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6月13日
続きの話し(歯科)
先日の治療から1週間が経ちました。 そして今日が再診日。 前回の噛み合わせの調整のお陰か、昨日あた
りから痛みがかなり引いてきました。 そのように申し述べたところ、「それではもう一度噛み合わせの調整
をします。 合わせて部分入れ歯の当りも調整しましょう。」ということになりました。 ・
その後で口内の掃除になりました。 医師自ら歯石を除去し、ブラッシングをして今日の治療を終えました。
そして「もし痛みが出るようだったらいつでも来てください。 日常的な手入れはよくできていますが、歯ブ
ラシだけでは歯石を取り切ることはできません。 半年後にハガキでお知らせしますから予約を取って診察に
来てください。 それと歳とともに歯茎が下がり、エナメル質がのぞいています。 知覚過敏の状態があれば
早めに来てください。」 ・
こんなことで今回の治療は終わりましたが、私はこの歯医者に少し違和感を覚えました。 今まで息子の関り
から何軒か歯医者を移りましたが、どの歯医者にも何人かの歯科衛生士がいて、小1時間をかけて歯石を取っ
たりブラッシングをしたりして貰っていました。 ところがこの歯医者には治療の補助をする歯科衛生士らし
い若い女性が1人付いているだけでした。 そして歯医者自ら歯科衛生士の仕事をしています。 ・
どの歯医者でも2~3ヶ月に1度は口腔ケアに来院するように言われて来ましたが、半年後に健診の案内をし
ますといいます。 そうすると、今までの通院の回数は一体何だったのか? そして極めつけは治療費です。
噛み合わせの調整をして、歯石取りまですれば、今までの経験から3~4,000円にはなるだろうと踏んで
「現金が足りそうにありません。 郵便局に行ってきます。」と言ったところ、「830円なんですが・・・
」と言われました。 ・
「エッ!」と驚いてしまいました。 これはきっとこの歯医者の経営方針によるものなのでしょう。 確かに
何人も歯科衛生士を雇えば念入りな口腔ケアができるでしょうが、人件費が経営を圧迫します。 そこを秤に
かけているのかも知れません。 患者からすれば、安く治療が受けられるのはウエルカムです。 ・
後は治療の質の問題です。 痛みを取り、しかも歯を簡単に抜かないで維持していただいた技量は高く評価で
きます。 しかし、短期的な評価だけで全てを判断することは出来ませんから、次回まで暫く口内の様子を見
ていきたいと思います。 まぁ感触としては、何だかいい歯医者に当ったのかも知れないなという印象です。
この歳になると、咀嚼機能を維持することが健康に生きていくための大きなファクターになります。 そのた
めには歯医者のいいサポートが必要です。 中にはインプラントの本数を売りにする儲け第一主義の歯医者も
いますが、基本的には持って生まれた歯を守り抜いてくれるような歯医者にケアをお願いしたいものだと思い
ます。 こんなところが1週間後の経過報告でした。 ・
6月11日
ギターのレッスンが終わりました
ソル『エチュードOP31-17』、かなりアズッておりましたが、やっと見通しが立つところまでこぎつけ
ました。 いつもなら、「ここまで来ればOKです。」となるところではないかと思いますが、次の発表会no
演奏曲にしていますので、この曲に関しては当面終わりがありません。 ・
何か所か指摘があり、それを踏まえての今後の練習になります。 伴奏で1か所『ファ』の音を『ミ』で弾い
ていたところがあります。 分かってはいたのですが、難しい指の移動でしたし、『ミ』でも音楽的に違和感
がありませんでしたので平気でそこをやり過ごしたのですが、先生の耳はごまかせんでした。 やはり修正で
す。 ・
フレットのどこで音を出すかによって連続させたい音が切れてしまうことがあります。 この辺りにも修正が
入りました。 そしてソル『エチュードOP31-18』の練習に入るように指示がありました。 ここに至
っては演奏曲はOP31-17と18をやらざるをえません。 覚悟を決めましょう。 ・
しかし、ここに来るまでは相当厳しい日々でした。 肩も凝ったし、背中もバリバリになりました。 自分な
りによく頑張ったと思います。 そこで今夜はご褒美にこんなものを作りました。 余り綺麗ではありません
か? ・
6月 8日
天婦羅ソバの辛いとこ
『東海林さだお』さんという漫画家・作家・エッセイストがおられます。 この人の本を読んだことはありま
せんが、先年亡くなった従兄からCDをいただいていて今もよく車中で聞いています。 東海林さんはかなり
の食通・食道楽であるらしく、食に関するお話しはとても諧謔的で、車中で聞きながら思わす頷いたり笑った
りしています。 ・
『あれも食いたい、これも食いたい』というタイトルのエッセイ集の録音なのですが、その1節に『天婦羅そ
ばの辛いとこ』という、ことに面白いエッセイがあり、共感しながら繰り返し聞いています。 ・
「ちゃんとした蕎麦屋の天婦羅は『海老天』であり、立ち食い蕎麦屋の天婦羅は『かき揚げ』である。 ちゃ
んとした蕎麦屋の『天婦羅そば』は座って食べなければいけないし、立ち食い蕎麦屋の蕎麦は立って食べなく
てはいけない。 これを反対にするにはかなりの勇気がいる。」と書き出します。 ・
そして天婦羅の『ころも』の話しになります。 天婦羅の『ころも』は本来接着剤の役割なのだが、立ち食い
蕎麦屋の『かき揚げ』は海老が余りに少量であるため、実は『かき揚げ』の本体なのだと言います。 続いて
立ち食い蕎麦屋の蕎麦の美味しい食べ方を述べます。 ・
温めた蕎麦を丼に入れ、『かき揚げ』とネギを乗せて熱い蕎麦つゆを注ぐ。 そしてト~ンと置かれた蕎麦を
すぐに食ってはいけない。 まず『かき揚げ』の手前に箸を当て、グッと押し込む。 つまり蕎麦と『かき揚
げ』を上下逆転するわけである。 これをやるとやらないでは味が大いに違う。 ・
やがて『かき揚げ』から脂が放出され、蕎麦つゆがまろやかになる。 『かき揚げ』はやがて柔らかくなり、
ふわふわになり、やがてモロモロになる。 このモロモロが美味しい。 最後の蕎麦をツツ~と啜り込み、モ
ロモロのつゆをズズ~と飲み干す。 ・
立ち食い蕎麦屋の蕎麦は食い終わるとすぐに店を出なければならない。 のれんを押し上げ外にでると、そこ
はいきなり世間である。 その世間に脂でてかてかした口を晒さなければいけないのが『天婦羅蕎麦の辛いと
こ』だ。 ・
ストーリーのつまみ食いで、申し訳ありませんが、大体こんな物語です。 私はこの立ち食い蕎麦の食べ方に
大いに共感しています。 昼前後に広島駅周辺に用事があり、しかも時間を急く時には駅中の立ち食い蕎麦屋
でよく『天婦羅うどん』を食べます。 私は蕎麦でなく『うどん』です。 それに『おむすび』を1つ。 ・
そして彼がやるように、『かき揚げ』とうどんの上下を逆転して、脂がつゆに回ってくるまで暫く待って食い
始めます。 暫くは箸でつまめていた『かき揚げ』は、やがてモロモロになり、つゆに溶けていきます。 確
かにこれは美味しい。 最後に1口2口モロモロのつゆを啜って世間に出ていくのですが、私の場合は歯磨き
のためトイレに直行です。 ・
さて、こんな話しを聞いていて『天婦羅うどん』が食べたくなってきました。 しかも麺は凝って『讃岐うど
ん』で。 そこでマーケットに出掛け、冷凍の『讃岐うどん』を買ってきました。 あの『かき揚げ』はちょ
っと作れそうにないので、ニンジン・玉ねぎのかき揚げと、海老天の合作にしました。 。
同じように『かき揚げ』とうどんを上下逆転し暫く待つと、これがびっくりするほど美味しい。 レパートリ
ーが1つ増えました。 早速写真をフィリピンの英語講師に送ったところ、Looks yumme!とかえ
ってきました。 ・
6月 6日
抜歯か?
