11月 2〜3日
シドニーからお越しになった若いカップルをご案内しました
11月2日、3日、昨年末にお見えになったお客様に勧められて直接(ボランティアガイドの事務局を通さないで)依頼を頂い
た若いご夫妻を広島、宮島にご案内しました。 これで今年中に予定していた全てのガイドが終わりました。 後は12月18
日に向けてギターの練習に集中します。 といっても英会話教室と2本立てで、こちらも年末に向けて佳境に入っていますから
おろそかにはできません。 ・
今年に入ってから、今までにご案内した方の紹介で直接依頼を受けるケースが増えています。 ろくに英会話ができないし、説
明だってさほど上手いとも思えないのに何故なんでしょうね。 でも「広島のガイドならあの人がいいよ。」といって頂けるの
は嬉しいものです。 来年も今年お見えになった方の紹介で彼らの友人がお出でになりますし(2月)、5月には広島を再訪さ
れる方から再度のガイドを依頼されています。 ・
今年はもう少し多く引き受ける積りでしたが、結局13件に止まりました。 最近の観光客の増加に伴い事務局に舞い込むボラ
ンティアガイドの依頼はうなぎ登り(その都度事務局からメンバー全員に同報される)で、結局さばききれない依頼が相当数に
上っているようです。 もう少し頑張らなければとは思いますが、余り多すぎるとスケジュール管理に草臥れてしまいます。・
余り接近しているとどっちがどっちか分からなくなって混乱することが多いので、まぁ月2回くらいが限界かなぁ。 ・
観光地の説明の方はかなり楽になりました。 まぁこれだけやれば慣れてきますし、セルビア娘の助けもあって会話に気を張る
ということも少なくなりました。 言い回し、それに言葉もかなり増えてきました。 ただ、まだまだ思いもよらなかった質問
を受けてドギマギすることはあります。 こんな時には言葉の貧困さを思ってしまいます。 それにナチュラルスピードでのリ
スニングがまだまだ課題です。 ・
時として新しい発見があります。 お好み村のRさんもその一つです。 ご案内すると「ここはあなたの馴染みの店なのか?」
とよく尋ねられます。 yesと答えると、「ここで1番美味しい店か?」と聞かれます。 その度に「people hav
e different taste」と答えて納得して頂いていますが、お店にとって、ホスピタリティもまた大切な一味な
んですね。 ・
発見といえば、今回はこんな発見もありました。 『奥之院』までタクシーに乗って仁王門まで登り、それから通常のルートを
弥山に向かうという方法がありました。 これには気が付かなかったなぁ。 3人組だと下りをロープウェーにしてもロープウ
ェーで往復するよりまだ安い。 仮に下りを歩くとすれば4000円の節約になります。 それより何より、宮島の自然林をた
っぷりと堪能できます。 今回のお客様もとても喜んでおられました。 ・
恥ずかしかったことが1つあります。 下りで草臥れてしまい足元がヘナヘナと崩れて何回も転んでしまいました。 その度に
お客様に助け起こしていただく始末で、これは情けないというか何というか。 ジムを休み始めて鍛錬が足りなくなっているの
かも知れません。 そんなことを含めて今回のご案内の様子は後日『ボランティア・ガイド』の項に掲載します。 ・
10月24日
フロリダからお越しの教授ご夫妻をご案内しました
10月24日、フロリダから神経科の元教授ご夫妻をお迎えし広島市内をご案内しました。 平和公園、平和資料館をご覧いた
だいたあと、『お好み村』でランチ、『縮景園』をゆっくり歩いて頂いて広島城天守閣を内堀越しに眺めていただいてホテルに
お送りしました。 翌日は自分達だけで宮島を探訪するというご希望でした。 ・
教授は膝が悪くて杖をついてゆっくり歩かれます。 電車とタクシーを利用し、施設内はほぼそぞろ歩きでフォローしました。
その間、様々話しながら歩きました。 「原爆被害者として広島の人々の私達への感情はどうなのか?」というなかなか難しい
質問がありました。」 少し外して、「先日オバマ大統領がお見えになった時、一部の被爆関係者から謝って欲しいという要求
がありました。 でも多くの市民は概して歓迎していたように思います。 むしろ核廃絶の先頭に立って欲しいと願っている人
が多かったように思います。」と私見ですがと断った上でお話ししました。 ・
厳しい指摘もありました。 「ここを訪れる日本の若者を見ていると、とても陽気に施設内を観光し、Vマークで写真に納まっ
ている。 ヨーロッパだと施設の壁に額を摺りつけて泣いている人が多い。 日本でのこういう光景には違和感を感じる。」と
も。 「日本人は嫌なことはできるだけ早く忘れようと努めるし、執念深いことのほうにむしろ違和感を感じます。」と答えま
したが、はてさてそういう意味では私たちは『お人好し』に過ぎるのかも知れないと思いながら拝聴ました。 ・
また、ヨーロッパでは戦災の施設の保存に国を上げて取り組んでいる。 そのようにして惨禍を記憶に留めようとしている。・
それは大切なことだと思う。 こういう努力をしておかないと人はまた同じ過ちを繰り返すようになるものだ。」とも話されま
した。 反論はできませんでした。 私たちはそういう観点でこの施設を見て来たのか、また案内をしてきたのか、すっかり考
えさせられました。 実は私自身そのことを自問自答しておりましたから。 ・
奥様がおっしゃったこと。 「一番驚いたのは日本では英語が殆ど通じないこと。 例えばドイツでも中国でも大抵は英語が通
じますが、日本では全くと言っていいほど通じませんでした。 不思議でした。」と言われました。 と言われながら、最初の
内はアメリカ特有のイントネーションに私自身もついていけませんでした。 「日本の英語教育は読み書きが中心でしたので、
コミュニケーションは皆さん不得意なようです。 最近になってネイティブの英語教師を招き小学生からコミュニケーションの
学習を始めています。 近い将来英語に堪能な若者が増えるでしょう。」とは答えたものの、果たしてそんなにうまくいくもの
かどうか、私の経験からしてももう少し本腰をいれないとなかなか難しいかも。 ・
日本製品は圧倒的な評価でした。 「トヨタの車に30万キロ乗っているが一度も故障がない。 AI車もおそらくトヨタが制
するだろうね。」 「そうなると嬉しいですね。」 「その他の様々な製品を取ってみても日本製の品質は素晴らしいよ。」・
「それに日本にやってきて、人の親切さ、街の綺麗さに驚かされたよ。 それに安全にもね。」 こんな話を縮景園内の『超然
居』に座って景色を眺めながら長々と話し込みました。 ・
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安全と言えば、奥様が貴重品をズボンの内側、お腹の部分のポケットに納めておられ、出し入れに大変苦労なさっていました。
例えば財布とかパスポートとか。 それで「日本ではそんなにしなくても盗まれたりはしませんよ。」と笑いました。 奥様も
「そうですね。」と笑っておられました。 「イタリアでもインドでも気をつけないとやられてしまう。 これは世界を旅する
時の危機管理なんですよ。」と話されましたが、翻って自分自身のことを考えるとこういうお国柄で日常を過ごしているだけに
きっと脇があまいんでしょうね。 ・
お世話になっているお好み焼き屋さん
今回もランチは『広島風お好み焼き』を食べていただきました。 『お好み焼き』の人気はなかなか高いです。 また、満足度
もとても高いように思います。 今回も教授たちは持参したガイドブックのコピーを示しながら、『Okonomi Vill
age』を楽しみにしていました。 そして「ここに連れていけ。」と何度も言われました。 もちろんその積りですよ。 ・
お好み村3Fにある『お好み焼きRさん』にはとても無理を聞いて頂き、しばしばお世話になっています。 「グルテンフリー
? それに豚肉もダメ? そんなんじゃおこのみ焼きは作れんね。」と門前払いを喰らった店もありましたが、Rさんはお客様
の立場に立って知恵を絞ってくれました。 ・
たとえば、グルテンフリーだと生地は使えないし、もちろんうどんやラーメンもダメです。 ソースも使えません。 以前そん
なお客様をご案内しましたが、それでもラーメン代わりに『コンニャクの麺もどき』を使い、豚の代わりにシーフードを使って
生地なしではありますが遜色なく仕上げてくれました。 お客様は大変に喜んでおられました。 いやぁ、この店のホスピタリ
ティーには頭が下がります。 それに若い店長さんの活きがいいのもいい味付けになっています。 ・
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教授は高コレステロールで豚や甲殻類を禁じられています。 加えてオイスターもダメでしたが、「それならチーズでいきまし
ょう。 鶏や牛はちょっと合いません。 これに『ネギ盛り』ではどうですか?」と念のため魚粉や天華も除けて、それでも豪
華に仕上げてくれました。 「美味しい」とはしゃぎながら74歳の教授は上機嫌でした。 来月2日にご案内を予定している
