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4月 6日
第1回青年の船の会in群馬
8月中旬に『みなかみ温泉』で『第1回青年の船の会in群馬』を開催します。 昨年は鎌倉に集まる予定で
したが、手違いで1年空いてしまいました。 とても残念でした。 私たちが青年の船に乗って東南アジアを
航海したのは56年前のことですから、当時はやんちゃな若者だったメンバーも随分歳をとりました。 それ
ゆえに往時を懐かしむ気持ちが一層強くなっているのだろうと思います。 ・
加齢ゆえに1人欠け、2人欠けしてはいますが、それでも今回も10人近く(我が班の総メンバーは22人)
が集まることになりました。 私が声掛けをして、これまで京都、広島、香川と西日本に集まってきましたが
今回初めて東日本に集まります。 老いたとはいえ、まだまだ現役で働いている人も多く、皆さんのスケジュ
ールを調整した結果、図らずも『群馬の夏を楽しむ会』になってしまいました。 ・
今回も友班に声掛けしていますが、聞くところによると他班からの参加希望もあるようです。 わが班と友班
(女性)以外にはこのような会を開催しているグループはないようで、随分羨ましがられているのだと聞きま
した。 それで是非参加させて欲しいという申し出があるそうです。 もちろんウエルカムです。 ・
群馬県人でもないのに、今回もまたお世話をしているのは、『言い出しっぺ』でもあり、また暇人ということ
によります。 ボランティア・ガイドをしていることもあり、比較的こういう企画に慣れている、便利屋さん
ということでもあるでしょう。 ・
さて旅程ですが、現地の幹事さんと相談しながら次のように計画しました。 初日は『みなかみ温泉』に宿泊
し語らいと温泉と料理を楽しみます。 翌日は
ケーブルカーで
『大平山スキー場』に登り谷川岳の全貌を楽し
みます。 そして最終日は『富岡製糸場』を見学して、名物『峠の釜めし』を食べて帰路につきます。 ・
いまこんな集まりを企画書にまとめていて、明日にはメンバー全員にメール送信しようと思っています。 少
し遠いですが「元気なうちにあちこと尋ねておきたい。」という気持ちもあって、私自身今から楽しみにして
います。 ・
4月 2日
仁徳天皇陵
早くに朝食を済ませ宿を出発しました。 今日の予定は『中之島』界隈を散策し、淀屋橋から地下鉄に乗って
終点の『中百舌鳥』まで直行、『仁徳天皇凌』と『反正天皇陵』を拝礼し、時間があれば午後に大阪城を見て
帰宅しようと考えていました。 ・
梅田方面から『大正橋』を渡ると『中之島』です。 進行方向の右に『日本銀行大阪支店』、左に『大阪市庁
舎』、それに連なって『大阪府立中之島図書館』『大阪市中央公会堂』とレトロな建物が続きます。 また、
この周辺は古風な建物と現代建築がよくマッチしていて、なかなかいい雰囲気を醸し出しています。 ・
行ったり来たりしながら暫くこの界隈を楽しみました。 それから淀屋橋の袂から御堂筋線に乗りました。・
通勤時間帯でもあり、地下鉄はとても混んでいましたが、難波までくるとあれほどの人がサッと消えていきま
した。 ここからは人の流れが逆方向になるのでしょう。 今日もまた親切なひとから席を勧められました。
老人ではありますが、そんなに老人に見えるのかなぁ。 ・
『仁徳天皇凌』の最寄り駅は阪和線の三国ヶ丘駅だとは知っていたのですが、大阪中心部の交通網に不案内な
ものですから御堂筋線を利用したのでした。 地図で見る限り終点の『中百舌鳥』駅からはほぼ徒歩区間と見
ていました。 ところがどうやら反対方向に歩いたようで、1時間余りもあらぬ方向をさまよいました。 私
の携帯のナビは全く役にたたん。 ・
やっと南海高野線の見知らぬ駅にたどり着き、疲れ切って三国ヶ丘駅まで戻りました。 不案内な土地では尋
ねるのが一番と思いなおし、『仁徳天皇陵』への道を尋ねたら「私も近くに行くから連れて行ってあげる。」
という老婦人に連れられて、堀越しに森を見ながら『仁徳天皇陵』の正面、『礼拝所』に辿り着きました。・
上空写真だと綺麗な『前方後円墳』ですが、私たちの目線には堀に囲まれた単なる森にしか見えません。 ・
それからボランティアガイドの方に説明をしていただき、天皇陵を拝礼しました。 第16代天皇『仁徳天皇
」、その事績をご存知でしょうか? 『民の竈』で知られています。 私はそのことを青山繁晴氏の著書で知
り、是非一度拝礼したいと思ってきましたが、この度念願が叶いました。 ・
それから隣接する堺市博物館であまたの副葬品などを拝見し、かつ説明を受けました。 この周辺は古墳の密
集地です。 時代とともに変化する墳墓の形や埴輪、武具、土器などの副葬品をかなり時間をかけてじっくり
と説明していただきました。 ・
それから更に裏手の『履中天皇陵』に赴き(反正天皇陵は今回は諦め)拝礼しました。 この陵墓は3番目に
大きい古墳です。 同じく堀に囲また森になっています。 この2つの陵墓を周回し、それから公園内のカフ
ェに立ち寄ってサンドウイッチを食べました。 時に3時14分、やっとエネルギーを供給して帰路に付きま
した。 ・
無知、ぼんやりゆえに昨日も今日も思わぬエクササイズとなりました。 ナビを熟知していたり、交通網に精
通していたら決してこんなことにはならなかったと思います。 でも結果として運動不足を解消したとも言え
ますが、今日32,000歩、昨日18,000歩は流石にやり過ぎだったと思っています。 ・
4月 1日
フォローアップ
『前立腺癌』の経過観察のために大阪に行きました。 Drがここに落ち着くまで、長い間各地を転々として
きました。 滋賀医科大学で手術を受け、その後の経過観察を主治医の後を追って大津、宇治で受けてきまし
た。 その主治医がいよいよ開院することになり、今回から大阪の森小路に行くことになります。 ・
新大阪から地下鉄御堂筋線で淀屋橋、京阪電鉄に乗り換えて森小路なのですが、特急や快速は止まらない小さ
な駅です。 それと気付いて京橋で大急ぎで乗り換えました。 まぁここは気付いたので失敗とはいえません
が、森小路について病院を探すのに迷いに迷いました。 ・
駅から100m程の距離なのに、この方向だと思って歩いたところ、いくら歩いてもそれらしい建物も看板も
見当たりません。 紆余曲折があって、探しあてるまでに小1時間もかかってしまいました。 お陰でゆっく
りと食事も摂れず、塩辛いラーメンを掻き込んでクリニックに駆け込むという始末でした。 ・
クリニックは今日が開院でした。 ペンキの匂いが真新しく、診察室の入り口には関係者から贈られたお祝い
の『胡蝶蘭』の鉢が並んでいました。 この先生を頼って多くの癌患者が訪れています。 暫く順番を待って
『血液検査』、それから診察の段取りとなりました。 ・
結果はPSAも0.1を切り、「順調に回復しています。」という事でした。 CTで前立腺をチェックした
後でドクターが申すには、「順調だけれど、極めて稀に7~8年後にPSAが急上昇することがあるので、も
う暫く様子をみよう。 6か月後に来てくれ。」ですと。 ・