先月末に激しい歯痛に襲われました。 既に神経を抜いている奥歯なので、いよいよ駄目になったかと覚悟し
て、広島駅裏の行きつけの歯医者に飛び込みました。 女医さんが申すには「もう限界だと思うけど、もう1
度しっかり診察し直して判断したい。 今回は嚙み合わせの調整をするから暫く様子を見て。」 ・
「それはそうとして、あなたねぇ、遠くから来てくれるのは有難いんだけど、あなたもいい歳だし、仮に寝た
きりになったとき口腔ケアのために私が広島から駆けつける訳にはいかないんだ。 だから近くにすぐに駆け
つけてくれる歯医者を見付けておいた方がいいよ。 知り合いの歯医者があるから紹介してあげる。 そちら
に行ってみな。」と突き放されてしまいました。 行政区域を超えて訪問介護はできないのかなぁ。 ・
そして今日件の歯医者に行ってみました。 何とその歯医者は行きつけのマーケットの隣、そういえばここに
歯医者があったなぁ。 明るくて小ぎれいな歯医者でした。 そこで「これこれの歯医者から紹介された。・
奥歯の治療と口腔のケアをお願いしたい。」と申し述べました。 ・
画像診断の結果「歯根はまだ健全だよ。 まだ使えると思う。 ちょっと特殊なテクニックで噛み合わせを調
整しておくので、1週間後にもう一度来な。」 「ただし、暫くはタクアンなどに固いものは食べないでおい
て。 たとえ反対側で噛んだとしてもその影響を甘く見ないで。」 ・
できるだけ自分の歯を残したいと思う反面、駄目なものなら早く治療して痛みや不安から解放されたいとも思
います。 今年の後半は外泊することが多いので、不安を払拭しておきたいという気持ちもあったのですが、
上手くいって今の歯を使い続けられるんだったら、それがベストです。 1週間後に望みをかけましょう。・
ところで、寝たきりになった時、口腔ケアを行政区域外の歯医者に依頼できるのか?という疑問ですが、地域
包括支援センターに問い合わせたところ、「自由診療なら問題ありません。」という事でした。 ただし、「
介護保険を利用する場合は、ケアマネージャーとの相談になります。 行政区域外の歯医者にお願いすること
が出来ないことはないですが、結局はその歯医者さんが訪問介護に応じてくれるかどうかということ、またそ
れなりの費用(出張費等)も必要なので、そこはケアマネージャーとよく話し合ってください。」ということ
でした。 ・
「あなたが今すぐ介護を必要とするようには思えませんが・・・」、と言われましたが、何れそれが必要な時
期がやってくるでしょう。
私のブログにお付き合い下さる方々には、ご同輩もいらっしゃるかと思います。
そんな時のために、
「こんな情報も必要かな。」と思いつつ、私の体験を踏まえてこの記事を書くことにまし
た。 ・
6月 2日
ボランティア・ガイドが終わりました
今回のお客様はカナダの親子でした。 お父さんはフランスからの移民で58歳、息子さんはカナダ生まれの
18歳ということでした。 ケベック州・モントリオールにお住まいで、その辺りには約800万人のフラン
ス系住民が住んでいるのだそうです。 お父さんは分かりやすい英語を話されますが、息子さんと話すときに
はほぼフランス語でした。 ・
広島に1泊されますが、翌日早朝に姫路に発つということで、1日のガイドを依頼されていました。 厳しい
スケジュールにはなりますが、折角ですから宮島もお見せしたいと思い、そのようにスケジューリングし提案
しました。 平和公園周辺の『airbnb』にお泊りでしたので、近くの電停から電車で宮島まで来て欲し
いと提案していましたが、『世界遺産航路』の高速艇に興味があるということで、宮島の高速艇桟橋で落ち合
うことにしました。 チケットも予約しておきました。 ・
そこから『厳島神社』まで歩いて、『大聖院』、干潮時の『大鳥居』を経由して宮島口からJRで広島に戻り
お好み村でお昼を食べて『平和公園』、最後に『資料館』入り口までご案内してお別れするというスケジュー
ルです。 ・
『厳島神社』ではしっかりとタブレット効果が出ました。 『本殿』と『客人神社』の間にある桝形の空間を
ご存知でしょうか? 毎回この空間の説明に苦慮していましたが、ここが『管弦祭』のフィナーレで使われる
様子をビデオで紹介し、あっさりと理解して頂くことができました。 この空間で『管弦船』が勇壮に3回回
転し祭りのフィナーレを飾ります。 ビデオ効果抜群でした。 ・
それから京都から宮島に招来された『寝殿造り』『舞楽』『雅楽』『管弦祭』の説明を終え、『大聖院』に向
かうことにしましたが、事件はこの時起こりました。 『舞台』から『西回廊』に移るところ、回廊が20セ
ンチばかり低くなっていますが、お父さんがここをピョンと飛び降りたらしいのです。 その時、鴨居でした
たか額を打ったようです。 そうとう堪えたと見えて、暫く動けないでいました。 ・
しかも彼は禿頭だったため、余計に堪えたようでした。 ただ、傷や出血はありませんでした。 暫く佇んで
いましたが、やっと元気を取り戻してくれました。 『千畳閣』の縁の下を潜るときには注意を促したのです
が、こんなところに落とし穴がありました。 大男を連れ歩く時には頭上に注意です。 ・
『大聖院』ではいつも通り『五百羅漢』『戒壇巡り』『摩尼殿からの景色』を楽しんでいただきJRで広島に
引きかえしました。 彼らが車中で申すには、「昨夜の夕食に『お好み村』で『お好み焼き』を食ったので、
お昼は他のものにしたい。」だと。 ややこしくなるから、スケジュール通り動いてくれよ。 ・
にわかに言われても困ります。 まぁ、駅中には日本食のレストランがありますから、そこでもよかったので
すが、ラーメンはどうかと水を向けたところ、「それがいい。」といいます。 それで駅近くの『ガバ』でち
ょっと濃いところを食ってもらうことにしました。 結構お気に入りだったようです。 ・
それから電車で平和公園に向かい、いつも通りに施設を案内して回ったあとで『原爆資料館』の入り口までご
案内し、予定通りそこでお別れしました。 ・
なお、5月30日・31日に計画していたアメリカからのお客様のご案内は、先様の都合で中止になりました
。 なんでも大阪で脚を痛めたそうでした。 ・
6月 1日
傘寿
今日は私の80回目の誕生日でした。 最近よく『80歳の壁』という言葉を耳にします。 本のタイトルだ
そうですが、私はそれを読んでいません。 ただ、内容は大体想像できます。 確かにその歳が近くなって、
体調の変化を感じます。 例えば足腰がだるいとか、疲れやすいとか、昼間に眠気が強いとか、このところそ
ういう変化を強く感じます。 ・
壁というからには、その壁を乗り越えれば・・・ということがあるのでしょうか。 ある先輩によれば、そこ
が堺で、そこを乗り越えられれば後は『いきり』(多分岡山の方言、『いきおい』のこと)で生きていけると
いう事らしいです。 そのように期待しておきましょう。 ・
とうことで今日『傘寿』のお祝いがありました。 子供たち、孫たちが集まって広島駅近くのホテルのレスト
ランで『祝傘寿』の昼食会をプレゼントしてくれました。 洗練されてた和風レストランで、料理もなかなか
美味しかったです。 久しぶりに家族が全員集まって楽しく過ごすことができました。 ・
孫たちが近況を報告してくれました。 息子の長男、娘の長女は何れも高校3年生です。 孫息子は写真クラ
ブに入っていて、県や市の大会で何度も優勝、入賞を果たしているといっていました。 なるほど、構えも堂
に入っていました。 特に建造物の写真を得意としているようです。 私の血ではなく、息子の血を継いでい
るとすれば将来が楽しみです。 ・
孫娘の方は『ギター弾き』です。 4歳からギターを始め、もう相当のレベルに達していると思われますが、
現在は基本に立ち返って基礎練習に集中しているそうです。 まぁ大事なことだと思います。 先日は山陰ギ
ターコンクールのジュニア部門で1位、市長賞を頂いたそうです。 次回は山口で、上級クラスにチャレンジ
するようで、「ファイナルは大学生になってからにしなさい。」と先生に言われているそうです。 山口には
応援に行こうと思っています。 ・
娘の長男は小学6年生、息子の長女は中学2年生です。 孫息子はクラブチームで『バトミントン』をやって
います。 お遊び程度と思ってクラブに入れたところ、選手養成が目的のクラブだったと笑っていました。・
一度試合を見に行きましたが、ラリーも駆け引きも小学生とは思えないレベルのように感じました。 ・
孫娘は剣道をやっています。 試合を見に行きましたが、体格は劣るものの積極性があり、剣さばきもなかな
かいいと見ました。 市の大会で2位になったと賞状とメダルを見せてくれました。 学校とクラブの両方で
やっているようで、自分からやりたいと言って始めたようですから筋金が入っているのでしょう。 ・
そんなことで、この歳になると孫たちの活躍が一番の楽しみになります。 その楽しみとともにもう少し頑張
ってみようと思ったことでした。 「まだまだガイドや英会話・ギターは続けるよ。」 子供や孫たちに背中
を見せながら生きていく積りでそんな約束をしました。 楽しい一時でした。 「みんな有難う。」 ・
5月25日
『枯れ木2号』氏邸にお邪魔しました
24日の夕刻になって『枯れ木2号』さんからご招待がありました。 曰く「25日に我が家に来客がありま
す。 あなたと同じように観光ガイドをしている人なので話しが合うでしょう。 一緒に食事をしませんか?