シドニーからのお客様のランチをお願いして感謝しつつ縮景園に向かいました。 ・
10月17〜18日
イスラエルからお越しの2カップルをご案内しました
イスラエルから老カップル2組がおいでになりました。 初日(17日)は早朝にホテルにお迎えし、平和公園→原爆資料館→
縮景園→広島城、18日も同じくホテルにお迎えして大鳥居遊覧航路→五重の塔・千畳閣→厳島神社→大聖院と主だった名所を
ご案内し、厳島神社・大鳥居のライトアップを見て帰るというお客様と大鳥居周辺でお別れしました。 (写真はお客様のご了
解をえて公開しています。) ・
ご案内は英語圏の人が多いのですが、たまに今回のようにヘブライ語圏の人だったりギリシャ語圏、イタリア語圏、フランス語
圏のゲストもおられます。 私達がお受けしているのは英語圏の方と、第2言語が英語だったり、その他の地域でも英語が堪能
な方が中心となります。 ・
イスラエルの第2言語は英語(他にアラビア語、ロシア語もあるらしい)ですが、どうやら英語は若い世代を中心に使われてい
るようで一歳した人には得意な人は少ないようです。 今回もお一人が私の説明を聞き、ヘブライ語で解説しておられました。
この人たちとの会話で一番ストレスを感じるのは、仲間内では母国語で話されていていきなり英語で振って来られることです。
予測しながら構えておくということができないのです。 特に私のようなビギナーは疲れます。 ・
でも皆さんとても愉快な方達で、疲れてくると「ラッタタッタ・・・」とマーチをハミングしながら、さながら行進のように歩
いていかれたりしていました。 またお地蔵さんの前で『ヘン顔』をしながら写真に納まっていたりとか。 ・
いくつか困ったこともありました。 事前にメールで話し合って決めたことが急に変更になることがままありました。 またそ
の場での急な変更が元に戻ることも。 そのために無理をお願いしていた『お好み焼き屋』さんをキャンセルしたりしました。
どうなんでしょうね、お国柄でしょうか? その辺りはよく分かりません。 まぁ、そうではあってもno problemで
す。 私たちにとっては、何につけ『お客様第一』ですから。 ・
一つ違和感を感じたことがありました。 今までご案内した人達の多くは『原爆資料館』を見て沈んだ表情でsadという言葉
をよく使われましたが、今回のお客様は「同じだよ。 原爆はたった1発だろう。 シリアでは度重なる空爆で何十人という人
々が毎日のように殺されている。」と無表情に言われました。 「いやいや、もしその1発が原爆だったらもっと悲惨な状況に
なる。 原爆は大量殺りく兵器だということに目を向けるべきだ。」と反論しましたが、現実の戦いを目の当たりにしている人
達との捉え方の違いに考えさせられるところがありました。 ・
でもまぁ、総じてご案内にはご満足して頂けたのではないかなと思います。 毎日のレッスンの甲斐があって、コミュニケーシ
ョンも比較的うまくいったように思います。 次回は24日、フロリダから元精神科のプロフェッサーがお見えになります。
それから11月2日に昨年ご案内した人達の友達から直接案内を依頼されています。 それ以降は12月のコンサートに向けて
集中します。 ひょっとしたらコンサートの後でもう1件くらいご案内を引き受けるかもしれませんが、まぁこれで概ね今年も
暮れていきそうです。 ・
9月10〜11日
フロリダからお越しのご家族をご案内しました
フロリダからお越しになったご両親とお嬢様を10日から12日にかけて平和公園・宮島にご案内しました。 ご主人68歳、
奥様65歳、お嬢様32歳、後でわかったことですが、ご主人は過酷な自然から肌を守るスキンクリームやanti−agin
g teaの製造、販売を手掛けている大会社のpresident(お別れに際してさりげなく渡されたお土産の中に名刺が
入っていました。)でした。 ・
今回のご案内は食べ物でかなり苦労をしました。 お三人とも肉はダメだけど魚介類と卵は大丈夫。 この程度なら比較的扱い
やすいのですが、お嬢様はグルテン・アレルギーをお持ちでパンや麺類、もちろん醤油もダメ。 とすると一体どこで何を食べ
て頂けばいいのか見当がつきません。 かといって折角広島にお出でになったのですから、広島の味も記憶に留めて頂きたい・
多分無理だろうと思いながら『お好み村』の某店に問い合わせてみました。 すると「多分大丈夫。」といいます。 「生地は
使わないで、麺は『こんにゃく』、肉の代わりにイカやエビを使って卵でまとめます。 ヘルシーですから私もよく食べます。
ただソースが心配ですね。」といいます。 そこでソースのメーカーに相談してみたところ、『アレルギー特定原材料7品目(
卵、乳、小麦、そば、落花生、えび、かに)不使用』のソースを開発していることが分かりました。 ・
早速メーカーに出掛けて試食してみたところ、味も殆ど変わりません。 それでも心配なのでメーカーの協力を得て原材料を克
明に調べ上げました。 例えば『増粘剤』には何が含まれているかというところまで全てです。 そしてリストを作り最終的に
お嬢様に確認して頂きました。 こうして広島のlocal foodを存分に楽しんで頂くことができました。 また、観光
協会に問い合わせ、アレルギーに対応していただける宿も推薦させて頂きました。 ・
食事が済んだ後で『縮景園』『平和公園』とご案内するように心積もり(前もって調整済み)をしていましたが、ご主人が膝を
痛めておられて長く歩けないご様子でした。 先様からも「gardenはたくさん見て来たので『平和公園』と『資料館』を
案内して欲しい。」と要望がありましたのでそのようにしました。 紙屋町商店街を突き抜け、いつも通り『爆心地』からご案
内を始めました。 ・
『原爆資料館』ではaudio guidanceを使うこともできますし、英文の説明も充実しています。 従って私は説明
をしないで(しないというより、あれだけのものをとてもまともには説明できない)見守るだけに留めています。 しかし、今
回は余りにもあっさりと済ませてしまわれましたので、やはり見ていただきたいポイントは絞って差し上げる必要があるように
感じました。 少し厳しいですが、そのように説明材料を整えておきたいと思います。 ・
それからすぐに宮島の宿に向かいました。 前もって連絡をさせて頂いていましたが、念のために宿の女将とアレルギーの引継
ぎを行い、お客様と明日の行動を話し合いました。 ご主人が膝を痛めておられますので、当初の予定通り(ロープウェーで獅
子岩まで登り、そこから弥山銀座を歩く。 一旦宿まで下り、着替えと食事を済ませてから『厳島神社』『大聖院』『千畳閣・
五重塔』を見て歩く)には行かなくなってしまいました。 ・
さて翌日、ご主人はその辺りをブラブラと散策し、その間に奥様とお嬢様は弥山に登ることになりました。 「私達だけなら当
然麓から頂上を目指します。」 平素テニス、カヤック、アクアビックス、ヨガを楽しむ奥様はとても元気です。 そしてスタ
スタと大股に歩かれて、何だか案内人の方が置かれていくみたい。 ところが石段が始まると急にスローダウン、そして最初の
難所にさし掛かった頃にこの山の厳しさにやっとお気付きのようでした。 ・
峠まで上り詰めた頃には、それでも立て看板の地図を眺めながら「下りはどのコースを下りますか?」という元気が残っていた
ようですが、「まず頂上まで登りましょう。 それからどこを下るか決めましょう。」と辿りついた頂上では随分小声になって
いて結局ロープウェーで下ることになりました。 まぁ正解だったでしょう。 もちろん頂上からのpanoramic vi
ewには大変に感動されていました。 ・
一旦宿に帰り、昼食を済ませて『厳島神社』周辺に出掛けました。 どうも余り気が進まないご様子でしたが、「ここまで来て
『厳島神社』を見逃す手はありませんよ!」と元気づけながら『大鳥居』経由で神社に入りました。 それから『大聖院』に向
かおうとすると、見上げて「あそこはきつい。」と二の足を踏まれます。 引き返して『千畳閣・五重塔』の登り階段に恐れを
なしてここもパス。 欲のない人達でした。 ・
最終日13日は、強いご要望で宿から新幹線フォームまでお送りすることになりました。 タイムテーブルは昨夜のうちにメー
ルをしておきました。 大阪までの『さくら』が満席で少し心配をしましたが、いち早く自由席に並んで何とか座って頂くこと
ができました。 朝は早かったし、毎深夜にセルビア娘との会話もあってかなりきつかった3日間でしたが、随分喜んで頂けて
まぁ役割は果たせたかなと思います。 ・
8月12〜13日
シドニーからお越しのご夫妻をご案内しました
今日のお客様はシドニーからお見えになったご夫妻でした。 ご主人71歳、奥様70歳でしたから、お国は違っても価値観は
似通っています。 そういう意味では比較的気楽なご案内でした。 お子様が大阪に住んでおられて、そこを起点にご家族でま
ず京都、奈良、三重の長島温泉を楽しまれ、それからご夫妻で東京見物、箱根、富士、高山と旅をされて今日広島まで来られま
した。 特に山あり、谷ありの自然豊かな高山の風情、それに新幹線の快適さにいたく感動されたご様子でした。 ・