画像まで見せられて説明を受けると素直に従わざるを得ません。 もう暫くは離して貰えないようです。 そ
れから淀屋橋まで戻って梅田の付近に投宿しました。 チェックインを済ませ、英会話のレッスンを受けたあ
とで『お初天神裏参道』辺りをうろついて夕食を物色しました。 ・
でも、どうも雰囲気に馴染めず、結局コンビニで弁当とビールを買ってホテルの部屋で食べました。 そこか
しこに客引きがいて、いい女とみると軟派を仕掛ける若者がいて、ちょっと私のような田舎者には馴染めない
土地柄でした。 さて明日は堺市。 ・
3月31日
パエリア
以前バングラディッシュのドクターが残していったインディカ・ライスが袋(1kg入り)に半分くらい残っ
ていました。 「これ、何とかしなくっちゃな。」と思っていました。 それにアサリとシーフード・ミック
スの冷凍がありましたので、「よし、やってみよう。」と『パエリア』にチャレンジしました。 ・
といっても、初体験ですから、先ずはユーチューブで情報収集をしました。 中に『フライパン1つで作る』
というのがあったものですから、これで一応予習をし、あとはほぼアドリブでトライしました。 足りない食
材は代用品を使いました。 『サフラン』の代わりは『ターメリック』、ミニトマトの代わりは中型のトマト
の微塵切り、それに『オリーブの塩漬け』などです。 ・
最後にイタリアン・パセリを振って、このように出来上がりました。 初めてにしてはそこそこのものが出来
たと思います。 すぐに『枯れ木2号さん』に「こんなものを作りました。」と写真を送ったらすぐに返事が
あって「我が家にスペインの人が来て作ってくれた『パエリア』よりよほど素晴らしい。」とお褒めを頂きま
した。 彼は何度もスペインに行っていますので、目は確かです。 ・
ただし、私は本物の『パエリア』を食べたことがありませんから、味はどうだか分かりません。 明日は診察
のために大阪へ行きます。 もし病院の近くにスペイン料理店があったらお昼に本場の味を確かめてみようと
思っています。 ・
3月28日
アクアパッツァ
友達と逢って『宮島達磨』で『ざる蕎麦』を食べました。 私たちが店に入るなり店員さんが「あぁ、ザルで
すね。」といいます。 当たりだけど、私たちもここでは知られるようになったものだ。 それから『まちの
駅』でコーヒーを飲みながら暫く話しました。 何となく引き合っているいい友達です。 ・
それからマーケットに立ち寄りました。
実は冷蔵庫に『ミニトマト』や『タラの切り身』が残っていて、「
そろそろ片付けないとまずいなぁ、ならば『アクアパッツァ』でも作るか。」と考えていたところでした。・
『バゲット』を買って今夜は『アクア
パッツァ
』なのだ~。 ・
ところが、ついでにちょっと覗いた魚屋さんでとても立派な鯛の切り身を見付けました。 結構値も張りまし
たが、「これを見てしまった以上致し方ないな。 今夜は本気の『アクア
パッツァ
』にしようと思いなおし、
イタリア産の白ワインまで買い込みました。 ・
鯛に塩コショウ、アーリオオーリオ・ペペロンチーノで皮の側のみしっかりソテーします。 そしてアサリと
ミニトマト、ワイン入りの『まったりスープ』の中でフツフツと。 こうして出来上がったアクアパッツァは
図画工作が全く苦手な私にとってはかなりの秀作でした。 ・
「おまえ、また作ったのか。」と言われそうですが、『アクアパッツァ』は日本人の舌にも馴染みやすい、い
い料理ではないかと思います。 かく言う私ももちろん大好きです。 イタリア料理にフランスパンというの
はユニークな取り合わせかも知れませんが、これはグッド・コンビネーションです。 そしてイタリア産白ワ
イン、これは堪えられませんな~。 ・
3月27日
ギターのレッスンが終わりました
今
回の課題は『ソルOP31-16』でした。 前回レッスンのあとこの曲を見たとき「あぁ、この曲なら次
回のレッスンまでにいけるのではないか。」と思ったのですが、「弾き始めて解る曲の難しさよ。」というこ
とで、指示された範囲、曲の前半までがやっとでした。 しかも『しどろもどろ』でです。 ・
この練習曲集はよくできているなぁと思います。 やはり1曲1曲難易度が微妙に上がっていきます。 今回
は高音が伴奏、低温でメロディーを演奏する今まで習った中ではかなり珍しい曲でしたが、「自分の指はいっ
たいどこに行くんだろう。」などと思いつつ、やっと前半が終わった次第でした。 ・
次回レッスンは後半になりますが、ここから『魔の2小節』が始まります。 未経験のハイポジションになり
ますが、そもそも楽譜が読み切れません。 その後は前半の繰り返しに近くなりますので、『何とかここさえ
乗り切れば・・・』と思っています。 こういう曲を難なくこなす人の頭の構造はどのようになっているので
しょうか? 中を覗いてみたい。 ・
3月25日
ボランティア・ガイド追記
先日ガイドの概要をご紹介しました。 その後疲れ果てて2日間を完全休養にあてました。 今朝になって少
し回復しましたので、ギターの練習の間を縫ってもう少しガイドの様子をお話ししたいと思います。 ・
『第1日』
・・・10時前に広島駅に迎えて、広島市内、『縮景園』『平和公園』『平和資料館』をご案内し
ました。 寒い1日でした。 気象状況を読み間違えて(降水確率と気温)薄手の装いで出発したのですが、
遠くの山には昨日の雪が残ったまま、でも彼らとの約束の時間もあり、また広島駅で事前に調べておきたいこ
とがあったので引きかえすこともできず、覚悟を決めてこの出で立ちで通すことにしました。 ・
新幹線改札口は外国の方で溢れていました。 これは異常です。 その彼らがまず探すのは『コインロッカー
』です。 近くの『コインロッカー』は見る見るうちに満杯になっていきました。 そのことを想定して、奥
の方にある、余り知られていない『コインロッカー』の様子を確認し、更には『荷物預かり所』の所在も確認
しておいたのでした。 ・
お迎えするとすぐに荷物を預け、地図を広げて今日の行き先を説明し、まず『縮景園』に向けて歩きました。
ここまでは路面電車を利用するより歩く方が便利です。 初めに園の歴史を説明するのですが、ヨーロッパの
方は貴族による支配の歴史があるため『藩主』という言葉が比較的飲み込みやすいようでした。 これがアメ
リカ人とか、オーストラリアの方になるとなかなか理解していただけず、毎回説明に苦労します。 ・
彼らは東京から京都・大阪、それから広島、これから姫路を経由して東京に戻りますので、このような『大名
庭園』を見る機会がありません。 従って池を中心にアレンジされた庭園のユニークさに感嘆されたようでし
た。 それに全く異なる樹木の様子にも驚かれていました。 また、『わび・さび』の日本文化にも少なから
ず理解を示していただけたように思います。 ・
今回もいつも通り『鯉の餌やり』を楽しんでいただいきました。 この餌代は私のプレゼントです。 そして
ゆっくりと1時間ほどをかけて園を1周して頂いたあと『お好み村』に向かいました。 「『お好み村』まで
電車を利用しますか、それとも歩きますか?」と尋ねたところ「あなたの思うようにします。」といいます。