」というお誘いでした。 実のところ『黄昏亭』を開店したばかりであり、恒例の『梅雨の病』を発症しまし
たのでちょっと厳しかったのですが、きっと興味深い話しが聞けると思い快諾しました。 ・
「私はペペロンチーノを、家内はサラダなどを作るつもりですが、何か1品作ってお持ち願えないか?」と要
請がありました。 さて困ったぞ。 それから冷蔵庫の中を探りました。 まだアジの冷凍が残っています。
そうすると『アジの南蛮漬け』ができる。 あと1品。 冷凍海老とみかんがある。 これで『サラダ』と決
めたのですが、何か物足りない。そう思ってマーケットに出掛けました。 ・
マーケットの果物売り場で様々物色していたところパイナップルに目が止まりました。 袋入りで小さく刻ん
でありました。 手間が省けます。 色目もいいし、これはいいなぁ。 こうして『海老とフルーツミックス
・サラダ』を作ることにしました。 海老は皮を剥き背ワタを取って、沸騰したお湯に離し、すぐに火を止め
る。 これでじっくり煮えてくると海老の色合いが至極よろしい。 味付けはレモン汁と塩胡椒。 バジルの
苗から先端を少し分けて貰って飾り付けました。 これは色合いがいいとなかなかの人気でした。 塩胡椒が
『酸っぱみ』とよくマッチしていたなぁ。 ・
そして食卓にはこのような料理が並びました。 なかなか多彩です。 中央右上が『サラダ』、その下が『南
蛮』です。 そしてワインで乾杯し、夕食会が始まりました。 前もって『枯れ木2号』さんから「たぶんボ
ランティアで観光ガイドをやっている人だと思う。」と聞いていましたが、お話しを聞いてみると、とんでも
ない才女でした。 ・
彼女は『全国通訳案内士』の国家資格をお持ちのプロの観光ガイドです。 高度な外国語能力に加え、日本全
国の歴史、地理、文化等に関する質の高い知識が求められる『国家試験』をクリアし、県知事から免許が交付
されます。 私ごときの手が届く資格ではありません。 ・
そしてお客様の要望に沿って全国を案内して回り、多い時には年間200日のガイドをこなしてきたと話され
ました。
また、場合によっては20人以上のグループを扱うこともあるそうで、ガイドの端くれとして、卓
越した手腕を思わざるをえません。 「長くやって来ましたから。」とさりげなく話されましたが、スケジュ
ーリング1つをとってみても、とても真似の出来ることではありません。 ・
実はそれだけではなかったのです。 『コスタリカ』の大学院で『教育学』の博士号を取得され、『ボサノバ
』のソリストであり、近々広島でもコンサートをやるとお聞きしました。 まさにスーパーウーマンです。・
私はただただ恐れ入りながらお話しを拝聴しておりました。 ・
1つ意を強くしたお話しがありました。 このように多くの外国の方と交流する中で、他の国にはない日本人
の特殊性を見るということでした。 たとえて言えば、『奥ゆかしさ』というような心の動き、このような感
情は同じ東洋人の中にも見ないということでした。 同感です。 私も多くの外国の方と交流する中で『ふる
まい』を含めてそのように思います。 ・
加えて『枯れ木2号』さん、奥様の音楽を通じた国際交流のお話しなども楽しませていただき、有意義でもあ
り、楽しくも貴重な時間を過ごさせていただきました。 お招き頂き有難うございました。 ・
5月24日
『黄昏亭』を開店しました
『39堂主人』をお招きし『黄昏亭』を開店しました。 ご招待した後で、例の『梅雨の病』が始まりました
ので少し後悔しましたが、まぁ、気力を振り絞って頑張りましょう。 ただ、外出が辛かったので、当初予定
の『アクアパッツァ』と『ガーリック・シュリンプ』は取りやめて、冷蔵庫にある食材で対処することにしま
した。 ・
しかしておもてなしは『鯛そうめん』と『小アジの甘酢漬け』、『小松菜のおひたし』になりました。 鯛と
言っても本鯛ではなく、小型の『れんこ鯛』で、パッキングして幾つか冷凍してあります。 また、『小アジ
』は冷凍ものを買って同じく冷蔵庫に保存してあります。 『大葉』も『茗荷』もありました。 これらの料
理は何度も紹介していますので写真は省略します。 ・
今日は政治向きの話が中心でした。 岸田政権と首相自身のだらしなさ、自民党以外の受け皿の不在 特に期
待していた維新の最近の混迷と不甲斐なさ、そんな話しになりました。 「1国のリーダーに相応しい政治家
は本当に少ないなぁ。」 情けなくもこんな話で一致してしまいました。 ・
「高市さんはどうだろう?」といいます。 仮にフルスペックの総裁選になったとして、高市さんが地方票の
多くを獲得したとしても、議員票は彼女には集まらないだろうな。 自由民主党は今や保守政党でなくなって
いるし、リベラル色の強い党内の抵抗があると思う。」 ・
「高市さんは政策面に強いし、肝も座っている。 経済安保法の成立に見るように、粘り強く闘争心も強い。
1国のリーダーとしての資質は高いと思う。 ところで青山繁晴さんをどう思うか。 私は彼の卓越した指導
力に期待している。」と水を向けました ・
「しかし彼には際立った政治的な動きが見えないがどうか?」と聞かれました。 ここでインターネットを中
心に情報収集している私と、一般メディアからの情報に偏っている彼との意見の違いが鮮明になりました。・
保守色の強い青山さんは既存メディアから完全に無視されています。 従って彼は『日本の尊厳と国益を護る
会』も『政りごと変革会議』も、彼の安全保障政策、エネルギー政策、移民政策などの党内での動きを殆ど掴
んでいないようでした。 ・
また、『日本保守党』、先日行われた東京15区補選の情報も入っていないようでした。 そこで、青山繁晴
議員んの『ぼくらの国会』、『15区補選の候補者だった飯山陽さんの演説』の一部をユーチューで見て頂い
て幅広い情報活動の大切さに理解を求めました。 この辺りから一方的な話しになってしまい、少し後悔して
います。 まぁ、彼のことですから、きっといろいろと研究するでしょう。 近いうちにまた話したいものだ
と思いつつ、今日の『黄昏亭』をお開きにしました。 ・
5月16日
ボランティア・ガイドが終わりました
5月15日、16日と2日にわたってドイツのご夫妻をご案内しました。 奥様は2回目の来日、ご主人はこ
れが最初の訪日ということでした。 関空に入り、大阪を少し歩いて、すぐに広島にお見えになりました。・
そして長崎に向かうところまではスケジューリングしているけれども、それ以降はご主人次第だとおっしゃっ
ていました。 「本当ですか?」と問いただすと、愉快そうに笑っておいででした。 ・
『15日』
は広島。 ホテルにお迎えし、先ずは『縮景園』に歩くあいだ、随分朗らかな人柄に触れましたの
で、今日は気楽にご案内できそうでした。 この人達は自然に親しむ流儀と見えて、特に園内の『薬草園』『
竹林』『茶畑』に親しみ、『茶室』や『四阿』に見る『詫び・寂び』にも理解を示して頂けたようでした。・
今回は『堀越に見る天守の絶景』はスキップしました。 要望に全てお応えするとなると、どこかを削らない
と時間が足りません。 広島城ではジオラマに見る城郭に興味を示され、本丸内部の配置、天守の役割、内堀
・外堀、櫓の配置などの防御機能、それに『縮景園』の位置などかなり熱心に質問されました。 ・
そしてお楽しみ『お好み村』にご案内しました。 馴染みの店はお休みでしたので、こんなときいつもお世話
になるお店に入って頂きました。 長歩きの精もあるでしょうが、ご主人も奥様もgood appetit
e大きな牡蠣や牛肉をトッピングし、ペロリと平らげられました。 そして口を拭いながらperfect!
