11月30〜12月 1日



『ボランティア・ガイド』in京都が終わりました。

いきさつがあって、バングラディシュのお嬢さんから京都の観光ガイドを依頼されました。 「京都には若くてハンサムな大学
生のガイドさんが沢山いる。 それに京都のことは私よりはるかに詳しい。 そちらに頼んでみたら。」とお勧めしたのですが
「いいえ、あなたにお願いしたいんです。」と懇願されて引き受けることにしました。                 ・

新幹線、ホテル、食事、おそらくこの旅行の大部分は私の持ち出しになるでしょう。 でも京都は大好きですし、まだ見ていな
い部分もある。 それにこれを機に家内を分骨してある『大谷本廟』にもお参りしてきたい。 従って多少の持ち出しはまぁい
いか。 京都は知らない訳ではありません。 何度も訪れていますのでそこそこの知識もあります。 少し補強しておけばそれ
なりのご案内はできるでしょう。                                         ・

決して無駄にはならないと考えました。 そうはいっても予備知識も仕入れておかなければ。 そのために前日に京都に入りま
した。 観光案内所で交通機関、案内経路等を調べ、取り合えず『三十三間堂』や、昼食を予定している『祇園界隈』を歩いて
おきました。 それに『大谷本廟』にもお参りしました。 さて極めて普通過ぎるメジャーどころのご案内ですが、『三十三間
堂』『伏見稲荷』『金閣寺・銀閣寺』『京都御所』『二条城』『清水寺』それに『竜安寺石庭』など有名どころを2日間でご案
内するように考えていました。                                          ・

その夜は『琵琶湖湖畔』に投宿し、翌朝京都駅前で彼女と落ち合いました。 彼女は医大生、熊本から夜行高速バスでやってき
ます。 もちろん到着時間やバス停の位置、それに朝食の適当なお店も前日に物色しておきました。 全て用意万端だったので
すが、スタートから失敗、『京都御所』の英語ガイドのコースに遅れてしまいました。                 ・

ちょっと変わった人なのか、国民性なのか、彼女の中では時間が極めてゆっくりと流れているようでした。 地下鉄を降りて御
所まで、何とか10時(英語ガイドの出発時間)に間に合わせようと焦るのですが、ゆっくりゆっくりと歩いてきます。 あち
らを見たりこちらを見たり。 外苑に入ると綺麗な紅葉に魅せられてしまい、とうとう動かなくなってしまいました。 例えば
『大銀杏』の落ち葉に座り込んで「写真を撮ってくれ。」といいます。                        ・

 

受付所の『清書門』に入りましたが、時すでに遅し、英語ガイドは既に出発していました。 それでも全く意に介さず、「いい
の、いいの」という感じ。 今日はあと『伏見稲荷』『清水寺』『三十三間堂』、できれば『二条城』までやっつけておきたい
と心は焦りますが・・・・。 『御車寄』から『紫宸殿』とゆっくり案内して回ります。 『栄安門』越しに『紫宸殿』を望み
ながら、「これが寝殿造りの様式、左右対称になっているところが厳島神社と同じでしょう。」 植木が2本あるでしょう、桜
と橘が植えてあります。 『右近の橘、左近の桜』と言われています。 天皇の護衛の一団の名残です。 室内は既に厳島神社
に見られるような寝殿造りの基本形式ではなく、書院造に変わっています。 武士の時代に発展した様式です。      ・

こんなことを説明していると、いきなり質問がありました。 「何故桜と橘なの?」 「・・・・・」 それは予想していなか
ったなぁ。 そこで近くにいた、多分ボランティアのスタッフに尋ねてみました。 「こんな質問をされて困っています。 教
えて頂けませんか?」 でもこれはちょっと意地悪な質問でした。 きっと専門家でないと分からないでしょう。     ・

次は『伏見稲荷』を予定していました。 それから『三十三間堂』『清水寺』、祇園で食事。 でも御所を出たときは既にお昼
前でしたので予定変更、まずは祇園で食事をすることにしました。 丸太町バス停から祇園へ。 祇園にこだわ」る理由です。
11月12日、13日にイギリスの方をご案内しましたが、この方から「祇園にいいレストランがある。」と情報を頂いていま
した。 それが祇園の八坂神社前にあります。 誠に誠に狭い、すれ違うのに苦労するような路地の奥にその店がありました。
もちろんその店も前日にチェック済です。                                     ・

京都の『おばんざい』のお店で、間口一間、カウンターを挟んで椅子席が7席ほどの小さな店です。 殆どが豆腐料理ですね。
私はメインディッシュを豆腐の春巻きにしました。 味噌汁にも豆乳が使ってあります。 路地には日が当たらず、しかも風の
通り道になっていますから寒さに震えながら入り口で待つこと10分、やっと席があいて中に入ると若い女性の3人連れ、それ
に怪しい関係に見えなくもない中年2人連れ、それと老カップルがそれぞれに歓談しながら『おばんざい』を召し上がっていま
した。                                                     ・

彼女も同じメニュー。 隣り合わせた若い女性の3人組がしきりと彼女に話しかけるのですが、名古屋の大学の卒業生だといい
ながら、どうも余り英語は得意でないようでした。 でも、それでもこうしてコミュニケーションをとろうという勇気には感心
したというか、私たちの年代では考えられない気質です。 なかなか見上げたものだと思いましたね。          ・

 

京都は凄いことになっています。 『観光公害』とも言われていますが、まるで京都をごっそり観光客に乗っ取られているみた
い、特にお隣の国々のお方が多かったように思います。 三年坂などはもう身動きができないほどの観光客で溢れていました。
特に人気の観光スポット周辺ですね。 『祇園界隈』『清水寺』『伏見稲荷』『嵐山周辺』は、何だこれは・・・という感じ。
『詫びた古都の風情』はどこにもありません。 観光案内や墓参りでなくて、今純粋に「京都観光』を楽しむか?と聞かれたら
多分NO WAYですね。                                            ・


 

『三十三間堂』の『千体観音菩薩立像』は是非見せたいと思っていました。 『風神・雷神』は別として、28部衆はもちろん
渡来仏ですから仏教やヒンズー教に共通しています。 それらについて1つ1つ、かの国での解釈を解説してくれました。 思
っていた通り、やはり興味を持って頂けたようです。 私の個人的な感想ですが、『伏見稲荷』の『千本鳥居』にはがっかりで
した。 外国の方には大人気ですが、何とも、見る価値もない。                           ・

この日の宿は新大阪に取りました。 土曜日でもありますから、京都のホテルはかなりお高いですし込み合っていました。 彼
女の希望は「できるだけ安く、でもゲストハウスはいやだ。」ということなので、様々手を尽くした挙句京都や大津など近郊を
避けて少々便利は悪いですが新大阪にしました。 向かう車中で彼女がいいます。 「私の友達が『竹林』が素晴らしい。 是
非見るべきだと勧めてくれました。 明日『竹林』に連れて行って貰えませんか。                   ・

『竹林』といえば『嵐山』ですね。 翌朝京都駅から嵯峨野線に乗りました。 この列車がまた凄い混雑です。 『嵯峨野嵐山
駅』も観光客の山でした。 レンタサイクルの店に彼女の荷物を預けて『竹林』に向かいます。 『竹林』は人が溢れかえって
いましたが・・・・思わず彼女と顔を見合わせて笑いました。 「これって、私の国の田舎の風景と全く同じよ。」「これって
単なる『竹藪』じゃん。 こんな『竹藪』なら私の家の周りにいくらでもあるよ。」 あきれかえって『渡月橋』に向かいまし
たが、メインストリートの両側をはみ出す人の山で、たどり着くのに難渋しました。 「これは時間の無駄でしたね。 折角で
すが、これからの予定の多くを諦めて下さい。」 でも『嵐山』の紅葉は流石。                    ・


 

一旦京都駅まで戻って『竜安寺』に向かいました。 結構時間がかかります。 これでもう『金閣・銀閣』『二条城』は諦めて
貰うほかありません。 ただ、彼女には『石庭』の前に向かって様々考えを巡らせて欲しい。 幼くして両親をなくした辛い境
遇をお聞きしていましたので、彼女はきっと『石庭』のもつ人に対する語りかけを理解出来る人だと思っていました。 思った
通り、庭の前に座って長く何かを考えている様子でした。 そして他の観光名所を諦めることに同意してくれました。 京都駅
に戻り、夕食を共にし、彼女は夜行高速バスで熊本へ、私は新幹線で広島へと別れていきました。            ・































