極楽寺山に登りました
11月19日、Mr.Texanと極楽寺山に登ってきました。 極楽寺山は廿日市市と広島市佐伯区の境にそびえる標
弥山に登りました
話しが前後します。 山頂を経由し大聖院ルート方面に下って仁王門に至りました。 ここでスパッツを脱ぎ捨てようと
7月19日
弥山登山・大聖院〜休憩所
梅雨が明けました。 やっと、やっとです。 3〜4日前から私の身体は梅雨明けを感じ始めていましたが、明けてみると長く
苦しんできた『梅雨の病』からすっかり解放されていました。 昨朝はいつになく爽やかな目覚めでした。 それからスポーツ
専門店にでかけ、トレッキングシューズを買いました。 3代続けて失敗してきた登山靴選びに懲りて、今回は専門家のアドバ
イスを受けました。 「そんなに高い山に登るわけではないんです。 トレッキングに毛が生えたくらい。 登りは大丈夫です
が、下りで足が詰んで壊れるほど痛みます。」 こんなお話をして選んでいただいたトレッキングシューズ、踵のやや深い奴で
す。 ・
それから『中敷き』を勧められました。 彼自身が実際に使ってみて実感したということでしたので、信用して使ってみること
にしました。 これで足の問題が解決し、楽しく弥山行が楽しめたら5000円の投資はそれほど高くはないと思うのですが。
さてどうでしょう。 ・
「登りました。」といってもほんの触りだけ。 「この靴で一気に遠出はしないでください。 まず近場で歩いてみて違和感が
あれば相談してください。」 こんなアドバイスを受けていましたし、何しろ4月29日以来の弥山行でしたので一気に登りつ
めないで、先ずは『大聖院ルート』を休憩所まで登って引き返すことにしました。 ・
9時に出発、宮島口まで歩いてフェリーに乗り、町屋通りを抜けて滝町通りに入り、『大聖院』の脇から登り始めました。 天
気もよかったですし、爽やかな風が渡ってきてとても気持ちがよかったですね。 これだから山歩きは止められない。 休憩所
は6丁目にありますから全体の(弥山山頂までの)4分の1を登ったことになります。 ・
ベンチに座って暫く休憩し、写真を1枚撮ってすぐに引き返しました。 ところで靴の具合はどうだったかというと、今まで痛
んでいた親指から土踏まずにかけての筋は大丈夫だったのですが、下るほどに左足の薬指に痛みが出て、それ以降我が家に辿り
つくまで難渋しました。 戻って靴下を脱いでみると指の付け根に大きな豆ができていました。 豆は仕方ないとしても、この
痛みは何とかしなくては。 またスポーツ店に行ってみようと思います。 ・
ところで笑い話を1つ。 夕刻にセルビアのヤングガールとインターネットで話しました。 「今日の山登り、cornには難
渋しましたよ。 あなたcornを知っていますか?」「yes、ベジタブルの!」 「そうそう、足の裏で収穫できるやつ。
」 「???」 「冗句ですよ!。 cornはcornでもblisterの方ですよ。」 暫くあって「ハッ!ハッ!ハッ
!」 ご存知でしょうが『トウモロコシ』も『水疱』もどちらも『corn』 ・
4月29日
弥山登山・大聖院〜もみじ谷
主夫はなかなか忙しいです。 まぁ、手を抜けばいいようなものですが、性格的なところもありまして。 目覚めてトイレ、
水を1杯飲んで血圧測定、『菩薩様』に水を上げて、仏飯をお供えし朝のお勤め、洗濯機を回しておいて朝食の準備、朝ドラ
を見ながら朝食を摂って、柔軟剤を入れてもう一度洗濯機を回し、朝食の後片付、掃除機をかけて、洗濯物を干して、それか
ら登山の準備に取り掛かりました。 ・
今日は忘れ物はなかったかというと、やはりありました。 家を出て2〜300m歩く内paspyを忘れていることに気が
付きました。 『まあ、いいか。』とも思ったのですが、「いやいや10%の割引ですから無駄をしちゃぁいけない。」と思
い直し引き返しました。 今日は宮島口まで電車で向かいました。 ・
今日は連休の初日、流石に多かったですね。 フェリー乗り場も宮島表参道も人、人、人、人の山でごった返していました。
ついうっかりと表参道に入ってしまったのですが、人の壁にぶち当たってなかなか前に進めません。 まぁ、私のような者が