とおっしゃったものです。 ・
平和公園、資料館には特筆することはありません。 説明は総じてよく聞いていただけたと思います。 あえ
て言えば、ちょうど修学旅行シーズンで、平和公園には小中学生が溢れていましたので、やり辛さは否めませ
んでした。 資料館内での説明はしないことにしています。 展示物が多く、物理的に無理な面もありますが
公園内で私の説明をしっかり聞いていただけておれば、展示物の意味は自ずから理解できるものと思い、最近
ではそのようにしています。 ・
『16日』
は宮島。 宮島を案内する場合はご自身で宮島口駅までお出でいただくことにしています。 我が
家は宮島に近いですから、小1時間かけて広島まで赴き、そこから宮島に引きかえすのは少々辛いです。 今
回も宮島口駅に出迎え、コンビニで注文しておいた弁当を受け取って宮島に向かいました。 ・
今日は弥山登山があります。 取り敢えず『獅子岩』までケーブルカーで登って、そこで弥山山頂に登るかど
うか判断して頂くことにしていました。 もし無理なようなら『獅子岩展望台』周辺で景色を楽しみながら昼
食という段取りにしていました。 ・
ところが、今日は風が強い。 海岸では砂塵を巻き上げるほどの強風でしたので、電話で運行状況を確かめた
ところ、案の定「見合わせ中」というご返事でした。 「一応様子を見ますが、午後には更に強風の予想なの
で無理かも知れませんね。」と聞き、取り敢えず『大聖院』にご案内することにしました。 ・
いつも通り『五百羅漢』を見て、『戒壇巡り』を潜って、『摩尼殿』に登ったところでケーブルカーの様子を
確かめてみました。 やはり今日は無理なようです。 そうすると十分に時間があるので、大師堂の下に作ら
れた『遍照屈』にご案内しました。 ・
『遍照屈』は『四国八十八か所』を易行化した施設で、室内に各寺の本尊八十八体が並べてあり、その足許に
各寺のお砂が埋めてあります。 ここでお砂を踏みながら全てのご本尊をお参りすれば、四国を巡ったと同じ
功徳があると言われています。 何が言いたかったかというと、私の説明を聞いた奥様が1体ごとに手を合わ
せ、全てを拝んで回られたのです。 悟りを開きたかったのでしょうか。 ・
登山しないとなると、お弁当を開く場所を探さなければなりません。 丁度『大聖院』の脇に小川を挟んで石
組みが作ってありましたので、ここで腰をおろすことにしました。 各々場所を選んでお弁当を開きました。
鹿に襲われる恐れもありましたが、この辺りにはさほど多くはなく、1頭が私のお弁当を狙いに来ましたので
追い払っておきました。 ・
それから『厳島神社』『千畳閣』と巡り、全ての予定はお終い。 ただ「長崎までの切符を買うのを手伝って
欲しい。」という要望がありましたので、そのサポートを済ませ、宮島口駅でお別れしました。 今回のガイ
ドはこんな様子でした。 ・
5月14日
ギターのレッスンが終わりました
『ソルOP35-17』、結構長い曲です。 そのうえ伴奏部分を人差し指と親指に指定されており、後半に
フレージング、なんだぁかんだぁとややこしい曲です。 しかして昨日になって、間違い間違いしながらも何
とか最後まで通して今日のレッスンに臨みました。 ・
今回は雑談もなく、指の切り替えが難しい部分の演奏方法についてみっちりと指導を受けました。 また開放
弦を利用して滑らかに演奏する方法、音の抑揚の付け方などの指導を受け、少しはマシになってきたように思
います。 なるほどなぁ。 ・
「これだと発表会にいけますね。」と言われましたが、どうですかね。 引き続き『弾き込んで』いくこと、
合わせて次回までに『OP35ー18』にもトライするよう指示されました。 もう肩も腰もバリバリなのに
なぁ。 ・
『さんすい会』
午後に広島市内に出掛け、ある会合に参加しました。 この会は気の合う昔の職場の同期が月一で集う『こじ
んまり』とした集まりです。 『さんすい会』とは毎月第3水曜日に集まる(基本的に)ことから、洒落者が
そのように名付けたそうです。 ・
主体は私より3期年下のメンバーなのですが、必ずしも同期ばかりではなく、様々な繋がりから若い人も混ざ
っていました。 私は最近古い友達から参加を勧められ、皆さんの了解を頂いたうえで今回から新メンバーと
して参加したのでした。 ・
「格調の高そうないい名前でしょうが。」とくだんの洒落者がいいますが、実態は飲んで騒いで昔を回顧した
り、近況を報告したりの、そんな集まりです。 今回は広島駅前の居酒屋でしたが、どうやらここがホームグ
ランドになっているようでした。 今日のメンバーは私を含めて5人、欠席が2人、他に長期の病欠が1人い
らっしゃるようでした。 ・
歳こそ違え、ほぼ全員が同じ職場で働いたことがあり、或いは仕事の関係で浅からぬ関係があった人ばかりで
すから、改めて挨拶するほどのことはなく、「やぁやぁ。」と「混ぜてくれて有難う。」で、後は1杯飲みな
がらあれやらこれやら話し乍ら時を過ごしました。 私は何処? ・
やはりこの人が話題になりました。 本社から落下傘でやってきた『ジャイアン』のような上司でした。 こ
の会だけでなく、大抵の飲み会での話題の常連さんです。 今思えば、あの北の独裁国家の大統領を想起させ
るような人でした。 手にかかった人も沢山見てきました。 そのため、精神を病んだ人も何人か見ています
。 一方で愛された人もいましたが、この人もよく引き合いに出てきます。 「彼は立派な人だったなぁ。」
とそんな話しもありました。 ・
酒が入るたびに、次第に話しに『尾ひれ』がついて、笑いとともに時は過ぎ、次回からは私にも直接案内が頂
けるような段取りになりました。 次回にはきっとあの『茅渟夢想氏』にもお目にかかれるでしよう。 楽し
みにしています。 また今回は明日からのガイドに備えてアルコールを少し控えましたが、次回は心置きなく
楽しみたいと思っています。 ・
5月11日
娘のコンサートに行きました
困ったことに長く悩まされています。 切迫尿と切迫便です。 特に活動中、例えば歩いている時なんかにし
ばしばこれが起こります。 そして何度も深刻な状態を経験しています。 先日の『山の家』でのこと、音楽
会の後で暫くあちこちを散策していたら急に怪しくなって、すんでのところでトイレに駆け込みました。 間
一髪というところ、我慢に我慢を重ねてやっとトイレに辿り着き難を逃れることができました。 ・
これは歳のせいと言う訳ではありません。 5年前に『前立腺癌』の手術を受けた後、最初は切迫尿だけだっ
たのに、そのうちに切迫便にも悩まされることになりました。 そのため、例えば駅まで歩く間、ガイドの間
など、いつもトイレの位置を頭に入れながら行動しなければなりません。 その準備がないと、その時のよう
に深刻なことになってしまいます。 ・
見知らぬ土地を歩いているときが極めて危険です。 今日もそうでした。 広島駅からコンサート会場の南区
民文化センターに歩く間にそれは起こりました。 念のために広島駅で排尿を済ませ、スタートしましたが、
便意は全くありませんでした。 それで安心して歩いたのですが、途中からだんだんと怪しくなりました。・
どこかで用を足さなければ、喫茶店があればそこでもいい、コーヒーを1杯頼んでトイレを貸してもらおう、
やゝ焦りながら喫茶店を探すのですが、こんなときにはなかなか見つからないものです。 ・
