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3月16日



ボランティア・ガイドが終わりました


『15日』
                                         ・
15日、16日、雨の2日間、ロンドンからお越しのカップルをご案内しました。 ご主人65歳、奥様





















3月 7日



『高齢者講習』を受けました


これが2回目の『高齢者講習』でした。 よくご存知でしょうが、講習での検査は3つです。 ①高齢者講習

































3月 7日



『高齢者講習』を受けました


これが2回目の『高齢者講習』でした。 よくご存知でしょうが、講習での検査は3つです。 ①高齢者講習
































3月 2日



壮行会

孫娘、孫息子が東京の大学に進学することになりました。 2人とも今月20日前後に上京しますので、『菩




















2月20日



友達としゃべりました

近くの海べりに『ゲストハウス』があります。 宮島に近いですから結構外国の方が利用しているようです。


































2月20日



友達としゃべりました

近くの海べりに『ゲストハウス』があります。 宮島に近いですから結構外国の方が利用しているようです。





















































2月17日



雑談”あれこれ”









































































2月15日

第1回『一人路上観察学会』(2)


宮司さんにお目にかかり立ち話をしました。 地御前神社前から続く旧2号線の一角にかなり古いお宅が数軒











































2月13日


第1回『一人路上観察学会』(1)


『地御前村出征兵士記念碑』                                   ・

今日『一人路上観察学会』を立ち上げました。 エクササイズをかねて路上を観察して歩き、観察の目を養い



























2月11日



路地観察

英会話の先生が問います。 「おや、久しぶりねぇ。 お正月以来だけど、どのように過ごしてたん?」 私




































2月 2日



鰯を焼いて『邪気払い』

寒さの底だけれど、暦上は明日は早くも『立春』ですね。 そして今日は『節分』です。 『節分』は各季節




















































2月 1日



一味違う

フィリピンの英会話の先生と料理の話しをしました。 「どんな料理を作るのか?」と聞くので、もちろん日

























































1月31日



『バレンタイン』近し

1月も終わりですね。 そして極寒の始まりになります。 今朝、今年初めて早朝の室内気温が14度まで下


















































1月24日



枯色の中の海の見えるレストラン

そのレストランは、かつての私の『チヌ釣りのホームグランド』を見下ろす、林と畑の中にありました。 今





































2月10日


               
三水会

いつものアジトで『三水会』がありました。 今回の参加は6名でした。 総メンバーは9名ですが、その人
数だとお互いの話しが遠くなって、全員がなかなか共通の話題に参加できなくなります。 「これくらいの人
数がベストだよな。」という声がありましたが、かといって誰かの参加を拒むという意味ではありません。・
たとえ話しが2つに割れたとしても、全員がとても気持ちのいい仲間です。              ・


 

まずはビールです。 そして最初の料理は・・・先週『本邦完歩氏』が友達とここで飲んだ時、大将から「河
豚サシが始まったよ。」と勧められたそうです。 それで今日は全員『河豚サシ』でやろうじゃないかと提案
がありました。                                         ・

小皿に10枚くらいの薄造りが皮と肝、それにネギの小口切りと一緒に盛り付けてありました。 トラフグだ
としてもきっと天然物ではないでしょう。 歯ごたえがあるとは思えませんでした。 しかし味は甘ったるく
て悪くはありませんでした。                                   ・

『第1回青年の船の会in大分』が中止となり、帰りに予定していた本場の河豚料理を食いそびれましたが、
「まぁその『埋め合わせ』のようなものだな。」と思いながらいただきました。            ・

それからは、それぞれがお好みで注文しました。 今回は『鯵の唐揚げ』が人気でしたが、私は『スルメイカ
の煮付け』にしました。 前に『鯵南蛮』でえらい目にあった経験がありますので、今回も「ちょっとなぁ。
」という感じでした。 やがて『黒霧島』の湯割りになり、話しはどんどん盛り上がっていきました。 そし
て行きついたのが私の料理でした。                                ・