1日で広島、宮島のご案内となるとスケジュールはかなりタイトになります。 その上『お盆ウィーク』の始まりとあって、今
日は予測外のことが沢山起こりました。 8時40分に駅裏のホテルにお迎えすれば、ゆっくり歩いても9時の開門と同時に『
縮景園』に入れると考えていましたが、ロビーに現れた奥様は杖を突いておられます。 スケジューリングに当たって前もって
「歩く方は大丈夫ですか?」と確認していました。 「no problem」とおっしゃっていましたので、その積りでいた
のですが、腰を痛めておられて杖を頼りにゆっくりと歩いてこられます。 「大丈夫です!」と言い切られましたので徒歩にし
ましたが、やはりタクシーを提案すればよかったと後悔しました。 ・
縮景園内では小橋を渡ったり、段差を歩くときにもお手助けが必要でした。 この辺りはワンランク上の『おもてなし』といえ
るでしょうか。 広島城へはタクシーで向かいました。 タクシーに暫く待って頂いて、内堀外側、北西角から『天守閣』をご
覧いただき、その足で『爆心地』に向かいました。 『原爆ドーム』は写真も撮れないほど大変な人ごみでした。 中国人らし
い若者が何人も私の顔を振り返っては通り過ぎて行ったのは何故でしょう。 分かりません。 ・
いつもは『原爆ドーム』から『相生橋』を渡って『平和公園』に入るのですが、今日はショートカット、『元安橋』経由にしま
した。 『平和の鐘』『供養塔』も見て頂きたかったのですが、奥様の脚を考えると余り無理はできません。 『慰霊碑』から
は『原爆ドーム』『平和の灯』そしてこの『慰霊碑』が一直線に並んでいるのをお見せしたかったのですが、ここもお祈りをす
る人達の凄い行列で、脇からちょろっと見て頂くに止めました。 ・
そして振り向くと、『原爆資料館』の入り口(東館)からフェニックスホールにかけて(今までに見たこともない)長い行列が
できていました。 「この様子だと入館するまでに1時間、中に入っても身動きが取れないでしょうね。」と話しながら最後尾
に並ぼうとするとお客様から提案がありました。 「私たちは来年もう一度日本に来ます。 その時に改めて案内をしてもらえ
ませんか? それまでには家内は腰の手術を終えてスタスタと歩けるようになっているはずです。」 ・
すぐにタクシーで西広島駅へ、そしてJRで宮島に向かいました。 が、JRも大変な混みよう。 どこかに座らせてあげたい
のですが空席がありません。 「どうでも20分余り立っていただかなければ・・・」と思っていたところ、若いお嬢さん達が
立って椅子を勧めてくれました。 いやいや、これも素晴らしいホスピタリティー、点を稼ぎましたね。 有難う。 「こうい
うホスピタリティー、マナーの良さ、環境の清潔さ、どこに行ってもごく自然にそうであることにとても心を打たれました。」
と話されました。 ちょっと鼻が高かったです。 ・
宮島も観光客でごった返していました。 「古い町並みが見たい。」とおっしゃっていましたので、混雑している商店街を避け
『町屋通り』を歩きながら『お好み焼き』を探しました。 お昼に『お好み焼き』を約束していましたし、彼らも楽しみにして
いました。 「確かこの辺りにあったはず」と探すのですがterrible、お盆の間はお休みだそうです。 「どうでしょ
う、お昼は軽食で済ませ、夕食を広島で『お好み焼き』にしませんか?」と提案しましたが、「広島に帰ったらゆっくりしたい
のでここで食べましょう。」と逆提案されて商店街に入りました。 ・
ところが凄い。 人をかき分けることも出来ず、ただ流れのままに動いていきます。 やっと『お好み焼き』屋にたどり着いて
暫く順番待ちをしました。 ここでも若いカップルが待ち合わせの席を譲ってくれました。 まだまだ日本は捨てたものじゃな
いと思いましたが、お店の方はどうも。 『一見さん』相手の商売なのかなぁ。 「折角ですから美味しいものを食べていただ
きたい。」と思っていましたが、これでは広島だったらとってもやっていけないんじゃないかなぁ。 ・
『厳島神社』では定番の『火焼前』で記念写真を撮ることにしていますが、ここも長蛇の列になっていました。 この暑い中で
はとてもお待たせできません。 やむなく『門客人神社』の脇から大鳥居をバックに記念撮影をしました。 そろそろタクシー
をお願いしておかなければ・・・ところが「1時間待ちになります。」と言われて、お気の毒ですが歩いていただくことになり
ました。 ・
ともかく思いもよらないことが次々と起こった今回のご案内でした。 でも見所はそれなりに押さえられたと思います。 お別
れに当たって、「宮島再訪にお勧めの時期はいつですか?」とお尋ねになりました。 「紅葉の時期にお見えになって下さい。
11月の下旬が見頃です。 私でよければ『原爆資料館』を含めてご案内します。」とお話ししてホテルまでお送りしました。
7月29〜30日
オックスフォードからお越しのお嬢様をご案内しました
29日、30日とイングランド(オックスフォード)からお見えになった若い女性をご案内しました。 日本語が非常に堪能で
したのでそういう面では(英語に課題を抱える私としては)大変に楽なガイドでした。 一方で、『菩薩様』が逝ってからはと
んと女性に縁のない私にとっては、しかも18歳の若い女性ともなると、どのようにもてなせばよいかと戸惑う(さっぱり分か
らない)ばかりで、そういう面ではいつになく厳しいご案内でもありました。 ・
お父様がイギリスで観光業に携わっておられて、ご自身ガイド(富裕層の優雅な旅でしょう)として広島・宮島にお見えになる
ことがあるそうです。 また、彼女も専門学校で観光に関する勉強をなさっていて、更に大学で観光を学び、「できれば将来日
本でそのような仕事がしたい。」と話されていました。 ならばと、ご案内にもつい力が入りました。 ・
初日は昼過ぎに広島駅にお迎えし、すぐに宮島口に向かいました。 今回も『大鳥居遊覧航路』をお勧めしていましたが、ちょ
っと気がかりなことが。 その刻限の厳島港の潮位が2mくらい、このクルージング船は潮位が2.2mないと『大鳥居』の真
下まで接近できません。 さてどこまで近づけるか? できれば最高に感動して頂きたいですしね。 ・
そうですね、『大鳥居』には30mくらいまでは近づけたでしょうか。 毎回高い潮を選んできた私としては少し物足りない気
もしましたが、お客様は「素晴らしい!」とおっしゃっていましたので、まぁ安堵しました。 また、よく澄んでいて緑深い宮
島の自然林を堪能して頂けましたし、『大鳥居』を通して眺める『厳島神社』の壮観にも感動して頂けました。 ・
「私、食べることが大好きなんです。」と宮島の食にも親しんでいただけました。 商店街の僅かの距離を歩く間に宮島名物の
『もみじ饅頭』(なに味だったかな)、最近人気の『安納芋アイス』、『牛まんじゅう』を綺麗に平らげられました。 クルー
ジング船に乗る前にも『もみじ饅頭』を食べていましたし、この小さな身体によく入るものだと感心しながら眺めていました・
それから島内の絶景ポイントを辿りました。 宮島到着が3時でしたし、『千畳閣』『大聖院』『厳島神社』とも門限がありま
すので少々急ぎ足になりました。 某カフェで絶景を眺めながらお茶を差し上げたいと思っていましたが、残念ながらこれも時
間に押されて断念せざるを得ませんました。 『千畳閣』をご覧いただいた後でメインの『厳島神社』、それから『大聖院』に
回りました。 ・
『厳島神社』は言うに及ばず、『大聖院』もなかなかのもので、近年はここを訪れるforeignerが激増しています。・
何に心を惹かれるのか、 研究課題としても興味があります。 ここでは毎回『観音堂』地下の『戒壇巡り』と『摩尼殿』2階
からの眺めをお勧めしています。 ・
そして翌日はお昼に『宮島口駅』でお会いすることを申し合わせてお別れしました。 宮島がいたくお気に入りのご様子で、早
朝に周辺を散策してみたいということでしたので翌日の予定を2時間ばかり繰り下げました。 「大鳥居の下まで歩いていきま
した。 それと是非食べたいと思っていた『揚げもみじ』も食べてみました。 思っていた通りとても美味しかったです。」と
満足げでした。 ・
30日はお昼過ぎに『宮島口駅』で待ち合わせました。 スケジュールでは12時03分の広島行に乗るつもりでした。 とこ
ろが彼女が現れません。 40分頃になって「電車を乗り間違えてしまいました。 今広島行きに乗り換えました。」とメール
が入りました。 「???・・・じゃ広島駅でお会いしましょう。 暫く待っていてください。」と返信しておいて電車に飛び
乗りました。 ・
様々誤解がありました。 私は『宮島口駅』の改札口近くにへばりついていましたので、JRに乗っているはずはない。 「と
すると、きっと広電に乗ったのだ」と思っていましたが、どうしたものかJRの改札口を通り抜けて、しかも下り列車に乗って
しまったのだそうです。 ・
こういう誤解が生ずると混乱します。 連絡手段としてタブレット端末くらいは持つべきでしょうか。 それと予定は一字一句
正確にお伝えすることが大事だと痛感しました。 例えば、「12時前から『宮島口駅』の改札口でお待ちしています。」だけ