この人たちはこ終始のように控えめでした。 ・
お好み焼きでも「あなたは何を勧めますか?」と聞いてきます。 奥様は『グルテンフリー』なので、麺では
なく『餅入り』にして貰いました。 そして生地のかわりは両面『卵』です。 トッピングは『トマト・チー
ズ』で食べて頂きました。 後で「『餅』はどうでしたか?」と尋ねたところ、「まあまあ」というようなご
返事でしたので、変わった食感に戸窓われたのかもしれません。 ・
それから『平和公園』まで歩き、『爆心地』『原爆ドーム』『相生橋』と歩き、公園内に入って次々とモニュ
メントを説明して歩きました。 タブレットを使って、多くの資料をお見せし説明の補足を行いましたので、
かなり理解を深めて頂けたのではないかと思います。 ・
1つ気になることがありました。 彼らが友達に「広島に行く。」と話したら、その友達は「大丈夫か? 何
でそんな危険なところにいくんだ?」と窘められたといいます。 被爆後80年も経つのに、いまだにそうい
う風評がまことしやかに信じられていることに驚きました。 ・
彼らは全く信じていないようでしたが、一応こんなデータを示し、そのことへの理解を深めて頂きました。・
まさか日本人の中にそういう人がいるとは思えませんが、原発反対派の日本を貶めたい活動家あたりのプロパ
ガンダを信じている人がいるかも知れません。 それはそれとして、こういう誤解の解消も私たちガイドの努
めなのではないかと思った次第でした。 ・
【注】 24時間後 約1/1,000 1週間後 約1/100,000 その年の暮れには通常レベル・
『原爆資料館』は彼らだけで見学していただきました。 膨大な資料の全てを説明することは出来ませんから
彼ら自身で説明文を参考に見て頂くことにしました。 その多くは『平和公園』のモニュメントを巡りながら
大要を説明しています。 ・
私は喫茶室で『ココア』を飲みながら暖をとっていたのですが、居眠りをしてしまい、遂にはズボンの上にカ
ップごとこぼしてしまいました。 寒いと余計に疲れます。 最終的に宮島の宿までお送りし、第1日目のガ
イドを終えました。 この日はトータル26,000歩を歩いていました。 ・
『第2日』
・・・今日の予定は『厳島神社』『大聖院』を見学した後弥山に登り、お昼にお弁当を食べて頂き
下って『大鳥居』周辺でお別れすることにしていました。 少し早めの出発でしたが、丁度大潮に『厳島神社
』に入り海に浮かぶ神社の美しさを堪能して頂きたいと考えていました。 ・
8時ちょうどに宮島口のフェリーターミナルで『お弁当』を受け取り、『厳島神社』に向かいました。 彼ら
は約束通り神社の入り口付近で周囲の景色を楽しんでおられました。 そして昨日のうちに説明しておいた神
社の歴史などをクイズ形式で振り返りながら説明を続けていきました。 例えば、「神社の建築スタイルは何
というんだったっけ?」「雅楽って何だったっけ?」という具合に。 あやふやながら、結構覚えておられま
したよ。 ・
最後に『火焼前』で記念写真を撮って『大聖院』に向かいました。 お寺の入り口付近で沢山の鹿が陽だまり
に屯していました。 「これを日本では『日向ぼっこ』といいます。」と説明すると、何れクイズが飛んでく
ると思ったか、何回か繰り返して覚えていました。 ・
『大聖院』では私が勝手に思っているこのお寺の『3つの秘密』をご案内しました。 まず最初は『五百羅漢
像』です。 山門を入った石段の左側にあります。 今回は釈迦が入滅した直後の『第1回結集』の意味につ
いてしっかり説明できました。 ・
2番目の秘密は『観音堂』地下の『戒壇巡り』です。 『戒壇巡り』の意味については諸説ありますが、私は
これは真言宗の厳しい修行の場であったと解釈しています。 暗黒の世界に身を置いてわが身と心を磨き、悟
りを開くための修行の場であったと説明しました。 出口では「時々出てこない人がいるんですよ。 でも再
びあなたたちのお顔を見ることが出来て安心しました。」と冗談を飛ばし笑い合いました。 ・
3つ目の秘密は『摩尼殿』階上からの眺めです。 階段が狭く、余りにも急なのでパスすることもありますが
この人達は若いですから、「必ず手すりを掴みながら登って下さい。」とお願いし、彼らだけで登って頂きま
した。 夏場だと涼しい風が吹き込んでより印象的なのですが、今回はさほど強い印象ではなかったようでし
た。 ・
それから麓を辿ってケーブルカーの駅に向かいました。 ドイツでは針葉樹が中心で、このような広葉樹、落
葉樹の景色は珍しいそうでした。 さして待つこともなくリフトに乗り込み『獅子岩』に向かいました。 『
榧谷中継点』から『獅子岩』までのゴンドラからの眺めには流石に心を奪われたようでした。 ・
そしていよいよ登りです。 といっても彼らは若いですからスタスタと登って行きます。 私は昨年末にここ
で痛めた膝を庇うため、サポーターを巻き、登山用のステッキを使って登っていきました。 ステッキがある
とバランスが取れるし随分楽です。 ・
『霊火堂』の謂れを説明し、茶釜のお湯を飲んで頂き頂上に至りました。 展望台では暫くパノラマを楽しん
でおられました。 感慨が深かったようです。 それからベンチに腰を下ろし、『弁当』を楽しんで頂きまし
た。 ドイツにはこういう弁当はないのだそうです。 「サンドウィッチですか?」と尋ねたら、「そうです
。」と笑っておられました。 随分珍しかったようです。 気に入って貰えてよかった。 ・
暫く景色とそよ風を楽しんでいただいて下山しました。 ケーブルカーの駅まで下りると、これは何としたこ
とか、ケーブルカーの順番待ちが遥か下まで続いていました。 しかもこれが、殆ど外国の方で、日本人の姿
は殆ど見ませんでした。 観光客の間に弥山登山がかなり定着しているようです。 短時間で気軽に登れて、
しかも絶景が楽しめるということでしょうか。 しかし、今からこれだけの人数が登って、下りの最終便に間
に合うのだろうかと心配になりました。 ・
下山は丁度大干潮でした。 多くの人が『大鳥居』の足許に屯していました。 私は彼らの記念写真を撮ると
いう最後の仕事をこなして彼らとお別れしました。 今日の歩数は18,000歩、流石に疲れました。 最
寄りの電停から我が家に帰るまで、殆ど脚を引き摺るようでした。 ただ、我が家の近くでは不細工な姿は見
せられないと背筋を伸ばし、スタスタと歩いて我が家に至りました。 WWですね。 ・
3月22日
ボランティア・ガイドが終わりました
長い間ご無沙汰してしまいました。 この間、何もなかった訳ではないのですが、私の『リタイアーメント・
ライフ』としてご紹介するほどの出来事ではありませんでしたので、とうとう今日の久しぶりの投稿になって
しまいました。 ・
そんな中、今日今年初めての『ボランティア・ガイド』が終わりましたのでその様子をご紹介します。 21
日・22日と2日間に亘ってドイツの新婚さんを広島・宮島にご案内しました。 歳のころなら30代の後半
とおぼしき方たちでした。 「新婚旅行ですか?」とお尋ねしたところ、「そのようなものです。」とおっし
