極楽寺山に登りました
11月19日、Mr.Texanと極楽寺山に登ってきました。 極楽寺山は廿日市市と広島市佐伯区の境にそびえる標
高693mのとても眺めのいい山で、高さも手ごろですから熟年さんには人気の高いハイキングコースになっているよう
です。 ・
頂上には『広島新四国88ケ所霊場』7番札所の『真言宗極楽寺』があり、千手観世音菩薩が祀られています。 登山道
は廿日市側から6コース、佐伯区側から4コースがあり、これらはいずれも『極楽寺』への参拝道になっています。 そ
の他にもあまたのコース(高圧線の保守道で曖昧な部分が多いようです。)があると聞いています。 今回登った『平良
ルート』は極楽寺への表参道で、とてもよく整備されていました。 ・
登山口は下平良の民家の庭先ですが、現在は工事のため少し位置が変わっています。 『登山口う回路』の看板が出てい
ました。 ここから一旦民家の裏側に回り込みおおきく削り取られた山裾の急な法面の端から取りつきます。 そしてま
ず小山を越えて山陽自動車道にかかる陸橋を渡り本格的に山中に分け入ります。 ・
所々に急坂はありますが、まあ登りやすいルートでした。 ルートでは沢山の人に出会いました。 私は10時に宮内串
戸駅でMr.Texanと落ち合い、途中で食料を仕入れて登り始めましたので、山中に入った頃は既に11時前後だっ
たろうと思います。 暫く登るうちにどんどん人が下ってきました。 まぁウィークデイですから当然と言えば当然なの
ですが、皆さん一様に熟年さんでした。 ・
チリーンと澄んだベア・ベルを響かせながら下ってこられます。 圧倒的にご婦人が多い。 元気がおよろしいですね。
それにリッチな方々なのでしょう、皆さん立派な装備をお召でいらっしゃいます。 「日本人はスタイルから入るみたい
だからなぁ。」とMr.Texanが呟きました。 それに比べると私たちの服装は実にみすぼらしいものでした。 ・
そのベア・ベルですが、頂上付近に「熊の目撃情報があります。 気を付けて下さい。」という看板がありました。 最
近では里山で見かけることもままあるようです。 次回登る時には少なくともベア・ベルは準備しようと思っています。
それと単独行動は出来るだけ避けた方がよさそうです。 猪も多いようです。 登山道の脇にも随所に掘り返した跡が見
られます。 ミミズを漁っているのでしょうか。 猪もいきなり出会うと危険です。 「刺激しないように」というアド
バイスもありました。 ・
登った『平良ルート』ですが、先にも述べたように極楽寺への表参道になっていますのでとてもよく整備されていて、特
に危険ケ所はありません。 所々に土留めの丸太がありますが、弥山登山道の石段に比べれば楽なものです。 ほとんど
尾根筋を登っていきますが、眺望はそれほどよくありません。 でも所々に絶景ポイントがあって、宮島越しに更に海が
望めたり、眼下に広がる広島湾が陽光に輝く様子を楽しめます。 Mr.Texanは紅葉を期待していたようですが、
ほとんどが常緑樹で、稀に木々の合間に紅葉を見る程度でした。 ・
頂上は693mです。 辺りは『展望広場』となっていますが、眺望はほぼありません。 頂上の標識とrest ho
useがあるのみです。 極楽寺入口の駐車場から参拝道の入り口を左にとって丸太造りの急な坂道を200m程登りま
す。 まぁ「取り敢えず頂上に立った」という自己満足程度のものでした。 ・
弥山に登りました
話しが前後します。 山頂を経由し大聖院ルート方面に下って仁王門に至りました。 ここでスパッツを脱ぎ捨てようと
傍らの椅子に腰掛けたところ、先行していた一組のご婦人に声を掛けられました。 いい音色の鈴をリュックに括り付け
ていましたので、きっとあちこちの山歩きを楽しんでいる方々なのでしょう。 ・
「大元ルートを歩いたことがありますか?」 「ええ何度も。」 「どんなルートでしょう? 厳しいですか?」 「三
