12月29日〜30日
今回はメルボルンからお越しの、young guyのご案内でした。 彼女35歳、メルボルンの新聞社で働く編集者兼m
anagerで、なかなか機転のきく女性でした。 そして彼39歳、彼女曰く、「スマートなプログラマー」で、数年前ま
でオーストラリアンフットボールの選手だったそうです。 大聖院山門の仁王像を見たとき、彼が「nice muscle
!」と言いましたので、「like you」と答えると、「もう何年も前のことだよ。」と謙遜していましたが、なかなか
鍛えられた体躯の持ち主でした。 ・
ガイドの依頼が照会されたとき、年末は多分皆さんお忙しいだろうと思って私が引き受けました。 先方からの依頼に折り返
し「広島では『縮景園』『広島城』『平和公園・原爆資料館』をご案内します。」と返信したのですが、よくよく考えてみる
とこれらは全て年末始の休暇で閉館しているのではあるまいか。 そこですぐに電話で問い合わせてみたところ案の定『縮景
園』『広島城』はお休み、辛うじて『原爆資料館』のみ29日まで開館していることがわかりました。 ・
「これはガイドとして最低だ!」と反省し、早速お詫びのメールを送りました。 『広島城』は天守閣には入れませんが、内
部はexhibition hallですからoutwardが見れればいいとして、『縮景園』に入れないのが何とも残念
でした。 ・
とするとお昼にお目に掛かれれば見学時間としては十分です。 そのようにお伝えしたのですが問題はチケットが取れるかど
うかということです。 京都から広島に向かわれますが、下りだとおそらく満席を覚悟しなければなりません。 予定時間に
到着できるかどうか、これも心配でした。 JRに務める息子が「う〜ん!」と唸っていました。 しかし、25日に成田に
到着しすぐにチケットカウンターに行ったところ、「何とか取れました。」と連絡があって安堵しました。 帰省ラッシュの
様子を考えると本当に運のいい人達です。 ・
もう1つ心配事がありました。 彼にシーフードのアレルギーがあって、creatureを食べると重篤なことになるのだ
そうです。 日本に来てシーフードが食べられないとすると食事はかなり制限されます。 ヘタなものは食べさせられません
が、かといって広島らしい食事も楽しんで頂きたい。 特に『広島風お好み焼き』は是非味わって頂きたいと思ってお店に尋
ねてみました。 「大丈夫です。 魚粉やカツオを使わずにベジタリアン風に作ることができます。」という返事を頂きまし
たが念のためソースのメーカーにも電話をして魚由来の物質が含まれていないか確かめておきました。 ・
29日
そんなことがあって29日のご案内です。 約束通りお昼にホテルのロビーで落ち合い、今日のスケジュールを簡単に説明し
ました。 それからすぐに市電に乗って平和公園に近い『お好み焼き店』に入りお昼にしました。 店長は心得ていて顔を見
るなりノンシーフードで焼いてくれました。 実は昨夜京都で『天婦羅』を食べたそうです。 もちろん魚の天婦羅は食べな
かったのですが、店に充満する匂いにやられて咳が出始めちょっと慌てたそうです。 鉄板も綺麗に拭いてもらっているので
今日は大丈夫です。 ・
『お好み焼き』の元祖は16世紀に遡り、千の利休(founder of the tea ceremony)が作らせ
たのが最初だといわれてます。 戦後のひもじさを凌ぐために小麦粉と野菜を混ぜて焼いたのが『広島風お好み焼き』の起こ
りで、豊かになるにつれて豚肉や卵が入るようになりました。 今では人口当たりの店舗数は日本一です。 こんなお話を聞
いて頂きながら広島の食文化を楽しんでいただきました。 実に器用にお箸をお使いになる人達でした。 ・
それから広島城へ。 先ずは天守閣へと向かいます。 広島城内では護国神社で初詣の準備が始まっていました。 屋台も沢
山来ていましたし、神楽の準備も始まっていました。 その様子はとても珍しく映ったようでした。 お正月であればこそで
そういう面ではラッキーでした。 神社の前では二礼・二拍手・一礼の神道マナーでお参りをしていただきました。 ・
天守閣の入り口で記念撮影をして外周に出ました。 そして北西方面から内堀に映る天守閣をご覧になって頂き、その足で平
和公園に向かいました。 平和公園内のご案内は定番です。 『爆心地』→『原爆ドーム』→『相生橋』→『平和の鐘』→『
原爆供養塔』→『原爆の子の像』→『平和の灯』→『原爆死没者慰霊碑』、そして『原爆資料館』にいざないます。 『原爆
資料館』内の展示物の説明はいつもオーディオガイダンスで聞いて頂いています。 私にはちょっと荷が重すぎます。 ・