ゃっていましたから、まぁ何かのご事情があったのでしょう。 ・
21日は広島でしたが、時に霧雨交じりのとても寒い日でした。 ところが私はというと、上着の選択を誤っ
て薄着で出発したものですから、凍えるような寒さの中での案内になってしまいました。 実際北側の山の頂
きは雪に覆われていました。 ともかく寒くて、遂には舌が回らなくなってしまう始末でした。 でもそんな
中で26,000歩を歩いていました。 ・
22日は宮島でしたが、少し寒さは緩んでいました。 その点では問題はなかったのですが、お二人の希望で
弥山登山をしましたので、ほぼ体力の限界に至ってしまいました。 昨年末に膝を痛めていましたので少し心
配しましたが、膝サポーターと登山用スティックのお陰で何とか乗り切りましたが、この日は18,000歩
を歩き、昨日の長歩きと相俟って、彼らと別れたあとは脚を引き摺るように帰宅しました。 ・
今日はそんなご案内だったことをご紹介し、明日以降に改めてもう少し詳しくお話ししようと思っています。
齢80歳、よく頑張ったなぁと思いつつ、今日はこの辺りで筆を置きます。 ・
3月14日
『黄昏亭』を開店しました
今日のお客様は『カイロプラクター』、おもてなしは『アクアパッツァ』と『ガーリック・シュリンプ』でし
た。 同じ料理を使いまわすようで内心気が引けますが、供する相手が違いますから、まぁそれはそれでよし
としましょう。 ・
彼の『定期健診』が終わるのを待って病院に迎え、マーケットに立ち寄って『バゲット』を買いました。 昨
夕に注文しておいたのですが、焼き上がりが1時になるといいます。 仕方なく30分ほど待って熱々の『バ
ゲット』を手に入れました。 車中にもかなり香ばしい匂いがあふれていました。 ・
我が家に戻って、さあ料理開始。 初めに「アルコールを飲むか?」と尋ねました。 「もし飲むんだったら
送っては行けないよ。 どうする?」 すると、相好を崩して、「少し飲みたい。」と言います。 平素飲酒
をひかえていること、またこの場の雰囲気を楽しみたかったのでしょう。 ・
それで早速『アテ』を作ることにしました。 『ガーリック・シュリンプ』です。 下拵えは済ませておきま
したので、後は調理をするだけ。 味は『枯れ木2号さん』からお墨付きを頂いていますから、塩加減さえ間
違えなければそこそこには味わっていただけるでしょう。 ・
アルコールは『白ワイン』にしました。 この料理には何といっても『白ワイン』です。 どうやら料理もワ
インもとてもお気に入りだったようで、「おい、あんまり飲むなよ。」とこちらが心配するほどの楽しみよう
でした。 ・
それが片付くころを見計らって『アクアパッツァ』の支度を始めました。 魚は『鯛の切り身』にしました。
一度に2人分を作るのは難しい(『アサリ』の量と塩分)ので、先に彼の分を作ります。 その間も彼は『白
ワイン』を舐めていました。 そして、今日のメインの『アクアパッツァ』と『『バゲット』を供しました。
パリパリの『バゲット』と『アクアパッツァ』はグッドコンビネーションです。 『アクアパッツァ』の汁に
浸しながら、1キレ、2キレと追加する端から次々と平らげていました。 気が付けば、約60センチほども
あった『バゲット』はどこぞへ消えていました。 こういう食べ方は、時が経つほどに腹が膨れてきます。・
彼が帰ったあとで、英会話のレッスンを受けました。 今日提示されたトピックスは『いじめ』でした。 「
北朝鮮では『いじめ』をすると、その記録が卒業後も2年間公開されるそうですが、これに対してあなたはど
う思いますか?」と聞かれました。 「それって国家による個人の『いじめ』なんじゃない?」と話は進み、
「道徳教育の復活こそ『いじめ』防止の決め手なのではないか?」というところで議論を終えました。 皆さ
んはどう思われますか? ・
そして膨れた腹を労わるために『芋粥』を作り、『塩鮭』と自作の漬物で質素に夕食を終えました。 ・
3月13日
停電で気付いたこと
昼下がり、英会話のレッスンを受けていたら、いきなりインストラクターの顔が画面から消えました。 シス
テムの方はリトライを繰り返しているようでしたが、いくら待っても繋がりません。 まぁ、相手はインター
ネット事情(電力事情も)の悪い国の事ですから「仕方がないか」と暫く待っていました。 ・
その間に食べそびれていた昼ご飯の準備をしておこうと台所に入り、電気を点けようとして気が付きました。
どうやら停電です。 配電盤を調べて見たのですが、これは我が家だけの問題ではなく、どうやら広範囲な停
電のようでした。 ・
30分ほど待っていたら停電は回復しました。 聞くところによると、私の地域と隣の地域の1,400戸く
らいが停電したようでした。 しかしインターネットが回復しませんでした。 共同配線室で何か異常が起こ
っているに違いないと思い、理事長宅に行って管理人室の鍵を貸してくれるようお願いしました。 そしたら
「家内がいないので鍵の在りかが分からん。 暫く待ってくれ。」といいます。 ・
「もうどうしようもないな。」と諦めて、遅くなった昼ご飯を食べながら小1時間待っていたらやっと回復し
ました。 誰かが何かやったのだろうか。 それはそれとして、この停電を通じて、さて何かをしようと思っ
ても、インターネットがなければ何も出来ない自分に気が付きました。 ・
例えば、明日のレシピ(黄昏亭)の確認をしようと思っても、パン屋さんの電話番号を調べようと思っても、
ガイドの資料を閲覧したくても、明日の英会話教室の講師を依頼しようにも、インターネットが繋がらなけれ
ば何もできません。 ・
普段は何気なく使っているのですが、こうしてトラブルが起きてみて、私の日常生活がいかにインターネット
に密接に関係しているか、いやいかに依存しているか、思い知らされました。 いや、私だけでなく社会活動
全体がいかにインターネットに依存しているか、このトラブルを通じてを改めて認識することとなりました。
まぁ、ライフラインの1つと言っていいでしょう。 そう思うと少々不安になってきます。 長期に利用でき
なくなるとか、乗っ取られるとか、破壊されるとか、そんなことになったらこの社会はほぼ麻痺してしまうで
しょう。 これは一種の恐怖です。 ・
ギターのレッスンが終わりました
ギターのレッスンが終わりました。 『ソルOP31-15』、難曲でしたが、随分甘め判定で1発合格とな
りました。 何でも、ソルが活躍した1500年代のギターは今のものとは違っていて、もっと小さかったの
だそうです。 従って、今のギターで演奏するには無理な部分もあり、この曲に根を詰めると腕を壊す恐れが
あるとかで、「ここまで弾ければ十分です。」ということのようでした。 ・
まさか2週間で曲がりなりにも仕上がるとは思っていなかったので驚きでした。 続いて『ソルOP31-1
6』に入ります。 こちらは親指でメロディーを演奏し、高音側が伴奏を司る、今まであまり経験のないタイ
プの曲です。 ・
しかも、どうやっても私の指が届かない和音がでてきます。 やはりソルの時代のギターで作曲さらたものの
特徴だそうで、現代のギターで無理をして指を壊す人が多いといいます。 恐ろしや恐ろしや。 ということ