誰かが「来年も『おせち』を作るのか?」と聞きますので、「もちろんだよ。」と今年の『おせち』の写真を
お見せしました。 それに先週『黄昏亭』で作った『牡蠣飯』の写真を見せたところ、「次の『三水会』は髙
橋邸でやろう。」と言い出す人がでて、「じゃ、2月にやろう。」と盛り上がりました。        ・

これはえらいことになってしまいました。 希望を聞いたところ、『刺身』が圧倒的な人気で、『幹事君』は
地元の下関から『河豚の柵』を持って行くなどと意気込んでいました。 とすると、『大人数でつつけるもの
・何か珍しいもの』をと考えないと。                               ・

まぁ、それを考えるのも楽しみの1つですが、最大9人ともなると流石に経験がありません。 こんなとき『
菩薩様』はよく『チヌの唐揚げ』をデ~ン!と出していましたね。 牡蠣の美味しい時期ですから『牡蠣のオ
イル漬け』なんかも珍しくていいかも知れません。 などと、こもごも想いを巡らせ始めています。   ・
















































12月 7日



ギター合同練習&黄昏亭


3回目の『ギター合同練習』を行いました。 前回、少し時間が足りなかった反省から、今日は2時から『合
同練習』、そして5時半から『黄昏亭』開店としました。                      ・

まずは『合同練習』ですが、正直私も『枯れ木2号』さんも前回から大きく上達しているようには見えません
でした。 2人ともミスタッチが多いし、私はリストの『愛の夢3番』、『枯れ木2号』さんは『荒城の月』
に悶え苦しんでいます。                                     ・

私について言えば、解決策はやはり確実な暗譜ではないかと思います。 今までずっと楽譜から目を離さず演
奏してきました(そのように訓練してきました)が余りにも楽譜に頼りすぎ、そのためフレットを確実に捉え
られず、ミスがミスを呼ぶというのが失敗の一因ではなかったかと思います。             ・

それと、これは私たちに限らないことですが、1人で練習している時には上手く弾けても、人前に出ると全く
ダメということも克服しなければなりません。 気の置けない2人の間であってもプレッシャーを受けます。
況やオーディエンスをや。 これには慣れるより他なし。 次回はどなたかに聴衆をお願いしてみるかな。・

今日は私は忙しかった。 『枯れ木2号』さんが演奏中にも『黄昏亭』の準備に勤しんでおりました。 今日
のメニューは『牡蠣飯』、『イカと里芋の煮物』、『鯛の蒸し物』の3品です。 ともかく事前に準備出来る
ものは全て準備し、『枯れ木2号』さんの奥様のお出でを待つという段取りでした。          ・

『牡蠣飯』は初めに『牡蠣』を軽く煮て『出汁』を取り、その『出汁』と『ヒジキ』でご飯を炊いて、最後に
牡蠣を乗せて蒸す。 『牡蠣』は煮すぎると小さく縮んでしまいます。 『イカと里芋の煮物』も同じく『イ
カ』を軽く煮て『出汁』を取り、この『出汁』の中で里芋を煮ます。 やはり和食には『出汁』が大事です。


 

『鯛の蒸し物』は片身のぶつ切りを準備しました。 そして塩を振り5分蒸し、火を止めて5分。 これで出
来上がりです。 奥様がお出でになったタイミングで全ての料理を熱々のままお出しすることができました。
この女性は全てに如才なし、もちろん料理にもです。                        ・

 

従って今日はかなり緊張しました。 でも、お上手もあったでしょうが、どれも美味しそうに食べて頂けまし
た。 食後、コンサートの日取りを検討しました。 コンサート後のパーティーの準備は全て奥様任せになま
す。 従って奥様のスケジュールを無視することはできません。                   ・