つのルートの内では一番長いルートです。 同じように石段は多いですが、原生林の雰囲気がとてもいいルートですよ。
」 「道に迷うことはありませんか?」 「一本道ですから迷うことはありません。 ただ、マムシには気を付けてくだ
さい。」「えっ! 沢山いるんですか?」 「いると言われています。 でも私は見たことはありません。 念のためで
す。 それと16丁目の真下に『風吹岩』というのがありますから見てください。 地際の洞からエアコンのように冷気
が噴出しています。」 そこまで話すとご婦人方は礼を述べて出発していかれました。 ・
私はそこでゆっくりとスパッツを外しました。 『大聖院ルート』を下るならヘビ除けのスパッツは不要です。 ところ
でコイツ、何だか冷たいと思っていましたが、スパッツの内側は汗で相当に濡れていました。 ゴアテックスなのに内側
に汗が溜まるなんて。 「やっぱりあの店はおかしいんじゃぁないかなぁ」と思ったりします。 イタリア製の登山靴ス
カルパは足に喰い込み、危うく足を壊してしまうところでしたし、スティックはみじか過ぎて下りでは役に立たない。・
それに通気性の悪いゴアテックスだなんて。 ・
さて出発。 速足で下っていきます。 前回の下りである程度連続性を持たせて下る方が(私にとっては)膝への負担が
少ないことに気付き、転倒を警戒しながらも速足で膝への負担を軽減します。 沢渡りまで下った時、二人のご婦人を見
ました。 「確かあの服装だったよなぁ」と思いながら更に下ると聞き覚えのあるあの鈴の音を聞きました。 ・
「おや! 大元コースを下るんじゃぁなかったんですか?」と問うと、「ここは確か大聖院コースじゃったよねぇ。 大
元コースへはどこから入るんじゃろう、と話しながらここまで下りました。」 「えっ! 標識を見なかったの? 仁王
門からまっすぐに進むといったでしょう。 大きな看板もあるけど、それも見なかった?」 「いえ、標識には気づきま
せんでした。 いつまでたっても『風吹岩』がみえんねぇ、と話しながらここまで来ました。」 「それはごめんねぇ、
もっとちゃんと教えてあげればよかった。 でもここまで下ったら大元コースは諦めて、休憩所から厳島神社を俯瞰して
下さい。」と言って先に進みました。 標識も確かめないなんて、深い山だったら遭難かなぁ。 ・
今朝もいつものように洗濯物を干し、いつものように服装を整え、いつものように宮島口まで歩き、いつものようにコン
ビニでアンパンとスポーツドリンクを買ってフェリーに乗りました。 そしていつものように迷い、いつものように自分
を叱咤し、今日は博奕尾ルートを登ることにしました。 ・
博奕尾ルートは若干32歳のMr.Texanでさえ、しかも下りでさえ、「大聖院ルートも、もみじ谷ルートも石段が
多くて嫌だ。 でも博奕尾ルートは長くてもっと嫌だ。」と言わしめました。 もみじ谷の北側を大きく迂回して登りま
す。 もし弥山に登ることがあったら、展望台からケーブルカーの終点『獅子岩』から左に続く長い稜線を眺めてみて下
さい。 それが『博奕尾ルート』です。 ・
それでも稜線から望む眺望は人々を惹きつけます。 腰が引けつつも、それでも私はこのコースが好きです。 木々の間
に間に垣間見る厳島神社、千畳閣・五重塔、足下の絵の島、奈佐美島、江田島、牡蠣筏、遠く望む広島市街、脚を止めれ
ば時も疲れも忘れます。 ・
でも、もし博奕尾ルートを登るなら気を付けて頂きたいことが2つあります。 まず、ルートと見紛う脇道が随所にあり
ます。 下の写真では登山道はまっすぐに伸びているように見えますが、手前左に本道があります。 このように行く手
に木切れでガードが作ってあったらそこには進まないでください。 この先がどうなっているのか確認はしていませんが
踏み外すと宮島の尾根は結構急峻です。 ・
ここは私が一番気を付けている場所です。 大きな岩の脇を通ってその向こうをよじ登り(下りルート)ます。 松の根
に掴まりながら登りますが、左は写真に見るように急激に落ち込んでいます。 足を滑らせればまさに谷底に向かって転