11月12〜13日



ボランティア・ガイドが終わりました

今回はとても厳しいご案内でした。 体調不良ですね。 尾籠な話しで申し訳ありません。 たぶん8日からだったろうと思う
のですが、長く下痢が止まりませんでした。 少し風邪気味だったものですから「その精かなぁ。」と思い、常備薬の葛根湯と
胃薬を飲んで様子をみましたが、全く効果がありませんでした。 熱はなく、腹痛もないのですが、体中がだるく、つい横にな
りたいという衝動に襲われ続けました。 そしてアッ!というまに便意が切迫しトイレに走り込みました。 まぁその内に・・
・という期待に反してその後もおさまる様子はありません。 そうではあってもお受けした以上はご案内の責任があります。・
約束は守らなければと頑張った辛い旅路でした。                                  ・

今回のお客様はイングランドから。 イングランド北部のほゞスコットランドに近い町からお見えになりました。 ご主人はシ
ンガポール系イギリス人65歳、リタイア―ですが以前はサテライト関係の仕事をされていて、海外の多くの技術者と交流され
たそうです。 奥様は62歳の気品あふれるイギリス淑女でした。 お2人はニューキャッスル大学で知り合いご主人がイギリ
スに帰化されたそうです。 馴れ初めは奥様の一目惚れだったそうですよ。 そういう冗談も結構交わします。      ・

成田に降り立ち、東京→金沢→高山→京都→奈良、そして高野山の宿坊から12日の昼前に広島に到着されました。 予定時間
に約束の新幹線改札口で待っていると、あらぬ方向からお2人とお見受けするカップルが現れました。 「少し早い電車に乗れ
たので、もう荷物をコインロッカーに預けておいた。」とおっしゃいます。 それならばと早速『縮景園』に向けて出発しまし
た。 もちろん念のためにお目にかかる直前に駅中のトイレで用便を済ませておきました。 広島市内には利用可能なトイレが
あちこちにありますからまぁ安心です。 常時ルート上のトイレの位置をイメージしながら歩きました。         ・

時間をかけて『縮景園』をご覧いただいた後で市内電車で『お好み村』に向かいました。 この人達は金沢で代表格の『兼六園
』をご覧になっていましたので、それほどメジャーでない『縮景園』は見劣りするだろうと思っていましたが、また違った魅力
を発見され、色付き始めた紅葉や『たくえい池』に浮かぶ小島、ゆったり泳ぐ鯉などをゆっくり楽しんでおられました。 また
私の説明も熱心に聞いていただけました。                                     ・

 

お好み村では、まず1つのビルの3フロワーに林立する24軒の小さな『お好み焼き店』に驚かれました。 そしてシーフード
てんこ盛りの『お好み焼き』を楽しまれました。 大抵の女性は大体3分の1くらいを食べ残すのですが、よほどお気に入りだ
ったようで奥様も完食、お2人ともなかなかの健啖家のようでした。 そして「今夜は夕食は要らないわ。」と笑っておられま
した。 食事を済ませた後で、「もし私達だけだったらこんな素晴らしい経験をすることは出来なかった。」と感謝の言葉をい
ただきました。                                                 ・

 

『平和公園』はいつも通りのご案内でした。 『爆心地』から『原爆ドーム』、『相生橋』を経て『平和公園』内に入ります。
学生の多さに驚かれ、「今日はウイークデーだから学校ではないのか?」と尋ねられました。 「修学旅行シーズンで、平和学
習を兼ねて広島に来ているんですよ。」と説明したのですが、ちょっとマナーの悪い女学生もいて、日本人としての矜持はない
のか!と恥ずかしく思いました。                                         ・

ボランティアさんがグループを率いて各モニュメントを説明して回っているのに、その説明を聞きもせず携帯電話をいじくりな
がらグループに遅れて付いていく、『平和の鐘』の中に頭を突っ込んで音を聞きながら大笑いしている者がいる。 「君らはこ
こがどういうところか分かっているのか?」とただすと、シャーシャーとして「分かっています。」と悪びれもしない。 「分
かっているならそんなことは出来ないはずだ!」とつい声を荒げてしました。 お客様にはお見せしたくない、若者の情けない
姿でした。 先生もついていて一体何をしているのやら。                              ・

『原爆資料館』に入り、東館で原爆投下のCGをご覧になったあと、本館に移る直前になって「ここから先は私達だけで見て回
る。 ここで別れよう。」と提案がありました。 後で気が付いたのですが、恐らく下痢に苦しんでいる私への心配りだったの
ではないかと思います。 その時はそれと気付かず、それでも早めに解放されて安堵したものです。           ・

翌朝は宮島口駅で落ち合い、注文しておいたお弁当をコンビニで受け取って出発しました。 今日は『弥山登山』→『厳島神社
』→『大聖院』→『千畳閣・五重塔』→『大鳥居』の予定です。 お昼はいつものように頂上の展望台から景色を眺めながら頂
くことにしていました。 天気もいいし、いい眺めになるでしょう。 ケーブルカー終点の『獅子岩駅』から先は頂上までトイ
レがありません。 最悪に備えて大人用おむつを履き、濡れティッシュも準備しておきました。             ・

さて出発、と数歩歩いたところでいきなり便意に襲われました。 「腹痛です。 トイレに行きますから少し待ってください。
」と駅のトイレに飛び込みました。 こういう時に限って先客がいるものです。 「早うしてゃ!」 やっと出し切って、これ
で暫くは大丈夫でしょう。 ところが戻ってみると彼らが言います。 「私たちは脚を痛めているので、頂上までは少し無理な
ようです。 『獅子岩展望台』からの眺めもいいようですから、ここから下界を眺めましょう。」と地図を眺めながらおっしゃ
います。 「そうか、この人達は昨日の『原爆資料館』といい、私の体調不良に気付いて心配りをして下さっていたんだなぁ。
」と遅ればせながらそれと気付いた次第でした。                                  ・

お昼は『獅子岩展望台』のベンチで食べることにしました。 今日は3種のご飯を準備しました。 『白ご飯』、『まぜご飯』
『赤飯』、私は『白ご飯』、彼らには『まぜご飯』と『赤飯』をシェアして召し上がっていただきました。 「ロンドンの弁当
より綺麗だし美味しい。」と言いながら召し上がっていました。 ここからの多島美は弥山頂上と比べても遜色ありません。・


 

弁当を頂きながら彼らの2人の娘さんの写真を拝見しました。 多島美の劣らず綺麗なお嬢さんたちだったので、「この人達、
どうしてこんなに美人なんだろう?」と呟くと、「そりゃぁ私たちの子供ですから!」と言って大笑いをしました。 こういう
軽口が通じ合えると会話も随分楽です。                                      ・

ベストシーズンとあって『厳島神社』は大変な人出、外国の観光客と修学旅行(高校生)に圧倒されました。 神社の説明は『
祓い殿』と『高舞台』の間がいいようです。 ここに立つと神社の全体の構成がとても説明しやすくなります。 左右対称を基
本とする寝殿造りの建築様式を難なく理解して頂けたと思います。                          ・

『大聖院』は例によって『五百羅漢』→『戒壇めぐり』→『摩尼殿二階』のみをご案内しました。 見るべきポイントはこの3
か所に限られます。 『五百羅漢像』は私たちにとっては平凡なものですが、外国の方は一様に驚かれます。 『戒壇巡り』は
以前『清水寺』で見たという方がおられましたが、やはりここならではのものではないかと思います。 漆黒の闇に入った途端
奥様が尻込みされたのですが、時に背中を押して激励しながら巡っていただきました。 「時々入ったまま出てこない人がいる
ようですよ。」という冗談は今回は流石に使えませんでした。                            ・

別れ際に沢山のお土産を頂きました。 『ナプキン』『チョコレート』『サブレ』、ロンドンのお菓子は甘すぎることもなく、
何だかお国柄が感じられます。 感謝の気持ちが伝わる品々でした。 私も返礼に数種類の『もみじ饅頭』を用意しました。・
電車の中ででも召し上がってください。                                      ・

さてその後のことです。 1日空けて15日から、これは私の古い友達ですが、12名が広島に集い旧交を温めます。 その間
広島、宮島を3日間にわたってご案内することになります。 幹事役ですね。 そこで14日に病院にいきました。 下痢のこ
とを話すと、「牡蠣とか、そんなものを食べましたか?」と聞きます。 「その覚えはありません。」と答えたのですが、「細
菌です。 治療方法は1つです。 抗生剤と整腸剤を出しておきますから飲み切って下さい。 もしよくならないようならもう
一度来なさい。」 ミラクルでした。 帰宅してすぐに服薬すると、10分後には腹具合がすっかり良くなってしまいました。
そして15日からのご案内をルンルンで過ごしたとサ。                               ・



