区民文化センターまで持つだろうか、どうしてもトイレが見つからなければ、そこまで我慢するほかありませ
ん。 脂汗をかきながら歩いていると、幸運にも見つかったのです。 神社の脇にトイレのマークが。 便意
が襲ってくると立ち止まっておさまるのを待ちながら、やっとの思いでトイレに辿りつき用をたすことができ
ました。 今回も危なかった。 ウオッシュレットはなかったけれど、そんなことを言っちゃおられない。・
本当に有難かった。 それで後で本殿に赴き、お賽銭をあげて拝礼し、感謝を申し上げました。 ・
前置きがとんでもない話しになりました。 先日娘からメールがあり、「コンサートがあるけど聴きに来ない
か? もし来れるようだったらチケットを用意しておく。」と連絡がありました。 もちろん一も二もなく「
行かせてもらう。」と返事をしておきました。 ・
コンサートは『波多野睦美レッスン生によるコンサート』という名称でした。 娘はこの先生のレッスンを受
けているのでしょう。 レッスン生の顔ぶれには、『エリザベトシンガーズ』のメンバーがかなり含まれてい
ました。 ・
娘の歌声を聴くのは久しぶりでした。 若い頃には『エリザベトシンガーズ』の定期演奏会や、個人演奏会で
しばしば聴いたものですが、最近ではすっかり途絶えて寂しい思いをしていました。 最近は合唱指導、合唱
指揮をメインに活動しているようでしたので、まさか歌声が聴けるとは思っていませんでした。 ちょっと嬉
しかったですね。 ・
彼女の曲はR・シューマンの『女の愛と生涯』から『彼に会った時から』と『彼は誰よりも素晴らしい方』の
2曲でした。 若いころからドイツ・リートを得意としていましたので、やはりドイツ歌曲から選んだようで
した。 やや細いですが、柔らかいいい歌声でした。 ・
また聴けるといいなぁと思います。 聴かせてもらえれば、土産話として『菩薩様』にああだった、こうだっ
たと話してやることができます。 しっかり仕入れて逝くから、まぁ、待ってておくれ。 ・
5月 5日
山の家
『枯れ木2号さん』のご招待で、『山の家』にお邪魔しました。 『山の家』から眺めると、まさにここに日
本の原風景を見ます。 そよ風が草叢を白く染めながら渡っていきます。 田植えの準備が整った水田からは
蛙の声、遠くに鎮守の森の杉木立、川をせせる子供たちの声も聞こえてきます。 童謡『ふるさと』を彷彿と
させる何とも素晴らしい環境でした。 ・
前庭に湧水を引き込んだ『ビオトープ』があり、菖蒲、あやめ、かきつばたが植えてあります。 そういえば
今日の集まりの中に造園をされる方がいましたので、或いはこの方の設計なのかもしれません。 まだ出来た
ばかりですが、時を経て寂びていけばきっといい庭園になるでしょう。 ・
集まりは誠に多士済々な
皆さん
でした。 『枯れ木2号さん』は建築家、前出の『庭師』、『機械工具の専門
家』、『壁画アーティスト』、『フランス語教師』、『ジャズ・ボーカリスト』、『演劇演出家』などなど、
ちょっと引いてしまいそうな面々でした。 ・
片隅の『かまど』から2筋の煙が上がっていました。 大釜で筍を茹でていましたし、『筍ご飯』も煮えてい
ました。 その脇に宴席がしつらえられました。 野趣よろしく、お天道様の下でご飯が頂けるようです。・
そして出てきた料理はまさしく春の味覚でした。 『筍ご飯』、『筍の木の芽和え』、『メンマ』、『筍の煮
付け』、『ふきの煮物』、他に『菜の煮付け』もありました。 『春の味覚』と大自然、誠に贅沢でした。・
ご馳走様でした。 ・
デザートに『かしわ餅』が出ました。 これも『春の味覚』の1つです。 『かしわの葉』の蒸し具合と香り
がよかったので私は葉ごといただきました。 『草餅』の『よもぎ』の香りは季節感もさることながら郷愁を
漂わせます。 ・
暫く歓談した後は音楽鑑賞でした。 ギターリストの佐藤紀雄先生の伴奏、『枯れ木2号さん』のお嬢様のソ
プラノ、ご主人のテノールで、『朧月夜』、『からたちの花』、『待ちぼうけ』などなど昔懐かしい歌を聴か
せていただきました。 因みに、佐藤紀雄先生は私たちの先生の師匠、その弟子が私たちですから、私達の大
先生にあたります。 先生の演奏を何度か聴かせていただいたことがあり、演奏会の後で、暫くそんなことを
談笑しました。 ・
それから暫く周辺をブラブラと散策しました。 鎮守の森には立派な鳥居があります。 杉木立の参道が素晴
らしく、静寂の中にとても神々しい雰囲気を醸し出していました。 こうして、ふんだんな自然の中で贅沢な
1日を過ごさせていただきました。 『枯れ木2号さん』、『奥様』はじめ、皆さんにはあれもこれも本当に
有難うございました。 ・
5月 2日
『黄昏亭』を開店しました
『若い友人』から「1日から3日の間にお尋ねしたいが、ご都合は如何?」とメールがありました。 おぉ、
やっと来る気になったかと思い、今夜の夜席を提案しました。 時々「そろそろ如何かな?」とご案内するの
ですが、「そのうちに。」と言いながらなかなか脚が向かず、「行く、行く詐欺のようで申し訳ない。」など
と謝り続けていました。 ・
さて、何でもてなすかということです。 久しぶりに『ガーリック・シュリンプ』はどうだろうと考えたので
すがすぐに思い付きました。 彼は『海老アレルギー』を持っていて、ほんの少量でも深刻なことになる体質
です。 だったら「時間もないことだし」とすぐに大野まで走り『アサリ』を買いました。 ・
それからマーケットで『鯛の切り身』と『ミニトマト』を買いました。 それに『パセリ』ですが、これは相
当品質が悪い。 まぁいいや、1回こっきりだから、傷んでない部分だけを使おう。 それから『バゲット』
をリトルマーメードで予約しておきました。 ・
暫く作らないと簡単レシピの『アクアパッツァ』でさえも忘れてしまいます。 記憶力の減退ですな。 ユー
チューブでレシピを確認し、食材も全て揃えて彼を待ちました。 なのに最後にバターを溶かし入れるのを忘
れてしまいました。 「何だか一味足りないような。」と思いつつ、それを思い出した時は後の祭りでした。
彼はいい味ですねと言っていましたが、どうだったか。 ・
「何年振り?」と尋ねたら、「そんなことはありません。 広島に帰ってきたのが去年の春だったので1年振
りですね。」といいます。 「そうだったっけ? それにしても長く感じたなぁ。」 それから暫く近況報告
をうけました。 随分偉くなったものだなぁ。」 ・
バックパックから何やら取り出したので、「オッ! チヌか?」と冗談をかましました。 釣りの方は広島に
帰ってから周防大島に1度、南紀に1度行ったきりだと言っていました。 大島ではチヌを掛けたそうですが
取り込みに失敗したそうです。 南紀では『グレ』を数尾掛けたようでした。 ・
釣りの話しはそれで終わり、後は食事造りの話しになりました。 彼も私と同じく一人暮らしです。 従って
朝夕は自炊しているようでした。 写真を沢山見せてくれましたが、これは性格なのでしょう、結構凝ったも
のばかりでした。 ・
凝ったといえば、コーヒーにも凝っているようでした。 生豆を買ってきて、自分で焙煎しているそうで、電
気式の自動焙煎器を使っているそうです。 『湯町窯』もしかり、リッチな生活です。 同じ独り身ではあり