げ落ちることになります。 非公式のルートにはこういう危険が潜んでいることを知っておいて頂きたいと思います。・
今日はこうして博奕尾ルートを登り、山頂を経由して大聖院ルートを下りました。 博奕尾ルートは観光協会が推奨する
公式ルートではありませんからルートの詳述は避けています。 ・
9月29日
弥山に登りました
パンツのゴムの上にプックリと膨らんだものを見て、またまた「このままでは取り返しがつかないことになる。」と覚悟
を決めました。 何度同じ覚悟を繰り返すのでしょう。 楽に流されるは易く、覚悟の持続はし難いことです。 世の中
にはその覚悟を持続して成功する人もいますが、私は平凡ですから。 ・
今日はその覚悟の手始めに『弥山』に登ってきました。 朝食を済ませ、10時を回ってから出発、宮島口まで歩き、コ
ンビニでスポーツドリンクとアンパンを買ってフェリーに乗りました。 特にどのコースを歩くというあてもなく、脚の
むくままに大元公園に至りました。 気持ちのどこかに『庇岩』のことが残っていたのかも知れません。 ・
宮島は毛利元就と陶晴賢が中国地方の覇権をかけて争った古戦場です。 勝利をおさめた毛利氏は、戦いの後で戦国時代
以降荒れ果てていた厳島神社を再興し宮島に名を残しました。 一方陶氏は僅かに『駒ヶ林』と『血仏』に敗者としてそ
の名をとどめ、陶晴賢はその終焉の地さえはっきりしていません。 ・
その『血仏』は大元公園の片隅にあります。 案内板には『この石塔は墓ではなく明暦4年(1658)に建てられた供
養塔で、合戦の後永らく陶軍の敗死者の血が流れたと伝えられるため、土地の人はこれを『血仏』と呼んでいる。』とあ
ります。 夜襲・壊乱のあと、大元の地で陣を立て直そうとしてならなかった陶晴賢の無念が窺えます。 ・
登山口の四阿、ここで旅装を整えようと思っていましたが、気を付けて下さい、『スズメバチ』がいて立ち入り禁止にな
っています。 『マムシ』はいても『熊』はいない。 「まあ、安心して登れる山だ。」と思っていましたが、まさか『
こいつ』がいようとは。 ・
以前紹介した『風吹岩』は『16丁目』の真下にあります。 『大師堂』の左側、大岩の裂け目から冷たい風を吹き出し
ています。 大岩は高さ20mもあるでしょうか、苔むしていて辺りを凌ぐ存在感があります。 ここまで登れば峠まで
あと一歩、見上げれば木々の隙間に女神さまの鼻孔を望みます。 ・
峠から暫く下ると『庇岩』(私が勝手に呼んでいます)の下をくぐります。 大きな岩が微妙にバランスを保って登山道
を覆っています。 意識し始めてから「こいつはちょっとヤバイのではないか。」と思っています。 支えになっている
部分にはクラックがありますし、山側の岩とは分離しています。 庇の奥にはお大師様が祀ってありますが、さて急な雨
の時、あなたはここで雨宿りができますでしょうか? ・
8月2日
『大元コース』経由・弥山登山
昨夜、宿に帰ってMr.Texanとビールを飲みながら今日のルートを検討しました。 『駒ヶ林直攀コース』の話も
出ましたが、『アレ』を見ようということになり、結局『大元コース』を登ることにしました。 バスで宮島港まで送っ
て貰い、不要な荷物をコインロッカーに預けて先ずは朝食を探します。 宿は素泊まりにしておいて、マーケットで『お
むすび』を仕入れて『大元神社』で朝食を摂るつもりでいました。 ・
町屋通りから少し山手に入ると、島の人達の生活物資を商っている小店があり、お弁当やパン、それに飲料水なども揃い
ます。(以前利用したことがある) ・・・と思ったのですが、何とclosed,いやいやwent out of・
businessなのです。 固く閉ざされた硝子戸の中には何もありません。 当てがはずれましたが、観光協会から
「2〜3軒はある」と聞いていましたので他の店を探してみました。 でもそれらしい店は見当たりません。 土地の人