10月26.27、29日



ボランティア・ガイドが終わりました

かなり多忙で、なかなか書けない日が続いています。 ボランティア・ガイドもそうですが、ギターの練習も相当負担になって
います。 来月の発表会に向けてアンサンブルが3曲、ソロが2曲、加えて音楽理論等々。 どうやら「あいつ大丈夫なんだろ
うか?」と心配して下さっている向きもあったりして。 ご免なさい。                        ・


でも大丈夫、何とかやっています。 「私もなかなか元気なもんだ。」とそんなことを呟きながら。 今回はフランス・アビニ
ヨンからお越しになった72歳の男性のご案内でした。 予定を立てる段階で先方の強いご希望で26日、27日、29日と3
日間のご案内となりました。 初日が広島、2日目が宮島、1日空けて最終日が尾道でした。 そしてこの3日間で56000
歩、37kmを歩いていました。 しかも2日目は弥山にも登りましたが、それでもさして疲れを感じない訳でして、「私の歳
にしては、まぁよくやるなぁ。」なんて自画自賛しているところです。                        ・

この人からは早々と5月に依頼を受けていたのですが、その時点ではご夫婦でお見えになることになっていました。 ところが
初日のことです。 ホテルのロビーにはご主人が1人で座っておられました。 「奥様は?」とお尋ねすると、「ダンスの最中
にくるぶしを骨折していまベッドの上だ。」といいます。                              ・

ここで混乱が起こりました。 初めてお目にかかった時には相手の発音に慣れるまでの間、時に混乱することがあります。 話
の内容から、「そうか車椅子か何かで一応日本まで来られて、今日は1日ホテルで休養されるんだな。」と早とちりしてしまい
ました。 それにしては「今日は広島に1泊し、明日は宮島に宿を取った。」といいますから、「奥さん大丈夫なんだろうか?
」と心配していました。                                             ・

26日は広島。 9時30分にホテルのロビーでお目にかかると傘を持ってお待ちでした。 空は文句なく晴れているし、天気
予報もそんなに悪くない。 「まぁ、傘は要らんでしょう。」とロビーに預けて頂いて出発しました。 広島駅で明日の宮島行
の乗り場をお教えし、縮景園に向かいました。 とても話し好きなお方で、道すがら、まず「アビニヨンを知っているか?」と
聞いてきます。 『アビニヨンの橋で踊るよ、踊るよ・・・』 このメロディーを口ずさんで説明を始めました。     ・

「今は退職してアビニヨンの田舎に移り住んでいる。 その前はパリでアパレルの仕事をしていて、いい商売をしたよ。 特に
日本の女性が沢山買ってくれて随分儲けさせて貰ったが、最初はサイズが合わないのには苦労したよ。 田舎は土地が安いので
平屋の家を建てて広い庭も造ったよ。 出発する前には銀杏の葉が黄色く色づいていたが、日本はまだみたいだな。 それに広
いラベンダー畑も持っている。」と写真を見せながら説明が続きます。                        ・

縮景園では鯉に無造作に餌をやり、樹齢200年の『被ばく樹木』の銀杏を眺め、もみじの紅葉が始まっていないのに落胆し・
それでも庭園の全景に感動し、最後にコーヒーを喫して広島城に向かいました。 今日は『フードフェスティバル』で、内堀の
外周にはズラリと出店が並び、夥しい人が押し合っていて、とてもゆっくりと見学できるような状態ではありませんでした。・
それでも、古式ゆかしい出で立ちの鉄砲隊が放つ『火縄銃』の轟音を珍しそうに眺めていました。 菊花展も催されていました
が、こちらには余り興味がなかったようです。 ただ、11月1日だったと思うのですが、「オールセイントデーには先祖の墓
に菊を手向ける。」といっていました。 こうした会話の中から相手国の文化に触れるのも有意義なことです。      ・

お昼はもちろん『お好み焼き』です。 『お好み村』で、エレベーターの扉が開くと込み合った『お好み焼き店』群に目を見張
り、「これらの店はそれぞれで味が違うのか?」と興味深そうに尋ねていました。 そして牡蠣のトッピングをオーダーし、珍
しそうに焼き上がりを待って無言で平らげていました。                               ・

さてこれから平和公園。 お好み村を出ると何と何と西の空が真っ黒になっていました。 あれだけ晴れていたのに、お昼を食
べている間にすっかり空模様が変わっていました。 やがてポツリポツリ! 原爆ドームを見終わった頃から急に雨脚が強くな
ってその内土砂降りに。 傘を置いてきたことを後悔しました。 実はカバンの中にはほんの小さなな折り畳み傘が入っていた
のですが、2人が入るにはあまりにも小さすぎます。 急いで『平和の鐘』の屋根の下に走り込みました。 ただ、西の空はも
う明るくなり始めていたので「あと15分待ってください。」と言って被爆時の惨状などを話しながら雨宿りをしました。 ・

予想通り、15分後にはすっかり小やみになり、そろそろと動き出したのですが、原爆ドームの無残さや、被爆の実相に相当シ
ョックを受けたらしく、それ以降は殆どのモニュメントをパスしてしまいました。 取り合えず資料館にも入ったのですが、原
爆投下のCGを見ただけですぐに資料館を後にしました。 悲惨だったドイツ軍のフランス侵攻をイメージしたのかも知れませ
ん。                                                      ・

翌日27日は宮島口駅で待ち合わせました。 1便遅れてやってきた彼は、「何か事故があって予定の電車は3番線に変更にな
っていた。 急いで1番線から駆けつけたが間に合わなかった。」と笑っていました。 私の説明もそこまでは想定していませ
んでした。 それから駅前のコンビニでお弁当を買い、フェリー乗り場に向かいました。 お弁当は前もって予約しておきまし
た。 これも今ではお定まりのコースになりつつあります。 お弁当は外国の方にはとても喜ばれますね。        ・

少し霞んでいましたが、ロープウェーからの景色を眺めていただき、獅子岩から頂上を目指しました。 平素から相当歩かれて
いるようで、さほど休むことなく付いてこられましたが、「いつもはほぼ平地を歩くので坂道はやはり厳しい。」と言っておら
れました。 頂上では暫く景色を楽しんで頂いて、それからベンチに座ってお弁当を頂きました。 霞はかなり晴れてきていま
した。                                                     ・

 

下って予定通り厳島神社、大聖院をご案内しました。 かなり熱心に説明を聞いていただけましたね。 翌28日は案内なしで
彼自身で宮島を散策される予定です。 千畳閣や大鳥居はパスし、彼の提案で濃いコーヒーを飲むことにしました。 商店街の
専門店にご案内すると気が変わったらしくソフトクリームをオーダーしていました。 私はエスプレッソ。        ・

そして港近くの宿にご案内しました。 でも奥様はいません。 迂闊にもここでやっと気が付きました。 「そうか、今回は彼
の一人旅なんだ。」 全くもって迂闊なことでした。 明日はまた広島に戻り、広島に連泊して30日には京都経由で成田から
パリに向かわれます。 今日はここでお別れしました。                               ・

1日おいて29日は尾道でした。 朝9時に広島駅で落ち合い、ローカル線に乗って尾道に向かいました。 「新幹線じゃない
の?」といぶかる向きもありますが、便にもよりますがローカル線だと約90分、新幹線だと早いもので50分、悪くするとロ
ーカル線と変わりなしということもあります。 それに片道2000円の価格差が大きいです。 もちろん交通費は先様持ちで
はあるのですが、JR PASSを持っていない彼の分も合わせると往復8000円の価格差は彼にとっても無視できないでし
ょう。 そんなことへの気配りでした。                                      ・

とはいえ、この片道90分の時間の過ごし方がちょっと大変なのです。 相手が何を話し始めるか、いつも構えておかなければ
なりません。 どんな話題であっても適当に受け流すと言いうほどには私の語学力は立派ではないのです。 例えば、乗り込ん
で来たサラリーマンの一団をさして、小声で「この中で誰がボスだと思うかね。」と聞かれました。 「彼?」と答えると「何
故そう思うのかね。」と意見を求めてきます。 そして自分の所見を披露しながら更に新たな意見を求めてきたりします。 ま
ぁ暇を持て余すのも困りものですが、常時緊張状態というのも草臥れます。                      ・