ではなく、「あなたにお会いできるまでそこを動かずにお待ちしています。」くらいまで細かく申し合わせておく必要があった
ように思います。 まぁ広島駅で再会できたのは殆ど奇跡的でした。 今回は電話番号をお知らせしておいて何とか事なきを得
ました。 ・
お昼に『お好み焼き』を計画していましたが、そんなことで時間に押されてしまいましたので、ドーナツでお昼を済ませ、先ず
は『縮景園』に向かいました。 動物がお好きなようで、餌をねだる亀と暫く戯れておられましたね。 『広島城』は北西角か
ら外観だけをご覧になって頂きました。 明日『姫路城』を訪れる予定だそうですから、『広島城』の内部をご覧いただくまで
もないでしょう。 ・
その足で『平和公園』にご案内し、著名なモニュメントをご覧いただきました。 まずまずいい時間になりました。 最後に『
原爆資料館』をご覧いただき今日の観光を終えました。 後は『お好み村』で『広島風お好み焼き』を召し上がっていただくば
かりです。 「私は広島焼きがとても好きなんです。」とおっしゃっていましたが、焼きあがっていくにつれ、今まで見て来た
ものとの違いに驚きの声を上げておられました。 それにお味にも満足して頂けたご様子でした。 ・
さてこの項は後日『ボランティア・ガイド』の項にも掲載します。 内容的には変わるものはないかと思います。 この項に使
用させていただいた写真はお客様のお許しを得て掲載しています。 ・
7月 6日
ドバイからお越しのカップルをご案内しました
リビングの壁に10月までに予定されているガイドのメモを張り付けて管理しています。 5つが同時進行ともなると、それぞ
れがどこまで進んでいるのか、その管理も厄介なことになります。 既にスケジュールに納得して頂いている方、提案し返事を
お待ちしている方、全く手つかずの方、それらを日々確認しながら許されない漏れ・忘却に対処しているところです。 ・
昨日(7月5日)にはその内の1つを無事に外すことができました。 昨日1日限りのガイドでしたが、『ドバイ』からお越し
になった若いカップルのご案内を終えました。 『ドバイ』と言ってもお仕事の関係でスペインから10か月前に移り住んだメ
キシコ出身のご主人と、イタリア出身の奥様でもちろん英語は大丈夫な方達でした。 ・
余談になりますが、彼らの話によると『イタリア語』と『スペイン語』は極めてよく似ていて、お互いがそれぞれの言語でしゃ
べっても意味はちゃんと通じるのだそうです。 もっとも今時点彼らがしゃべっている言語がどちらなのか、私には分かりかね
ます。 ともあれそういう知識が得られるというのもこのボランティアのご褒美ということでもあるでしょう。 ・
改めて思うのですが、新幹線は本当に凄いですね。 お客様は朝7時20分に京都を発って9時05分にはもう広島に到着。・
少しゆとりを持って広島駅にお迎えしたい私が我が家を出たのが7時30分でしたから、いかに不便なところに住んでいるとは
いえ新幹線の速さには驚かされます。 ・
予め「白に縦じまのシャツ、クリーム色のパンツと帽子、ダークブルーのショルダーバッグ、それに少々shortです。」と
風体を紹介していましたから、遥か彼方からニコニコと手を振りながら改札口にやって来られました。 すぐに山陽線下りに乗
り換えて宮島を目指しました。 時間通りの順調なスタートでした。 ・
宮島口からはタクシーで大野桟橋に向かいました。 初っ端に大鳥居遊覧航路で強烈な印象を与えたいといういつも通りの狙い
でした。 「フェリーならJRパスが使えてfreeなんだろう?」という方もおられますが、お客様の希望が第一優先として
も、ここだけは出来るだけ説得に努めます。 大抵の人から「勧めて貰ってよかった。 素晴らしい経験だった。」と感謝され
ています。 そのことをお伝えするようにしています。 ・
もちろん潮の加減で断念せざるを得ないケースもありますが、できるだけここを中心にストーリーを組み立てるようにしていま
す。 今回は潮も高くベストでした。 遊覧船は頭を大鳥居の真下まで持っていきます。 中でもここが一番の見せ場です。・
beautiful, amazing, incredible, wonderful, marvelous, coo
l, perfect, ありとあらゆる感嘆詞が飛び出してきます。 ガイド冥利に尽きますね。 ・
宮島桟橋からはまっすぐに『五重の塔』と『千畳閣』に向かいました。 ここも見せ場の1つです。 商店街から郵便局の角を
左に折れて町屋通りに入り、まず町屋通りの狭間から眺める『五重の塔』に感嘆していただきます。 それから更に奥まった道
を『塔の岡』に登り、茶屋の脇から『五重の塔』『千畳閣』に誘いました。 何といってもこのルートからのアプローチがベス
トです。 1つ1つの景色に感動していただけます。 ・
ここでは建築様式や絵馬を、また直近の廊下から『五重の塔』の五層の屋根の持つ意味などを説明しました。 下って『厳島神
社』に入ります。 まずは入り口で身を清めていただきました。 もう京都の神社なども訪れておられますので作法はよくご存
知でした。 『厳島神社』の一番人気は何といっても『結婚式』です。 私達が入った時には運よく式後の写真撮りが行われて
いて、花嫁の後を追うようにして興味深くご覧になっていました。 ・
大聖院では観音堂地下の『戒壇巡り』と摩尼殿2階からの眺め(弥山山麓や大鳥居、五重の塔など。 ここからの景色は捨てが
たい。 また涼風に一時疲れを忘れることができる。)を堪能していただき、『もみじ谷』を経由して桟橋に戻りました。 大
聖院参道の足下(山門から登り始めた石段の脇)に五百羅漢像が安置されています。 鐘楼の下に『霊宝館』があり、その脇を
下ると五百羅漢像の参拝道に入ることができます。(山門の脇から登ることもできます。) 夫々の違った顔かたちや赤い帽子
が興味をそそるようですので、下りにはいつもここをご案内するようにしています。 ・
宮島桟橋正面のコーヒー屋さんでサンドウイッチとコーヒーをテイクアウトしフェリーに乗り込みました。 時間に追われてい
る時には「これも選択肢かなぁ。」と思います。 運行時間10分の間にお腹に詰め込んでいただきます。 そしてJR内では
次の目的地、今回は『平和公園』のスケジュールとアウトラインを説明しておきます。 これも大切なところ。 お客様の協力
も得やすいです。 ・
平和公園はパターン通り、先ずは『爆心地』から案内を始めます。 『爆心地』→『平和公園』→『相生橋』→『平和の鐘』→
『供養塔』→『原爆の子の像』→『平和の灯』→『慰霊碑』とご案内して『資料館』に至りました。 資料館内の説明は私の手
には負えません。 なにしろ資料が多すぎます。 このため今までは『音声ガイダンス』をお勧めしてきましたが、今回は「簡
単な説明書きがあるならそれで十分だ。」と言われましたのでフリーハンドで入って頂きました。 これは是非見て欲しいとい
うものが幾つかあります。 それさえ押さえておけばというのも選択肢かも知れません。 ・
かなりいい時間になってきました。 本通りを突き抜けて『お好み村』に入り、各階のお店をザラッと見て頂いた後で行きつけ
の店に入りました。 ドバイから来られると聞いた時には食べ物が心配(宗教的な意味での)でしたが、この人たちは豚もお酒
も大丈夫、ただ海老と牡蠣にアレルギーがあるようで、店員さんにそれだけは避けて頂くようお願いしました。 「東京で食べ
たお好み焼き(関西スタイルらしい)とは随分違う。 こちらの方が好みだ。」とヘラを巧みに扱いながら鉄板から平らげて、
「チャラーン!」などと言って手を広げていました。 かなり面白い人達でした。 ・
そして新幹線のプラットフォームまでお送りし、記念写真を撮って新幹線が見えなくなるのを見届けてから帰路につきました。
深夜になって以下のメッセージが届きました。 ・
We arrived sound and safe at our hotel with no problem at
all. We want to thank you again so much for your kindness
and time today. The tour was wonderful and we truly enjoy
ed your company. We will remember Miyaima island, Hiroshi
ma and you! ・
とんでもない
今日になってカメラをパソコンにつないで写真を確認しました。 驚いたことに、殆どの写真が携帯メール・サイズになってい
て、とんでもないことになっていました。 このぼんやり、ノッペリの写真ではきっと彼らもがっかりするに違いありません。
先日の修理では「異常はありませんでした。 設定は全て初期状態に戻しておきました。」といっていたのですが、本当にとん
でもない、ダイアルに手が触れただけで設定がコロコロと変わります。 「何をやっているんだ!」と怒鳴りつけたい気分でし
たが、言っても詮ないことと、黙って再修理を依頼しました。 ・
