに子供たちに分けてやり
残りは冷蔵庫で冷やしています。 見たところ少し固いようでしたので暫く熟成させて、スルリと皮が剥ける
ようになってから楽しもうと思っています。 こちらにも毎度毎度有難う。 ・
7月15日
『ポトフ』とやらを作ってみました
何故『ポトフ』を作ることになったのか、話せば長いことながら。 たぶんユーチューブを見ていた時、よく
煮込んだスープ・ディッシュのレシピを見掛けたことがあって、それを作ってみようと思ったのですが、どん
な番組を見たのか、何という料理だったのかが思い出せません。 気に入ったら『お気に入り』に入れておく
なり、レシピ集に貼りつけておけばいいものを。 ・
それでいろいろとそれらしい料理の名前を追っていたのですが、ついに思い当たるに至りませんでした。 そ
れを探している最中、たまたまこの『ポトフ」が目に付いたのですが、その料理はもっと『こってり』したも
のでした。 ネットで見る限りでは(作ったことも食ったこともない)『ブルシチ』や『グヤーシュ』ほど『
こってり』ではなかったなぁ。 『ミネストローネ』に近かったかも知れない。 まぁいいや、材料は揃って
いるし、今夜は『ポトフ』をやってみるか。 ・
一口に『ポトフ』といっても、殆ど無数のバリエーションがあるようです。 まぁ、初心者ですから今回は「
一番簡単そうなものにトライするか」、と思って作ったのがこんな料理でした。 『ベーコン』『ソーセージ
』『じゃがいも』『たまねぎ』『にんじん』『キャベツ』、それに『にんにく』、味付けは『鶏ガラ顆粒』『
酒』『塩』こんなところでレシピ通りでした。 ・
今夜はそれに『白ワイン』にしました。 でも『ボルドー』ではありません。 先日アメリカの大学生のガイ
ドを頼まれて宮島と広島を案内したことはお話ししました。 依頼してきたのは親しかった『第1回青年の船
』の女性メンバーで、後日「お礼です。」と国産の『白ワイン』を贈ってくれました。 ・
白なら冷やしておいた方がよいだろうと1本を冷蔵庫に入れていましたので、今夜はこれを開けました。 い
つもは安手のテーブルワインを飲んでいますので、こんな高級品を飲むと口が腫れそう。 それで『ポトフ』
のお味はどうだったかというと、「ホントの味は知らないけれど、まぁ、こんなところかな。」 ・
7月12日
『梅雨の病』
ここ何日か症状が和らいできています。 私の身体はもう『梅雨明け』を感じ始めているのでしょう。 目覚
めがよくなりました。 明け方の痙攣(両脚)もなくなっています。 もう少しです。 ですが、梅雨が明け
ると、次に来るものは? 夏・・・もう我慢しないでエアコンをガンガン使って乗り切りたいですね。 ・
ギターのレッスンが終わりました
雑談のあとは今月29日の発表会に向けて、演奏曲の練習に集中しました。 幾つかアドバイスがアありまし
た。 音に従って左指をを動かすのではなく、あらかじめ演奏位置に合わせて指を開いておくとか、レガート
では力任せに弦を掻くのではなく、滑らかに手首を回しながら撥弦するとか、そんな細かいテクニックの指導
がありました。 ・
不思議なもので、何度やっても上手くいかなかったところが、指導の後で嘘のように解消することがしばしば
あります。 そんな時には「投資効果があったな。」などと思ったりします。 あと、演奏速度についても指
摘がありました。 曲ごとに指定された速度で演奏するようにアドバイスを受けました。 しかし、この判断
がなかなか難しい。 たとえば『Andante』といえば、『歩くような速さで』という指示なのですが、
それでも随分漠然としています。 なので、いつも具体的に『八分音符』=80、というように指定していた
だいてメトロノームを使いながら練習するようにしています。 ・
あと2週間余りですね。 『労働力調査』などが入ったりしますが、できるだけ練習に集中して下手は下手な
りに少しでもいい演奏をしたいものだと思っています。 ・
友達と逢ってきました
『男の隠れ家』のような食堂(少し大袈裟)で友達と逢ってjきました。 大体月1のペースです。 しかし
今回はどうも様子が違っていて、随分『人恋しく』なっているように感じましたので、『梅雨の病』のゆるみ
を待って今日逢ってきました。 ・
彼は愛妻家で、どこに行くにしても奥さんと『べったり』とくっついていました。 奥さんの方が頼り切って
いるという感じもありました。 ところが、先日その奥さんが玄関で転げて、頭を打って緊急入院したと聞い
ていました。 その後の彼の話しははかばかしいものではありませんでした。 入院が長引き、リハビリも続
いているようですが、退院の目途が立たないのだそうです。 ・
それでやむなく一人暮らしになっているのですが、淋しさが相当に堪えているようでした。 大きな身体で磊
落にみえて、実は相当に寂しがり屋ですから。 「お前の淋しさがよく分かった。」 強がるでもなく、素直
にそんなことを言っていました。 まぁ、私の場合『菩薩様』と別れて10年になりますから、時とともに慣
れてくるところもあります。 でも『淋しさの本質』を知っていますから、そうですね、友達の役目として、
出来るだけ頻繁に慰めてやらなければと思っています ・
散髪しました。
「五月蠅くなったなぁ。」と気になっていた頭でしたが、今日美容院に行ってカットして貰いました。 この