観光客に混じってはいけないのかも知れません。 で今日は『大聖院ルート』を登る積りだったので、厳島神社の裏手を抜け
滝町通りを登って大聖院に至りました。 ・
大聖院では『春の大茶会』が開催されていて、着物姿の女性が頻繁に往来していました。 やはり女性の着物姿はいいもので
す。 宮島の風情に実によくマッチしています。 知り合いの『裏千家』の重鎮も世話役として来られているはずですから、
「ちょっと一杯(じゃぁなくて一服でした)頂いて行こうかな」などと思いながら、思い直して先を急ぎました。 ・
石段に次ぐ石段ですが、もう急ぐことはしません。 一歩一歩踏みしめるように登っていきます。 新緑に包まれて爽やかな
風を感じながら『白糸の滝』『休憩所』『沢渡り』『仁王門』とゆっくりと登っていきました。 速度は遅いですが、休憩の
必要がありませんから思いの他道が捗ります。 『沢渡り』から少し登った辺り、道路に鉄板が敷いてあるところから上で参
道の整備が始まっていました。 でも危険ということはありません。 ・
『霊火堂』の下まで登ると『大日堂』から下ってみえた若者が2人、地図を眺めながらしきりと話し合っていました。 「ど
こに行きたいの?」と尋ねると、地図を示して「このルートを下りたい。」といいます。 「あぁ、それならこちら。 4〜
500m下ると右に下る道があるのでそれを下りてください。 それがこの登山道です。」とお教えし、「thank yo
u」「you are welcome」とお別れしました。 暫く歩いて、「あぁそうだ。 仁王門を潜ってすぐ右に下り
る、と説明すればよかった。」と気付きましたが、時すでに遅し。」でした。 全くプレゼンテーション力の欠如ですね。・
『霊火堂』はごった返していて『菩薩様』とゆっくり話す暇もなく、頂上でよく澄んだ景色を眺めてすぐに『もみじ谷ルート
』を下りました。 蛙が恋の季節を迎えています。 沢やちょっとした水たまりでゲロゲロと鳴いていました。 でも何故か
姿は見えませんでした。 ふと気が付いたのですが、今日は小さな子供連れが沢山登ってみえました。 結構ハードな登りな
のにお子さんはとても元気。 羨ましいです。 きっといい思い出ができるでしょう。 ・
下って、『塔の岡』のやゝ上にあるカフェに立ち寄ってみました。 ここには次回のギリシャからのお客様をご案内する予定
で、その下見の積りです。 正面に五重の塔と千畳閣を眺めながらコーヒーを頂きました。 思っていた通り、なかなかいい
雰囲気でした。 これならギリシャからのお客様もきっと満足されるに違いありません。 ・
さて、足の具合ですが、やはり豆は出来ていたものの、今まで程の痛みはありませんでした。 靴下を変えてみること、それ
に滑り止めを敷いてみるとどうなるか、そんなことを考えているところです。 ・
4月11日
『極楽寺山』に登りました
腹回りの成長も著しいし、余り間が空くと登山後の後遺症に苦まなければならない。 「そろそろ限界だなぁ。」と思って『
極楽寺山』に登ってきました。 前回の登山以降、どうも足の状態が思わしくなく、ここ2か月ばかりお休みにしていたので
すが、「そういう事情これあり」ということで出掛けてきたのでした。 ・
で、足はどうだったかというと、登りはまずまずでしたが、下りにかかって足が詰んで爪先が痛んできました。 そこで足先
の部分の靴紐をしっかりと締め直し、足先が前に突っ込まないように工夫してみました。 当座はそれでよかったのですが、
今度は足先が締め付けられて小指の辺りに耐えられない痛みが出てきました。 ・
平地に戻り、今度は爪先を緩めて帰路を歩きましたが、ちょっと無様な歩きになってしまいました。 戻ってソックスを脱い
で痛む部分を調べてみたところ、両足の小指と薬指に大きなマメができていました。 どうも靴の扱い方の『基本の基』が分
かっていないような気がします。 今度『山岳会の重鎮』に出会ったらその辺りを聞いてみようと思っています。 ・
半分も登った頃、ゆっくりと先行するご同輩に追いつきました。 NHKがやっている『山歩き』の番組があります。 プロ
の山岳ガイドに案内されて歩いていくのですが、出発に際しどのガイドとも一様に「ゆっくり登りましょう。」とアドバイス