折角撮った写真なのに、彼らには申し訳ないことをしてしまいました。 ましなものだけ送って平身低頭しておきます。 彼ら
にとってはワンチャンスだったかもしれないこの旅の思い出がこれでは、いくら何でもなぁ。 ・
6月14日
フィラデルフィアからのお客様、飛び込み編
12日の夜になって、「私達は昨年ご案内いただいた者(昨年9月にフロリダからお越しになったご夫妻をご案内しました。)
の息子と妻です。」と14日の依頼が届きました。 クラブを通さないで直接依頼があったのは初めてのことでした。 それは
ともかく明後日の案内では準備するいとまもありません。 更に19日のギター・コンサートが迫っています。 かなり悩みま
したが、ここはやはりご案内するしかないなぁ。」と決断してお引き受けする旨連絡をしました。 ・
そしてすぐに相手方のスケジュールと希望をお窺いして、その夜の内にご案内のスケジュール案を作り提案しました。 作り終
えた時にはもう0時を大きく回っていました。 14日10時20分にホテルロビーで落ち合い、平和公園→お好み村→宮島千
畳閣・五重塔→大聖院観音堂・摩尼殿→厳島神社→大鳥居→町屋通り、とご案内することにしました。 広島、宮島を1日でご
案内するとなるとかなりタイトなスケジュールになります。 ・
14日朝、ホテルにお迎えし、まずは平和公園からご案内を始めました。 じっくりとご覧になっておられます。 こちらは気
が急くのですが、折角楽しみに来られているお客様に「急げ、急げ!」と言うのも酷ですから、ある程度相手の動きに合わせて
ご案内します。 スケジュールからはどんどん遅れていきます。 時計を睨みながら気を揉んでおりました。 ・
爆心地→原爆ドーム→平和の鐘→供養塔とご案内したとき質問がありました。 「原爆を落としたのはアメリカだけれど、広島
の人達のアメリカに対する感情はどうなのか?」 かなりハードな質問です。 「原爆に対しては強い憤りを感じています。・
一方で多くの人々は『hate the sin, but not the sinner』と考えています。 オバマ大統
領の来広に対しても総じて好意的でした。」と私の実感をお答えしました。 また資料館をご覧になって相当強いショックをお
受けになったようで、記帳所に立ち寄って記帳なさっていました。 1人でも多くの方が原爆の酷さ・悲惨さに思いを寄せてい
ただければ・・・それも広島をご案内しているものの使命の一つかと思います。 ・
さて、かなりスケジュールが押されていましたが、昼食の『お好み焼き』の後でタクシーを使わせていただいて、広島駅で何と
か遅れを取り戻しました。 綱渡りのようなものでした。 これなら何とかなりそう。 そこで思惑をしていた『大鳥居遊覧航
路』を提案しました。 折角の機会ですから是非お見せしたい。 「宮島まではお持ちのJRパスで渡ることができます。 こ
の提案には余分な運賃が必要ですが、ショートクルージングを利用すると信じられないほど素晴らしい光景に出会うことができ
ます。 きっと感動されます。 お約束します。」とお勧めしました。 ・
「It’s your choice.」とお客様に判断を委ねたのですが、すぐに同意を頂いて、タクシーで大野桟橋に向か
いました。 潮位の関係で大鳥居の真下まで入れるかどうか少し心配していましたが、ギリギリ大丈夫でした。 そして大鳥居
周辺を遊弋し、この感動的な景色を十分に堪能して頂きました。 お二人とも我を忘れているご様子でした。 特に奥様は何に
よらず積極的な方で、「見ておくのは今でしょう!」とばかりに終始積極的に動かれました。 彼36歳、フロリダ生まれで今
はフィラデルフィアでコカ・コーラの本社勤め、彼女34歳、ペルー生まれで市役所の職員ということでした。 なかなかの好
男子とエキゾチックな美女でした。 ・
|
道々ご両親の話を交えながらご案内しました。 「ご両親と一緒に弥山に登りました。 少なくともお一人1本の水をご持参下
さいとお勧めしたのですが、2人で1本で十分とおっしゃいました。 ところが・・・」 「run out? ha!ha!
ha!」と笑い転げておられました。 「それで彼らはどうしたんだ?」 「大丈夫、私が余分に持っていましたのでお分けし
ました。」 ・
また、大聖院観音堂地下の戒壇巡りでは、「中は真っ暗です。 でも床はフラットで安全です。 左手で左の壁を触りながら歩
いてください。 33体の違ったお姿の観音菩薩を拝観できます。 と説明して入りかけたのですが、風貌もナブラチュロアに
似た鉄人のようなお母様が恐れをなして、私は外で待っていますとお入りになりませんでした。」とお話しすると、この話にも
さも可笑しそうに笑い転げておられました。 ・
厳島神社では入り口で『お浄め』をしていただき、本殿前で『お参り』の作法もお教えしました。 天神社で『トランプはお断
りだ!』という絵馬を見付け、笑いながら「あなたは誰がふさわしいと思うか?」と振られました。 「世界のリーダーには品
位が大切だと思う。 そういう意味ではサンダース氏が一番お似合いかな。」とお答えしました。 ところが、この『サンダー
ス』の発音がとても悪かったみたいで、なかなか通じません。 「民主党の候補者の・・・」 「あぁサンダース。」 この発
音はまこと全く違っていました。 これじゃぁ分からんわなぁ。 ・
今回もリスニングにはとても苦労しました。 聞き直しては理解するという具合で、私の耳は一向に成長してくれません。 「
どこの国の英語が一番聞き取りにくい?」といいますから、正直に「アメリカ英語」とお答えしました。 ズッコケのジェスチ
ャーで、「じゃ、どこの国の英語が聞き取りやすい?」と再問。 「私にはオーストラリア英語、それにカナダ英語が比較的聞
き取りやすいです。」とお答えしたことでした。 ・
最後に三笠が浜から見る『大鳥居』にご案内し、「Masatoはいまだに英語にもがいているとご両親にお伝えください。」
とご挨拶して宮島口駅でお見送りしました。 ・
5月26日〜28日
テリガルからのお客様
今回のお客様はシドニーの北、直線で50kmの海岸沿いの町『テリガル』からお越しになりました。 「サーフィンやスポ
ーツフィッシングを楽しむ若者が多い町です。」と老カップルが話してくれました。 といっても私よりは随分お若い方達で
した。 ご主人67歳、州政府の医療行政分野で働いていて、リタイア後は癌患者の送迎などのボランティアをしている。・
奥様62歳、やはり医療関係のパートタイマーで、今年限りでリタイアする予定と聞きました。 ・
ご主人は読書が趣味で、推理小説や村上春樹も読むそうです。 またゴルフは月3回のペースでプレイされるそうで、「随分
リッチなんですね。」とお尋ねすると、「No.No、オーストラリアでは年会費5万円くらいで1年を通じてプレイできる
んですよ。」と話されていました。 お嬢様が2人おられて、奥様はお孫さんが可愛くて仕方がないように写真を見せてくだ
さり、彼女のためにあちこちで土産物を物色されていました。 ・
26日のご案内
9時35分に広島駅にお迎えし、荷物を一時預かり所に預けて宮島に出発しました。 コインロッカーはオバマ大統領が来広
されるためテロに備えて全て利用中止となっていました。 宮島に向かう車中では予備知識としてポイントをお話ししておき
ました。 宮島は島自体が神であると信じられてきたこと、空海による開山、島の形状、宮島原生林、島の人口、世界遺産の
範囲、厳島神社の歴史、大鳥居の位置づけ、寝殿造り、平の清盛、年間の観光客数等です。 こうしておけば後々の説明が随
分楽になります。 ・
宮島口からはタクシーで大野桟橋に向かいました。 『大鳥居遊覧航路』で短時間ながら大鳥居周辺の遊弋を楽しんでいただ
いて宮島に渡ります。 スケジュールを作り上げる過程で「宮島まではJRパスで渡れるのではないか?」という質問があり
ましたが、「是非お見せしたい景色があります。 今までにご案内した皆さんにはとても喜んで頂いています。」とお話し同
意を頂きました。 やはり大変に喜んでおられました。 ・
|
商店街で暫く土産物を物色していただいた後で、昼食にご案内しました。 明日広島の『お好み村』にご案内するように考え
ていましたので、こちらでは『海鮮料理』を提案しました。 この辺りもご案内の手順として気を遣うところです。 それか
ら町屋通りに入り、街並みから五重の塔を見上げていただいて、さらに『龍髭の松』の脇を抜けて千畳閣にご案内しました。
厳島神社の舞台では結婚式を終えた新婚さんが撮影中でしたので、その様子も眺めて頂きました。 これはラッキーでした。
それから我々も『火焼前』で記念写真を撮り大聖院に向かいました。 大聖院では観音堂『戒壇巡り』、摩尼殿、勅願堂をご
案内しました。 「絵馬に願い事を書いてどこに奉納するのか?」 こんな質問があり、予定していなかった大師堂(一番上
です)裏までご案内しました。 また天狗の石像をご覧になって「これは何か?」と訊ねられ答えに窮しました。 取り敢え
ず「三鬼神社に祀ってある鬼の家来で、山の神ともいわれています。」とお答えしましたが、まだまだ調べておかなければい
けないことが沢山あるなぁと感じます。 それから『もみじ谷公園』を経由し今日のご案内を終えました。 ・