それから『リーガトップ』で景色を楽しみながら一休みして頂き、明日の予定を確認した後、広島駅に向かいました。 明日
は私は宮島口駅で彼らと落ち合います。 「ここから9時発に乗ってください。」と1番ホームを経由しホテルまでお送りし
ました。 ・
30日
今日も天気は上々でした。 これなら弥山山頂からの景色も申し分ないでしょう。 ラッキーな方達です。 私は登山スタイ
ルで宮島口駅でお迎えしました。 お弁当や水を運ぶにはこのスタイルがとてもよろしい。 すぐにタクシーで『大野桟橋』
に向かい『大鳥居遊覧航路』で大鳥居周辺を遊弋します。 ふとしたことでこの航路(とてもマイナー)を見付け、それ以降
皆さんにお勧めして喜んで頂いています。 大鳥居を潜って海からの参拝ルートを体験していただき、その巨大さに触れてい
ただきました。 航路専属のガイドさんに導かれて、ここでも『二礼・二拍手・一礼』です。 ・
お昼はお弁当にしました。 本来なら『アナゴ弁当』と行きたいところですが、彼にアレルギーがありますからいかに宮島名
物といってもこれは止むをえません。 宮島桟橋近くで予約しておいた『サンドウイッチ』をリュックに詰め込みます。 何
度も魚由来の物質が含まれていないか確認しました。 そして『千畳閣』『五重塔』とご案内し、『厳島神社』に導きます。
『厳島神社』でも新年を迎える準備が進められていました。 これも平素はなかなか経験できないイヴェントでした。 がそ
の辺りを感じていただけたかどうか。 定番の客人神社、大鳥居を背景に写真を撮り、高舞台や楽坊を紹介した後で『絵馬』
をみせようと社務所に近づくと彼女が「fortune telling!」と声を上げました。 早速がガサガサとゆすっ
て引き当てたのは『小吉』、「これは何だ?」と聞きますから「so so」と答えると肩をすくめていました。 今まで何
組もここにご案内しましたが、『おみくじ』に興味を持ったのは彼女が初めてでした。 もっとも英語版がないのが『難』で
はあります。 ・
一旦『大聖院』まで登り、「後でここに来るよ。」と言っておいてケーブルカーのターミナルへ向かいました。 『岩惣旅館
』の前は避けて通ります。 彼女たちが「saveしてきたお金をはたいてでも」と楽しみにしてきた格式の高い旅館であり
懐石料理であり、温泉でしたので、私としても最大限のsurpriseを提供しようと画策しました。 ・
山頂では展望台トップから暫くpanorama viewを堪能して頂き、一段下って広島方面を望みながらお弁当のサン
ドウイッチをほうばって頂きました。 弥山山頂を十分に楽しんで頂けたと思います。 余談になりますが、『獅子岩』ター
ミナルから『霊火堂』の間で2回転倒し恥をかいてしまいました。 『獅子岩』からの下りで滑り(尻餅をつくほどではあり
ませんでした)、『獅子岩』への登りで石段に躓いてかなり派手に転び親指の爪を根元から折ってしまいました。 暫くはギ
ターのレッスンに苦労します。 ・
ところが・・・です。 下って『大聖院』に戻る間でやはり小さな石に躓いてまたまた危うく転びそうになり、それを見てい
たお二人が私の後ろでクスクス笑ているのに気づきました。 振り向いて目を合わせ、途端にゲラゲラと笑いあいました。・
私にはご存知のようにガラスの腰があり、左の足先がいつも痺れています。 このため、しばしば小石に躓きます。 ところ
が説明しようにも『痺れ』という単語が出てきません。 やむなくbecome numbというwordを電子辞書で示し
ながら説明するとともに、私も『痺れる』という単語のを記憶ました。 ・
『大聖院』では『摩尼殿』の階上から自然林に囲まれた佇まいや、『観音堂』の大屋根越しに垣間見る厳島神社の風景などを
堪能して頂き、『観音堂』地下の『戒壇巡り』も経験していただきました。 そしていよいよ『岩惣旅館』へご案内です。・
「何度も近くを通ったんですよ。 でも、あなた方が楽しみにしていたので最後の最後にサープライズを提供しました。」と
お話しすると、驚きと感謝の表情が帰ってきました。 ・
10月25日〜26日
今回のお客様はメキシコ国境に近いサンアントニオの隣町、州都のヒューストンからは車で3時間くらいの所にある小さな
町『ニューブローンフェルズ』からお越しになりました。 この町は数百人のドイツ人入植からスタートしたそうで、町の
名前もドイツの地名に因んでいるのだそうです。 そして確か来月と窺いましたが『ソーゼージ祭り』が開かれるそうで「
beer too?」とお尋ねすると、「of course! of course!, and music is .