尾道の見せ場は頂上からの尾道水道を中心とした展望、千光寺を含む古寺、坂道の町の佇まい、それにあえていえば尾道ラーメ
ンですかね。 ご案内は今回が2度目で、まだまだ研究が十分ではありません。 古寺は数えたところ30くらいあるのですが
古寺巡りというのも外国から来られた方にはどうなんでしょうかね。 今回は頂上の展望台、歩いて坂道を下って千光寺、更に
下って三重の塔、そして禅宗の天寧寺をご案内しました。 仕事の関係で『尾道観光大使』を務めている息子にも訪ねてみたの
ですが、どうももう1つ何か印象的なものが足りないなぁと感じます。                        ・

ロープウェーからの眺め、頂上展望台からのパノラマ、そして奇岩の上に建立された千光寺、尾道の街にしっくりと馴染む古い
三重の塔、天寧寺の五百羅漢像は十分に見る価値がありますし、満足して頂けたものと思います。 しかしここまで脚を延ばし
た以上、それに見合う何かを見付けないと案内するものとして「もう一つ申し訳ないな。」と思う訳です。        ・

お昼の尾道ラーメンは駅の観光案内所で情報収集をしました。 「観光客に人気のラーメン屋ではなくて、地元の人が通う旨い
店はないか?」と尋ねたところ、屋台の頃からやっているという小さな店を紹介してくれました。 商店街に入った辺りの目立
たない間口一間ほどの小さな店でしたが、これが実に美味しい。 極めてシンプル、焼き豚とネギが乗っかっているだけなので
すが、いい出汁をとっているなぁという感じでした。 地元の人はこういう店をよく知ってして、観光客に人気の店を横目にこ
ういう店に通い詰めると聞いています。 彼もとても美味しそうに食い、さらにスープも残さず頂いてました。 そして「お前
は何故スープを残すのか?」と訝ります。 高血圧を持っているんだよ!                       ・

 

こうして、尾道に到着して時間つぶしに海岸通りを散策した後で、少し早いお昼を頂いて千光寺公園を目指しました。 その他
にはちょうど商店街の中間辺りにたった2席だけのオープンカフェがあって、ここのソフトクリーム+エスプレッソの味がとて
もよくて、2人で美味しくいただきました。 こんなところが今回の3日間に及ぶご案内の記録でした。 次回は来月中盤にロ
ンドンから、また終盤にバングラディシュのご婦人を京都にご案内の予定です。                    ・







































10月17日



ボランティア・ガイドが終わりました

今回のお客様はテルアビブ(イスラエル)からお出でになった67歳のご主人と63歳の奥様、なかなか元気なご夫妻でした。
ご主人は『家庭医』、奥様は『マーケティング会社』を経営されているそうです。 気の早い方達で早々と7月には依頼を受け
ていました。 1日で広島、宮島、それに海苔工場が見学したいという依頼でした。                  ・

それは無理ですね。 地理をご存じないので仕方がないとは思いますが、1日で広島、宮島の有名どころをご案内するのがやっ
と、しかも昼食時間が必要ですから精々『厳島神社』と『平和公園・資料館』に限られます。 それでもかなり急ぎ足になりま
す。 10時に広島駅に隣接したホテルでお目にかかり、早速宮島に向かいました。                  ・

大変に残念がっておられたのは工事中の『大鳥居』です。 分かります。 『大鳥居』は大袈裟に言えば「世界中みんなが知っ
ている。」といってもいいくらい超有名です。 私は毎日セルビアやボスニア、それにフィリピンの人達と会話を楽しみますが
広島という地名を知らないとしても、この写真をお見せするとたちどころに理解されます。 ときに工事用のネットを半分くら
いおろしていることもあるのですが、今日はきっちりと覆われていて、ただシルエットのみを見学して頂くことになりました。
何度も残念な気持ちを口にされていましたね。                                   ・

 

それでも『厳島神社』の壮大さ、超自然的な佇まいにはご満足いただけたと思います。 入り口では心と身体をお浄めして頂き
ましたし、本殿では神道マナーでお参りをして頂きました。 神社の建築様式、歴史、『高舞台』での舞楽の奉納、雅楽の演奏
などかなり多くのことを説明しましたが、概ね興味を持って聞いて頂けたようでした。 一般的に余りメジャーではない『勅使
橋』にも興味を示され、説明に熱心に聞き入って頂けました。                            ・

時間がない時は出来るだけ避けたいのですが、今日は少しだけゆとりがあったので商店街を通って港に引き返しました。 道す
がら目ざとく『もみじ饅頭』『わらび餅』『醤油』を見付けていました。 他にも目にとまったものがあったようですが、そこ
は適当にいなしながら港まで戻りました。 修学旅行シーズン、それにワールドカップの影響もあったでしょう、港ではフェリ
ーを待つ長い長い行列ができていました。 外国の人もとても多かったです。                     ・

ユダヤ教国家、ムスリム国家の方々をご案内する時には食事に気を使います。 といっても馴染みのお好み焼き店では心得てく
れていて、宗教さえ言っておけば必ず希望に応えてくれます。 この国の人達はもちろん豚を食べません。 私達からすると『
お好み焼き』と豚は切っても切り離せない素晴らしいコンビネーションなんですがね。 他には鱗のないシーフード、例えば海
老、イカ、牡蠣、蛸などもダメです。 私達には不合理に見えますが、この人達はとても宗教に厳格です。        ・

 

平和公園に入った頃から雨が落ちだしました。 それとともに少し見学に不熱心になったように感じました。 まぁそこは以心
伝心でこちらにはかなり敏感に感じられます。 お客様の『ノリ』がいいとこちらも励みになりますが、こういう状況ではつい
こちらも不熱心になりがちです。 朝方が晴天だったものですから誰も傘を持たなかったのが致命的でした。 以降は大処のモ
ニュメントをそさくさとと回り、雨のない『資料館』にご案内しました。                       ・

『資料館』ではいつものように私は殆ど説明しません。 英語のコメントをご自身で読んで頂きます。 私は時にその場を離れ
水分を摂りながら休憩することもあります。 その時点でもう1万歩は優に歩いていますから流石に疲れます。 こうして雨の
中をタクシーでホテルまでお送りし、ロビーでコーヒーをご馳走になってお別れしました。 時は18時。        。















































9月23日


ボランティア・ガイドが終わりました

21日、22日と2日間にわたってバングラディシュの若いご婦人をご案内しました。 といっても、彼女は日本の某国立大学
の医学生で、研究者として日本の大学で勉強を続けられています。 専門は女性臓器の癌だということでした。 今年で日本で
の勉強を終えて、来年には渡米すると言っていました。 秀才なんでしょうね。 羨ましいことです。          ・

台風17号が接近していて、日を追って状況が悪化していました。 事前の計画では21日の朝『新幹線口』にお迎えして広島
市内をご案内、22日は宮島口駅で出会って『宮島』のご案内の予定でした。 特に宮島では弥山からの眺望を楽しみにされて
いました。 こんな天気ですができれば希望を叶えてあげたい、そう考えながらずっと週間天気予報を注視していましたが、ど
うやら台風の脚が遅く、21日は何とか天気がもちそうです。 もし21日の天気がまずまずだったら21日と22日の予定を
そっくり入れ替えようと思っていました。                                     ・

『新幹線口』にお迎えし、早速予定変更の話を切り出して宮島に向かいました。 曇り空ではありましたが、雨が落ち始める心
配はなさそう、また眺望もそんなに悪くないように見えました。 宮島口までの車中では改めて今日の予定を確認しておきまし
た。 お昼は『新幹線口』で『炙りあなご弁当』を買って行きました。 「学生なので出来るだけ安く。」と宿の予約を依頼さ
れていましたので、気をきかせる積りで前もって安ての弁当を物色しておきましたが、「何か、広島のローカルフードはないか
?」というので、「ならば少し高いがこれはどうか?」とお勧めしたのでした。                    ・

出発が当初の予定から1時間遅れになりましたので、少し忙しい。 でもゆっくりゆっくりと歩いてきます。 少し歩いては振
り返ってみるのですが、その度にやはり遅れてついてきます。 お国でインターンまでやって日本の大学で4年ですから30歳
台前半かなぁ、ならばもう少し早く歩けそうにも思うのですが、これが彼女のペースなんでしょう。 こんな調子で頂上に至り
暫く景色を楽しんだ後でお昼にしました。                                     ・

下って『厳島神社』『大聖院』をご案内しました。 全ての説明をお国のイスラム教やヒンドゥ教と対比しながら熱心に聞いて
いました。 「聞きたいところを漏らさず説明してくれるのでよく理解できたし、有難かった。」と、これは賞賛なんでしよう
かね。 まぁ、気を遣うところもありました。 イスラム教は結構排他的な側面もあります。 本殿ではいつもは一緒に神道マ
ナーでお参りをして頂くのですが、今回はそれとなくパスしました。                         ・