27日のご案内
広島駅で落ち合い向洋の『マツダミュージアム』に向かいました。 オーストラリアではトヨタよりマツダ車の人気が高いよ
うで、ご夫妻ともマツダ車を使われています。 『マツダミュージアム』はお客様がご自身で予約をされていました。 従っ
て、私は見学が終わるまでの間ロビーに座ってコーヒーを飲みながら過ごしました。 ・
それから広島に戻り『お好み村』にご案内しました。 修学旅行シーズンですから、『お好み村』にも修学旅行の生徒が多か
ったですね。 殆どの店が修学旅行生に占領されていました。 「ベーシックはこれです。 麺はラーメンかうどんを選ぶこ
とができます。 それにお好みの食材をトッピングできます。 2種類作ってシェアされてはどうですか?」とお勧めしまし
た。 実は大阪でも『関西風』をお召し上がりになられたようで、「大阪でも食べたけれど、あちらのとは味わいが全く違う
ね。 美味しかった。 有難う。」と感服しておられました。 最後に「お好み焼きとはどういう意味なのか?」と尋ねられ
ました。 「As you like」とお答えするとウンウンという風に納得されていました。 ・
|
それから縮景園まで歩きました。 縮景園では例によって鯉の餌を1袋プレゼントしました。 そして跨虹橋からおびただし
い数の鯉を楽しんで頂きました。 「black sea breamをご存知ですか?」と尋ねると、「オーストラリアに
もいる。」といいます。 目の前を泳いでいるのを見て、「あれだ! あれだ!」と騒ぎました。 あちらでも食べるのかど
うか、そこは聞き漏らしました。 あゝ、チヌのことですよ。 ・
広島城はまず北西角から内堀に影を落とす天守閣を見ていただきました。 これは見ごたえがあります。 大抵のお客様が喜
ばれます。 それから二の丸、本丸、天守閣内部にご案内しました。 先ずはジオラマで在りし日の広島城内外の様子をご覧
いただき、展示物を見ながら階を上がって展望デッキから広島の街並みを眺めて頂いて今日のご案内を終えました。 ・
28日のご案内
実は今回のご案内は26日、27日の2日間の予定だったのですが、オバマ大統領が広島にお出でになることになり、平和公
園のご案内を28日の午前中に回しました。 原爆資料館に入園の可否を訪ねても「私達には何も分かりません。」という返
事で、それはそうだろうなぁと納得してお客様と予定変更について話し合いました。 ・
12時過ぎの新幹線で倉敷に向かう予定でしたので少し早いですが9時にホテルにお迎えし、先ずは『爆心地』にご案内しま
した。 それぞれの施設、モニュメントで実際に起こったことを淡々と説明して回ります。 時に「この程度の説明でいいの
かな?」と思ったりしますが、とても語り部のようにはいきません。 それに知りもしないことを熱弁するのもどうかなと思
います。 まぁ、公式サイトの範囲内というところです。 ・
『原爆ドーム』から『相生橋』を経由して平和公園に入り、『平和の鐘』『供養塔』『原爆の子の像』『平和の灯』『原爆慰
霊碑』とご案内して歩きました。 ちょうどオバマ大統領が『原爆ドーム』を望まれた位置で記念写真を撮っていると、とん
でもないことが起こりました。 メディアの方が近寄ってみえて、お客様に「インタビューをさせていただいてもいいですか
?」と聞きます。 お客様は気楽に受けられたのですが、その通訳を私にして下さいといいます。 これには参りました。
しどろもどろでした。 私にはそんな力はありませんって。 ・
平和公園のご案内も終盤に差し掛かった頃、物静かに「私は日本に来て日光や京都、城崎温泉などとても綺麗で興味深い旅を
してきましたが、平和公園に来て私のマインドはすっかり変わりました。」と話されました。 少しショックを受けておられ
るようにも感じました。 そういう風に感じて頂いて、ただの観光地ではない『平和公園』にご案内した価値がありました。
また、不束ながら私の説明もある程度受け止めて頂けたのかなと思います。 少しでも国際平和に貢献できたとすれば、それ
はそれで嬉しいことです。 ・
『原爆資料館』はまさに時計とにらめっこでした。 ホテルに立ち寄り、荷物を受け取ってタクシーで広島駅に向かうとする
と、少なくとも11時20分には切り上げないとまずい。 見学可能時間は精々30分くらいです。 ところが、修学旅行生
の山でなかなか前に進めません。 館内の整理員が「止まらずに前に進んでください。」と声をからしています。 やむなく
主要な展示物、『黒い雨』や『相生橋の橋脚』『折り鶴』などを重点的に見て頂き、急いで平和公園を後にしました。 ・
ホテルからはタクシーで広島駅に向かいました。 「シティーカーでもいいのではないか?」と言われましたが、万が一を考
えました。 案内人としては余り危ない橋は渡れません。 「次は福山で乗り換えて倉敷に向かいます。」と聞きましたので
「If I were you,もし私があなたなら・・・ローカル線に乗って、お弁当を広げて、景色を眺めながらビール
を楽しむね。」と笑いました。 こうして今回の長い長いご案内は無事に終わりました。 ・
|
数日してお礼のメールが届きました。 奥様と娘さんが『折り鶴』のことを話しておられたそうです。 娘さんが中学生だっ
たころクラスメートと『折り鶴』を折って広島に送ったことがあったそうで、その『折り鶴』を捧げている場所の写真を見な
がら楽しそうに話されたそうです。 ・
5月 6日
ギリシャからのお客様でした
ボランティア・ガイドが終わりました。 今回のお客様はギリシャからお越しになった婚約者、6年の交際を経て来年結婚式
を挙げられるのだそうです。 Oh! Madly in love couple。 「それなら結婚式は『厳島神社』に
しなさいよ。 私がarrangementしてあげます。」なんて冗談を飛ばしながら平和公園と宮島をご案内しました。
「異教徒でも大丈夫なの?」と尋ねておられましたので、まんざらではないのかも知れません。 ・
まるでmovie starのようなお二人でしたが、さもありなん、彼女は食物をうまく利用し医学的にダイエットにトラ
イさせるチューターのような仕事をしているそうで、おそらく30歳台の前半かと思われますが、とても引き締まっていて惚
れ惚れするようなスタイルの持ち主でした。 ・
それに英語がとても堪能な方でした。 聞くところによると、ギリシャでは英語は殆ど使われなくて日常会話は全てギリシャ
語なのだそうです。(英語が話せる人は稀で、彼女は4年間イギリスで勉強してきたそうです。) 従ってお二人の会話はい
つもギリシャ語、私に話しかけるときだけ英語という具合で、I’m really confused, because
・・・と笑いかけたりしました。 「だって、かのシェークスピアも言っていたでしょう。 It’s all Greek t
o me.って。」 (シェークスピアの有名な造語で「私にはさっぱりわからない。」という意味です。) ・
「綺麗な景色が見たい。 どこか夕焼けの綺麗なところはないか?」というご要望でしたので、『大鳥居に沈む夕日』をお勧
めしておりました。 従って、まず平和公園、それから宮島というスケジュールにしました。 平和公園では「平和資料館は
見たくない。」ということでしたので、例によって『爆心地』→『原爆ドーム』→『相生橋』→『平和の鐘』→『原爆の子の
像』→『平和の灯』→『原爆慰霊碑』をご案内しました。 ・
『平和の灯』では、「この灯は国内12の宗派と溶鉱炉から運ばれた火を1945年8月6日生まれの7人の少女が点火しま
した。 この灯は世界から核兵器が消え去るまで燃え続けます。」と紹介しましたが、ちょっと茶目っ気で、「でもこの火は
オリンパス山のヘーラー神殿からは来ていませんよ。」と呟いて大受けをしました。 ・
宮島口に向かうJRの中ではいつも予備知識のレクチュアーをします。 『宮島の稜線の姿から宮島は神の島として崇められ
ていること。』『厳島神社は寝殿造りであること。 また寝殿造りとは何か?』『平の清盛が厳島神社を平家一族の守護神と
して現在の姿に造営したこと。 また清盛が都から数々の平安文化を招来し、宮島繁栄の礎を築いたこと。』などです。 ・
宮島では、先ず例の『牡蠣祝』でコーヒーと牡蠣ペーストのバッゲットで昼食にしました。 「ギリシャでは紀元前4世紀か
ら牡蠣の養殖をしていたんですってねぇ。」「???・・・」というようなお話しもしました。 へー、知らなかったんだ。
それにしても、ここからの眺めは何と素晴らしい。 それから目の前の『千畳閣と五重塔』をご案内しました。 『千畳閣で
は絵馬と天井の構造物』『五重の塔では五層の屋根が5つのエレメントからなる仏教観を表すこと』などに興味を示していた
だきました。 ・
|
『大聖院』では『山門』『観音堂戒壇巡り』『摩尼殿・礼拝所(二階)』を中心に紹介しました。 今回は大聖院全般につい
て仕込みをしていましたが、思ったほどの反応がありませんでしたのでこの辺りで切り上げました。 ところで彼の方ですが
ともかく写真がお好きで可愛い姿の石像などを見かけると、ほとんど腹這いになるようにして撮りまくっていました。 彼女