also famous.」だと教えて下さいました。 また水が豊かな土地で、湖や河で水遊びが楽しめるそうです。・
ご主人は74歳、奥様は73歳、でもなかなか音を上げないとてもタフなご夫妻でした。 ご主人の趣味は家具作り。 大
きな石油会社を退職された後、仲間と一緒にテーブルや椅子を作って楽しんでおられます。 スチームで木材を温めて椅子
の背もたれのカーブを作るのだそうで、沢山の写真を見せて頂きました。 出来栄えは玄人裸足です。 テーブルは大体6
0卓作ったそうで、「じゃぁ家の中はテーブルだらけ?」とお尋ねすると、「息子やご近所に譲り、チャリティーにも出す
よ。 我が家にはそんなに沢山はいらない。」と笑っておられました。 ・
縮景園で悠々亭をご案内して暫く休んでいるとき、「あなたは技術者だったと聞いたけど、これが何か分かるかい?」とこ
んなものを頂きました。 ご主人の自作です。 板をスチームで曲げたバネ仕掛けになっていて、反対に起こすと『サラダ
掴み』になります。 「植物油ではなく鉱物油を使って仕上げてある。 べとつかないし、健康被害もないよ。」と言って
いました。 わざわざお持ちいただいて有難うございました。 さてご案内の様子です。 ・
25日 広島
広島市内は例によって『縮景園』『広島城』『平和公園』をご案内しました。 前もって『三滝寺』の観光を希望されてい
ましたが、少し時間が足りないこと、宮島で『大聖院』にご案内できることをお話しし納得していただきました。 それに
しても決してメジャーではない『三滝寺』をよくご存知でした。 ・
『縮景園』では運よく石州流の茶会にご案内することができました。 この人達は本当に運がよく、せいぜい月に1度、多
くても2度程度しか開催されない茶会に遭遇されました。 しかも茶会に合わせて『能』が披露され、思いもかけず多彩な
日本の伝統文化に触れていただくことができました。 後になってメールを頂きましたが、旅を通じてやはり茶会と『能』
が特に印象に残ったようでした。 それから例によって『鯉の餌やり』を楽しんでいただき、ゆっくりと庭園を回遊して頂
きました。 ビューティフル、ワンダフルの連発でした。 ・
9月 6日〜 7日
初対面で間違いが起こらないように、事前に写真を交換し万全を期すようにしています。 この備えがあって、オースト
ラリアからお越しのお客様と宮島口で無事にお会いすることができたことはお話ししました。 今回のお客様からも写真
を送って頂きましたが、サングラスをかけたご夫妻はまるでシュワルツネッガーとナブラチロアのように見えました。・
しかも「体力には自信がある。 「弥山に登るなら麓からやりたい。」と言ってきていました。 さてさて、「付いてい
けるかどうか」と心配していましたが、広島駅にお迎えしたお二人はとても穏やかに笑っておられました。 ・
でもそのお写真は3年前に南アフリカのケープタウンで撮ったものだそうでしたし、今回日本に19日間滞在した後はす
ぐにキリマンジェロ登頂を計画されていて、「3日間歩く。」と言われていました。 やはり並みのご夫妻ではなかった
ようです。 今回はそんなご夫妻のご案内でした。 ・
9月6日 広島
広島市内は定番のご案内です。 『縮景園』『広島城』『平和公園』を歩きますが、生憎雨模様で、こういう日のご案内
には何かと苦労があります。 先ずは『縮景園』をご案内しました。 外国の方はどの国の方であれ『鯉の餌やり』をこ
とのほか喜ばれます。 今回のお客様も『跨虹橋』周辺で童心に帰って興じておられました。 私は『おもてなし』とし
て毎回『鯉の餌』を1袋プレゼントすることにしています。 ・
ご存知のように、『縮景園』は回遊式庭園ですので、細道を辿って『濯纓池』を一周することができます。 ちょっと足
元が悪かったですが、雨の『縮景園』もなかなかいいものです。 なお『濯纓』(たくえい)とは『世間から隔絶した』