に聞いてみると、「今日は日曜日だからどこも開いていませんよ。」と絶望的なことを言います。 最悪! ・
町屋通りと商店街を散々歩き回って、結局港まで引き返し、いま開店したばかりの喫茶店を見付けて、やっとのことでモ
ーニングサービスにありつきました。 そして港の売店で昼食用のアンパンを仕入れて再出発となりました。 そんなこ
んなで・・・気を付けて下さい。 島内では諦めるか、とんでもない高い買い物になるかしかないようです。 コンビニ
? とんでもない。 もし350mlの缶ビールが230円で売られていたら、いかに宮島ビールといえども500円で
は見向きもされない。 ここは島全体が運命共同体なのです。 競争原理は働いていません。 でも素朴な疑問なのです
が、島の人達はビールを飲まんのかねぇ。 ・
『大元コース』の詳述は避けます。 5月31日の『弥山登山・ジム友・若いお嬢さん』で詳しく紹介しました。 ただ
登り口の看板に『マムシに注意・噛まれたらすぐに119番』と朱書してありました。 これからいよいよ危険なシーズ
ンに入ります。 Mr.Texanに「もしサイドワインダーに出会ったらどうする?」と聞いてみました。 「すぐに
逃げる。」と聞いて笑いましたが、それにしては彼はいつもスニーカーに短パンなのです。 そりゃあ、幾ら何でも拙い
で。 poisonous snakeがいることは前々からレクチュアーしているでしょう。 ・
私はいつも登山靴・長袖・長ズボンで、とくにこれからの時期にはひざ下にスパッツを巻いておきます。 これで完璧に
防御できる訳ではありませんが、ズボンとの間隙がかなりの確率で助けになってくれるはずです。 滅多に出会うもので
はありませんが、落ち葉と同化すると気付かないこともあるでしょう。 装備の基本は守った方がよさそうです。 ・
で『アレ』のことです。 私は今までこのことを知らず、恥ずかしながらMr.Texanから教えられました。 『風
吹岩』というものがあるのです。 確か15町と16町との間、登山道の右側に大きな岩があり、地際の洞から冷気が噴
出しています。 周りが無風状態でも、何故かゴウゴウと冷気が吹き出してきます。 エアコンの吹き出し口に立ってい
るような冷気で、瞬く間に汗が冷えていきます。 ・
従って谷筋の冷気の通り道でもないようです。 Mr.Texanは「地下水で冷やされた空気が吹きあげてくるのだ」
といいます。 そうだとしても冷気を押し出す力がなくては。 この地下にはきっと何か大きな仕組みがあるに違いあり
ません。 どこか怪しい『弥山の七不思議』よりは、よほど説得力があります。 「もし日本に住むとしたら、便利は悪
いけどここにしたい」とMr.Texanがいいます。 あのねぇ、ここは世界遺産だぜ。 ・
もう1つ紹介します。 『大元コース』の垰から『駒ヶ林』の登り口の中間辺りに庇のように登山道を覆っている大岩が
あります。 それが登山道に面した小岩に微妙に支えられています。 「Mr.Texan、弥山頂上の『くぐり岩』と
これとではどちらが怖いかね。」と尋ねると、「そりゃぁこちら。 支えている岩がhas separatedだよ。
かなり怖い。」といいます。 そう思いながら改めて眺めてみると、これは本当に怖い。 あなたは雨宿りができますで
しょうか? 今度写真を撮ってきて紹介します。 ・
『仁王門』まで下ると、外国人のカップルが地図を眺めながら思案しています。 「大元コースならこちらですよ。」と
お教えすると男性から確か「サンキュー」と返ってきたと思うのですが、女性に「でも石段が多くてかなりハードですよ
。」と説明するとstone stepsがちょっと聞き取れなかったみたいで、足元を示しながら2・3度言い直しま
した。 それで理解して頂けたようなのですが・・・・ ・
後でMr.Texanがいいます。 「Masato、foreignerがみんな英語を話せるわけじゃないんだぜ。
戸惑っていただろう。」 そういわれてみると女性の方は顔つきがスパニッシュ系だったかなぁ? ガイドを依頼してく