まだ決定ではありませんが、第一候補は孫娘の『冬休み』の初め、第二候補は11月下旬の連休としました。
あと丁度1年ですね。 さらに1曲アンサンブルを挟むことにしました。 候補は『冬の星座』です。 そし
て今年中、或いは年明け早々に4回目の合同練習を行うことにしました。               ・






































11月27日


ボランティア・ガイドが終わりました

今回はイギリスの老カップルのご案内でした。 このガイドは観光局のルートによるものではなくて、4月に
ご案内した方からの紹介によるものでした。 「あいつのガイドは面白いけど、速足でどんどん引っ張ってい
くので気を付けろ。」などと言いながら、今回を含めて2組に私を紹介してきました。         ・

ご主人67歳、奥様64歳、結構気儘なご夫婦でした。 「チケットは当日買う。 到着時間は未定だ。 午
後になるだろう。」としか返事がありません。 仕方がないな、それじゃ12時までに広島駅まで出掛けて到
着を待っているほかないなぁ。 そして当日になって「2時にホテルのロビーで待つ。」と言ってきました。
最初からかなり振り回されています。                               ・

さて出発。 「『スイカ』は持ってる?」と聞くと、「いいや。」と言ってポケットから一握りのコインを引
っ張り出しました。 乗り換えが多いガイドになりますからICカードがあれば便利なのに、それを買うのも
面倒だったのでしょうか。                                    ・

どうやら奥様は脚が余り強くないようでしたので、紙屋町電停から『広島城』大手門まで歩き、今回は外周の
ご案内は止めました。 1周すると結構な距離になります。 案の定『広島城』内では3層まで登ったところ
でギブアップされました。                                    ・

『広島城』から『縮景園』に向かう前に、「これから数100m歩きますが、大丈夫ですか?」と尋ねたとこ
ろ、「大丈夫だ。」と言われましたので、後は気にすることなくご案内し、『縮景園』内の不安定な石組もご
く普通にお連れしました。                                    ・

 

『被爆樹木」の銀杏の絨毯は今日も綺麗でした。 そして近くの『看花とう』で暫く休んで頂きました。 池
の周りを1周する頃には、奥様は相当草臥れていて、「そうですか、もう少しですが最後まであるきますか?
それとも紅葉のベストポイントを諦めて平地を歩きますか?」とお尋ねしたところ、「もう平地を歩きたい。
」ということだったので園内のガイドを止め、梅林の脇を抜けて電停に向かいました。         ・

 

「明日がハイライトですよ。」と確認しあって、彼らは広島駅近くのホテルへ、私は宮島方面の我が家に帰っ
ていきました。 私の脚の具合は最悪で、電停から我が家までは全く情けない姿で歩を進めました。   ・

暫く休んで夕食を作り、ワインを傾けていたら先様からメッセージが入りました。 「ワイフの腰の状態が厳
しいので明日は私たちだけで近場を歩くことにする。 急なキャンセルで申し訳ない。」と言ってきました。
ひょっとして、私が引っ張り過ぎたのでしょうか。                         ・

ガイドの最後に頂くことにしていた交通費、原爆資料館の入場料は頂けずじまいになりました。 後で『枯れ
木2号さん』には「いい休養になったんじゃないですか。」とからかわれました。           ・






































11月26日


ボランティア・ガイドが終わりました

25日、26日の2日間、スペインの若いカップルをご案内しました。 彼34歳、彼女26歳。 「新婚旅
行ですか?」と尋ねたところ、「いや、結婚したのは2年前だ。」そうでした。 奥様の顔立ちが少しヨーロ
ッパ離れをしていましたので、それとなく探りを入れてみたところ、スペイン領『カナリア諸島』の出身だそ
うでした。                                           ・

今回のガイドで難儀をしたことが2つありました。 1つは『靴擦れ』でした。 少し冷え込むようになって
きましたから、夏用のソックスを冬用に替えたのですが、まだ馴染んでなかったためか、指先に『まめ』がで
きていて、それがガイドの途中から段々とひどいことになりました。                 ・