とか、『現実離れした』というような意味だそうですが、私はfantasticまたはunreal worldとい
うふうに説明しています。 ・
池の周辺や小島には背丈の低い松が沢山植えられています。 お客様は、特に手入れの行き届いた『松』に興味を示され
『バンサイ』『バンサイ』としきりに騒いでおられました。 「それって、『ボンサイ』のことではありませんか?」と
お尋ねすると「no! no!『バンサイ』」と言われます。 後で考えてみるに、こんなことだったかも知れません。
つまり『盆栽』は『bonsai』ですが、『o』を英語流に『ア』と発音されたのではなかろうかと。 どうなんでし
ょうね。 後でMr.Texanに確認してみましょう。 ・
続いて広島城にご案内しました。 この人たちは脚に関してはNo problemですから内堀の周りをどんどん歩い
ていただきました。 そして北西方向から内堀に映る天守閣の絶景を堪能して頂きました。 「原爆で倒壊したあと、1
957年に再建しました。 姿はsame as the originalですが、部材は木造ではなくコンクリート
造りになっています。 また内部は展示場です。」とお話しすると、外郭だけで十分です。」と天守閣入り口でさっさっ
と踵を返されました。 ・
食事には毎回悩まされます。 できれば日本食らしい、しかも広島らしい食事を召し上がっていただきたいのですが、2
日間、場合によっては夕食も含めて広島と宮島のバランスを考えては悩んでいます。 広島では何といっても『お好み村
』で『お好み焼き』でしょう。 でも私がお勧めのお店は夕刻からの開店です。 どこかほかの店でお昼に『お好み焼き
』を食べてしまうと、『お好み村』にはご案内できません。 広島で『丼物』を召し上がっていただくと、宮島の『あな
ご丼』とダブってしまいます。 こんなことに悩んでいます。 ・
今日はデパートの地下で『天丼』を召し上がっていただきました。 6人ほどしか入れない小店ですが、目の前で揚げて
アツアツの天婦羅を食べさせてくれます。 お客様は『あなご丼』と『かき揚げ丼』がお気に入りでした。 その他のお
勧め料理には『回転ずし』『お結び』『讃岐うどん』『牡蠣フライ定食』『こいわしのお刺身と天婦羅』などが候補にな
ります。 ・
平和公園ではメジャーなモニュメントと原爆資料館をご案内しました。 ご案内の後、これからの予定で話がもつれまし
た。 お二人が一生懸命に説明されるのですが、私にはどうしても理解できません。 私の場合、まだまだその場の状況
を踏まえて、ある程度想像を交えながら話の内容を理解しているのですが、situationを誤ると話が噛み合わな
くなることがあります。 近くにいた若い女性が助け舟を出してくれてやっと話の内容が理解できるような始末でした。
「まだまだだなぁ」と思います。 情けないことです。 それとご案内が6時間にも及ぶと流石に疲れで集中力が途絶え
頭が回らなくなることもあるように思います。 ・
9月7日 宮島
広島のご案内が終わった後で、宮島口方面の乗り場を広島駅のプラットフォームまで入ってお話ししておきましたのでま
ず大丈夫でしょう。 今日は我が家から近い宮島口駅で落ち合いました。 お二人は天気が良ければ『弥山登山』を強
く希望されていました。 朝方はうす曇りながら、時にお日様が覗いていましたので、どちらになってもいいように登山
服に身を固めて出発しました。 ただフェリー乗り場から対岸を望むと、『大聖院ルート』の中腹に白く砕け落ちる流れ
を見ました。 長雨で山のコンディションは余りよくないようでした。 ・
宮島では、まずは厳島神社をご案内しました。 『三笠が浜』から見ると定番の『客人神社』と『五重塔』をバックに新
婚さんが記念写真を撮っている最中でした。 前もって「運がよければ純日本風の結婚式を見ることができますよ。」と