で、一部低音を1オクターブ上げて演奏することになりました。 ちょっと指をあててみましたが、結構短期
間でやっつけられる気がします。 とはいえ、やり始めて分かる曲の難しさよ。 ・
3月 9日
ボンゴレロッソ
野菜が不足したので、今朝ファーマーズ・マーケットに出掛けました。 そしたらこの時期にしては珍しく立
派に育った『イタリアン・パセリ』を見付けました。 そこで、はたと思ったのです。 冷蔵庫に『ミニトマ
ト』が残っている。冷凍庫には『アサリ』が眠っている。 だったら、今日のお昼は『ボンゴレロッソ』にし
よう。 ・
『ボンゴレロッソ』、えらいモダンな名前なのですが、要は『アサリ』『ミニトマト』入りのスパゲッティー
です。 しかも簡単メニューの1つです。 他に『ボンゴレビアンカ』という料理もありますが、こちらはも
っと簡単料理で単に『ミニトマト』抜きです。 ご存知とは思いますが、『ボンゴレ』とはイタリア語で『ア
サリ』のことです。 ・
簡単料理ではあるのですが、多少のポイントがありました。 スパゲッティーは指定時間の半分くらいの固さ
に茹で上げます。 そして『アサリ』の汁の中でじっくりとソテーして味をしみ込ませます。 ここがポイン
トのようでした。 従って茹ではじめはよく時間を勘案して。 ・
先ずは半分に切った『ミニトマト』をオリーブオイルでソテーし、適当なところで(煮崩れない方がいいと思
います。)他の容器に移しておきます。 ・
次に、フライパンにオリーブオイルを入れ、この中に潰した、またはスライスした『ニンニク』と鷹の爪を入
れてから火を点けます。 弱火でゆっくりと『ニンニク』の香をオリーブオイルに移します。 『ニンニク』
が少し色づいてきたら『ニンニク』を他の容器に取り出しておきます。 ・
この『ニンニク』を外したオリーブオイルに『アサリ』を入れます。 すぐに『白ワイン』を入れて(量は好
みだそうです。)蓋をし『アサリ』が口を開くまで蒸します。 『アサリ』を一旦取り出し、茹でた固めのス
パゲッティーを『アサリ』の汁の中でソテーします。 澱粉が解けだして少し粘りが出てくるぐらいまでソテ
ーします。 この時水分が全くなくなるとまずいですから、少量のゆで汁を足します。 ・
スパゲッティーの中に『アサリ』と『ミニトマト』、好みで『ニンニク』を戻します。 『イタリアンパセリ
』の微塵切りを振り掛け、さっとソテーして出来上がりです。 後は盛り付けになります。 ということで、
人生2度目の『ボンゴレロッソ』にチャレンジしました。 ・
塩味はスパゲッティーのゆで汁に入っている塩分(1%程度)と、後は『アサリ』からかなり濃い塩分が出ま
すので、それで十分です。 ということで写真を撮りました。 先日『枯れ木2号さん』に写真の撮り方のレ
クチャーを受けたのですが、やはりダメですね。 図画工作に全く弱い私です。 ・
3月 7日
ガイドのお勉強
『平和公園』に出掛けて、現地(『平和公園内』)のボランティアさんに原爆投下後の惨状、それぞれのモニ
ュメントの由来、それに込められた被爆者や広島市民の思い、『平和公園』のコンセプトなどなどの説明をし
ていただき、改めて私自身の説明の補強を行いました。 ・
独善的に『知ってる積り』になってはいけないと思いガイドをお願いしましたが、やはり抜け落ちていた部分
や解釈の違いなど多くの気付きがありました。 また、最近の出来事として公園内にG7の首脳による植樹の
記念碑が出来ています。 まだ若木ですが広島市役所にある『被爆桜』から育てられた苗木が植えられたそ
うです。 このような情報も外国の方をご案内するガイドにとってはとても貴重な情報になります。 ・
もちろん私がガイドであることは伏せておきました。 それを言ってしまえばきっと気遣いされるだろうと思
いました。 被爆2世だと言われていましたが、おそらく60歳台半ばの小柄で気さくなご婦人でした。 彼
女に連れられて、いつも私が辿るコースを逆に歩き、最後に『相生橋』(投下目標)、『原爆ドーム』、『爆
心地』と巡って元安橋の袂でお別れしました。 何より『被爆者』としての率直な声が聞けていいお勉強にな
りました。 有難うございました。 ・
ちょっと追記しますが、この慰霊碑の祭壇に腰を据えて記念写真を撮っている中年の婦人がいました。 どう
やらお隣のどちらかの国の方のようでした。 「そこは祈りの場です。 そんな無礼なことをするべきではあ
りません。」と英語で言ったのですが、気付く様子もありませんでした。 何れにしても道理をわきまえない
セルフィッシュな国々の方がたですから。 ・
それから『お好み村』に出掛けてお昼にしようと思っていたのですが、お目当ての店は今日は定休日でした。
だったら久しぶりにカレーを食べようと思い、近くのカレー専門店に入りました。 この店は相当古く、私が
広島に越してきた頃(概ね半世紀前)からあった店です。 そのころから何度かここで頂いたことがあり、懐
かしさもあって立ち寄ったのでした。 ・
佇まいはその頃と殆ど変わりません。 カレーの見た目も殆ど同じようでしたが、お味は往時とは少し変わっ
ているように思いました。 注文は食券方式になっていました。 少し張り込んで『ビーフカレー』にしたの
ですが、ボタンを押し間違えて、何と『大盛り』を買ってしまいました。 出てきカレーを見てそれと知り驚
きましたが、自分で頼んだものですから仕方がありません。 頑張って全てを平らげはしましたが、少々腹に
こたえました。 ・
それから広島駅裏の歯医者さんまで歩き、歯の点検と掃除をして貰いました。 結構歩きましたので疲れて掃
除の間中居眠りをしていました。 「鼻で息をして! 溺れますよ。」と厳しい衛生士さんに声をかけられな
がらそれでも何度か水を飲み込んで溺れかけてしまいました。 ・
久しぶりの長歩き、次回ガイドに向けての脚ならしの積りでしたが、いささか疲れた1日でした。 そんなこ
とで何と言うこともない私の日常を書き連ねてしまいました。 ・
3月 4日
『黄昏亭』を開店しました
『枯れ木2号さん』をお招きし、『黄昏亭』を開店しました。 彼はこの2人会を『枯れ木会』と呼んでいま
す。 さて今日の料理は『ガーリック・シュリンプ』と『アクアパッツァ』にしました。 彼は生魚に弱いと
いうことなので、海老や鯛にしっかり火を入れてみました。 焼いたり煮た魚は大好きなのだそうです。 ・
先日『アクアパッツァ』を試作し、「こんなものを作ってみました。」と紹介したところ、「これだと焼きた
てのバゲットと白ワインが合いますね。」と返信がありました。 実を言うと、次回の『黄昏亭』のメニュー
には『バラ寿司』とお酒のアテに『天婦羅』を考えていました。 『お雛様』の季節ですので、久しぶりに『
バラ寿司』をイメージしていたのですが、逆提案?があって。急遽『アクアパッツァ』に変更することにしま
した。 ・
それに、1品では寂しいのでお酒のアテに『ガーリック・シュリンプ』を作ることにしました。 『アクアパ
ツァ』はイタリア南部の漁師料理が発祥と言われています。 一方『ガーリック・シュリンプ』はハワイ・オ