25日は何とか乗り切ったのですが、2日目はソックスも厚手に替え、『まめ』には絆創膏を貼って臨んだに
も関わらず効果なし、それでも気付かれないように指を浮かせたりしながら頑張り通しました。 履きなれた
靴であってもソックスという伏兵がいました。                           ・

2つ目はスペイン訛りでした。 根問いをして確認するとそれと分かるのですが、これには地域訛りも入って
いるのかもしれません。 今までに何組かスペインの方を案内したことがありますが、これほど分かりにくい
発音はなかったと思います。 例えば、宮島で「山の向こうには何があるのか?」と聞かれたのですが、『山
』が「マッテ」くらいにしか聞こえず、屡々名詞の発音に苦労しました。               ・

彼は話し好きで、終始話しかけてきます。 そのたびに耳を澄ませ何とか聞き取るようにつとめなければなり
ませんでした。 ところが救世主がいました。 最初は余り話しに加わってこなかった彼女の発音が比較的ナ
チュラルだったものですから、それ以降は時々介添えをお願いしました。               ・

25日は広島だけのご案内でした。 前もって要望があり、『広島城』や『縮景園』の他に美術館か博物館が
見学したいと言うことでしたので、たまたま開催されていた『古代エジプト展』を提案したところ、たちまち
同意して頂けました。 何か日本的なものであればベストだったかも知れません。           ・

初めに『広島城』の外周を巡り、内堀に写り込む天守閣を見て頂き、大手門から二の丸を経由して天守閣に入
りました。 芸術や美術に関心が高い方達でしたので、刀が作られる過程や鎧兜を熱心にご覧になっていまし
た。                                              ・

天守でお昼を迎え、レストランに向かいました。 『お好み焼き』は明日に回して、今日はデパートの地下で
『天婦羅丼』です。 今や『天婦羅』は世界的な料理になっていますので、珍しくはないようでしたが、それ
でも海老やアナゴなど新鮮で多彩な具材には満足のご様子でした。                  ・

 

続いて縮景園にお連れしました。 一時雨の予報でしたので、雨の来ぬうちにと思って先に『縮景園』をご案
内しました。 ちょっと遅かった感はありましたが、それでも紅葉が見事でした。 特に被爆樹木の銀杏の落
葉が黄色い絨毯の如くでしたし、紅葉が水面に映る美しさも満喫して頂けました。           ・

 

県立美術館を出たあとは広島駅まで歩いて引きかえす積りでしたが、大浴場に入るのために水着が買いたいと
いうことでしたので本通りの入り口までご案内し、今日の予定を終えました。             ・

翌26日は『原爆ドーム』前で待ち合せました。 今日がご案内のハイライトです。 いつも通りタブレット
を片手に『爆心地』『原爆ドーム』『相生橋』、そして平和公園に入り主要なモニュメントを回って『原爆資
料館』にご案内しました。                                    ・

『資料館』では1時間を予定していましたが、15分を経過してもまだ出てきません。 相当熱心に見て頂け
たのだろうと思います。 前もって、『黒い雨』の写真や『貞子の折り鶴』などなど見どころを公園内でお話
ししておきましたので、スムーズに見学できたようでした。                     ・

それから『お好み村』に向かいました。 道々「昨日水着を買ったんですか?」とお尋ねしたところ、「今日
もう一度探してみる。」と言っていました。 外国の方はやはり裸には抵抗があるのでしょう。 カルチャー
の違いですね。                                         ・


 

『お好み焼き』はスペシャルを2人でシェアしておられました。 それに餃子です。 焼けていく様子を熱心
にご覧になっていました。 お2人とも器用に箸を使って餃子を召し上がっておられました。      ・