翌22日は『縮景園』『広島城外周』『平和公園・資料館』をご案内しました。 やはり雨でした。 それに風もありました。
台風の影響でしょう。 『縮景園』では彼女にとってとてもラッキーなハプニングがありました。 ちょうど『秋の茶会』が開
かれていて、まさに本格的な『茶会』を経験して頂くことができました。 彼女が『正客』私が『次客』の位置に座ります。 
もちろん彼女は『正客』の役割は知りません。 でもこれは成り行きですから、通常の『正客』としての振る舞いはこういうオ
ープンな茶会では特に求められません。                                      ・

『正客』『次客』は『亭主』が点ててくれたお茶を作法通りにいただきます。 着座の仕方、お菓子の食べ方、茶碗の受け取り
方、頂き方、様々な作法をお教えしながら『お茶』を楽しんでいただきました。 これは通常なかなか出会えない貴重な経験を
して頂いたと思っています。 その様子は私のフェースブックでも紹介しています。 私のフェースブックのアドレスは8月7
日の項で紹介しています。                                            ・

お昼はいつも通りの『お好み村』です。 ただ、『イスラム』の方は豚を食べません。 「豚の入らない『お好み焼き』なんて
」と思ったりするのですが、これは宗教上の制約なので止むをえません。 私はボランティアガイドを始めてからずっとこの店
に通い詰めています。 従って店主はよく心得ていて、「イスラムだよ。」と言っておけばどのようにも対応してくれます。・
有難い存在です。 今回はチーズ焼きにさらに牡蠣をトッピングしていました。                    ・

平和公園は概ね小雨、傘がいるくらいの雨でした。 ここでは1時間余りをかけて主だったモニュメントをご案内します。 原
爆慰霊碑で時の惨状をお話ししている時、特に学徒動員の12〜3歳の子供たちが何千人も犠牲になったとお話しすると、急に
涙ぐんでバッグから紙片を取り出し『千羽鶴』を折り始めました。 そして『千羽鶴』の安置所にそっとお供えして慰霊碑を後
にしました。                                                  ・

感受性のとても強い方なんでしょう。 それ以降はずっと沈んで無口でした。 『原爆資料館』の特に若者や子供の犠牲者の人
となりや遺物の展示を時間をかけて見ていましたが、急に倒れ込むように壁際に座り込んで慟哭し始めました。 こうなるとど
うも手の施しようがありません。 暫く待って、それから手を差し伸べ、「後は見なくていいよ。」と言いながら手を引いて出
口に急ぎました。                                                ・

心配事が1つありました。 いま将に台風が九州西岸に近づこうとしています。 ヘタをすると、どこかで新幹線が足止めにな
るかも知れない。 早く駅に戻って1つでも2つでも早い列車に乗った方がいい。 それで気が急いていました。 今なら1時
間くらい早い列車に乘ることができそうです。 それで『みどりの窓口』に並んだのですが、彼女はそれを希望されませんでし
た。 予定通りでいいといいます。                                        ・

そして私に夕食のお弁当を買って、改札口で熱い熱いハグを交わしてお別れしました。 到着予定時間になって「無事到着しま
したか?」とメールを送ったところ、「いま某駅で止まっています。 すっかり疲れています。」と返信がありました。 翌朝
になって、「深夜に帰宅しました。 アドバイスに従えばよかった。」とメールがありました。             ・

今回はこんなご案内でした。 少しうぬぼれて言えば、今までのどんなガイドよりいい出来だったと思います。 後日、「京都
の案内を引き受けてくれないか?」と連絡がありました。 「京都にも同じようなボランティアガイドがいますよ。 しかも若
い大学生が多い。」とお話ししましたが、それでも私の案内がいいのだそうです。 少し出費がかさみますが、まぁいいか。・























9月 9日



ボランティア・ガイドが終わりました

前もってのメールのやり取りで聞き忘れていたことがありました。 こともあろうにこの人達の国籍を確認していなかったので
す。 それで宮島口駅の改札口でお目にかかって、最初に「どちらのお国から?」とお尋ねすることになってしまいました。・
奥様が「ドイツからです。」と答えます。 するとご主人が身体を寄せてきて、「私の父がギリシャから移民したんだ。 彼女
の親もスロベニアからの移民だよ」といいます。 確かに顔つきがどうもそのように見えました。 奥様の髪はブラウンがかっ
たシルバーでとても素敵でした。                                         ・

最初のメールで「宮島の神社はいま工事中だと聞いた。 従って広島だけの案内にしてくれ。」と言ってきました。 こういう
風評が広がったら困ります。 「いやいやそれは違います。 確かに『大鳥居は修復工事中ですし、一番の観光名所ではありま
すが、宮島や厳島神社の見どころはそればかりではありません。 これは見逃すべきではないです。 必ず満足させてご覧に入
れます。」と返信して、強行スケジュールにはなりますが、1日で広島と宮島をご案内することになりました。      ・

ただ、前日8日の午後3時頃に広島に到着し、お2人で『原爆資料館』の見学を済ませてもらっていたので時間的にはかなり余
裕が持てました。 9日は9時に宮島口駅で待ち合わせることにしていました。 1番線のプラットフォームから岩国行に乗る
こと、宮島口駅まではちょうど30分、9番目の駅であること、途中7番目に似たような名前の駅があるので車内放送に注意す
ること、クリーム色のパンツと帽子、白系のストライプのシャツ、それに黒のショルダーバッグを持って待っていること、こん
なことを入念に打ち合わせておきましたので、予定通りに宮島口駅で出会い宮島に向かいました。            ・

かなり暑かったですが、とてもよい空模様で、空気もよく澄んでいましたので、宮島の景色にいきなり圧倒されたようです。・
フェリーボートの中をカメラを抱えて動き回ろうとしていましたので、「ここにお止まり下さい。 5分後に素晴らしい景色が
待っていますよ。」と2階右舷デッキに止まっていただきました。 山容が神様の顔の形をしていることから宮島が神の島であ
ると信じられていたこと、山腹は全て自然林で人の手が入っていないこと、山頂に登れば素晴らしいパノラマが展開されている
こと、島の14%が『厳島神社』とともに世界遺産に登録されていること、こんな説明をしながら入島しました。     ・

大鳥居を見ていただき、お浄めをして頂いて厳島神社に入りました。 左に客人神社、右手に升形を見ながら長い東回廊を巡り
本殿に至った時、丁度結婚式が始まるところでした。 先ずはこれを見て頂きましょう。 外国の方にとっては古式ゆかしい日
本の神前結婚式はなによりの驚きであり、興味津々です。 奥様は多くの人をかき分けるようにカメラを構えていました。 ご
主人はむしろ雅楽の響に興味を持ったようで、「古典的なオーケストラですよ。」と説明するとしきりと頷いておられました。

奥様は更に記念撮影を追います。 客人神社を背景にした親族の記念撮影が定番ですが、向かいの舞台を右左に走りながらカメ
ラを向けていました。 こうなると説明どころではありません。 納得するまでやって頂きましょう。 それから一通り神社の
施設や歴史を説明し、お神酒の酒樽、天神社、能舞台、勅使橋を経て厳島神社を後にしました。             ・

大聖院の見どころは参道脇の『五百羅漢』、観音堂地下の『戒壇巡り』、摩尼殿2階からの『絶景』です。 これには感動され
ます。 他に勅願道場、大師堂、遍照窟などもありますが、総じて余り興味を示されませんし、限られた時間でもありますから
大体スキップしています。                                            ・

 

こうして宮島を離れるとき「どうでしたか?」とお尋ねする訳ですが、「私達だけではこれだけ感動的な経験をすることは出来
なかった。 あなたに案内して貰ってよかった。」と大いに感謝されました。 宮島を離れるフェリーの中で「神社が工事中と
聞いているので、宮島に行っても意味がないと思う。」という彼らのことを前もって記事にしていた私のフェースブックをお見
せして、みんなで大笑いをしました。                                       ・

広島に戻り、例によって『お好み村』で『お好み焼き』を堪能していただきました。 いやはや全く堪能していましたね。 ア
メリカの方には魚介類が苦手な方が多いようですが、ヨーロッパの方は総じてお好きです。 奥様はエビ、イカ、ご主人はチー
ズ焼きに牡蠣をトッピングしていました。 とてもマナーがいい方達で、お好み焼きの店主も「いい方達ですね。」と褒めてい
ました。                                                    ・

 