お話ししておきましたので、期待していたのでしょう、「結婚式、結婚式」と叫びながら神社に入り、回廊も小走りに大
急ぎでカメラを構えておられました。 ・
本殿前では『2礼2拍手1礼』の参拝の作法をお教えし、一緒に参拝していただきました。 そして『本殿』『幣殿』『
拝殿』の構成や意味、『主祭神とご利益』、更には『祓い殿』『高舞台』『火焼前』が『本殿』を背に一直線に並んでい
る意味などをお話ししました。 また『高舞台』では神事として『舞楽』が奉納されることをユーチューブの画像を交え
て説明しました。 ・
そしていよいよ課題の弥山登山です。 私としては長雨の後ですし、出来るだけ危険を避けたいのでそれとなくロープウ
ェーをお勧めするのですが、お二人はもうすっかりその積りです。 好天が続いていれば『大元ルート』をお勧めする積
りでしたが、峠近くに一か所地崩れがあります。 長雨の後の様子がはっきりしません。 『大聖院ルート』は対岸から
見て『沢渡り』に水が溢れているようです。 そこで現時点で最も安全と思われる『もみじ谷ルート』をご案内すること
にしました。 ・
「水を準備しましょう!」とお勧めすると、「2人でボトル1本で大丈夫だ。」と言われます。 535mと聞いて随分
甘くみているなぁと思いましたが、私が余分に3本持っていましたのでこれで凌ぐことにして出発しました。 石段が始
まると案の定息が荒くなり、水の消費量も増えます。 中腹に至ったころにはボトルは空っぽになっていました。 ちょ
っと困惑していましたが、私がリュックからボトルを取り出すのを見て、安堵の表情をみせていました。 ・
9月 1日〜 2日
国民性って確かにありますね。 特にイタリアの方は色濃いように思います。 とても陽気で賑やかで、時にオィオィと
思うことさえあります。 でもおおらかで根っからの善人という感じ。 フレンドリーだからとても扱いやすいのですが
困ったことに『通じない』。 向こうはJAPAGLISHを聞き取れないようですし、こちらはイタリア訛りを聞き取
れない。 「何でこのタンゴが分からんの?」とイライラしたりします。 まぁ、私だけの問題ではありましょうが。・
6月29日
今回のお客様はイングランドの北部ヨークからお見えになりました。 ご自身young(ish)とおっしゃっていま
したが、(確かに!)見たところ40代半ばのご夫婦とそのnieceでした。 ご夫婦は2007年に一度来広されて
いますが、日本の文化に興味をお持ちのnieceに平和公園、原爆資料館、広島城、宮島を体験させたいと再訪されま
した。 旅を取り仕切る『しっかり者』で『気配り』に長けた奥様、誠実でフレンドリーなご主人、おかげで終始和やか
にご案内することができました。 ・
ご夫妻はちょっと変わったライフスタイルの持ち主です。 お二方ともIT関連企業のマネージャーを務めておられたよ
うですが、「リタイアして楽しむ人生より、若いうちに」と考えて揃って退職され、自宅も手放して旅を楽しんでおられ
ます。 ”gap year”の経験を持たなかったことへの後悔もあったと聞きます。 このことはご自身のホームペ
ージでも公開しておられます。 まぁお子様がいらっしゃらないからこそできることでもあるでしょうが、社会の仕組み
に敏感な年頃になると、羨ましい反面「ちょっと怖くてできないなぁ」と思います。 だから『アドベンチャー』でもあ
るのでしょうが。 ・
nieceは15歳、タレントのベッキーさんに似たなかなかの美人でした。 ふと「似ている人に出会ったことがある
なぁ。」と考えていて気付いたのですが、顔かたちといい背丈といい、先日弥山に登ったとき駒ヶ林で出会ったフランス
の少女にとてもよく似ていました。 控えめで、いまや日本女性が失ってしまった『奥ゆかしさ』、それに微笑を絶やさ
ない少女で、育ちのよさを感じました。 ・
当初28日に広島、29日に宮島の案内を依頼されていましたが、旅に予定変更はつきものです。 広島到着が28日夕