続いて『宮島』です。 先ずは『清盛像』の前で『厳島神社』の歴史のさわり、『清盛』が招来した『平安文
化』などを簡単に説明して、『大鳥居』を経由して『厳島神社』に入りました。 そして回廊の一角で神社の
建築様式『寝殿造り』、『舞楽』、『雅楽』、『管弦祭』など現存する『平安文化』をビデオを交えながら説
明しました。                                          ・

更に『厳島神社』の『祭神』、『天照大神』や天皇との関係なども話したのち本殿にご案内し、神道形式でお
参りをして頂きました。 振り返って、ステージ上の構造物が全て左右対称に配置していること、これが『寝
殿造り』の特徴であることも理解していただきました。                       ・

そして最後に『大聖院』に向かいました。 『大聖院』の山門辺りの紅葉もとても綺麗でした。 ここでは『
五百羅漢』、観音堂地下の『戒壇巡り』、四国八十八か所の簡易版『遍照屈』をご案内しました。 『遍照屈
』では仏教の目標、そのための苦行の1つがスペインの『サンティアゴ巡礼』のように厳しいものであること
などをお話ししましたが、この例えは分かりやすかったようでした。                 ・

そして、最後に『宮島口駅』までお送りしてお別れしました。 彼らにとっては予想外のガイドだったようで
「あなたのガイドはエクセレントだ。」とお褒めの言葉を頂きました。                ・

































11月 22日


最後のOB会

私が長い間働いてきた会社の、私が所属していたセクションの『OB会』がありました。 場所は広島駅裏の
イタリアンレストランで、約50名のOBと数名の現役の参加がありました。 私は長い間参加を見合わせて
きましたが、これが最後と聞いて出席することにしました。                     ・

既に不参加の旨連絡をしていたのですが、前回の『三水会』でこの『OB会』の幹事と、『三水会』の『幹事
君』から「これが最後ですから・・・」と強く勧められ、また『本邦完歩氏』からは「それじゃぁ一緒に行き
ましょう。」と念を押されて引くに引けなくなってしまいました。                  ・

ちょっとした訳があって長い間出席を見合わせてきたのですが、ここではそれに触れないことにします。 待
ち合わせて『本邦完歩氏』と連れだって会場に到着した時には既に多くの人が集まっていました。 驚いたこ
との1つは、どうやら私はかなりの『長老』の部類に入っているらしいということでした。 80歳台になる
と、なかなか思うに任せられない人が多くなってくるのでしょう。                  ・

驚いたことの2つ目は、『既に多くの人が・・・』と言ったように、多くの仲間の顔と名前が一致しないこと
でした。 従って思い出を辿るのにかなり手間取りました。 ビールを片手に話している内に段々と思い出し
てきて、「あぁゴメン、思い出した。 〇〇か。 久しぶりだなぁ。 元気だったか?」、話す人ごとこんな
挨拶になってしまいました。                                   ・


 

特に懐かしかったのは、私が教官だった頃に『やんちゃくれ』だった訓練生達でした。 世にいう『同じ釜の
飯を食った』仲間の絆は強いものと見えます。 逆に私が教わった先輩教官にも会いました。 多分彼が今日
の最長老ではなかったかと思います。 三重県にあった学園で、教わったのですが、同郷という気安さもあっ
て随分過酷な質問を浴びせたことを思い出しました。                        ・

こうして、あちこちに小さなグループができ、それが笑顔とともに離合集散を重ねながら旧交を温め合ってい
ました。 今回が最後の集まりになりましたが、主な理由は高齢化による参加者の減少でした。 技術革新に
合わせて組織の再編が進み、かつてのセクションは基盤を失ってしまいました。            ・

従って、新陳代謝がなく、同じメンバーが毎年1歳づつ歳をとることになり、これ以上会を続けることが困難
になったということでしょう。 「もうこれでお前と会うのは最後になるかも知れんなぁ。」という挨拶が聞
かれました。 多分そうなるのでしょう。 懐かしくもあり、楽しくもあり、一方で少し淋しさを感じる『O
B会』でした。                                         ・















