る人は皆さん英語が堪能でいらっしゃるので、つい皆さんに英語が通じると思い込んでいました。 ・
弥山本堂に到着すると今日も沢山のforerignerで溢れていました。 本当に凄いです。 「Wow! a l
ot of foreign people!」と呟いたら、またまたMr.Texanにたしなめられました。 「そ
ういう言い方はrudeだぜ。」「仮にお前が外国に行っていて、日本人が多いなぁ!と言われたらどう思うか?」とい
います。 「そうかなぁ、別にrudeとは思わないけどなぁ。」 この辺りはちょっと捉え方として理解できないとこ
ろです。 forerignerという言い方に不快感を示す外国の方もおられるようですから。 受け止めかたの問題
なのですかねぇ。 ・
「さてどこを下ろうか?」 今日はまだ下りのルートを決めていなかったのです。 「『もみじ谷コース』も『大聖院コ
ース』も石段が多くて嫌だ。 でも『博奕尾コース』は長すぎてもっと嫌だ。」とMr.Texanが駄々をこねます。
「ならばここしかないではないか。 でもここは基本的にご法度だぜ。」 実を言えば途中で道を間違えて谷方面に50
mほど下ってしまいました。 すぐに気付いて引き返しましたが、こういう脇道があるので、「できるだけオフィシャル
ルートを歩いて下さい。 他のルートを歩いていけない訳ではありませんが、捜索に出ることが年に数回あります。 仮
に歩くとすれば自己責任でお願いします。」と観光協会はいっています。( 前回も同じことを述べています。) ・
港まで戻ってコインロッカーから着替えを引き出し、正面のホテルの展望浴場で汗を流しました。 バスタオル付きで8
70円、「これなら相場だなぁ」と思いつつ、ゆっくりとお湯に身を沈め疲れを癒しました。 ・
7月18日
『駒ヶ林』経由で霊火堂まで登りました
once a weekのペースで登れたらと思っているのですが、諸事情これあり、結局once a month・
or lessになってしまっています。 前回が誕生日の前日でしたからもう2か月が近くなってしまいました。 台
風一過という訳でもないですが、今回は昨夜から少々気合が入っていました。 早朝から洗濯物をベランダに干し、身支
度を調えて出かけました。 ・
先ずは我が家から宮島口まで歩きます。 どれくらいあるでしょうか、3キロ半? 男子駅伝の3区、終盤に坂を上り始
めた辺りから歩きますからそれくらいはあるでしょう。 今度車で走ってみようと思います。 さて心積もりとしては、
久しぶりですから安直に『大聖院コース』を登り同コースを下るように考えていました。 ・
ところが心変わり。 今日は山なみがとても綺麗にみえました。 とくに駒ヶ林の山頂辺りは緑深く、いつになく近くに
見えました。 そこで「やってみるか!」と駒ヶ林への直攀ルートを試みることにしました。 おそらく弥山登山では最
もハードなコースだと思います。 これでもか、これでもかという感じですね。 特に最後の登り、女神さまの鼻孔の辺
りは木の根を手掛かりに岩をよじ登る厳しさになります。 ・
このコースは宮島観光協会が推奨する『モデルコース』ではありません。 ご存知のように弥山登山には3つのオフィシ
ャル・コースがあります。 北側から『もみじ谷コース』『大聖院コース』『大元コース』です。 これらのコースはよ
く整備されていて迷い込むような脇道もなく安全なコースとされています。 ・
しかし、それ以外にもいくつかの尾根筋ルートがあり、中には好んでこうしたルートを歩く人もいます。 私もその1人
かも知れません。 ただ、尾根筋ルートは獣道のようなものですし、脇道もあって多少の危険を伴います。 従って観光
協会としては「安全なオフィシャル・コースをお勧めします。 もしそれ以外のコースを登る場合は自己責任でお願いし
ます。」という立場です。 「たかだかこれくらいの山で」と思われるかもしれませんが、年に何人かはsomeone