アフ島の北端辺りで海老の養殖が始まったのを契機に、1970年代に作られ始めた料理らしいです。 ・
『ガーリック・シュリンプ』はとてもシンプルな料理ですが、ワインのアテには最高の料理です。 事前に数
度試してみましたが、簡単にできて味わい深いいい料理でした。 ただ、海老の皮を剥き、『背ワタ』を取る
という下拵えは手を抜いてはいけません。 もっとも、皮を剥がないタイプの料理もあるようです。 ・
バナエイ海老の下拵えは2日前に済ませ、綺麗に水分を拭き取って軽く塩をし冷凍保存しておきました。 マ
ーケットに並んだものは解凍してあるはずですから、それを再度冷凍すると何か問題があるのではないかと思
い、前日に一度試して見ましたが、特に問題はないようでした。 ・
材料は下拵えをした海老、乾燥桜エビ、ニンニク、パセリだけです。 ニンニクと乾燥桜海老をオリーブオイ
ルでソテーし、そのソースの中で海老をソテーしていきます。 ただし、終始弱火です。 後はパセリをふっ
て盛り付けです。 「これはワインのアテに最高ですね。」 彼はそういいながら持参していただいたドライ
な白、『シャルドネ』を傾けておられました。 ・
一方、『アクアパッツァ』は一見豪華に見えますが、やはりシンプル料理です。 最初に『鯛』の切り身(白
身魚ならタラでもカレイでも)に軽く塩胡椒をしオリーブオイルでソテーし、一旦別のお皿に移しておきす。
皮の側にしっかりと焼き目を付けるのがポイントのようです。 ・
フライパンの油を拭き取って、オリーブオイルでニンニクの微塵切りとアンチョビをソテーしソースの元を作
ります。 ここも弱火です。 この中に白ワインと水を加え、『アサリ』を7~8個、それに半分に切った『
ミニトマト』を5個分入れて煮立たせ、ソースを作って、取り置いておいた『鯛の切り身』を戻し、バターを
加えて更に煮立たせます。 ・
後はパセリを振って盛り付けです。 注意点は『アサリ』からかなり濃い塩味が出ます。 それに最後にバタ
ーを入れますので、塩味が強くならないように注意が必要です。 この料理は焼きたての『バゲット』によく
合います。 いや『バゲット』でなければならないという感じです。 この『バゲット』も彼に持参いただい
たもの(某店特製)です。 『バゲット』をソースに浸して食べるととても美味しいです。 ・
後は『おしゃべりタイム』でした。 彼は建築家で、特にイタリアの建造物に興味をお持ちだったようで、何
度もイタリアを訪れたそうです。 その時に『シャルドネ』に惹かれたそうで、特に『ドライ』な『シャルド
ネ』がお好きなようです。 『シャルドネ』発祥のころの物語を聞かせていただきましたが、話した内容が深
く、また多岐に亘ったため、ここに正確に書くことはできません。 ・
それから音楽とワインはもちろん『能』の話、『東京下町の古い音楽喫茶』の話、『山の家・ビオトープ』の
話、『大阪城の巨岩』の話、『浜田の豚料理専門店』の話、『吉野ヶ里遺跡』の話などなど、話はどんどん弾
んでいって、遂には『黄昏』を迎えました。 他人を飽きさせない巧みな話術に感服し、私はただただ拝聴す
るばかりでした。 ・
その話に触発されて『大阪城』の歴史に触れてみたいと思い、4月の経過観察に合わせて早速大阪にホテルを
予約しました。 もし時間があれば『仁徳天皇凌』も見学してきたいと思っていますが、『大阪城の観光案内
』の所要時間は3時間半と聞きますから、ちょっと両方は無理かも知れません。 ・
3月 1日
3月になりました
いよいよ3月ですね。 それで浮かれて取り留めもなくおしゃべりを。 そろそろ忙しくなりそうです。 2
1日・22日に今年初めての『ボランティア・ガイド』があります。 桜の季節、外国人観光客からの依頼は
もう沢山入っていて、積み残しも出ているのではないかと思いますが、私はこのガイドで脚の様子を見て今後
のガイドのペースを考えることにしています。 ・
今回はいきなり弥山登山が入ります。 しかして今回からゲストにご理解をいただいて登山用の『スティック
』を使うことにしました。 そのために『スティック用の袋』(乗り物の中などで迷惑にならぬよう)も準備
しました。 『スティック』はバランスを保つためにとても有用ですが、沢山の石段を登攀する筋肉にも手を
差し伸べてくれるでしょう。 ・
ガイドではありませんが、ちょっと心配事があります。 そのことはまた改めてお話しします。 今朝は『枯
れ木会』の食材の準備にマーケットに出掛けました。 何を買ったかは一応伏せておきましょう。 今夜にで
も試作・試食して、このメニューでもてなせるかどうか判断します。 ・
話は取り留めもなくあちこちに飛びますが、3月を待ちかねたように『胡蝶蘭』が1輪咲きました。 ここ何
年か花を付けないでいましたが、今年は是非咲かせてみたいものだと鉢を替え、ミズゴケも新しいものと取り
替え、水と肥しを欠かさず、カーテン越しの日向で育てた結果、生き生きと深緑に育って、今朝最初の1輪が
咲きました。 ・
頂いたときには3株だったのですが、今残っているのはこの1株だけです。 この1株は、考えてみれば虐げ
られながら我が家で11年も生きながらえてきました。 この間、花を咲かせたのは僅か3~4回だったと思
います。 心にゆとりがなかったとはいえ、飼い主としてちょっと反省しています。 ・
嬉しい知らせがありました。 私の古い友達で、まだニックネームもないのですが、仮に『タケちゃん』とし
ましょう。 その『タケちゃん』から電話がありました。 昨年末に酒食を共にして以降、2度深刻な病を得
て闘病されていました。 その時の約束で、その後の様子をお待ちしていたのですが、元気そうな声でしたの
で安心しました。 ・
ただ、まだ病み上がりなので暫く静養に努められて、3月末頃に改めて連絡を取り合い、できれば居酒屋で1
杯やりたいと約束しました。 『黄昏亭』にお招きしてもいいのですが、我が家までは少し遠いですから、ど
こかくつろげて便利な居酒屋をさがしましょう。 ・
以上、徒然なるがままに。 ・
2
月28日
ギターのレッスンが終わりました
「なるほどなぁ、そういう練習方法があるのか。」 『ソルOP31-15』、何度やってもさっぱり上手く
いかなかったのですが、
『ソルOP31-14』
を終え、いよいよ本格的に取り組む段になって、この新しい
メソッドを提示されました。 ・
この1曲を3段階に分けて練習し、最終的に仕上げていくという手順です。 楽譜の最初が『三連符』になっ
ていますが、これをいきなり練習するのではなく、この『3連符』の部分を3つに分けて、順次増やしながら
練習していきます。 ・
つまり、第1段階では『三連符の最初の音』+『2音』+『3音』を演奏し、第2段階では『三連符』の1番
目に2番めを加え、そして最終的に全てを演奏することになります。 こういうやり方で練習していかないと
「最終的に全く演奏できない事態に陥るのだ。」と脅されて?います。 ・
そんなことで、今日のレッスンでは
『ソルOP35-14』は一応合格となり、暫くはOP35-16には進
まないで、この曲だけに集中することとなりました。 おそらく、弾き終えるにはもう1か月くらいはかかる