ますが、年金暮らしにはとても真似ができません。 ・
さて、『アクアパッツア』ですが、『バゲット』3切れでは彼の腹には物足りないように思えて、「素麺はど
うか?」と勧めたところ、案の定Yesでした。 そこですぐに100gほどを湯掻いて、『鯵の酢漬け』で
食べていただき、今日の『黄昏亭』をお開きにしました。 ・
4月29日
余録
まだまだ思い出話しになります。 今日は娘の誕生日でしたので、広島駅前のデパ地下で『赤ワイン』を買っ
て、孫娘を呼び出してそれを託しました。 孫娘も今年から選挙権を持つことになります。 従って娘もいい
歳になりました。 私も老いるはずです。 ・
このワイン専門店は『フランスワイン』を専門に扱っています。 何でもフランス人の経営になっているのだ
そうです。 私はギフトのワインは全てこの店で買っています。 従って少しは顔なじみになっていて、ソム
リエさんとも気安く話しができます。 今日のワインはソムリエさんのご推奨で、ちょっと甘目で癖のない1
本だそうでした。 ・
さて、孫娘をお使いに頼んだ訳ですから只と言う訳にはいきません。 もちろんちゃんとそれなりのことを期
待して出てきている訳でして。 ワイン店の向かいで孫娘が『バースデーケーキ』を予約してから、ワイン店
の隣の喫茶店でお昼にしました。 ・
『カフェオレ』に『サンドウィッチ』、まぁデパ地下の喫茶店ですからそんなに安くはありません。 ただ値
段だけのことはあって、なかなか美味しい『サンドウィッチ』でした。 私は『ミックスサンド』、孫娘は『
イチゴサンド』を頼んでいました。 まぁ、きっと私をATMとでも思っているのでしょう、値段には頓着あ
りません。 まぁいいですけど。 ・
それから本屋さんに引っ張っていかれました。 英検にトライしていて、「2次試験の参考書が欲しいんだ。
」と言っていました。 まぁ、いいですけど。 読書好きな子(実は読書は私が教えた)なので、他に読みた
い本を探していましたが、2軒の書店とも在庫がなく、今日はこんなところでおさらばしました。 こんなと
ころで4月も恙なく?終わりましたとサ。 ・
4月26日
茶話会
『39堂主人』を招いて『茶話会』を行いました。 気にはなっていたのですが、様々立て込んでいましたの
で暫く声をかけられませんでした。 かといって『黄昏亭』を開くゆとりもなく、お茶を濁すといっては彼に
失礼なのですが、今回は『茶話会』ということにさせて頂きました。 ・
話しのお供は『ビール』と『裂きイカ』『柿の種』でした。 話の内容はもっぱら野菜作りの話しで、私は終
始聞き役でした。 相変わらず『菌』を培養し、肥料作りに勤しんでいるようです。 しかして、今年は味の
いい『西瓜』と『メロン』が期待できるだろうという事でした。 ・
彼のお土産は『ビール』と『スナップ豌豆』でした。 『スナップ豌豆』はもちろん彼の農園で採れたもので
よく形の整った柔らかそうなものでした。 そうとう腕を上げたように思います。 これが長年の研究の成果
ということでしょう。 ・
「今年も筍が沢山届いたのか?」と聞きます。 以前従妹から毎年届く筍の話しをしたことがあります。 「
いや、今年は届かなかった。 どうやら不作だったようで、1本も出てこないと嘆いていた。 聞くところに
よると筍産地として知られる吉備地方の箭田の筍農家でさえも収穫がなかったそうだ。」と話しました。 ・
そしたら「隣の竹林から伸びてきて、畑で筍が成長している。 かなり大きくなっているので食べられるかど
うかは分からない。 どうだ明日の朝採りに来てみるか?」といいます。 「竹になるほどに成長していなけ
れば先の柔らかい部分は食べられるはずだ。 頂くよ。」と約束しました。 ・
そんなことを話し乍ら今日の『茶話会』をお開きにしました。 そうですね、次回には何とか『黄昏亭』を開
店し最近凝っている『イタリアン』をご馳走することにしましょう。 ・
【追記】この項も『思い出語り』なので翌27日のことを記します。 翌朝彼から電話があったので農園に赴
きました。 そこには既に根元から切り倒した1m近くまで成長した筍が並べてありました。 「食べられそ
うなものがあれば好きなだけ持って帰れ。」といいます。 ・
包丁で切ってみると、かなりの部分がまだ柔らかく、十分に食べられそうなのでが、根っこに近い部分を切り
捨てて全てを持ち帰りました。 そしてすぐに【寸胴鍋』で湯掻きました。 思いもしなかった事ですが、こ
れは暫く大好物が楽しめそうだぞ。 ・
4
月25日
ボランティア・ガイドが終わりました
先ずはお詫びです。 このところホームビルダーの調子が悪く、様々物語はあるものの、アップデートがはか
どりませんでした。 どうやら不要なタグが自動再生されていたようで、何とかトラブルを解決できましたの
で、場合によっては思い出話しになるかも知れませんが、出来るだけタイムリーにやっていきたいと思ってい
ます。 ・
と言いつつ、今回の物語も思い出話しになってしまいました。 既に月が変わってしまいましたが、先月25
日にフランスのカップルを広島市内にご案内しましたのでその様子をご紹介します。 当初は昼前に到着し、
縮景園と平和公園を案内してくれという依頼でした。 ・
近回りと言っても、流石にそれには無理があります。 せめて11時前には到着して欲しいとお願いしていま
した。 そして10時40分に新幹線口にお迎えし、コインロッカーに手荷物を預けて『縮景園』に向かいま
した。 今夜は『カプセルホテル』だそうでした。 ・
縮景園では結構真剣に話を聞いていただけました。 私自身は、この園の成り立ちや、庭園内の施設の意味な
ど、ほぼ余すところなく説明できたと思っています。 特に『跨虹橋』に関心をお持ちで、実際に登ってみて
爪先下がりの歩きにくさに驚いておられました。 「この作りは敵の来襲の勢いをそぐ工夫です。」とお話し
すると頷き乍ら納得しておられました。 ・
その他には『被爆樹木』にも関心を示されました。 『看花榻』(かんかとう)の脇にある『被爆銀杏』に興
味をひかれたようで『看花榻』に座って眺めたり、様々な方向から写真を撮ったりしていました。 何故そん
なに興味を持たれたのか、残念ながら聞き洩らしてしまいましたが、確かにきらきらとした若葉はとても新鮮
で綺麗でした。 ・
それから電車で『お好み村』に向かいました。 『お好み村』の馴染みの店はお休みでした。 「25日に行
く予定だよ。」と知らせておいたのですが、後になって「ついうっかりと。」とメールが入りました。 それ
でこんな時にお世話になる別の店に入りました。 この店は地味ですが、味は抜群です。 ・
彼はシーフード、彼女はビーフをトッピングし、しかも『牡蠣ソテー』を合わせて注文して盛大に食べておら
れました。 牡蠣の大きさには驚いていました。 フランスの牡蠣はとても小さいのだそうです。 そしてこ
のように火を入れて食べることは殆どなく、レモン汁をちょっと絞って生のまま吸い込むように食べるのだそ
うです。 それを手真似をしながら教えてくれました。 ・
後で牡蠣の話しになりました。 「日本では牡蠣をワイヤーで吊るして養殖するのか?」と聞きます。 「地
域に寄りけりだとは思うけど、広島湾にはそのような牡蠣筏が沢山ある。」と答えると、フランスの牡蠣養殖