刻になり、29日午前中に平和公園周辺と広島城をご案内することになりました。 そして当日の午後には宮島に向かい
30日の午前中に宮島を発つまでの間はゆっくりして疲れを癒したいということでした。 ・
「nieceに日本の文化に触れさせたい」という強い要望がありましたから、「さてどうしたものか?」と思案してお
りましたが、通常の案内に加えて、広島では『千羽鶴』、宮島では『和服』を体験して貰おうと計画しました。 『折り
紙』は孫に協力を依頼しておきました。 また宮島では『寝殿造りarchtecture』『舞楽・雅楽』『能sta
ge』『絵馬』などを画像や実物を交えて説明することにしていました。 しかし予定変更で宮島のご案内はキャンセル
になってしまいました。 ・
私にしてみれば、止むをえないこととはいいながら、この予定変更は残念なことでした。 さてご案内の様子です。 平
和公園周辺のご案内は私なりにパターン化をしています。 数あるモニュメントの中から主要なものに絞り、『爆心地』
『原爆ドーム』『相生橋』『平和の鐘』『被爆者供養塔』『原爆の子の像』『平和の灯』『原爆死没者慰霊碑』を経て『
原爆資料館』に導きます。 ・
今回は特にnieceを意識し、クイズ形式を取り入れながら理解を深めて頂きました。 例えば『平和の鐘』の建立者
は、「『核兵器のない世界、国境のない平和な世界』を訴えていますが、その訴えはこの鐘のどこに秘められているでし
ょうか?」というように問いかけながら興味をもって頂きました。 また、年間に納められる『千羽鶴』の数が1000
万羽、重さにして10トンに及ぶと説明すると、その多さにとても驚いておられました。 ・
ということで『宮島口駅』で何とか無事にお客様をキャッチすることができました。 すぐにフェリーボートに乗って宮
島に向かいます。 この人たちは殆ど『JRパス』を使っていますのでもちろん『JRフェリー』に乗ります。 『JR
フェリー』は大鳥居と厳島神社の正面を横切りますから、ここが1つの見せ場になります。 それと『牡蠣筏』ですね。
「あなたはsea foodはお嫌いのようですが、これが牡蠣筏です。 この下でいま稚貝が育っています。 広島県
特に広島湾一帯では全国の約60%の牡蠣が生産されています。 『牡蠣料理』は広島の名物料理の1つです。 付け加
えれば日本の『牡蠣』の生産量はあなたのお国の約10倍です。」 というような説明をしながら宮島に向かいます。・
この人たちのお楽しみは『推古遥拝式』ですから、そのことも事前に説明しておかなければいけません。 まず『宮島桟
橋』近くにある『平の清盛』像から始めます。 「この人が宮島繁栄のキーパーソンです。 『平の清盛』という名前を
是非覚えておいてください。 彼が寝殿造りという建築様式を採り入れて1168年に現在の大きさの厳島神社を建てま
した。 でも実は同じ場所に小さな神社があったのです。 593年に『佐伯鞍元』という人がご神託を受け、中央政府
に神社建立の許可を申し出ました。 その時勅許を与えたのが『推古天皇』です。 厳島神社は天皇に大変感謝し、62
8年に天皇がお亡くなりになると、それ以降毎年ご命日に『遥拝式』を行っています。 この神事は約1400年続いて
いるといわれています。」 ・
このように説明しておいて神事のある『高舞台』にご案内しました。 天気予報ではお昼前から雨が予報されていました
のでこれが気がかりです。 雨が降れば神事は『祓殿』で行われます。 できることならいい場所でお見せしたいですか
ら、もし雨になれば速やかに『祓殿』に移る心の準備もしておかなければいけません。 9時過ぎから『高舞台』で神事
が行われました。 神主の所作や祝詞を興味深そうにご覧になっていました。 続いて『舞楽』が奉納されます。 「舞
楽は古典的な舞踊の1つですが、もともとはインドから中国、韓国を経て日本に伝わりました。 中国経由のものを『左