でしょう。 ・
2月27日
『アクアパッツァ』の研究
『冷凍アサリ』を取り出して、『アクアパッツァ』に再度チャレンジしました。 どうですかね、以前作った
ものが余りにもひどすぎたので、それよりはマシだったかな。 塩はかなりひかえました。 最後のバターも
ひかえ目で。 ・
『枯れ木2号さん』に写真を送ったところ、これは『ドライな白』に合いそうですね。」と返信があり、どん
どん話が進んで、『ドライなシャルドネ』と某もみじ饅頭屋さん特製の『バゲット』をご持参いただくことに
なりました。 しかして、急遽メニューを変更することになりました。 ・
当日、いい鯛の切り身が手に入ればいいのだけれど。 それに、何かもう1品考えなければなりませんが、イ
タリアンにするか、和食にするか、どちらがいいでしょうか? 考えています。 ・
2月25日
『天婦羅』の研究
来月初めに『枯れ木会』を開催しようと思っています。 『枯れ木2号さん』をお招きし、またまた
深~い楽
曲や
ギターの話などを拝聴したいと思っています。 もちろんアルコール付きですが、料理にも一家言ある方
なので、さてどんな料理を作ってもてなそうかと思案しています。 ・
メインの料理はもう決めているのですが、もう1品に悩んでいます。 候補は2つ、そのうちの1つが『天婦
羅』なのですが、さて現状の私のスキルでご満足頂けるかどうか、そこに自信が持てなくて、今日再度(2月
6日に作っている。)トライしてみました。 ・
『天婦羅』の命は何といっても食感です。 素材がよくても、あのパリッとした食感がなければ美味しく頂く
ことはできません。 (これはあくまで私見です。) そこで今日はネットでいろいろと調べてみました。・
そこで見つけたのがこのレシピです。 私は今まで出来合いの『てんぷら粉』を使っていました。 これは手
間が省けて便利なのですが、イージー故に物足りないところ(しかとは言えませんが)があります。 (その
実力を引き出せていないだけかもしれませんが。) ・
一方、見つけたレシピは『てんぷら粉』に比べて複雑かというと、決してそんなことはありません。 『薄力
粉』に『冷水』、それに卵ではなく『マヨネーズ』を使います。 たったそれだけでした。 それで早速試し
てみたところ、これは明らかに『てんぷら粉』に勝ります。 (ひどい写真で申し訳ありません。) ・
油の温度は180度とありましたが、このレシピでは、やや高めの200度の方が成績がよかったように思い
ます。 日にちは迫っていますが、この辺りを当面の研究課題にしたいと思っています。 鍋の大きさ、油の
量、一度に揚げる量などなど、まぁ試行錯誤ということになります。 ・
食材はこれからが楽しみです。 今日マーケットで『蕗の薹』をみました。 これから『コゴミ』『コシアブ
ラ』『タラの芽』などの山野草が姿を現わします。 しかして心は今のところ『天婦羅』に傾いています。・
2月22日
アクアパッツァ
長雨が続きます。 『菜種梅雨』というやつでしょう。 『なたねづゆ』、趣のあるいい言葉ですね。 時代
がどう変わろうとも失いたくない、いい言葉の1つです。 とはいいつつ、雨の中何もすることがないのでポ
ロポロとギターを弾いていたのですが、ふと寂しがりやの友達のことを思い出しました。 「1人膝を抱えて
いるだろうか?」 ・
「おい、そばでも食べに行くか?」と声をかけたら、嬉しそうな声が返ってきました。 「宮島達磨』はキャ
ッシュ・オンリーなので、途中でお金を引き出して彼のアパートへ向かいました。 そしていつも通りに『ざ
るそば』を注文しました。 生意気なれど、私の中では、『ざるそば』以外は蕎麦ではありません。 ・
『のど越し』を堪能したあとで、ふと見つけた『パスタ屋さん』でコーヒーを1杯ご馳走になり、彼と別れま
した。 今日は夕食に『アクアパッツァ』を作るつもりです。 私も誰かさんと一緒で、思い始めたらやらな
ければ気が済まぬ。 いやな性格です。 ・
それで、帰り道に直売店に立ち寄って『アサリ』を買いました。 スタッフさんに「アサリを冷凍したらどう
なりますか?」と尋ねてみました。 そうしたら「冷凍すると味が濃厚になるとテレビで言っていましたよ。
」と教えてくれました。 しかして余分に買ったものです。 ・
更にマーケットで『アンチョビ』『真鱈の切り身』それに『ミニトマト』を買いました。 これで概ね材料は
整いました。 それから英会話のレッスンを4コマ受けました。 今日は何だかスムーズに言葉が出てきたよ
うに思います。 『レッスンノート』によれば、2人の講師とも高評価を与えてくれていました。 少しは進
歩しているのだろうか。 ・
それから『アクアパッツァ』の調理に取り掛かりました。 『鱈』をソテーし、『アンチョビ』や『ニンニク
』をベースにスープを作り、『鱈』を戻して暫く煮て『アクアパッツァ』を完成させました。 この料理には
何といっても『バゲット』でしょう。 ・
『魚』は『鯛の切り身』にすべきだったなぁ。 一旦は手に取ったのだけれど。 まぁ、これは『プロトタイ
プ』ですね。 味は塩味が勝ち、トマトはつぶれ、彩悪く、汁気も失い、反省点『てんこ盛り』の結果となり
ました。 ・
『アンチョビ』『アサリ』『バター』に含まれる塩分量の目安がたたなかった。 更に『鱈』に振った塩分量
も多すぎた。 『マッシュポテト』は蛇足だった。 結局最後の火入れが長すぎた。 『overdo』』っ
てところかな。 この失敗を踏まえ、次回は人様に提供できるものをつくろうと意気込んでいます。 ・
2月17日
安物買いの銭失い
ボランティアガイドの説明用として、長い間ペーパーの資料を使ってきました。 写真なども貼りつけていろ
いろ工夫してきたのですが、ある人に触発され、もっとスマートに説明したいと思うに至り、昨年小型のタブ
レットを使い始めました。 これは大正解でした。 説明の補助として効果的に使用することができ、また理
解を深めて頂くために極めて有用でした。 ・
特に動画が効果的でした。 例えば『管弦祭』を長々と説明するより、平安絵巻のように飾られた『管弦船』
が勇ましく曳航されていく様をお見せすれば、それだけで『管弦祭』の雰囲気が伝わります。 後は歴史的な
背景を説明すればそれで十分です。 ・
こうして便利に使っていましたが、段々と動きが遅くなり、遂には動画を含む説明資料の全体が動かなくなっ
てしまいました。 そこで、動画を全て切って、写真や説明資料だけを表示しながらその後のガイドをこなし
てきました。 ・
しかし、便利さを知ってしまったが故に不満はたまる一方で、何とかならないものかとその道に詳しい友人や
メーカーのサポートセンターにアドバイスを求めたのですが、結論は現状の環境では解決の手段がないという
ことが分かりました。 ストレージはSDカードで補えるが、システムを司るメモリー容量が小さいというこ
とでした。 ・
「やはり上位機種を探すしかないか、でも去年投資したばかりなのに、改めて買うとなると物入りだなぁ。」
と迷っていたところ、たまたま覗いた電気屋さんで上位機種が値下げ販売されているのに出くわしました。