の写真を見せてくれました。 ところによるそうですが、地中海側のスペインとの国境近くでは(彼らのホー
ムタウン)袋に入れて浅瀬で養殖しているそうです。 ・
これじゃぁ栄養不足で大きく育たないし、見た感じこれを生で食べるかなぁと思いおました。 こんな環境だ
ったら、我が国ではとても『生食用』としては販売できないと思うのですが、地中海の海水は綺麗なんですか
ねぇ。 ・
それから『平和公園』に向かいました。 ここはほぼパターン通りです。 『爆心地』『原爆ドーム』『相生
橋』『平和の鐘』『慰霊塔』『原爆の子の像』『平和の灯』『慰霊碑』と回り、『原爆資料館』に案内しまし
た。 ・
今まで長い入館待ちの行列が出来ていましたが、チケットのネット販売が出来たからか、桜の季節が終わり観
光客が減ったのか、そのあたりは分かりませんが、事前購入していなくても比較的スムーズに入れるようでし
た。 ・
『資料館』内部はご自分で説明文を読みながら見て頂くようにお願いしました。 平和公園の中でも気が付い
ていたのですが、園内は自分たちだけで見て回りたい様子でした。 でもここはしっかりと理解して頂きたい
ところなので無視し、結局『資料館』に入ったところで『交通費』を受け取り帰路につきました。 ・
4月20日
ボランティア・ガイドが終わりました(続き)
どうも、このファイルのどこかに傷があったみたいで、20日のガイドの様子を19日の項に続けることが出
来ませんでした。 ちょっとイレギュラーなことになってしまいましたが、20日分を(続き)としてご紹介
することにします。 (このように分離するとうまくいくようです。 理由はわかりません。) ・
【20日】
10時にホテルロビーで待ち合せました。 子供連れですから少し遅れるだろうと思ってはいまし
たが、案の定20分遅れの出発となりました。 今日の予定は『広島城』『縮景園】『お好み村』でお昼を食
べて、『平和公園』『原爆資料館』の予定です。 ・
先ずはタクシーで『広島城』城郭の北西角に向かいました。 『広島城』の見学を強く希望されていましたの
で、ならば内堀に映る天守を見て頂こうと思いここにお連れしました。 かなり感動されていました。 それ
から大手門、二の丸、本丸、そして天守に入りました。 ・
様々な資料をご覧になりながら最上階に辿り着いたとき、ちょっと面白い事件がありました。 奥様の同級生
にバッタリと出会ったのです。 お友達は新婚旅行で日本にこられたそうで、「地球は小さいね。」と暫くは
しゃいでおられました。 こういうこともあるんですね。 ・
展望台で「宮島が見えますが、どこか分かりますか?」とお尋ねすると、昨日の私の説明をちゃんと覚えてお
られて、友達に島の稜線が女神の顔に見えると「あれが額で、右が鼻で」と得意気に説明しておられました。
新婚さん達に、「ルートが同じならご一緒に案内しますよ。」とお勧めしたのですが、ご自分たちだけで歩き
たかったのでしょう。 お別れして私たちは『縮景園』に向けて歩きました。 ・
『縮景園』ではいつも通り鯉の餌をプレゼントし、暫く錦鯉の餌やりを楽しんで頂きました。 お子さんがと
ても喜んで、なかなか微笑ましい風景でした。 暫くは彼らの思うままに動いていただいていたのですが、結
構時間が押してきましたのでショートカットしながら退園し、『お好み村』に向かいました。 ・
『お好み店』には陽気なアメリカ人のご夫妻が陣取っていました。 暫く私のゲストに話しかけていましたが
やがて私の隣にやってきて様々話しかけてきました。 根っからのアメリカ人で、フィラデルフィアで小麦を
作っていると言っていました。 日本には農閑期にしばしばやってきて、「前回は新幹線で秋田まで行った」
のだそうです。 ・
さて、お客様はシーフード仕立てのお好み焼きを堪能されました。 そして一言「Masato perfe
ct」と指を立てられました。 どんな場面であれ、この一言が聞きたくてガイドをやっているようなもので
す。 ・
平和公園では思いっきり説明し、しっかり質問させて頂きました。 ここはゲストによります。 好奇心旺盛
であれば、学びの心を持っておいでならガイドにも力が入ります。 このゲストはそれに十分応えて下さいま
した。 私の説明を十分に理解されておけば、『資料館」での展示物の意味がしっかりと飲み込めたと思いま
す。 ・
ただ1つ、汗を掻くことがありました。 コミュニケーションです。 私の英語はイングリッシュならぬ『ジ
ャパグリッシュ』、そしてお客様の英語は『イタグリッシュ』、お互いに理解し合うのに随分と汗をかきまし
た。 しかし、お互いに気持ちは通ったと満足し、今回のガイドを終えました。 今日のステップ数16,0
00歩。 /
4月20日
ボランティア・ガイドが終わりました
19日、20日と2日間にわたってイタリアン・ファミリーを宮島・広島にご案内しました。 フィレンチェ
にお住いの方達で、ご主人31歳、奥様36歳、お嬢さんが2歳4か月のファミリーでした。 19日の昼前
に広島駅にお迎えし、お昼を済ませて宮島に向かい、『大聖院』『厳島神社』にご案内し、翌20日は10時
にホテルにお迎えし、『広島城』『縮景園』、お昼に『お好み焼き』を食べて頂いて、『平和公園』『原爆資
料館』という流れでした。 ・
【19日】
前もってスケジューリングをしておいたのですが、子供連れだと何かと手をとられ、なかなか予定
通りにはいきません。 全て子供に合わせて行動することになりますから、例えば食事にも結構時間がかかり
ます。 それから多目的トイレを探してオムツを替え、それからやっとスタートという段取りになりました。
まぁ、そのことは折り込み済みだったので、ゆとりを持ってご案内したのですが、結局2時間遅れの帰宅にな
ってしまいました。 ・
宮島は丁度干潮時で、大鳥居の下には沢山の観光客が思い思いに眺めたり、写真を撮ったりしていました。・
そこで参道の鳥居あたりから砂浜に降りて大鳥居まで歩いて頂くことにしました。 そうするとお子さんの脚
がまた止まります。 巻貝の殻を集めたり、僅かに残った水の中を覗いたりとなかなか歩が進みません。 「
まぁいいや。 時間までにはどうでも『厳島神社』には入れるだろう。」と諦め、それこそニコニコと眺めて
いました。 ・
それから汐待の積りで『大聖院』に先に入りました。 『大聖院』から『厳島神社』に向かう頃には潮が上が
り、少しは違った景色を見て頂くことが出来るでしょう。 『大聖院』でもご案内に工夫が必要でした。 例
えば『戒壇巡り』には奥さまを先に連れて入り、次にその間子供の面倒を見ていたご主人を連れて入りと、そ
んな苦労がありました。 ・
『厳島神社』に入った頃には少しだけ潮が上がっていました。 今回はタブレットのデータもかなり充実でき
ましたので説明は思った通りスムーズに進みました。 創造神とご祭神との関係、寝殿造り、舞楽、雅楽など
の説明はとても上手くいったのですが、ただ『管弦祭』の説明には手間がかかりました。 もう少し説明に流
れを持たせる工夫が必要です。 これは次回までの課題です。 それから彼らを宮島口まで送り届けて帰路に
つきました。 今日の歩数、2万歩チョイ。 ・
4月11日
痛飲
旧友とお会いしました。 かなり深刻な病を患っておられましたが、全快したと連絡を受け、また「久しぶり