の舞』、韓国経由のものを『右の舞』といいます。 従ってほとんどが中国や韓国の歴史的な物語に基づいています。・
『左の舞』は赤、『右の舞』は緑を基調とした衣装をまとっています。 また、『雅楽』の伴奏は『楽坊』で行いますが
『左の舞』の時は『左楽坊』で、『右の舞』の時は『右楽坊』で演奏します。」 こんな説明をして理解を深めて頂きま
すが、言葉がなかなか難しいです。 たとえば『雅楽』はtraditional Japanese Orchest
ra、『楽坊』はorchestra pitというような言葉を使って説明し納得していただきました。 ・
写真はすべて許可を得て掲載しています。 ・
『舞楽』が1曲終わったところでポツポツと雨が落ちてきました。 すぐに『祓殿』に移動し正面に場所をとります。・
2曲目は『萬歳楽』という演目でした。 とても長い演目で、「こんなところでいいか」と思われたのでしょう、「sh
all we?」と呼びかけがあって、まだ説明をしていなかった本殿の説明をした後で出口に向かいます。 天神社で
は絵馬の意味を説明し、『能舞台』ではインターネットで能の動画を見て頂き、舞台の説明を付け加えます。 この方法
は今回初めて取り入れてみたのですが、まさに『百聞は一見にしかず』でした。 ・
厳島神社の後は『弥山』にご案内することにしていました。 その頃には空は明るくなり、雨は全く落ちていませんでし
たし、視界も悪くなかったので取り敢えずケーブルカーに乗ります。 『獅子岩駅』に到着するとどうやら心変わりがし
たようで、「出発しましょう」と声を掛けてもしり込みをされています。 「獅子岩駅」からは弥山山頂が望めますが、
その高さに恐れをなしたのかも知れません。 この辺りは基本的にお客様の希望に合わせます。 無理はしません。 た
だ、『獅子岩展望台」で暫く時を過ごしたころ急に大きな雨粒が落ちてきて本降りになりましたので結果的に登り始めな
くてよかったと思います。 ・
『雨が降って弥山に登れなかったらどうする』というのがとても心配で、前日17日に宮島を歩いておきました。 『宝
物館』と『大聖院』です。 こういう下調べはとても大切です。 結局今回は『大聖院』のみご案内しましたが、もし下
調べをしておかなかったらお客様に十分に満足して頂ける説明にはならなかったと思います。 『大聖院』での私のお勧
めは『ミステリアスゾーン』です。 『観音堂』の地下に中国地方33ケ寺の『観音様』のお姿を礼拝できる巡礼道があ
ります。 ただし中は真っ暗で何も見えません。 手探りで巡礼道を歩いていくと、鈍く光る黄金の『観音様』のお姿が
次々と現れてきます。 こうして33ケ寺の『観音様』を拝みご利益を受けます。 ここは大抵のお客様が喜ばれます。
しかしこの説明がなかなか難しく、毎回苦労をします。 まず『観音様』とは何者なのか、その辺りから話し始めて、な
ぜ違ったお姿の33体なのか、33ケ寺とは何かなどなどを解説し、そして床はフラットで決して危険はありません。・
左手で壁に触りながら歩いてくださいと念を押して入っていただきます。 何だか厳粛な気持ちにおなりになったようで
した。 ・
それから『五重塔』と『千畳閣』を見て頂き、古民家を改修したカフェで『抹茶』を体験していただいて、大雨の商店街
をさっと過ごし本日の宮島探訪は終わりました。 最終的に『宮島口駅』までお送りしお別れしました。 ・
4月19日
ホテルまでお迎えし『平和公園』、『原爆資料館』、『広島城』、『縮景園』をご案内しました。 天気は上々でしたが
気温もかなり上がりました。 平和公園周辺『爆心地』→『原爆ドーム』→『相生橋』を経て『平和公園』に入ります。
それから『平和の鐘』→『原爆供養塔』→『原爆の子の像』→『平和の灯』→『原爆死没者慰霊碑』、そして『原爆資料