美容院は『菩薩様』が使っていたもので、その頃から娘夫婦、孫娘などもずっと使っています。 10年以上
も通っていると、何もいう事はありません。 黙って座ればそれで全てが済んでしまいます。 ・
ところが今日は半分ほどカットした後で、「どうだ、これから暑くなるから『バリカン』で刈り上げてやろう
か?」といいます。 「『バリカン』ともなると、ちょっと覚悟がいるななぁ。」というと、「長めのものも
ある。 どうだ。」といいますから意を決してやってもらうことにしました。 やってみると、「なかなかい
いなぁ。」などと思っています。 凉しらしいし、なにより洗髪の後が簡単。 暫くこれでいくか。 ・
7月 7日
『梅雨の病』絶好調
もう今日は最高にキツイです。 体中が怠く、脚はジンジン、頭はボーッとしていて、椅子に座って立つ気力
もなくダラーッとして過ごしています。 あと1週間から10日、そうすれば梅雨明けが近くなり、症状も緩
んできます。 もう少しだ。 もう少しだ。 ・
梅雨の時期は辛いので、7月1日以降はガイドを取らないできました。 引き合いは沢山ありましたが、少な
くとも8月になるまではおとなしくしていようと思っていました。 そしたら昨夜8月中旬にガイドの依頼が
あるむね連絡がありましたので引き受けることにしました。 ・
いずれも60代のご夫婦と奥様の妹さんの3人連れだそうです。 いまスケジューリングのためにいろいろと
問い合わせをしているところです。 「スペイン語とフランス語はOK、英語もそこそこ」ということなので
ヨーロッパ人であることは間違いないとして、おそらくスペイン東部の町からではないかと想像しています。
お昼に『キーマカレー』を食って、やっと行動を起しました。 自由民主党員継続の案内がきていましたので
郵便局へ行って『青山繁晴事務所』を介して年会費4,000円を振り込んでおきました。 LGBT理解増
進法の成立をみて、自由民主党への期待はすっかり萎んでしまいましたが、「腐った自由民主党を内部から変
える。」と主張している青山さんに最後の望みを託して党員資格を継続することにしました。 ・
『日本の尊厳と国益を護る会』86名を率いる『青山繁晴議員』ですが、取り組みがドラマチックに展開しな
いことから、期待する向きからはいろいろと批判が多いようです。 しかし、韓国を『ホワイト国』から外し
たり、(無理難題を仕掛ける韓国に対して、国交断絶とか大使召喚などという強硬な意見が多くあったようで
すが、ドラスチックな対策は禍根を残すとして青山さんが提案されました。 この度岸田政権は国内の反対意
見を押切り解除してしまいました。 きっと近い将来後悔することになるでしょう。)重要施設から1km以
内の外国人による土地取得を禁じたり、天皇の男子継承を護ったり、どうかすると反日勢力が跋扈する中で少
しずつですが、着実に前に進んでおられます。 もどかしくはありますが、(あの最強と言われて安倍政権7
年の間にも実現されなかった)憲法改正に向けても引き続き強い指導力を発揮して頂きたい、そういう期待を
込めて応援していきたいと思います。 ・
もし私と同じ思いをお持ちの方がいらっしゃったら、青山さんのおっしゃる「自由民主党が大嫌いな方こそ」
青山繁晴事務所を通して自由民主党に入党してください。 青山繁晴事務所を通して入党した方の人数が青山
繁晴さんの党内での発言力の強化、活動の原動力となります。 ユーチューブ・チャンネル『ぼくらの国会』
をご覧になると、番組の最後に案内があります。 (青山繁晴議員の公式ウエブサイトでもOK) ・
その他には持株の配当がありました。 まぁ孫にちょっとしたプレゼントが出来る程度の僅かな配当ですが、
それでもちょっと嬉しい。 さて、先様から返事があったらスケジューリングをして次のガイドに備えること
にします。 何もしないんじゃ、腐ってしまいそう。 ・
日本が日本じゃなくなる
『LGBT理解増進法制定』『入管法改正』『骨抜きとなった重要土地規制法』『外国人留学生の受け入れ拡大』『増税路線』、このところ嫌なニュースが続きます。 このままじゃ、日本が日本じゃなくなってしまうんじゃないかと憂慮しているのは私だけでしょうか。
そもそも我が国は歴史的にもLGBTに寛容で、国際社会から非難されるような社会ではなかったはず。 なのに何故外圧に左右されて全ての女性を危険に晒すこんなバカな法律を通してしまったのか。 アメリカでは半数以上の共和党州で同様の法律が廃止されていると聞いています。 イギリスもしかりです。 多くの女性の性的被害が顕著になっているようです。 このような先発国の失敗事例に何故学ばないのでしょうか。
入管法改正は実質的な移民政策です。 労働力を補うjために移民政策を勧めてきたヨーロッパでいまどんなことが起きているか、おそらく左派メディアはこんなニュースは報じないでしょうが、フランスでの暴動はある事件を契機とした貧困移民の暴発です。 やがて移民政策を進めてきた国で同様な問題ができてくるでよう。 ことが起きるでしょう。 そういう前例があるのに一次的な労働力不足を補うために何故安易に移民を受け入れるのか。
言語の同じ(過去の)植民地から移民を受け入れるならまだしも、ありませんでした。 「今夜も暑いし、エアコンをかけてゆっくり休もう。」などと思いながらベッドに横になる。 お隣から『ワラビ』を頂きました。 いまどきファーマーズ・マーケットに行くと春の味覚が並んでいます。
・