11月 15日



『こんにゃく』作り

『こんにゃく作り』に参加しました。 このイベントは知り合いのNPO関係の方が企画されていて、私にも
ご案内がありました。 市北部、山間部の小さな集落で地域の人を交えて、この『こんにゃく作り』の他、焚
火学会による『焚火会』、収穫した新米で『餅つき会』、『月見会』などが企画されています。 日本の古き
よき伝統に触れ、また伝えようと言うことでしょう。                        ・

『こんにゃく作り』は早朝から始まる予定でしたが、私と友達は事情があって11時を回って到着しました。
私の役割は『火守り』でしたが間に合わず、既に庭先では大鍋に湯がたぎっていて、丸められたこぶし大の『
こんにゃく』が参加者によって次々と茹でられていました。                     ・

子供たちも混ざって、ペースト状の『生こんにゃく』を受け取っては丸め、次々とたぎる湯の中に落とし込ん
でいました。 『生こんにゃくペースト』は地域のご婦人が前もって大きなボールに一杯になるほど作ってお
られて、お椀で適当な分量をとりわけ、ある程度形を整えてから子供たちに手渡していました。     ・

『こんにゃく』はこの集落ではひと昔前まで自給自足だったそうて、ご婦人はお婆さんから作り方を教わった
そうです。 最近では『こんにゃく芋』を栽培する農家は殆んどなくなり、また作り方を継承している人も少
なくなっているようで、「あと何年作れうかなぁ。」などと言う淋しい話しも聞かれました。      ・

このご婦人に作り方を聞いてみました。 まず『こんにゃく芋』の皮を剥いて小さく刻みボイルします。 グ
ツグツ煮ていると次第に湯に溶けてドロドロのペースト状になります。 頃合いを見て凝固剤(ナトリウム)
を加えて適当な固さにします。 今日は『お刺身』で食べるので少し柔らかめにしたそうでした。、凝固剤の
量はまさに長年の経験によるものでしょう。                            ・

私も1つ受け取って丸めてみましたが、何だか子供のころにそっと掬いあげたジェリー状の蛙の卵を思い起こ
しました。 どうかすると指の間から抜け落ちていきそうな感覚でした。               ・

 

それからランチタイムになりました。 今日はミネソタからお出でになった芸術系の大学教授も参加されて、
出来立ての『こんにゃく』の刺身と香茸入りの『お結び』、それに味噌汁をご一緒しました。 『こんにゃく
』のお刺身には『酢味噌』がとてもよく合います。 香茸(こうたけ)はその名の通りとてもいい香りのする
『きのこ』ですが、この地域でも滅多に採れない貴重品だそうです。 美味しかったものですから、つい3ケ
目の『お結び』に手が伸び始めましたが、遅刻してきて働かずに大飯喰らいでは流石にいかんだろうと手を引
っ込めました。                                         ・


 

それから食事の後片付けをし、僅かながらドネーションをさせていただき、最後に鍋や窯を洗ってからお土産
の『こんにゃく』と柿、柚子を頂いて、『実は今日とてもいいことがあった』友達と紅葉の山道をドライブし
ながら帰途につきました。                                    ・

さて今夜の夕食です。 食材が切れていましたのでマーケットに行き、食材を物色しました。 私は魚好きで
すから勢い目は魚コーナーに向きます。 そして、鯛の頭、やり烏賊のぶつ切りを買って帰りました。 鯛の
頭は『骨蒸し』ですね。 やり烏賊は明日里芋と一緒に煮てみようと思っています。          ・

従って今夜は『こんにゃくの刺身』と『鯛の骨蒸し』になりました。 大葉を敷いて薄くスライスした『こん
にゃく』を盛り、柚子の皮を添えて酢味噌でいただきました。 『鯛の骨蒸し』との相性もとてもよかったと
思います。                                           ・