します。 先行するご同輩の歩き方はまさにソレで、一歩一歩踏みしめるように登っていきます。 私は気が急く流儀なので
結構速足で歩きます。 でもその分すぐに息が上がり、足を止めては息を入れます。 ・
何日だったんだろう、村の人が総出で前の山に登りました。 頂上からは足下に瀬戸内海を見下ろしました。 それから皆さ
ん思い思いにお弁当を開きます。 重箱に詰まったお弁当はいつも『巻きずし』だったように思います。 この時期のことで
すから卵焼き、煮付けた竹輪や干ぴょうとともに茹でた芹が入っていて、風味がよかったように覚えています。 ・
もう70年近くも前のことですから、とても質素でした。 それから少しして駅に近い町に引っ越したのですが、そちらでは
桃の花が『花見』でした。 桃の花の下で家族で『巻きずし』をほうばりました。 そんな子供の頃を思い出しながら、咲き
乱れる『つつじ』の間を登っていきました。 ・
弥山に登りました
18日、新しい靴で弥山に登ってきました。 直前まで極楽寺山にするか、弥山にするか迷っていましたが、新しい靴を石段
で試すついでに『霊火堂』にお参りすることにしました。 ”ついで”というと『菩薩様』に叱られるかもしれない。 『大
聖院ルート』を登り、『霊火堂』からそのまま『もみじ谷ルート』を下りました。 ・
靴の調子ですが、やはり下りにかかると左足先が詰んで痛みが出ます。 もう少し様子を見て、改善しないようだったら運動
具店で調整をして貰うつもりです。 それ以外の話題と言えば・・・『大聖院ルート』の沢を渡って少し登った辺り、岩肌か
らしみ出して敷石を濡らしている部分が凍っていました。 もうお昼だというのに殆どツルツルでした。 これには登山靴も
歯が立ちません。 気をつけましょう。 ふと見上げると枯れ木に立派なツララがぶら下がっていました。 久しぶりに見ま
した。 ・
今日は殆ど誰とも声を交わすことなく、終始静かな旅でした。 出会う人も様々です。 外国の方が皆さんフレンドリーとい
うことはありません。 「コンニチワ」とにこにこご挨拶される方ばかりではなく、視線を外される方もおられますし、うつ
むいたまま通り過ぎる方もおられます。 声をお掛けるのをためらうこともしばしばあります。 どこの方でしょう、アメリ
カ人かな? 逞しい女性がスタスタと登ってみえたのですれ違いながら「nice strenght」と呟いたら、「クッ
クック!」と笑っていました。 今日唯一の会話ともない会話でした。 ・
『極楽寺山』に登りました。
天気もいいし暖かいし、今日は先日買った『登山靴』の試し履きに出掛けてきました。 我が家から『廿日市市役所前電停』
まで歩いて、それまでに痛みが出るようだったら電車で引き返す。 もし具合がいいようだったら『極楽寺参拝道下平良ルー
ト』を山陽自動車道まで歩いて引き返えす。 こんな積りで一応の準備を整えて、『paspy』も持って出かけました。・
まずまず調子はいいようです。 これなら山陽道まで問題なく行けそう。 スポーツセンター『サンチェリー』を通り抜け、
『下平良登山口』から登り始めました。 登山口周辺では宅地造成が行われています。 新築のお家が数軒ありますが、更に
法面の下にも更地が広がっています。 登山口の写真を撮っておきました。 ・
周りにお家ができればまたこの辺りの雰囲気も変わるでしょう。 法面からいきなり急な坂が続きます。 それから山中に入
り、先ずは『頂上まで110分』の標識を見ます。 この辺りの登山道は削れに削れていてまさに高い土壁の間を登っていく
ことになります。 遠望するとこの小山は本格的な登りに入る序章のように見えますが、いざ歩き始めてみるとまだ登りに慣
れない体には結構厳しく感じられます。 ・
小山のピークに至り、少し下って『極楽寺橋』を渡ります。 下は山陽自動車道です。 参拝道が自動車道で分断されました
から、この橋は参拝道をつなぐ目的で作られたもののようです。 左手(岩国方面)数百メートルに『宮島サービスエリア』
が見えます。 橋を渡ってすぐに側道がありこれを辿ればサービスエリアまで歩けるはずです。 足の痛みもなくここまで順
調にきました。 ・
さて予定通りにここで引き返すか。 ところが脚の方は勝手に山に向かって歩き出します。 「それならやるしかあるまい!