に「He looks like a photo addict。」と囁くと、「全くその通り。」と笑っていました。・
最後に『厳島神社』へ。 こちらでは『参拝前のお浄めの作法』『神殿礼拝の作法』を実践していただき、『舞楽や能』はユ
ーチューブで動画を見て頂いて理解を深めていただきました。 そして最後にもう閉店が多い(なにしろ時刻が随分遅くなっ
ていました)商店街で土産物を物色したり、もみじ饅頭をぱくついたりして、今日の日程を終えました。 ・
今日は終日雨で、先方が期待していた『大鳥居に沈む夕日』をご覧いただくことができず残念でした。 さて次回は5月26
日、27日にオーストラリアからご夫妻がお見えになります。 マツダの工場見学を予定されていますので、それを含んだご
案内になるかと思います。 近々下案を作って提案することにしています。 ・
4月21日
キャンセルになりました
21日にボストンからお見えになる予定だった親子のガイドがキャンセルになりました。 4月17日(日曜日)になってメ
ールが入り、「不確実な地震の状況により真に申し訳ないが本日夕刻離日します。」と言ってきました。 大丈夫とは思いま
すが、まぁ、そこは旅行者のお考えが最優先です。 先年の『東日本大震災』に加え、今回の『熊本地震』の惨状をご覧にな
れば、その気持ちや不安はよく分かります。 ・
ニュースによれば、福岡のホテルでは外国の旅行者を中心に半数がキャンセルされたそうです。 観光地の熊本、阿蘇が大き
な被害を受け、沢山の方々が避難生活をされています。 加えて九州域内での新幹線の運休が続いている現状ではそうした判
断は止むをえないことでしょう。 ・
さて、次回のガイドは5月6日、ゴールデン・ウィークのさ中にギリシャからTV Starのようなカップルがお見えにな
ります。 紆余曲折はありましたが、スケジュールは固まっています。 好天に恵まれ、大鳥居越しの夕日をご覧いただけれ
ばいいのですが・・・。 ・
4月 8日
インドネシア・バリ島からのお客様
インドネシアの『バリ島』から若いご姉弟がお見えになりました。 お姉さんは35歳、バリでインドネシア料理のレストラ
ンを経営されているそうです。 ご主人が『寒さにアレルギー』があってご一緒できなかったので、「代わりに弟さんを誘わ
れた」のだそうです。 弟さんは25歳、英語が余り得意でありませんでしたので詳しいことは聞いていませんが、「日本の
文化や景色それに女性も好き」なんだそうです。 そういって笑っていました。 ・
6日に大阪に入られ、広島→東京→箱根→京都→奈良と旅をされて、その後ソウルに立ち寄って19日に『バリ島』にお戻り
になると聞きました。 その間8日朝に大阪から来広され、宮島と広島を見学されて夕方に大阪に戻られました。 1日で宮
島と広島のご案内となると私も始めての経験です。 自信はありませんでしたが、そういう依頼も多いので、「いずれはトラ
イしなければ」と考えていました。 まぁいいチャンスだったかも知れません。 ・
|
それと初めてのアジア圏の方のご案内でしたので言語の方が少々心配でした。 NHKの『大人の基礎英語』をご覧になって
いるとお気づきだろうと思うのですが、アジア圏の方々の発音には特徴があります。(新年度からはオーストラリアが舞台に
なります。) 案の定、最初から『聞き取れない、こちらの英語を聞き取って頂けない』の連続で、トンチンカンなことも沢
山ありました。 ところが、私が聞き取れなかった言葉を土産物屋の店員さんが聞き取っていたりして、「私の耳は一体どう
なっとるんじゃろう。」と思ったりしました。 それでも、まぁお互いに協力し合いながら何とか乗り切ったという感じでし
たかね。 ・
トラブル続き・そして混乱
言葉に加えてトラブルも多く、今回はかなり厳しいご案内でした。 大阪発→広島着→広島乗り換え→宮島口到着の時刻やプ
ラットフォームなども事前に調べてスケジュール表を送っておいたのですが、のっけからトラブル。 大阪のB&Bのホスト
から「遅れますという伝言です。」と電話を受けました。 大阪発の時刻を知らせて頂きましたので、早速スケジュールをや
り直しお客様あてメールを送信。 ・
新しいスケジュールに『OK!』の返事を頂いたのに、予定の列車からはそれらしい人が降りてきません。 当初から1時間
余り遅れて次の列車で宮島口駅にお迎えし、やっとお目にかかることができました。 そもそも短時間で宮島、広島をご案内
するタイトなスケジュールだったので、この1時間の遅れは致命的。 まるで将棋倒しのように予定が狂っていきました。・
何とか持ち直そうとあれこれ考え焦るのですが、「お腹がすいた。」とか、「ショッピングがしたい。」とか、無理からぬ要
望が続き状況は更に悪くなります。 宮島を出発した時はもう当初予定から1時間半も遅れていて、もはや取り返しのきかな
い致命的な状況になってしまいました。 ・
広島に戻った時はもう3時を大きく回っていました。 『原爆資料館』も『縮景園』も入場は6時の閉館30分前までです。
とても時間が足りませんから『広島城』はパスさせていただいて、先ずは『原爆資料館』に向かいました。 なにはともあれ
ここにだけは最優先でご案内しておかなければ。 そして「公園内は急ぎ足に」と思っていましたが、モニュメントごとにポ
ーズをとりご兄弟で写真を撮りあっていて、なかなか思うようには動いていただけません。 この辺りはお客様のご希望が最
優先ですから仕方のないところです。 ・
5時10分にタクシーに乗れればぎりぎり『縮景園』をご覧いただけると思っていたところ、やがてそれも怪しくなってきま
した。 その内、「明日の日程があるのでそろそろ大阪に帰らなければ」とおっしゃいます。 ならば仕方がありません。・
『縮景園』は諦めていただき、約束していた夕食(お好み焼き)も取りやめて広島駅に向かいました。 ・
でもまぁ
でもまぁ、宮島は随分と楽しんで頂けたと思います。 本殿では運よく結婚式が執り行われていて、これには随分と感動され
たご様子でした。 偶然とはいえいい見せ場になりました。 (最近では個人情報保護の観点から結婚式の予定の問い合わせ
に厳島神社側が応じてくれなくなりました。 従って、運がよければ拝見できるという状況になっています。 個人情報も何
もあけすけの本殿で行われることですし、予定があるかどうかだけで別にお名前まで聞いている訳ではありませんからおっし
ゃることの意味がよくわからないのですが。) ・
それに散り始めているとはいえ、まだ桜がかなり残っていました。 また潮の具合もまずまずで水に浮かぶ大鳥居、そして引
き潮に海底に立つ大鳥居の様子もご覧いただけました。 天気もよく気温もかなり上がりましたが、『バリ』からのお客様に
とっては、それでも少し寒かったようでした。 ・
夜になってお客様からメールが届きました。 「You’re very helpful. Thanks so muc
h」とかなり儀礼的なメッセージを読みながら、私が計画したスケジュールを全てこなせなかったとしても、お客様の満足度
が高ければ、「それはそれでいいのかな。」なんて自らを慰めています。 ・
3月19日
Australian couple
まぁなんと、豪華客船は凄いものですね。 まるで大きなマンションが1棟丸ごと港に横付けされたみたい。 アサではあり
ませんが『びっくりポン』や。 今日のお客様はクルージング船『AZAMARA QUEST』でオーストラリアのサンシ
ャイン・コーストからお越しになりました。 ご主人78歳、奥様66歳、穏やかなご主人と、てきぱきしたとても感じのい
い奥様でした。 ・
|
3月1日にシドニーを発たれてバリ、フィリピン、台湾を経由し、昨日が大阪・京都、そして今朝広島に入港し、夕刻にはも
う出航して上海、ベトナム、シンガポール、マレーシアと旅を続け、4月4日にシドニーにお帰りになります。 「リッチな
旅ですね。 羨ましいことです。」とお話しすると、「いえ、いえ、この日のために長い間お金を貯めてきました。」と謙遜
しておられました。 ご主人は若い頃日本の企業に招かれたことがあって、それ以降日本贔屓になられ、是非にも奥様を日本
にお連れするのが夢だったそうです。 ・
9時30分に1万tバースに接岸し、市内観光に出掛けて14時には船に戻るというタイトなスケジュールです。 この間の
4時間余りのガイドでした。 移動は全てタクシーを使いました。 事前に予約しておいたタクシーで港に入り、手際よく市
内観光に出掛けました。 高速艇で宮島へという選択肢もあったのですが、往復の時間や船便を調べてみて、またご主人の脚
の状況を考え合わせると、とても提案できませんでした。 ・
縮景園では例によって鯉の餌やりを楽しんで頂き、余り長く歩けないご主人のために東半分だけを辿っていただきました。・
桜をお見せしたかったのですが、広島の標準木はまだまだ時間がかかりそうな気配でした。 「被爆の後、この庭園に多くの
人々が避難されましたが、治療を受けることもできず、ここで1700人の方々が亡くなりました。 全ての建物や樹木は焼
かれ、跨虹橋と3本の樹木だけが辛うじて残りました。」と被爆直後の写真(園内にあります)をお示ししながらお話ししま