lost their way and wandered into a strange placeといったこと
が起こっています。 ・
webにはこのコースを詳しく紹介したものもありますが、そうしたこともあってルートの詳しい紹介は避けたいと思い
ます。 ただルートの特徴的なところだけを紹介するとこんなところです。 登り口から厳島神社の絶景が楽しめます。
(写真左) 時に背を覆うようなブッシュがあります。(写真中) 頂上にでるといきなりこの景色が目に飛び込んでき
ます。(写真右) この他にも頂上近くに危険ポイントが何か所かあるのですが、もうヘロヘロ状態で写真を撮ることさ
え忘れてしまいました。 ・
今朝『菩薩様』の夢を見ました。 何故なんでしょうね、もう四半世紀も前のことなのに、このところ見る夢は舞台がい
つも会社のアパートなのです。 まあ、そこで培われた人間関係もないではありませんが、夢の内容はその人たちと関わ
りがないものばかりです。 ・
その夢のことです。 『菩薩様』が押し入れから古びた衣装箱を持ち出してきて、その中から風呂敷包を3こ取り出しま
した。 そして、「これが『あの人』の遺骨だよ」というのです。 『あの人』とは、私たちが尊敬し、親とも慕い、ま
た愛されもした方でした。 そういえば、『あの人』がお亡くなりになったのは、確か私たちがそのアパートに移り住ん
だ頃でした。 ・
今になって思えば、様々の事情があって『あの人』はお寂しいうちにお亡くなりになったのだろうと思います。 私たち
を愛して下さったのは、或はその寂しさゆえだったのでしょう。 とても悲しいことでした。 お亡くなりになって暫く
は田舎に帰るたびに『菩薩様』と一緒にお墓参りをしてきましたが、いつの頃からかそれは途絶えました。 私たちが故
郷を捨てた頃だったろうと思います。 奥様もお亡くなりになり、ぷっつりと縁が途絶えました。 ・
「もうお墓におさめてあげないといけんね」と『菩薩様』がいいます。 「そうだねぇ、それなら私たちのお墓に一緒に
入れるか、お寺さんに尋ねてみよう。」と言っているところでこの夢は終わりました。 『菩薩様』が「不義理をしちゃ
ぁいけんよ」「寂しがっておられるよ」と言っているのだと思いました。 ・
次に田舎に帰ったら是非お参りをしてこよう、そう思うとともに、今日は『菩薩様』の誕生日、きっと彼女が待っている
のだと感じて、どうしても『霊火堂』に行ってやらなければと思ったのでした。 ・
『霊火堂』は弥山の中腹、といっても殆ど頂上近くになりますが、弥山本堂、大日堂、三鬼堂とともにいわば弥山の聖地
を形作っていて、人々の信仰を集めています。 言い伝えによれば806年に空海がこの地で100日間の苦行を積まれ
て開山したそうで、その時に使った火がこの『霊火堂』で今も燃え続けています。 ・
宗派は違いますが、私もこの『霊火堂』には何か感じるものがあり、弥山に登るたびにお参りをしてきました。 特に何
かをお願いするということはありませんでしたが、霊火を眺めながらここに座っていると心が安らぐのでした。 ここで
なら『菩薩様』に会えるかもしれない・・・そう思って「寂しくなったら『霊火堂』で会おうね」と『菩薩様』と約束を
しその後もこのようにお参りを続けています。 ・
今日は『大元コース』を登りました。 ほとんど『大元公園』の近くで下ってこられた男女3人の熟年さんに出会い、中
間まで登ったところで1人の青年とすれ違いましたが、それ以降は誰も見かけず、真に静かな登山でした。 カラスの鳴
き声が一層静けさを際立たせていました。 ただ、『大聖院コース』との合流点、『仁王門』以降は賑やかな歩きになり
ました。 『霊火堂』では30分ばかり『菩薩様』と話し、頂上には登らず『大聖院コース』を下りました。 ・
4月25日
『鈴が峰』登山
もう随分時を経ましたが、元の会社を退職した後、関連会社に再就職しそこで10年を過ごしました。 その10年間、