どうやらモデルチェンジが近いようです。 でも私の場合、ただ動画を含む説明資料ができれば十分なので新
機種である必要はありません。 ・
そこでスタッフさんに私の使用条件と過去の問題点を話し、「この機種なら使用条件を満足できるか。」と尋
ねてみました。 まぁ仕方がないことですが、断定的な答えは返ってきませんでした。 でも口ぶりからする
とまずまずいけそうな感じでした。 ・
で、暫く『倹約するか!』と思い切ることにしました。 「何を大仰な!」と言われそうですが、あとに『健
康診断』『前立腺癌健診=大阪』『自動車重量税』など、大きな出費が控えています。 「たかがボランティ
アのためにそんな無駄をするのか?」というご批判もあるかも知れません。 しかし、これは私の『生涯学習
』の一貫としての投資でもあります。 ・
さて帰宅して早速このタブレットに動画を入れて確かめてみました。 今のところサクサクと動きます。 前
の機種が次第に動きが怪しくなり、遂には全く動かなくなった経験がありますから、これで全く安心とは言え
ませんが、何とかなりそうだなと期待を込めて「これでやれる!」と思っています。 ・
これから説明資料の再構築をします。 導線に沿って、「ここでこの動画を見せる。」というように再構築し
今年最初のガイド(3月21日、22日)に向けて準備を進めたいと思っています。 ・
ところで『安物買いの銭失い』という格言は大阪が発祥だそうですね。 今では一般的に使われる言葉ですが
元々はあまり褒められた言葉ではなかったようです。 江戸時代には『夜鷹』と呼ばれる『街娼』がいて、安
い料金で身を売っていたそうで、安く買ったのはいいけれど性病をうつされてその治療に結局高額な費用を要
することになるというところからこの格言が生まれたそうです。 翻って最初に安い下位機種を買ってしまっ
たために、結局は改めて上位機種を買わなければならなくなったという、これはこの格言の典型的な事例にな
ってしまいました。 ・
2月16日
『黄昏亭』を開店しました
『黄昏亭』を開店しました。 今日のお客様は『39堂主人』でした。 実は先月末、ギターの発表会のすぐ
後に「お待たせしました。そろそろどうですか?」とご案内したのですが、(奥様が)「『コロナ』に罹った
かも知れないので暫くは無理だ。」と連絡がありました。 ・
「じゃ都合がつくようになったら連絡を下さい。」と返信しておいたところ、先日やっと「都合がつくように
なったのでお邪魔する。」と連絡がありました。 それから急いでおもてなしのメニューを考えました。 こ
の時期は広島ではやはり牡蠣ですね。 2月の牡蠣が一番おいしいと言われています。 ・
他には『アクアパッツァ』とフランスパンも考えたのですが、却下、やはり牡蠣料理ですね。 メニューは変
わり映えもしませんが『牡蠣のオリーブオイル漬け』『牡蠣飯』それに『小鯵の南蛮漬け』にしました。 『
牡蠣フライ』や『焼き牡蠣』は今回はパス。 ・
『牡蠣のオリーブオイル漬け』は『菩薩様』がよく作ってくれた料理ですが、私は迂闊にもその作り方を『菩
薩様』から教わっていませんでした。 ところが、ふとしたことから「由美ちゃんから習った。」と『菩薩様
』の従妹から逆輸入することになりました。 彼女のレシピは一風変わっています。 引き継げてよかった。
『小鯵の南蛮漬け』は最近『常備菜』として試行錯誤しているメニューの1つです。 他には『鯖』を使うこ
ともあります。 それ以外に試した魚はまだありませんが、青魚だけでなくフライ用に調理してある白身魚で
も多分大丈夫だと思います。 しかし今回は小鯵です。 『片栗粉』を振って揚げたのですが。『上新粉』の
方がよかったかも知れません。 ・
『牡蠣飯』は何度か試し、やっと味が整ってきました。 1回目は辛すぎ、しかも醤油の色が強すぎて失敗。
2回目は『菩薩流そばつゆ』を使いましたが、量を控え過ぎてぼやけた味になり、そういう失敗を経て何とか
そこそこの味に辿り着きました。 『39堂主人』にもこれは旨いとお褒めを頂きました。 ・
具材としては『ゴボウ』『ニンジン』(どこに消えたか)『シメジ』『生姜』、それに小さく刻み、出汁汁に
漬けておいた『牡蠣』を混ぜ合わせました。 同じ出し汁に漬けておいった飾り用の牡蠣は炊き上がる直前に
生姜の千切りと一緒にご飯の上に並べました。 炊きあがったら少し蒸らした方がいいようです。 ・
彼にはどの料理も気に入って貰えたようでした。 『牡蠣のオイル漬け』も『小鯵の南蛮漬け』も余分に用意
したものまで全てを平らげて貰えました。 また、写真の茶碗は結構大きめなのですが、なんと盛大にお代り
を3回もして貰えました。 ・
更には『プラム酒』(
写真、『牡蠣のオイル漬け』の脇にある)
がいたくお気に入りで、ボトルを見ながら、
「おいこれを全部飲んでもええんか?」と聞いたものです。 「いいけど、大丈夫か? 35度の焼酎だぞ。
」と答えたけど、結局手酌で全部飲んでしまいました。 ・
そして『おしゃべりタイム』。 話題の中心は政治向きの話し、それに彼の農園の話しでした。 彼も『LG
BT法』の成立には強く反発していました。 現政権はやるべきことをやらないで、余計なことばかりする。
首相だけでなく、自由民主党も腐りきっていて、今では10年前の政権交代前に先祖返りしているように見え
ます。 『39堂主人』もそのように言っていました。 ・
特に『再エネ議連』に所属する国会議員はどうかと思います。 おそらく温暖化の原因がCO2にあると確信
をもってその削減に取り組むというより、再エネ業者に便宜を図ることで利権を貪ろうという連中がこの議連
の内実ではないでしょうか。 甘い蜜に群がる蟻のようにです。 反原発も福島原発を奇貨として『再生エネ
ルギー』に導こうとしている連中でしょう。 ・
しかして国土は荒廃し、『再エネ賦課金』の一部は再エネ業者を通じて政治家の懐に入り、あまつさえ外国に
も流れる。 首になったA前議員の例をみれば、その構図が透けて見えます。 近隣でも岩国市や柳井周辺で
は広大な土地が再エネ業者に買収され、その買収にも国会議員だけでなく地方議員も関わっているのではない
かと疑われています。 ・
外国人に我が国の領土が買いたたかれています。 これを規制するための法整備が急務だと思われるのですが
自由民主党の『土地法制特命委員会』が全く機能していないそうです。 委員長は誰だったっけ? 『LGB
T』を主導したあの議員? ・
上海電力が岩国市の美和地区で広大な土地に太陽光パネルを敷き詰めている。 更に柳井沖の無人島にも触手
を伸ばし始めていると聞いています。 残念ながら、近隣に住む人でさえこの危機に関心が薄いのはとても残
念です。 これって住民の問題ではなく、『マスメディア』の責任ですよね。 ・
こうして書き始めると全く切りがなくなるのですが、この素晴らしい日本を孫子に残していきたい一心でこん
なことを書き連ねました。 『黄昏亭』とは少々かけ離れてしまいましたが、こんなところで今日は筆を置き
ます。 最後に一言、『肝心な真実を報道しない『マスメディア』にくれぐれも洗脳されないようにしましょ
う。 私たちは既にネットという武器を手にしているのです。』 ・