」 橋の取りつき(写真右手)からコンクリートの急坂を登って尾根筋を目指します。 古い時代からこのルートを幾多の参
拝者が歩いたのでしょう、尾根筋に取りつくまでの登山道は深くえぐれて、その間を積もった枯葉を踏み分ながら進みます。
カサカサと心地のいい音がします。 ・
この辺りから下山してくる人に出会うようになりました。 朝早くから登られた人達がそろそろ下ってみえる時刻です。 拝
見すると、同年代かもう少し上のご婦人が多く、次々と隊列を組んで下ってみえます。 「この人たちってどうしてこんなに
元気がいいんだろう」と眩く感じたりします。 賑やかな語らいが原動力になっているのかも知れません。 それと『大仏様
』に会いに行くという気持ちでしょうか。 ・
このルートには宮島のような石段は殆どありません。 所々に丸太の土止めがありますが、さほど大きな段差になっているも
のはありません。 自然石を踏み分けて登る箇所が難所と言えば難所ですが、それも長く続くということはありません。 眺
望は所々にありますが、殆どは樹林の中です。 尾根を通ったり山腹に取りついたりしながら登っていきます。 ・
終点は当然のことながら『極楽寺』の山門(写真左)です。 山門前の『極楽寺縁起』によれば、行基が本尊『千手観音菩薩
像』を霊木の大杉から刻み出し731年にこの地に安置しました。 後806年に弘法大師が開眼供養したと伝えられます。
なかなか歴史の重みを感じる風情です。 山門から更に登っていくと正面に本堂(写真右)が現れます。 現本堂は1562
年に毛利元就によって寄進されたとあります。 唐様式の流麗な曲線が特徴です。 ・
本堂裏から下り、奥之院の脇を通って暫く歩くと駐車場に出ます。 そこから鍵の手を引き返すように急坂を登って山頂に至
ります。 693m、全く眺望のない山頂です。 そのまま進めば500m下って『蛇の池』方面とありました。 実は本堂
から下り始めたとき左足中指から甲にかけて痛みが出ました。 頂上から駐車場に下る間は(とても蹴上の高い段差になって
います)余りの痛みに、「これは誰かにお願いして車に乗せて貰わないと下りは無理かなぁ。」と思ったりしました。 ・
取り敢えず駐車場のベンチに座って靴を脱ぎ、お昼を食べながら様子をみることにました。 日向を選んだのに急に冷えてき
ました。 登りでかいた汗が冷え始めているのでしょう。 それに駐車場にはまだ雪が残っていました。 気温差は相当なも
のです。 暫く休んで靴を履き、爪先を緩く、足首を強く締めなおしました。 そして境内には戻らず、試しに脇の登山道を
下ってみました。 まだ痛みはありますが、靴の中で指を開いたり上下に動かしているうちに痛みは次第に和らぎ、何とか下
れそうに思えてきました。 ・
これなら大丈夫そうです。 後は今来た道を下っていきます。 このところの下り方は結構小走りです。 宮島の石段を下り
ながら、流れの中で下っていく方が膝への負担が軽い(私にとっては)ことに気が付きました。 その場合、勢いあまって転
倒しないよう、腹筋をうまく使うことが大切です。 それに地形を早め早めに読んでいくことも。 ・
『登山口』まで下り、『廿日市市役所前電停』を通り抜けて、マーケットで夕食の食材を買って我が家まで歩きましたが、左
足の痛みは殆ど消えていました。 『ローバー』に比べると靴底の柔らかさが気にはなりますが、どうやらこの靴は使えそう
です。 暫く紐の締め方を工夫しながら歩いてみようと思います。 ・
因みに、今日の登りでは『ベートーベン交響曲6番』を丁度2回聞きました。 1曲が大体43分ですから、概ね1時間半で