平和公園内では主だったモニュメントを巡り、夫々が意味するもの、被爆者が伝えたい事などをお話しします。 全てを話し終
えたとき、「広島城はどうなのだろう?」と訊ねられました。 「ホテルへの帰り道にご案内できます。 天守閣が見どころで
すが、内部は展示場ですし、建物もコンクリートですからさほどの価値はありません。 ただ、内堀に映る天守閣は絶景ですか
らそちらをご案内しましょう。」とタクシーに一時停止をお願いし、天守閣を背景に記念写真を撮って頂きました。 それから
ホテルまでお送りし今日のかなりハードなご案内を終えました。                           ・































8月23日


『ボランティア・ガイド』が終わりました

「暑さも峠を越えたかな。」と思っていましたが、なかなか暑い中でのご案内でした。 今回のお客様はカナダからお見えにな
ったご夫妻で、ご主人は50歳の中国系カナダ人、奥様は47歳のタイ系カナダ人でした。 ご主人は大学教授で、放射線治療
が専門、奥様は腎臓専門の看護師です。 ご主人は移民の子孫で、綺麗な発音で話されますし、とても穏やかな方で、気遣いも
素晴らしく、一般的によく見られる中国人の気質の片りんさえも全く見えませんでした。                ・

8時半に広島着、20時前の離広のスケジュールと聞いていましたので、この時間内での最大限のスケジュールを提案し了承し
ていただきました。 少し変則ですが、新幹線からすぐにローカル線に乗り換えて宮島口まで来ていただく→私は宮島口駅で待
つ→宮島に渡り、『大鳥居』を見て頂いた後で『厳島神社』、それから『大聖院』、そしてすぐに広島に引き返す→昼食の後タ
クシーで『縮景園』、更にタクシーで『平和公園』に向かう。 『平和公園』内のモニュメントを解説しながら巡りった後で『
資料館』へご案内し、ここではご自身で見て感じて頂く→『平和公園』近くのレストランにご案内し、夕食後広島駅にお見送り
する。                                                     ・

『大鳥居』が修繕工事中で、防護ネット越しのシルエットのみ、実際の姿をご覧いただけなかったのは残念でしたが、『厳島神
社』、『大聖院』とも十分に堪能して頂けました。 特に海上に建築された『厳島神社』の壮大さ、更に『大聖院・摩尼殿』2
階からの景観には『火灯窓』を開け放った途端に驚きの声をあげ、wow! very niceと繰り返しておられました。

 

広島では『お好み焼き』は欠かせません。 皆さん『お好み村』での食事を楽しまれます。 特に目の前で焼き上げていく巧み
の技には興味津々です。 またトッピングも様々楽しまれます。 今回は『ホルモン』と『牡蠣』をそれぞれトッピングしてお
られました。 そしてnice choicとお褒めをいただいたりしました。                    ・

 

『縮景園』の中盤から雨が落ち始め、やがて土砂降りになりました。 たちまちズボンの裾がぐっしょり濡れました。 やはり
雨は厄介です。 資料を取り出そうにも片手に傘、雨を避けながら資料を示すのも大変です。 ただ、『平和公園』に入った頃
には少し小やみになり、『資料館』に向かう頃にはほぼ上がっていました。 このところ落ち着きのない天候が続いています。

『資料館』では私は説明をしません。 夥しい展示品ですし、それぞれを解説するスキルもありません。 そこでいつも「あな
た方ご自身で見て、そして感じてください。」とお願いし後をついて回るか、或はエントランス・ホールに座って見学が終わる
のを待つようにしています。 まぁ、この辺りになると流石に体力の限界も感じます。                 ・

ご主人は仕事柄放射線に強い関心をお持ちで、あらかじめ「『爆心地』と『原爆ドーム』で少し時間を取って欲しい。 お祈り
を捧げたいんだ。」と依頼がありました。 そして暫くの間佇んで静かに祈りを捧げておられるようでした。 全ての見学が終
わって平和公園近くの『小料理店』にご案内しました。 できれば広島特産の料理を食べて頂きたいと、『牡蠣の天婦羅』『小
鰯の刺身』『小鰯の天婦羅』『アナゴの照り焼き』『しじみ汁』『牡蠣ご飯』をお勧めしました。 それに日本酒の『甘口』『
辛口』です。                                                  ・

「これは何だ?」と『粉山椒』を『アナゴの照り焼き』に振りかけて「これは美味しい。」と食べていましたし、器用に『シジ
ミ』の身もほじくり出していました。 『日本酒』は初めての経験のようでしたが、「余り飲めないんだ。」と言いながら美味
しそうに舐めていました。 そしてここでもnice choiceとお褒めを頂きました。 そして電車で広島駅までお送り
して今日のご案内を終えました。                                         ・









































6月26日


ボランティア・ガイドが終わりました。

今回のお客様はオーストラリア北東部、クイーンズランド州からお見えになりました。 59歳と57歳のご夫婦です。 お住
まいは超美観で有名なブリスベンから北へ約200kmのハーベイ・ベイ・・・ブレーザー島に向き合うとても美しい所だそう
です。 海峡は波が穏やかで週に何回かはご夫婦でパドリングを楽しむのだそうです。 また釣りにも親しまれ、いろいろな魚
を釣っては食卓を賑わせているそうですが、刺身だけはダメだとおっしゃっていました。                ・

最初にメールで頂いた(自己紹介の)写真を見て驚きました。 ご主人は禿頭で、口髭を蓄え、眉間に縦皺をよせた眼光が鋭い
偉丈夫で一見とても部下に厳しい軍曹をイメージ、奥様も同様に眼光が鋭く、スパイ映画に出てくる敵役に見えなくもない。・
広島駅の新幹線口で待ち合わせ、挨拶の後でそんな印象を冗談で話したところ、奥様が「私はどのように見えたの?」と聞かれ
ました。 まさか『スパイ映画の悪役』とも答えられないので、とっさに「軍曹のよきサポート役。」とお答えしておきました
が、心配には及ばず実はお二人ともとても穏やかな人達でした。                           ・

この人達の旅はユニークで、一旦東京に入り、それからカナダ、ロンドンと旅して再び東京に戻り、京都を経て広島に来たのだ
とおっしゃいます。 東京・京都では自転車をレンタルし走り回ったそうで、海遊びだけでなくサイクリングやウオーキングも
大好きなのだそうです。 広島の次は名古屋、それから嬬恋に行くとお聞きしましたので、「嬬恋はすごい田舎ですよ。 何を
楽しむお積りですか?」とお尋ねすると「ウオーキング!」と答えていました。 よほどアクティブな方々です。     ・


いきなりトラブルがありました。 歩き始めたところで、奥様が「How can I address you?」と聞かれ
ました。 ワーォ!、いきなり分からん。 面喰っていると再度「How can I call you?」と問い直されま
したので、「私の名前を聞いてきたのか」と理解しましたが、いきなり試された感じ。 「こいつ分かってないな!」と見抜か
れたに違いありません。 後で聞いたことですが、この言い方はフォーマルな場での丁寧表現なんだそうです。 ちょっと勉強
したかな。                                                   ・

 

今日は広島市内の通例のコースで、『縮景園』、お昼はいつもの『お好み焼き店』、そして『平和公園・資料館』にご案内しま
した。 比較的楽なコースだったのですが、ともかく疲れました。 歩き慣れておられるのでしょう、マイペースでどんどん進
んでいかれます。 ガイドをする側が引きずられていく感じ。 まさか疲れた顔も見せられませんから、空元気だけで何とか最
後までやり通した感じでした。                                          ・

ご夫婦とも『資料館』の展示物をとても熱心にご覧になっていたのが印象的でした。 これだけで広島のご案内の目的は達した
ようなものです。 合わせてご案内中は雨が落ちなかったのは幸運でした。 最後に広島駅までお送りしてお別れしました。・


































6月12日



ボランティア・ガイドが終わりました

今回のお客様はアメリカ・ワシントン州からお見えになった70歳のご婦人でした。 シアトルの南方、約1時間ドライブの緑
豊かなカントリーサイド・オリンピアにお住まいだそうです。 ご希望は尾道、広島、とくに広島では神楽の見学をご所望でし
た。 昨年11月に1度ご案内の希望があり、私がお引き受けしていたのですが、急にキャンセルとなり、今回改めて依頼があ
りました。                                                    

11日は尾道。 尾道観光案内は1度現地で研修を受けていますが、さて実際にご案内するとなるとどうしても事前調査とイメ
ージ作りが必要です。 そこで、前々日に下見(自費)をしてきました。 今回の計画は『瀬戸田クルージング』とロープウエ
イで登って千光寺、天寧寺と下りながら風光を楽しんで頂くように考えていました。 確かに千光寺山から望む尾道海峡の眺め
は素晴らしいです。                                               ・