に一杯やろうではないか。」とお誘いをいただき、広島中心部の昔懐かしい居酒屋でお目にかかりました。・
この居酒屋は、居酒屋といってもデパートの上階にあります。 私の元の会社の隣にありましたので、若い頃
には先輩に誘われてよく行ったものです。 特に管理部門に変わってからは、接待役や叱られ役・集金役で大
変でした。 そんな時にもよくこの店を使ったことを思い出しました。 ・
ただ、フロアー全体の景色が随分変わっていました。 見た感じ随分モダンになったなぁと驚きました。 通
路は薄暗く、昼間でも『寄り道』の雰囲気があり、店内に入れば、まだ昼間だというのに、そのような雰囲気
を楽しむかのように結構な酔客が屯していました。 ・
しかし、愛想の悪さは昔ながらでした。 入ってくる客を見ると、私たちと同年配とおぼしき方が多く、見た
感じ『一元さん』らしい客は見掛けまませんでした。 『オッ!』という風に手を上げて入ってきます。 こ
のように『常連さん』が多いところも往時と変わっていませんでした。 この愛想の悪さはこういうところか
らきているのでしょう。 かといってそれで不快ということはありません。 そこも昔ながらでした。 ・
私たちは奥の隅っこの席に座をとって、先ずは『生ビール』を、それから焼酎を『鯵刺し』『烏賊の煮付け』
で始めました。 何とも色気のない料理です。 『烏賊リング』など、今頃ならちょっと山椒の若芽でも添え
ればいいのにと思うのですが、黒い奴がデーンと出てきました。 本当に変わらないなぁ。 ・
それから料理をつつきながら、昔話や仲間の消息などを話し合いました。 ここでは政治向きの話や宗教談義
はありません。 面倒見のいい方だったので、古い仲間の消息をよくご存知で、お話しを聞きながら懐かしさ
が込みあげたり、もう会うことのできない仲間を忍んだりしました。 ・
2時から始めたのですが、なかなか話は尽きず、
遂に夕刻が迫り始めましたので、「もうそろそろ。」と腰を
上げました。
久しぶりに焼酎を重ね、すっかり痛飲してしまいました。 彼と別れて酔い覚ましの積りで平
和公園をぶらつきました。 桜はほぼ終わっていました。 それでも少ない花の下で腰を据えているグループ
もありました。 ・
桜の下で3人連れのスイスの親子と目があいました。 どちらからともなく微笑みを交わして、暫くお話しを
しました。 お母さんは流暢に英語を話しましたが、お子さんたちはフランス語しか話せないようでした。・
イメージからするとスイスはドイツ語圏なのかなと思いましたが、フランスとの国境辺りにお住いの方なのか
も知れません。 ・
それから慰霊碑の前あたりで小さなお子さんとご一緒のお母さんにお会いしました。 フランスからお出でに
なっている方で、様々話した後で「お好み焼きはもう楽しまれましたか?」とお尋ねしたところ、今から店を
探そうと思っているということでした。 だったらと、スマートフォンで『お好み村』への道筋をお教えした
ところ、バギーのバッグから小さな箱を取り出して、「お土産にこれをあなたに上げる。」といいます。 恐
縮しながら頂くと、これがラベンダーの香の石鹸でした。 ・
そういえば何年か前フランスの男性を案内したことがあり、この人が「アビニヨンでラベンダー畑を経営して
いる。」と話していたことを思い出しました。 この方もラベンダーの産地からお見えになったのでしょう。
それから電車で我が家に戻り、大急ぎで解凍した赤飯を掻き込み、英会話のレッスンを受けて、まずまず愉快
な1日を終えました。 ・
4月 9日
ギターのレッスンが終わりました
何とも厄介な課題曲『ソルOP31-16』でしたが、一応譜読みもできましたのでお情けの合格となりまし
た。 和音の切り替えが続くエンディングの部分で苦労しましたが、何とかポジションと指使いを探し当てて
演奏することが出来ました。 ・
といっても、一応最後まで弾き終えたというだけで、とても音楽とはいえません。 でも、「これ以上のこと
を求めてみても、とてもものにはならんだろう。」と思われたか、「この曲はこれくらいにして次に進みまし
ょう。」と合格を頂けたというところでしょう。 ・
続いて『『OP31-17』に入ります。 合わせて『OP31-18』にもトライするように指示されてま
した。 いずれも右指の使い方のレッスン曲だそうで、例えば親指・人差し指でベースを、主に中指でメロデ
ィーを演奏します。 そしてこの2曲のなかから次の演奏会の演奏曲を選択するように言われています。 ・
演奏会は7月20日です。 それまでに少なくともこの内の1曲は完成させなければなりません。 さて、届
くかなぁと今から心配になっています。 もう1曲は日本の童謡から『ふるさと』か『浜辺の歌』をやりたい
のですが、欲張って失敗した例もあまたありますから・・・ ・
4月 8日
ボランティア・ガイド予定
一昨日2件のガイドを引き受けました。 いい時期になったので、そろそろ本腰を入れて始めようと思ってい
た矢先に、クラブから配信されたガイド依頼のメールの中に2件の『再配信』というのを見付けました。 2
件とも先月初めに依頼があったもので、引き受けてが見つからず、その後再度依頼があったものです。 ・
クラブのメンバーは限られていますので、どうしてもこのような積み残しができてしまいます。 私は最近こ
うした『お困りの方』を中心にピックアップしてご案内をするようにしています。 そうすると「また新たな
積み残しができるんじゃぁないか。」という指摘もあるかと思いますが、そこは先ず中心メンバーに引き受け
て頂こうと思っています。 ・
私はまぁ、スイーパーのようなものです。 週1回の英会話研修のクラスにも顔をのぞけない『はずれもの』
会員ですので、余り表に出ないようにしています。(我が家から研修会場になる広島市中心部まではかなり遠
いですし、交通費を含めた費用負担も大きいのです。 また英会話はネイティブではありませんが、毎日オン
ラインでやっていますのでさほど必要性を感じていません。) ・
余談になりました。 昨日の内に、お二方にはメールをお送りし、詳しい様子をお尋ねしているところです。
最初の方はイタリアのカップルで、2歳の子供さん連れです。 19日、20日の2日間で広島と宮島を希望
されています。 お子さん連れなので、弥山登山はないだろうと思っています。 ・
もう一方の方はやはりカップルでドイツからお見えになります。 25日に『縮景園』と『平和公園』のガイ
ドを希望されています。 「11時に広島駅に到着する。」と言っていましたが、『縮景園』を見て、『お好
み焼き』を食べて頂いて『平和公園』『資料館』となると少し時間が足りないように思います。 それで、せ
めて10時の到着にならないかとメールを送ったところです。 ・
1つ課題が残っています。 買いかえたタブレットですが、いろいろやっている内に肝心のパワーポイントが
アプリから消えてしまいました。 それでダウンロードしようとトライしているのですが、どうもうまくいき
ません。 私がメモを残しているパスワードが「間違えている。」らしいのです。 ・
ガイドの説明に動画を使うと説明が容易になりますし、より理解を深めて頂くことができます。 そのために
メモリの大きいタブレットに買いかえた訳ですから、今回のガイドが始まるまでには是非とも使えるように準
備しなければと思っています。 ・