歩いたことになります。 登り口で見た標準より少し早かったかも知れません。 ・
パパパッ!と決断すればいいものを、ついグズグズと迷ってしまう。 結局行くんだったらスパッ!と決めればいいもを。・
「ここが人間力なんだろうな!」と思う。 これが一流の人間と三流の人間の差なんだろうなぁ。 そんなことを考えながら
準備を始めました。 ・
宮島口まで歩き、フェリー乗り場で待っていると2人のご婦人から「登るんですか?」と声を掛けられました。 「えぇ。・
あなたたちはケーブルカーですか?」とお尋ねすると、手を振って「いえ、私達は登りません。 『町屋通り』を歩いて、砂
(大学生が瓶入りの砂を売っているみたい。 私は知らない。)を買って、オリジナルの『しゃもじ』のキーホルダーを作っ
てもらう積りです。」と言っていました。 ・
それっきりフェリーに乗ったのですが、宮島の桟橋を出るとまたこのお2人に出会ったので、「町屋通りならこちらの方が面
白いですよ。」とお誘いし、『山辺の小道』にご案内しました。 ここには正月明けに郷里の旧友を案内しました。 そして
『要害山』からの眺望を楽しんで頂き、『宮島の戦い』の歴史をお話しして町屋通りの入り口でお別れしました。 ・
今日は最初から『大聖院ルート』を登り、山頂には立ち寄らないで『もみじ谷ルート』を下ることにしていました。 『大聖
院』の前でウォークマンを聴き始めました。 チャイコフスキー交響曲『6番』、これが所要時間の目安になるでしょう。・
『大聖院ルート』は僅かの区間を除いて殆どが石段です。 このため、このルートの登りを敬遠する人も少なくありません。
私はいつも登り始めて休憩所までの長い石段に苦しい思いをします。 それ以降も急な石段は続くのですが、ここを登りきる
と何故か安心します。 休憩所の最後のカーブに差し掛かると正面に大きな岩があります。 この岩が見えたらフッ!と息が
抜けます。 そして休憩所でウェアを1枚脱ぎ、暫く絶景を眺めて次のターゲット、『沢渡り』を目指します。 ・
『沢渡り』を越えて暫く坂道を登り、最後の石段に掛かったところで交響曲が終わりました。 登り始めて45分です。 『
休憩所』で暫く時間をとりましたので『仁王門』までが大体そんな時間だろうと思います。 まぁ、私の年齢だと平均的な速
度でしょうか。 『茅渟夢想氏』だとどれくらいで登るだろうと思い訊ねてみました。 「軽装で35分、10キロの荷物を
背負って45分くらいです。」と返事がありました。 やはり鍛錬がちがうなぁ。 ・
『仁王門』で昼食にしました。 アンパンとバナナ1本、簡単な食事です。 すぐに出発し、『クジラ岩』から下って、今日
は『御山神社』に立ち寄ってみました。 堂宇は3つあり、厳島神社の祭神と同じく3姫神が祀られています。 平清盛が厳
島神社を造営した際、奥宮として建立したと伝えられています。 ・
御山神社からは西方面を望むことになりますが、足許の地形はとても急峻で遥か足下が大砂利です。 神社脇の木製の鳥居を
くぐると『霊火堂』の下に至ります。 それから暫く『霊火堂』に座って『もみじ谷ルート』を下りました。 ・
弥山登山
実はちょっと悩んでいます。 ジムをこのまま続けるかどうかということです。 確かに設備は完備されていて、行きさえす
れば様々なトレーニングができます。 終わればシャワーを浴びさっぱりして家路につくこともできます。 夏は冷房、冬は
暖房、至れりつくせりです。 「でも所詮はそれらしいマシンではないか?」、また「うまくcommercialismに
乗せられているのではないか?」と思ったりもするのです。 ・