前もって「膝が痛い。」という話をメールでお聞きしていました。 でも尾道で山道が歩けないでは何の価値もない。 そこで
登山用のステッキを持って出発しました。 ところがホテルにお迎えした彼女は杖とともに現れ、私の心配は杞憂に終わりまし
た。 さて『瀬戸田クルージング』です。 これはクルージングとはいいながら定期便で、尾道港(駅前)と耕三寺で名高い生
口島の瀬戸田港を往復します。 所要時間は約80分、その間向島、因島と多島美を堪能していただくことができました。 ・

尾道港に戻って適当なお昼を探しました。 尾道と言えば『ラーメン』、しかし彼女は麺類がお嫌いなのです。 そこで彼女が
お気に入りの食事をご自分で探して貰うことにしました。 が、なかなかお気に入りの店が見つかりません。 見るのは長い行
列ができた『ラーメン店』ばかり。 そこで事前調査よろしく、お弁当を提案し、千光寺山の頂上で海峡の景色を眺めながらお
昼を楽しんで頂くことにしました。 それにしても、某有名ラーメン店前の数10メートルに及ぶ長い行列には流石に驚かれて
さっそく写真に納めておられました。                                       ・

 

先ずはロープウエイで頂上まで登り、展望台から絶景を堪能して頂いてから、急坂を下って千光寺にご案内しました。 巨岩の
隙間に建つ仏閣にはいささか驚いておられました。 彼女は『御朱印帳』を持っていて、寺社仏閣を訪ねるごとに記帳して貰っ
ています。 隣家に住む日本人女性の『書』に影響を受けたようでした。 早速バッグから『御朱印帳』を取り出して記帳して
貰っていました。 ただ、写真撮影はお寺さんに断られました。                           ・

さてこれからどうするか、彼女の脚を考えると余り無理はさせられない。 しかし天寧寺の『三重の塔』とその背景の尾道海峡
の景色は見逃して欲しくない。 急坂をロープウエーまで戻ってくるか、長い階段を辿って下っていくか、そこは彼女の判断に
お任せしました。 何れにしても脚への負担は相当きつそう。 彼女の選択は「あなたのバックパックにすがりながら下って行
きます。」と下りを選ばれました。 階段の両サイドにはハンドレイルがあって、これにすがりながら下って行かれます。 尾
道の古い佇まいに触れながら、また同年代の方々とも気楽に声をかけあいながら下って行かれました。 『三重の塔』から更に
下って天寧寺の『五百羅漢』をご覧いただいて山道コースのご案内を終了しました。 そして商店街をブラブラと歩きながら、
またちょっと洒落たストリート・カフェに立ち寄ったりしながら尾道駅まで戻りました。                ・

 

12は宮島・広島。 今朝は宮島口駅で待ち合わせることにしていました。 私の家は宮島口に近いですから、これだととて
もありがたい。 出発の準備をしているところにメールが入りました。 「脚が痛くていまアイシングをしているところです。
宮島は諦めるので広島のみご案内願いたい。」といいます。                             ・

承知して12時にホテルにお迎えし『お好み村』に向かいました。 麺の入らない『広島風お好み焼き』かぁ〜。 「そんなも
の作れるか!」と他の店なら一喝されるところですが、この店ではそれでも何とかお客様を満足させてくれます。 従ってとて
も重宝しています。                                               ・


続いて平和公園、資料館とこれはお定まりのルートです。 資料館では展示品の1つ1つをかなり入念にチェックしておられま
した。 ただ私としては少し気が焦る面もありました。 というのは『神楽』の入場整理券が4時半から配られます。 とても
楽しみにされていたのに入れないでは申し訳ない。 出来るだけ早く並んでチケットを確保したい。 それで焦っていました。

7時開演なんですが、長いんですねぇ。 4時半に整理券を配布して、5時40分から入場券を発売、6時開場、7時開演、ま
ぁ我先にと皆さんお考えでしょうから止むをえない手順かも知れませんが、待つ身には極めて長い。 4時半前に広島県民文化
センターに到着した時には既にかなりの人がホールにたむろしていました。 でも今日の神楽団はそれほどメジャーではないそ
うで、神楽団によってはチケットが取れないこともあるようです。                          ・

ともかく無事に入場して、撮影可能な中段最前列中央に陣取りました。 これだときっと彼女も満足でしょう。 今日の演目は
『塵倫』と『八岐の大蛇』、このあらすじを説明するとなるとかなり骨が折れます。 前もって仕込んでいましたが、うまく説
明できるかどうか、でも英語版パンフもあって私が考えていたストーリーは網羅されています。 彼女も興味深く読んでいまし
たので後は補足するだけで事足りました。 安堵・安堵。                              ・

終始目を光らせながら鑑賞していましたね。 終演後舞台が解放されて、神楽団との記念撮影がありました。 どうやら『神楽
面』が怖かったようで尻込みしていましたが、「折角だから。」と舞台に上がってもらって記念撮影を行いました。 隣に立た
せようとしましたが、彼女にはよほど怖かったとみえます。 でも刀を渡されると切りつける真似事を楽しんでおられました。

   

不行き届きもあったかと思いますが、尾道、広島、日本の古典的文化を存分に楽しんで頂けたのではないかと自負しながら今回
のご案内を終えました。                                             ・


























5月26日



ボランティア・ガイドが終わりました

ボランティア・ガイドが終わりました。 今回のお客様はアメリカ・フロリダからお越しの70歳の男性(コロンビアからアメ
リカに移住されたのだそうです)でした。 24日は広島市内、翌日25日には宮島をご案内しました。 両日とも快晴で、そ
れはそれでよかったのですが、暑さには参りました。 両日とも体感温度は35度を大幅に超えていたと思います。 なかなか
体力的に厳しいご案内でしたが、今回はそれ以上に厳しいことが・・・                        ・

実はこの人は全く英語が話せず、理解できないアメリカ人でした。 そのことが分かったのは初日の朝、ホテルのロビーでお目
にかかった時でした。 『Jose』というお名前を何と発音すればいいか分からず、「どのようにお呼びすればいいですか?
」とお尋ねしましたがキョトンとしてご返事がありません。 何か私の言い方が拙いのか、或は発音が悪いのかと思い言い方を
変えてみましたがそれでも全く通じません。                                    ・

身振り手振りでおっしゃることからおぼろげながら理解したことは、「スペイン語しか話せない」ということ、 英語でのメー
ルのやり取りは全て息子さんが代筆していたこと、そんなことでした。 困惑しました。 そんなことならクラブにスペイン語
が得意な方もおられたのにと思いましたが、時既に遅し、今更どうこう出来ることでもないし、後はやりきるしかありません。
頼りはスマートホーンの翻訳機能だけです。                                    ・

広島市内は縮景園、広島城、お好み村、平和公園・資料館をご案内しましたが、止むをえないことながら、説明はほぼ最小限に
止まりました。 『有年場』rice field、時の日本の経済基盤は『米』で成り立っていた。 藩主は農民から『米』
を税として徴収し、公共事業や家臣の給与などに充てていた。 従って藩主にとって豊作は何より大切であり、藩主はこの小さ
な田に稲の苗を植えて豊作を祈った。 例えばこんな説明は機能の低い私のスマートホーンでは不可能で、極めて通り一遍な説
明にならざるをえませんでした。                                         ・

それでも『鯉の餌やり』『園内の風景』『四阿での涼風』『茶室の佇まい』などは堪能して頂けましたし、広島城でも『刀剣』
『鎧』『侍の暮らし』『町人の暮らし』『天守からの眺め』などを楽しんで頂きました。 メールで何度も確認しましたが、そ
れでもコニュニケーション・ギャップはありました。 『お好み村』でのことです。 「なんでも食べられます。」と言ったの
に、どうやら豚と牡蛎は苦手だったようで、結局トッピングの牡蠣は私の方へ廻ってきましたし、後で「やはりチキンがよかっ
たなぁ。」と漏らしたりしていました。 息子さんは親父の好みをご存知なかったんだろうか?             ・

 

新装なった『原爆資料館・本館』はご覧になったでしょうか? 夥しい展示品です。 また、なかなかの説得力です。 その1
つ1つが英語で解説されていますが、彼には読めません。 スペイン語の音声案内もありましたが、彼にはとても使いこなせな
いと思い、ただ見て感じて頂くことにしました。 まぁ、実際のところこれらの展示物の1つ1つを理解し解説するのは困難で
すし、例え英語ができる人であっても見て感じて頂くことになるのですが、せめて展示の大まかな流れくらいは理解して貰って
おけばより理解が深まると思います。 が、今回はそれさえも出来ませんでした。                   ・