館』にご案内しました。 これが私のご案内のパターンです。 ・
『平和公園』ではしっかり説明を聞いて頂けたのですがかなり衝撃をお受けになった様子で、終始無言でした。 ただし
『原爆資料館』内の展示は膨大で、私にはとても個々の説明はできません。 重要なところだけをお示しし、他は『音声
ガイダンス』にお任せしました。 『音声ガイダンス』は日本語はもちろん英語、フランス語、ドイツ語、スペイン語、
中国語、韓国語など主要言語が網羅されていて、展示物に表示されてある番号を選択すれば説明を聞くことができます。
ちなみに各言語とも利用料は300円です。 ・
『原爆資料館』の出口側通路ではボランティアが『折り鶴』の折り方を教えています。 『原爆の子の像』のモニュメン
トで『折り鶴』を捧げ持った少女の像の由来をお話ししましたし、子供たちによって贈られた沢山の『折り鶴』をご覧に
なっていましたのできっと興味をお持ちになっていたのでしょう、早速チャレンジし出来上がったものを大切そうにバッ
グに収めておられました。 ・
お昼には『広島風お好み焼き』を召し上がっていただきました。 広島の食文化ですからこれは外せません。 もちろん
箸は使わずヘラで召し上がっていただきました。 鉄板の上で手際よく形になっていく様子に随分興味を示され、何枚も
写真を撮っておられました。 味の方も気に入っていただいたようです。 ・
広島城ではご子息に鎧と兜を体験していただきました。 城内1層の展示室に大人用、子供用が準備されていて無料で試
着できます。 最初は後ろに引いていましたが、そのうち段々とその気になり、着付けが終わった時にはすっかり戦国武
将気分で写真に納まっていました。 ほかには『町家の暮らし』のコーナーで『箱膳』に興味をお持ちでした。 個々の
展示物の説明は十分にできませんでした。 この辺りは今後の課題です。 そして天守最上層から広島の眺めを一望して
いただいました。 ・
最後に『縮景園』にご案内し、回遊式庭園をそぞろ歩いていただきました。 どうも外国の方は鯉がお好きなようで、毎
回餌を1袋プレゼントするのですが、お母様も子供にお戻りになって餌やりを楽しまれていました。 それから四阿に座
って暫く休んで頂き、ご自宅のこと、ご主人の仕事のこと、盆栽のこと、アデレーデのクリスマスのことなどなどをお聞
かせいただきました。 涼しい風が渡るなか、とても楽しい会話が続きました。 ・
写真はすべて許可を得て掲載しています。 ・
こんなことで2日間のガイドは終わりました。 宮島では『推古遥拝式』『舞楽』『観音堂ミステリアスゾーン』など珍
しいお話しもあったかと思いますので詳述してみました。 ・
ご案内を終えて
今回はとんでもない失敗をしてしまいました。 このことは早速次回のご案内に生かしていきます。 いや、あのように
胃が痛くなるような失敗はもう2度としたくありません。 ・
説明に初めて動画を取り入れてみました。 これは大成功でした。 携帯電話でインターネットから動画にアクセスして
見て頂きます。 特に『能』とか『舞楽』とかの説明のイントロ部分に使えば理解が深まるように思います。 タブレッ
トも考えてみましたが、fixed erarnerですしボランティアでもありますからそこまでの投資できません。
やっとですが、手帳サイズのレジュメを完成させました。 これを見ながら説明をする訳ではありませんが、ちょっと言
葉が出てこなかったり、説明漏れがないかなどの確認には見やすくて役にたっています。 日常的にもちょこちょこ見ま
すね。 ・
さて次回はイギリスからのお客様です。 7月の終わりにYORKという街からご夫婦と14歳のnieceがお見えに
なります。 少女は日本の文化に興味を持っていて、日本語の勉強も始めたそうですから、こちらも心して掛からなけれ
ばいけないなと思っています。 来月のギター発表会が終わったらこちらに全力投球をします。 ・
4月8〜9日