例えば『弥山登山』、我が家から3.5kmを歩いて、535mを登り、そして下り・・・こんな運動に週2回トライすれば
週4回のジム通いに比べて遜色ないのではないか。 最近そんなことを思っています。 「週2回の登山は可能か?」今の私
の思いはそこにつきます。 何れジムを休会するとしても、まずそこを実証して見なければ、という思いから今日も弥山に登
ってきました。 結局はやる気に掛かっているんですけど。 ・
今日は『もみじ谷コース』を登り、『大聖院コース』を下ろうと思っていました。 ところがもみじ谷に入ったところで頭上
からガヤガヤと尾根筋を下ってきた一団をみて、「そうか、これもありか。」と思い立ち、『尾根筋コース』を登ってみるこ
とにしました。 このコースは公式ルートではありませんから詳述は避けます。 またそれ故に滅多に通るルートでもありま
せん。 昨年『管弦祭』の翌日にMr.Texanの我が儘に押し切られてここを下って以来です。 ・
このコースは山腹から尾根筋に取りつくまでが一苦労になります。 根っこを踏み分け、立ち木を頼りに這うように尾根筋に
たどり着いた途端に眺望が開け、見渡すとかなりの高度を稼いだことがわかります。 そしてその後は水平方向に1.5km
進むうちに535mを登る現実の斜度そのものになります。 公式ルートでは石段が多いといっても右に左に山腹をうねって
登りますから距離は長くなりますが、勾配は緩みます。 しかし尾根筋は直攀ですから容赦はありません。 ・
2か所ほど僅かながらほぼ平坦なケ所があって少し息を抜けますが、後は根っこと砂礫に足をとられながら登っていきます。
今日は沢山の人と出会いました。 取りついたのが12時を回っていましたので登って来る人はいませんでしたが、前述のガ
ヤガヤの5人グループ、ご同輩、同じく同年代のご夫婦(多分そうでしょう)、結構出会いました。 「気は引けますが、と
ても気持ちのいいルートですからね。」、こんなご挨拶もありました。 ・
困ったことが起きてしまいました。 半分を登ったころから腹具合が切羽詰まってきました。 腹具合にはいつも気を配って
います。 出発前には大丈夫だと思っていたのですが、でも大丈夫でなかった。 これには弱りました。 やむなく人目につ
かない所に木切れで深い穴を掘ることに・・・。 後は微生物か猪か、よろしくお願いします。 ・
展望台で持参したアンパンを食べ、『霊火堂』に立ち寄って『もみじ谷コース』を下りました。 そうそう、『霊火堂』では
帽子を脱いでください。 堂守さんがいると「ここはお堂ですから。 分かります?」とやんわり指摘されます。 「帽子を
脱いでお参り下さい。」と言えば分かりやすいですが、キョトンとしている方もたまにはいます。 まぁ、マナーではあるで
しょうけれど。 釜は綺麗に掃除されていました。 ・
相変わらずの弥山銀座を抜けて『もみじ谷』に下り始めたころ、ご主人の後を追って割烹着姿のご婦人が登ってみえました。
道を譲りながら「軽装ですね。」と声を掛けたら、「もう疲れました。 二度と登りたくありません。」とおっしゃいます。
「大丈夫ですよ。 山頂から景色を眺めたら、また登りたくなりますよ。」 ・
4月14日
今日は『大元コース』
静寂が楽しみたくて、今日は『大元コース』を登りました。 一歩一歩踏みしめながら登り、時に足を止めて枝幹を飛び交う
メジロに目をやったり、緑深い自然林を眺めたり、荒々しい巨岩に驚きながら見上げたりしました。 このコースは本当に静
かです。 登り始めた頃に外国人カップルが下ってみえましたが、それ以降はどなたとも出会うことはありませんでした。・