翌日は宮島です。 宮島口駅で待ち合わせ(前日に広島駅までご案内し、このゲートから入り1番のプラットホームから電車に
乗り、9番目の駅で降りると繰り返し説明しておきました)、コンビニで注文しておいた『弁当』を受け取りフェリーに向かい
ました。 今日も夥しい数の外国人でした。 流石は外国人が好む観光地の人気ランキング第3位の『宮島』です。 因みに第
1位は京都の『伏見稲荷』、第2位は広島の『平和公園』です。 今夜の宿に荷物を預け早速スタート、弥山に向かいます。・
先ずはロープウェーで中腹まで、それから急坂を登ります。 「どうかな?」と心配していましたが、遅れながらも付いてきて
くれます。                                                   ・

 

やや霞はあるものの、展望台から絶景を眺めながらお昼を頂きました。 下界と異なる涼やかな風を感じながら暫く過ごし、そ
れから下り始めました。 『霊火堂』の解説も、「この火は1200年間燃え続けています。」とのみ。 空海云々の説明はし
ませんでした。 下って『千畳閣・五重塔』『厳島神社』『大聖院』を巡りました。 『厳島神社』では運よく結婚式をご覧い
ただくことができました。 随分興味を示され、約30分間、始まりから最後までまじろぎもしないでご覧になっていました。
これだけでも今日の価値はあったかな。                                      ・

それから山麓を辿って宿にチェックインしました。 宿のスタッフもきっと困るだろうと思ってご一緒しましたが、案の定でし
た。 一応の説明と手続きを終えて、勧められて夕食にお付き合いしました。 「ベスト・ガイド」、食事をしながら沢山のこ
とを話されていましたが、どうやら言葉もままならぬ中で満足できた広島・宮島の旅に感謝して頂けたようでした。    ・



































4月22日



『ボランティア・ガイド』が終わりました。

昨年12月の『前立腺癌』の手術以降、「暖かくなるまで」とガイドを控えていましたが、いい気候になってきましたので、今
日、今年初めてのガイドに出ました。 体力的には長旅に十分に対応できる自信があります。 問題は頻尿と切迫尿意ですね。
これは早め早めの備えで問題なく対処できます。 また事前に移動するルートを想定して、公衆トイレやお借りできる施設のト
イレの位置も頭に入れておけば大丈夫です。 もちろん『尿漏れパンツ』等は着用しません。              ・

さて今日は4〜5時間程度の軽い広島市内のご案内、と思っていたところ、のっけから『とんでもない』ことが。 今回のお客
様はイングランドから豪華船『アザマラクエスト』でお見えになった2カップルでした。 奥様が昨年ご案内したイスラエル・
ファミリーの奥様と従姉妹だということで直接の依頼がありました。 「そうか、イスラエルからお見えになるんだな。」と思
っていたところ、どうも話が噛み合わない。 そこで機会をとらえて「which part?]とカマをかけてみたところ、
「ロンドン」と戻ってきました。 「そういう誤解もあるわなぁ。」と内心おかしく思いました。            ・

9時に広島港をタクシーで出発し『平和公園』に向かうというスケジュール、予約したタクシーも既に待っています。 さぁ出
発というところで、その『とんでもない』ことが。 一方の奥様が1枚の紙を突きだして「ここへ連れて行け!」といいます。
見ると広島市内の『○○養鯉場』とあります。 「自宅に池があって、そこで13尾の鯉を飼っている。 その鯉はドイツの代
理店を通してこの店から買ったものだ。 この店が見てみたい。」といいます。 待って待って、そんなスケジュールじゃぁな
かったでしょう。 ところがもう一方のご主人は大鳥居の写真が載ったパンフを握り締めて、「ここへ連れて行け。」とタクシ
ーの中でふんぞり返っています。                                         ・

「身は1つだ。 そんなことができるか!」とあっちのタクシー、こっちのタクシーを行き来しながら調整にはいります。 「
あなた方には時間がないんだ。 じゃぁ、『養魚場』で30分、それからJRで宮島に向かう。 広島に戻って昼食、それから
平和公園。 縮景園は諦めて!」とやっと話をまとめてタクシーで出発するという始末でした。 「あなた方とは何度もメール
をやり取りして納得づくでスケジューリングしてきたではないか。 これは一体どうなっているんだ!」と言いたかったが、そ
こはぐっと押さえておきました。                                         ・

我が儘というか、この人達は終始一貫こんな様子でした。 自分達の時間には全く無頓着、その場その場で興味の湧いたことに
ふらふらと動いていく。 ちゃんと私の話を聞いてよ! 「follow me! follow me!」と何度繰り返した
ことか。 ともかくいつの間にか消えてしまうのには全く閉口しました。 でも請け負った以上、投げ出すこともできません。

 

『お好み焼き』店でも一悶着。 あれを出せ、これを出せとオーダーし店主を困らせます。 流石に機嫌を損ねた店主がいいま
す。 「イギリスの人は皆さん穏やかで紳士的だけど、この人達は一体どうしたん? まるで子供じゃない!」と、顔には出さ
ないものの、かなりお冠でした。 ところが、こちらの気持ちは意に介さず、この人達は終始一貫上機嫌でこの地の小旅行を楽
しんでいました。 JRの中では知り合ったメキシコのご婦人が今日が誕生日と聞いて、いきなり『ハッピー・バースデイ』の
大合唱を始めたり。 いやはや、疲れるご案内でした。                               ・





























1月31日


1月29日・・・『ボランティア・ガイド』事情

頻尿、排尿痛、切迫尿・・・こんな諸々の事情から昨年末から『ボランティア・ガイド』を控えてきました。 排尿痛は和ら
いできたものの、頻尿の上に切迫尿ですから広範囲に動き回るガイドは現今極めて厳しい状況にあります。 しかも行動中は
新陳代謝がより活発になるらしく、頻尿のリスクは更にあがります。 その上切迫尿は待ったなし、タイミングが遅れると失
禁に至る恐れがあります。 従って日常でも少し遠歩きをするときには、前もってルート上にある利用可能なトイレを頭に入
れながら行動しています。 まだ大丈夫と思っていても早め早めにトイレを済ませるようにしています。        ・

そういう事情からSGG(Systematized Goodwill Guide=ボランティア・ガイドのグループ)
の責任者にも「暖かくなるのを待って再開したい。」旨お伝えしておりました。 もっともこの時期はまだ依頼そのものがそ
れほど多くはありません。 そうですね、「桜の咲く頃からかなぁ。」などと考えていた矢先、直接の依頼(SGGを経由し
ない)が飛び込みました。 こういう依頼は以前案内した方達からの口コミ・推薦ですから、なかなか断りにくい事情にあり
ます。                                                    ・

昨年秋にイスラエルからお見えになった父・母・子供2人のご家族をご案内しました。 この人達は広島市内に宿を取ってい
たのですが、翌朝早くに次の目的地に出発するので「1日で広島と宮島を案内して欲しい。」という依頼でした。 かなりタ
イトなスケジュールになりますが、この人達にとっては恐らく一生に一度の旅でしょうから、出来るだけのことをして差し上
げたいと思うだけにこうした依頼にはスケジューリングにも苦労があります。 一方で遣り甲斐も。          ・

今回はその人達の従妹に当たる人からの依頼で、「広島に行くんだったら、あの人にお願いしたら?」と紹介されたのだそう
です。 豪華客船『アザマラ・クエスト』のクルージングでやはりイスラエルからお出での2組のカップルのご案内になりま
す。 4月22日8時入港、18時出航というスケジュールですが、出入国の手続きがあるので実質5時間くらい(以前の経
験から)のご案内ではないかと思います。                                    ・

これではどんなに頑張っても宮島は無理ですね。 それに、縮景園を強く勧められたそうです。 ご存知のようにイスラエル
は砂漠地帯ですから、この人達にとっては緑深い景色がとても印象的なのでしょう。 それで希望に沿って簡単にスケジュー
リングをして提案しておきました。 広島港→縮景園→お好み村→平和公園・資料館→広島港、移動は全てタクシーを利用し
ます。                                                    ・

暫くガイドを離れると説明の手順や言葉を忘れます。 それで説明が浮ついてしまうこともありますから、このお休みの間に
もう一度整理し直しておく必要がありそうです。 それに展示内容が変わっていたり、入場料が高くなっていたりすることも
ありますからその辺りのレヴューも手が抜けないところです。 体調の方も様子を見ながら、場合によっては『失禁パンツ』
の準備が必要かも知れません。                                         ・