私は窓際のカウンターでコーヒーを啜りながら毎日この山を見てきました。 『エニシダ』が帯をなして黄色く咲き誇る
ころ、若葉が山ごとすっぽりと覆い尽くします。 やがて緑深く逞しい山容となり、そして朱や黄色に染まるころ、山道
は次第に鮮明になっていきました。 ・
このサイクルを10年間、ずっと同じ窓から見てきました。 枯山になると右に左にうごめく人の姿が認められるように
なりました。 頂上辺りでは蟻とも思えぬ小さなものがきらりと光りながら移動していきます。 そのような光景を眺め
「いつかは登ってみたいものだ」と思いながら10年を過ごしました。 ・
たかだか300メートル余りの小山ですから、思い立てばいつでも登れたはずなのに、何故かそうはしませんでした。・
『菩薩様』が逝ったあと、弥山に登るようになるまで登山の楽しみにそれほど関心がなかったのかも知れません。 とも
かく、その念願を果たしてきました。 昨日25日のことでした。 ・
このところずっと単独行動が続いています。 Mr.Texanは宇部に長期出張していますし、『チヌ夢想氏』は私な
ど思いもよらない遥かに高いレベルの登山をしますので声を掛けるにも気が引けます。 もう一方同行を約束している方
がおられますが、私が暫くジムから遠ざかっているためお目にかかる機会がありません。 (今週あたりジムに出掛けて
みようと思っていますので何か約束ができるかも知れません。) ・
従って、今回も単独行動になりました。 電車で『商工センター入口』まで行き、まっすぐ登って鈴が峰西交差点から団
地方面に入り、更に方向を変えて『井口台中学校』まで登ると、そこが『憩いの森登山口』です。 登り口に『西区やま
なみハイキングコース』の案内があります。 このコースは『鈴が峰山頂』を経由し、峰々を歩いて先日Mr.Texs
anと一緒に歩いたこのコースの始点(終点)三滝山に至ります。 ・
今日は『もみじ谷コース』
18日に弥山に登ってきました。 『菩薩様』に会いに行こう、それに「明日の為に今日を精一杯生きなきゃ。 健康維
持に手は抜けないもんな。」、こんなことを考えながら準備を始めました。 お昼を食べて、我が家から宮島口まで歩き
ましたので、『もみじ谷』を登り始めたのはもう2時前でした。 ・
『もみじ橋』を渡って『もみじ谷』に入ると正面に小さな社があります。 これが『四宮神社』で、ご祭神は『加具土神
』、商売繁盛や農業にご利益があるといわれています。 この辺りを散策される外国の方は結構多いです。 この社の前
で足を止めて写真撮影をする人をよく見かけます。 深い木立に囲まれていますし、素朴な佇まいに惹かれるのかも知れ
ません。 ・
『もみじ谷』コースは『大聖院コース』とともに最もポピュラーな登山道です。 外国の方も多いですし、小さな子供た
ちもよく登っていきます。 ただ石段は自然石を利用したものも多く、5丁目くらいから暫く悪路が続きますので注意が
必要です。(写真左) まあ、そこがワイルドでいいのかも知れません。 峠が近くなると坂道は一気に急になり、長い
石段が続きます。(写真中) このあたりまで登ると木立の間に眺望があります。 そして峠に至れば、そこが『ロープ
ウェー終点』からの合流点となります。(写真右) ・
峠から概ね半分を登ったところに絶景ポイントがあります。 江田島、小黒神島を望んでいます。 全般によく整備され
たコンクリートの道(もちろん石段はあります)が続き、歩きやすいコースです。 ただ1か所地崩れで登山道が失われ
た場所があって、木の根っこを跨がなければいけませんから足元に注意してください。 実はその辺りが絶景ポイントな
のです。 ・
弥山本堂に到着したら、まず『霊火堂』に入り霊的な雰囲気に触れてください。 茶釜には湯がたぎっていますから喉を
潤すことができます。 健康にもご利益があると聞きます。 私はこの日も脇の椅子に座って暫く『菩薩様』とお話をし
ました。 まぁ、その為に弥山に登るのでもあります。 今日は霊火が勢いよく燃えていました。 ・
4月12日