したが、やはりかなり大きな衝撃を受けていたご様子でした。 ・
広島城ではお城の北西、内堀の外側でタクシーを降りていただき、堀端から天守閣をご覧になって頂きました。 「私はこの
castle towerのarchitectureがとても好きだ。」と暫く見入っておられましたが、ふと「この人達
は昨日大阪城の見学をしなかったのだろうか?」と不思議に思いました。 或は京都だけに行かれたのかも知れません。 そ
こは聞き漏らしてしまいました。 桜が咲いていればもっと喜んでいただけたんですがねぇ。 ・
お昼には少し早かったのですが、その足で『お好み村』まで送っていただきました。 広島のlocal foodを楽しみ
にされていましたが、加えて「地元の人々が普通に楽しむような、いわゆる食堂に連れて行って欲しい。」と希望されていま
した。 従って、『お好み村』の風情はとてもお気に入りでした。 そして、エビやイカをトッピングしたり、ソバの代わり
にウドンにしたり、果ては激辛のソースを試されたりと、十分に広島の食を楽しんで頂きました。 ・
|
また、焼き方にも興味深々で、ヘラを使って裏返したり、卵を片手で割って円形に広げ、その上に焼きあがった『お好み焼き
』を乗せる手際に歓声を上げたりされていました。 もちろん、指導よろしく広島風に鉄板から直接ヘラを使って食べて頂き
ました。 good job、tasty、delicious、amazing、beatifulなど次々と賞賛の言葉
が続きました。 ・
最後に平和公園に向かいました。 前々から爆心地を見たいという希望がありましたので、爆心地にご案内した後で原爆ドー
ム、それにご主人の脚が許せる範囲で主要なモニュメントをご案内しました。 「平和公園は繁華街の跡地に作られました。
被爆前にはこのエリアに約6500人が住んでいました。 また8月6日には8000人を超える子供達が建物疎開の作業に
従事していました。 その多くの人達が熱線や爆風、放射能また発生した猛烈な火災で命を落としました。 その日の内に亡
くなった方々は約7万人と言われています。 そして亡くなった人達の遺体はこの地に集められて荼毘にふされました。」・
このような悲惨な話は聞くに堪えないというご様子でした。 ・
資料館については予め誰かからお話しをお聞きになっていたようで、焼けただれた姿で彷徨う母子の様子を印象的に話され、
「見るに堪えない。」と入館を拒否されました。 また時間も迫ったことからタクシーで1万tバースまでお送りしました。
それから我が家に戻って、ベランダから豪華客船が暮れなずむ広島湾を去っていく様子を眺めました。 ・
今回は限られた時間ながら、かなり濃密にご案内することができたと思います。 お客様も「あなたにご一緒して頂けてとて
もよかった。」と十分に満足されたご様子でした。 お別れに当たって、これは初めての経験ですが、ご夫妻からハグをして
いただきました。 さて、次回は4月8日にバリから若いご兄弟がお見えになります。 こちらは丸1日を有効に使って宮島
と広島を楽しんでいただこうと思っています。 ・
2月29日
今年最初のボランティア・ガイド
2月29日、今年最初のボランティアガイドが終わりました。 この時期に日本を訪れる方は、まださほど多くはありません
が、3月中盤を過ぎたころから一気にガイドの依頼が舞い込むようになります。 その頃のお目当ては何といっても『桜』で
しょう。 今回のお客様も淡い期待を寄せていたようですが、まだまだ蕾は硬いままです。 次回のお客様は3月19日にオ
ーストラリアからお見えになりますが、それでも咲き始めをお見せできるかどうか。 ・
今回のお客様はスコットランドの首都『エジンバラ』からおいでになった2人連れの若者でした。 私からみれば確かに若者
ですが、そうですね、30歳代後半か40歳代前半というところでしょうか。 それにしてもこの年代の方がガイドを依頼し
てくるのはとても珍しいことだと思います。 大抵はガイドブックを片手に気ままに歩き回っておられますから。 ・
詳しく聞いた訳ではありませんが、お一人はpsychologyとコンピューターに関わる仕事であちこちを飛び回ってお
られるそうで、日本にもしばしばお見えになるようです。 今回の旅の間にも「友達を喫茶店に行かせておいて、千葉で2日
間仕事をし、それからオーストラリアに立ち寄って帰国する」と言っていました。 髭面で太っちょで、出っ張った腹を撫で
ながら「相撲、相撲」と茶目っ気たっぷりな一方で、ちょっと学者肌を思わせる一面もありました。 ・
パートナーはwebのデザイナーだそうです。 日本の仕事にも関わっていると言っていました。 自転車が趣味で『マウン
テンバイク』や『ロードバイク』などを数台持って楽しんでいるのだと話して下さいました。 気さくでのん気そうなな若者
でした。 その彼がまだ日本に来たことがないので、『学者肌』氏が誘ったのだそうですが、「東京はまだしも、広島は不案
内なので案内をしてくれ。」とガイドを依頼してこられたのでした。 ・
実は事前のメールのやり取りで、宮島の案内はいいのか? 広島を離れるのはいつか? このメールアドレスは旅行中も使え
るか? 麺類やシーフードは食べられるか? などなど質問していたのですが全くの梨の礫、メッセージもなく写真だけが送
られてきたりで、一体この人達は本気で広島に来る積りがあるのだろうかと疑っていましたが、お目に掛かってみるととても
誠実な人達で安心しました。 ・
28日に関空に入られ、その足で宮島に宿を取り二日間滞在されます。 「宮島の案内はいらないので、広島だけを」という
要望だったので宮島口駅で落ち合い、定番の『縮景園』『広島城』『平和公園』『平和記念資料館』をご案内しました。 依
頼を受けるとつい「精一杯のご案内を」と力んでしまいます。 それを喜ばれる方もおられますが、一方で「希望することだ
けを」とお考えの方もおられるということでしょう。 空気を読むこともたいせつかなぁと思います。 ・
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とても質問の多い人達でした。 『縮景園』入り口の『名勝縮景園』の石柱をまじまじとご覧になって、「こういうキャラク
ター(漢字)は幾つくらいあるのかね?」 「う〜ん! 日常的に使うものは約2000かな。 今では余り使わないものを
含めるとまだまだ沢山あります。」 「tea ceremonyはどういう意味を持つのか、何故それが重要なのか?」・
これには少し困りました。 「tea ceremonyは15世紀に興り、その作法は日本の独特の文化として継承されて
います。 また建物や庭にも影響を与えました。」なんて苦し紛れに答えたけど、それでは十分な説明になっていない。 そ
こは本当に勉強不足でした。 更に『一期一会』のところまで行くと今の私の英語力では無理かも知れません。 ・
「『ございます。』とはどういう意味なのか?」という質問もありました。 「『私は○○です。』と言うでしょう。 これ
を丁寧に言うと、『私は○○でございます。』になります。 be動詞の丁寧表現と考えればいいと思います。」と答えたけ
れど、これも少々怪しい。 単に名所旧跡の説明だけでなく、こうした様々な鋭い質問に適切に答えられるよう日頃から訓練
しておかなければと思ったことでした。 日々勉強ですね。 ・
こんなことを話しながら広島城から平和公園を歩きました。 爆心地、原爆ドーム、原爆供養塔と案内する内にかなり大きな
ショックを受けたご様子で、口数がすっかり少なくなりました。 またカメラを向けると、「ここでは写真を撮らない方がい
いと思う。」と拒否されましたのでそれ以降はカメラを使いませんでした。 場所が場所だけに、それがあるべき姿なのかも
知れません。 難しいところです。 ・
『昼から雨』が雪に変わり、冷え込んでくると疲れと相俟ってまともに英語が出なくなってしまいました。 結局は自分の知
識が十分にこなれていないということに尽きると思います。 十分な説明ができなかったことを詫びて、宮島口桟橋にお見送
りしました。 ・
桟橋で近くの人にお願いして最後の記念写真を撮りました。 映り具合具合を確認しながら、looks like I’m
too short. と笑いあってお別れしました。 ・
今回は時間もあったので『おこのみ村』にご案内し、ベーシックなお好み焼き(肉玉そば入り)を鉄板から『ヘラ』を使って
食べて頂きました。 「広島の最も有名なローカル・フードです。」とご案内しましたが、これがとてもお気に入りだったよ
うで、「美味しい。 素晴らしい。」と連発しながら瞬く間に平らげてしまわれました。 ・
こんなご案内でした。 さて次回は19日。 オーストラリアの東海岸、ブリスベンの近くのサンシャイン・コーストからご
夫婦がお見えになります。 3月1日に出港し、バリを経由し大阪に立ち寄って広島に来られます。 寄港時間が限られてい
ますし、腰痛があって行動が制限されるようです。 でも限られた条件の中でできるだけいい思い出を作って差し上げたいと
思っています。 ・